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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

おバアの昔話

2010-01-20 | 読む人々には興味ない話
昔、昔の物語。

今では、枯山水のおバア にも、若い頃がありました。
ボーイフレンドは、4才年下のカワイイ男子、名前はトモクン。
大阪市内でも有数の高級住宅地に住む、オボッチャマでした。


トモクンは、オボッチャマの例にもれず、中学からは私学の一貫校に通っていた。
一応、大学生ではあったが、知能指数は(おそらく)いいのだろうけれど、
驚くほど学力は低く、学力コンプレックスを根強く持つおバアだったが、
世の中には、上には上が、下には下がいることを思い知った。
それよりもなによりも、本人は全く、コンプレックスを持っていないことに、とても驚いた。

でも、ヘンな理屈をこねまわすでもなく、なんの曇りもない目と心を持つ、純粋で従順なトモクンだった。
子供か、ペットが変身して、ひょろひょろと背の高い男子になった、そんなかんじだった。
純粋な馬の目を見た時にも思ったけれど、濁りのない眼でまっすぐ見る眼差しには、
世の中の汚れなんて、見えないのだろうな・・・。
おバアは、こんなトモクンが大好きだった。

ある日、トモクン、20才のお誕生日のこと。
「チッチッチッ、チーッ」と、時計の針が、誕生日の時刻を刺した時、20才を迎えた彼は言った。
「今、オレ、変わった? 大人になった?」
彼は(生物として)20才になれば、同時に、自動的に、大人になると信じていたようだ。
狼男が月夜に変身するみたいに、20才の誕生日に突入すると、中身も外見もきっちり20才に変わるはずなので、
その変化が、外から見て、わかる?という意味なのだけれど。
その考え自体に衝撃を受けた。
この子、本気なの? 本気でこんなこと信じてるの?
びっくりも、ビックリ。
20才にもなって、こんな子がいるんやー、と。
サンタクロースも、きっと、本当にいるって、信じてるに違いない。


彼は、そもそも、おバアの親友と付き合っていた。
おバアは、それを奪った(というカタチになってしまった)。
しかも、おバアには前歴も数回あった。
おバアは今でこそ、普通で、マトモだが、若い頃は、結構、ひどい人だった。
反省、懺悔。
しかし、おバアが、けしかけたのではなく、勝手に向こうがフラフラなびいてきたのだが。
オトコという生物は、そういう傾向にあるようだ。
まあ、断らなかった、おバアも悪いけれど。


「オレのオヤジ、アパート経営してるねん。オレ、長男やから、それ全部、引き継ぐねん。」
というトモクン。
将来にわたり、現金収入の道は確保されていて、アクセクしなくていい、というかんじだったけれど、
大人になるにつれ、色々学ぶこともあるんだろうなぁ。

「オカンに、『あんた、立派なお嬢さんと歩いてたけど、誰なん?』って、聞かれてんけど、
オレ、日記書くの面倒やから、その日あったことや、感じたこと、みんなオカンに話してるねん。
オレの代わりに覚えててくれて、便利やで。」


なにしろ、トモクンのエピソードは尽きません。
純真無垢で、オツムは少々弱いけれど、愛すべきキャラ。

トモクン、あんなに従順だったら、おバアより個性の強い、吸引力のある人が出現したら、
また、そちらになびくと思う。
こっちになびいたり、あっちになびいたり、クラゲみたいに、大海をゆらりゆらり、ふらふら。
そうなる前に、ピリオドを迎えて、幸いだったのかも。

元祖、草食系男子、トモクン
今は、どんな中年オジサンになっているんだろう。

新聞に、追いかけられて

2010-01-19 | 読む人々には興味ない話
うちは、朝日新聞を取っている。
大阪市西区の肥後橋にある朝日新聞大阪本社ビルは、のっぽのツインタワーに建て替えられる。
四ツ橋筋を挟んで、東西に1棟ずつ、ツインタワーが建つが、
その片っぽの東側の方が、現、朝日新聞大阪本社ビルより先に工事が行われている。
先日、地鎮祭も行われ、着々と進行中だ。
現、朝日新聞大阪本社ビルから、向かいの建築現場が見おろせるので、その様子がとてもよくわかる。

それはそれとして、今後、益々羽ばたく(であろう)朝日新聞だが、
新聞の未来は、とても険しいものとなっている。

私は、毎日新聞を取っていた頃もある。
誌面が、半分に折った時に、上下、真っ二つに分かれる、読みやすいレイアウトになっていたので、
通勤電車内で読むには、もってこいだ、という理由からだった。
その後、朝日VS毎日の熾烈な?戦いを繰り返し、今は、朝日新聞に落ち着いている。

いしいひさいち氏の「ののちゃん」が好きで、選んだような朝日新聞なのだが、
(右寄りだの、左寄りだの、全く、わかっていない・・・)
今、いしい氏は、病気療養中で休載のため、
漫画スペースは、記事で埋まり、三面記事・最終ページとしての誌面がシマらない。
早く復活してもらいたいものだが、見通しは、はっきりしないようだ。
朝日新聞は、いしい氏がお気に入りのようで、新しい漫画家を用意するわけでもなさそうだ。
私としては、最終ページに漫画がないのは、どうも、しっくりこないのだが。

インターネットで、ニュースを読むことが多くなっている。
意見も即座に書き込める「双方向性」も、紙の新聞に比べると、断然、優位だ。
しかし、新聞は、好むと好まざるにかかわらず、広げると、そこには否応なしにいろんな記事が目に入る。
知らないことを知る。
インターネットは、興味のあることに関しては、どんどん深く進んでいくことができるが、
興味のないことは、目には飛び込んでこない。知らないままに、行き過ぎてしまう。
そのあたりが、偏狭効果を生むのではないかと、危惧する。
ちらと外見だけを見て、嫌いなものは一切食べず、好きなものだけ食べる、偏食児みたいなものだ。
外見さえ、存在さえ知らないで、通り過ごしてしまう。
そんな大人が多いように思う。


毎日、パソコンには触れるのに、新聞は、積まれたまま、あっという間に一週間。
土曜日の「be」が好きで(特に「悩みのるつぼ」の大ファン)、待ち遠しいぐらいなのに、
その「be」も溜まると、おっくうになる。
溜まりに溜まった新聞を、日曜日の夜、直近の新聞から読んでいく。
日、土、金、木、ぐらいまでで、ダウン。
週の前半は、積み残したまま、次の週の新聞が積まれていく。

積まれた新聞を見て「新聞、取るの、やめたら?」と家人は言うが。
やめるわけにもいかず、今日も、山積みされた新聞に、溜息をついている。
せめて、今日の分だけでも読もう。
と、思い立ち、今、先週土曜日の「悩みのるつぼ」を読んだが、やはり、おもしろい。
やめられそうにない。


本日のネタは、ヒネリやオチのない、つまらないものになってしまった。
自分でつぶやくだけのブログなのだから、
どんなにくだらなくても、自分さえ満足していればそれでいいのだが。
へんに、閲覧数がチラついて、モチベーションをあげてしまっている。

自分を殺して、見知らぬ他人に媚びて(ウケをねらって)、
結果的に面白くないものになったら、本末転倒だ。
自分を生かして書いたところで、所詮、読む人にとっては、つまらないものだけれど。
とりあえず更新さえすればいい、という方向性は、よろしくない。

牡丹と薔薇

2010-01-16 | 読む人々には興味ない話
スポーツジムで、エアロバイク運動をしている間は、イヤホンをして、見たいチャンネルを選び、
テレビを見ることにしている。
NHKが相撲を生放送中だったので、それはやめて、隣のテレビに目を移した。
すると、そこでは、ありえなく不気味なドラマを再放送していた。

全編に愛と憎しみが咲き乱れ、とことんまで人間の本質を描いたドロドロの愛憎劇『牡丹と薔薇』
東海テレビ・フジテレビ系列で、2004年1月5日から3月26日まで放送された昼ドラらしい。(全60回)
「ボタバラ旋風」をも巻き起こしたという、スゴさ、私が、目を奪われるのも無理はない。
ちなみに、中国でも、2007年1月15日から『牡丹與玫瑰』のタイトルで、毎日22:00から中国CCTVで放送されたが、
中国では「CCTVは公の場で謝罪しろ」など反発が相次いだとか。
あの、なんでもあり、の(ように感じる)中国人でさえ、ビビるんだから、
私のような気の小さい人間が見れば、何をかいわんや、である。
ぎょぎょっとするような、わざとらしい悪趣味の作り込みに、またまたコワイモノ見たさの血が騒いだ。
見せ物小屋の前で、フリーズする子供のように。

オドロオドロシイ内容。
恋人に捨てられ、遺書を書く看護士のオンナ(キャスト/川上麻衣子)。
内容が、ありえない。
今時、なに? あれ?
「そいとげられない二人なら、先にあの世で待っています。」→ めまいクラクラ。
次。
さっさと、鬱陶しい粘着質タイプの恋人を捨て、お金持ちのお嬢様(キャスト/北原佐和子)と結婚するオトコ。
お嬢様の邸宅で誕生日パーティー。
義父から、娘婿のオトコへのプレゼントは、大手ゼネコン会社の設計部長への昇進。
お嬢様からは、手作りの心をこめて刺繍したネクタイ。
モチーフは、牡丹と薔薇。この世のものとは思えないデザイン。脈が、止まりそうだ。
あんなチャッチイ、ダサいネクタイをさせられるオトコ、いったいどこに、どういうシチュエーションで着用する?
贈った側も、そんな気の毒なネクタイをした夫を、目を細めて、嬉しそうに眺められる?
あのネクタイのデザインそのものが、このドラマ、そのものだ。

パパ(オヤジ)は、定番の膝丈ガウンを着て、ブランデーグラスをゆらゆら揺らす。
(これって、ギャグまんが「パタリロ」に出てくる人と、同じ?)
威張り方が、シーラカンス並にオカシイ。テンション高すぎだし。
セリフ、身のこなし、すべて漫画。あれは、笑わせるドラマなのか?
シュールなギャグが満載だ。
夫婦でダンス(ブルース?)を踊ったり。もういいって。
ダンスの時にかかっている曲が、これまた、すごい歌。失神しそうになる。
高い笑い声に包まれた幸せなシーンを、外からじっとガラスの窓越しに看護士のオンナが見ている。
これは、どうやら「第7話」のようだが、やはりギャグドラマなんだと確信した。
不気味さが売り、でもギャグだ。

日本で作られたとは思えない。(東海テレビって、ある意味、スゴイ!!)
テレビ界もここまで来たか、血の苦悩。
焼きが回ったとしか思えない。
視聴率さえ取れたら、それでいいのか?
テレビマンとしての、意地やプライドはないか?
ショックで、その夜の夕食は、のどを通らなかった。。。。(だから、サンドイッチにした)

ほんの25分間ほど見ただけなのに、
めまい回数、数回、脈飛び回数、数回、心拍停止寸前回数 数回、失神寸前回数 数回、
のけ反り回数と、突っ込み回数、数えきれないほど(見ている間中、ずっと)
衝撃映像シリーズのように、目に焼き付いてしまったが、
まんまと、制作者の罠にハマらないよう、気をつけなければ。
視聴率は最高14%まで行ったという、この、おばけドラマ、
ブログに書いている時点で、もう、半分、足を突っ込んでいるようなものだが。
来週のジム、テレビ(NHK)で相撲をやっていないことを祈る。
(もし、相撲をやっていたら、また隣のテレビに・・・。)





偏差値ミーハー

2010-01-15 | 読む人々には興味ない話
人には、色々、好きなものがある。
目がないもの、となると・・・
ある人は、特定のブランドだったり、スウィーツだったり、
また、ある人は、漫画家だったり、ゲームだったり、タレントだったり、
あるいは、お酒、ペット、ギャンブル、・・・・あれこれ、あれこれ。
目が、勝手にキラキラ輝いてしまう分野があるものだ。

目がない、というと、ちょっと違うような気もするけれど、
私の場合は、アタマのいい、「高学歴」ブランドに、目がない。
ちょっとやそっとじゃあ、凡人には手に入らないもの。

宇治原氏は、計画を立てて、高校3年の時から1年間、京大入試の受験勉強に挑んだそうだ。
(大阪教育大学附属高等学校天王寺出身らしいので、学校からの指導もそこそこ行われていたのだろうけれど。)
京大合格者は1日10時間勉強している、との情報を得て、彼は11時間勉強したという。
ただ、だらだら机に向かうのでは、意味がない。
高性能勉強ロボ・ウジハラは、その性能を発揮する。
3か月ごとの目標を立て、最後の1か月は、過去問(過去に出題された問題)で、総仕上げ。
テキスト1冊となると、多くてうんざりして、手がつけられないけれど、一日に割ると、ぐっと少なくなる。
そこで、一日何ページと決める。
11時間も、頭の緊張感が続くなんてところは、凡人とは違うのだろうけれど。
教科書には、アンダーラインを引かない。全てが重要だから。ふむふむ、なるほど。
彼は、暗記力が、抜群のようだ。
意味なく丸暗記ではなく、なぜそうなのか、前後の関連や筋道を理解すると覚えやすい。
暗記する時は、口に出す、書く、歩きまわる、とのこと。
私なら、一日中歩き回っても、なにひとつ、覚えられないで、
夜になって、なぜ、こんなに足がガタガタしてるんだろう・・・
あ、そうだ、暗記しようとしてたんだ、ってなかんじだろうけれど。

私は、自分にないものに憧れる傾向があるので、
お金をいくら積んでも手に入らない、「偏差値が高い」という分野には、過激に反応してしまう。
わ、ステキ、と、痺れてしまう。
偏差値世代でもあるので、ほぼ、「信仰」に近いものがある。

アタマのいい人には、共通するものがある。
私の尺度は、低すぎて申し訳ないのだが、
素早い理解力、正確な記憶力、組み立てる力が、秀でている。
そして、集中力、正しい国語能力、思考力を備えている。
(社会人としても、必須ではあるけれど、能力には、人それぞれ差がある。)

というわけで、私は、高偏差値ブランドに弱い。
ミーハーな私は、(ミーハー→死語?!)
宇治原氏の、とんがった、ピリピリした、感度のいい、サエたアタマに、目がない。


言うのは、勝手。言うだけですけど。

2010-01-12 | 読む人々には興味ない話
9日夜、嵐主演のTVドラマを見た。
嵐もデビュー時は、あまりの、ぽっと出ぶりに、どうなることかと思ったが、
今は、いいかんじになっている。
相葉雅紀が、いい。
(前は、「桜井翔が、いい」って言ってたけど。
爽やかで、カワイイお顔もさることながら、
ニュースキャスターをスマートにこなす、「お利口キチンと感」が、今も好きですが)
残念なから、今回のドラマでは、あんまり相場チャンの良さは発揮してなかったように思う。
バラエティ番組で見せる、自然体で、「遅れてやってきた感」がいい。
完璧ではないかんじが、好きかも。
最近、光ってる。

松山ケンイチも好きなんだけど、テレビではめったにお目にかかれないし。
彼は、けったいな役が多いせいなのか、そうそう多くはテレビに出ないようだが、
そう言えば、TVCMでなにか、一言しゃべってた。
「訛り」が、彼を個性的に際立たせる演出効果あり。

いつも目にしてないと、(たま~に、ユニクロの折り込みチラシで見るぐらいでは、)
脳の回路に焼き付いていたものも、薄れてきてしまうのが、いかにも私、俗人。。。


年齢をもっと上げれば・・・素敵なのは、かっこいい、ダンディな男性。
見かけのカッコよさは、セクシーさにつながる。
「外見だけで中身がない人はダメ、中身が大事だ」と、日頃、口を酸っぱくして言っているが、
外見がある程度クリアしている上で、中身も大事だってことだ。
若い時には備わっていないもの、
たとえば、潤沢なお金、博識・教養、出来上がった人格、地位名誉、・・・
それはそれで、とても素晴らしいが、異性を熱く魅了するのは、むしろ、そんなものは付録に過ぎない。
理屈抜き。生身の魅力。
男性も、外見のカッコよさを放棄した途端、どっと老ける。
鮮やかな色の鳥が、真黒なカラスになる。
女性にあれこれ注文をつける前に、ご自身の外見を見直してほしい。

外見のカッコよさは、内面からにじみ出る部分も、もちろん大きいが、
セクシーという面は、ちょっと違うところから来る。
肉食系というのは、ひとつのエネルギー。
カッコ良くなくても、男性的味わい(セクシーさ)が、女性に好まれる路線で、
にじみ出ていれば、よろしいかと。(実は、昨今は、このサジ加減が、難しい)
不細工、またはダサくて、女性に相手にされない男性、はいて捨てるほど、この世にいる。
それなら、いっそ、不本意でも、草食系に転身して、安穏に楽に生きる?

「どの口で、どの顔で、そんなことを言っている?」と言われそうだ。
いいんです。
私は一生、どんな醜くなっても、自分の道、探求していくつもり。
その時々に応じて、素敵と感じる人は変わるかも?
80才になった時は、その時の人、90才にはその時の人。
探求心、旺盛。
見かけや年齢を超えた、おどろおどろしいものを昇華した、そんな日は必ず来ると思う。
でも、そんなの、おもしろくないから、さっさと死んでいるかも。
それより、寝たきりで、自分も回りも、それどころではないかも。

心身ともに自由が利くうちに、ハートをビビッドに保っておこう。
笑われたっていいから、自分流のこだわりをもって、お洒落もしたい。
嵐をはじめ、美しきビタミン源たちを心ひそかに、楽しもう。
ヒアルロン酸代わりに、美容効果もありそうだ。
ご近所M女史のように、全国ツアーの追っかけをする気は、さすがに、ないけれど。




「愛してるっ!!」っっ??!!

2009-12-23 | 読む人々には興味ない話
バカも休み休み言ってもらいましょう。
なにが「愛してるっ!愛してるっ!愛してるっ!」だっ!
気持ち悪い、キモチワルイ、げぼげぼ・・・


普通、情熱の若い日々を思い出すと、胸が熱くなるものだ。
が、私は胸が悪くなる。


A氏は、良家のオボッチャマ、そして秀才、お人柄は、いたって正常。
だが、悲しいかな、ダサかった。
この「ダサい」というクセモノ、どんなに努力しても天賦のセンスは、どうしようもない。
画家やデザイナーならとっくに廃業、職業転換を余儀なくされるところだが、
一般素人なので、どうってことはない。
だからといって野放図にしていると、
自覚のないダサさは、どんどん細胞分裂を繰り返し、増長していく。
良家のオボッチャマ、プラス、秀才、正常なお人柄、そして・・・次が、魔のブラックホール・・・
プラス、 増大し過ぎて、もはや抑える手だてのない、強烈なダサさを持ったモンスター。

その彼との、愛の日々(げげっげげっ、ああ、もうだめ、ゲボゲボ)が、ふとしたことで、蘇る。
街で、キモチワルイ、へんなカップルを見た瞬間に、デジャブする。
う、今も思い出すと、胃がむかつき、モドしそうになる。

別にそんな手痛い被害を受けたわけではない。
ただ、あの感性が、感覚が、・・・思い出すだけで・・・、うわぁ~、あぁ~~、うぅ~~、・・・
かなり、私には精神的ダメージが残っているようだ。
残るというか、張り付いていて、取れない。うわっっ。
平気な顔で付き合っていた私も、自分自身、相当キモチワルイ。

恋愛の「レ」の字もわかっていない、なんの愛の交流もないのに
知りあって間もない二人なのに、なにひとつお互いわかっていないのに、
「愛してるっ!!」って、どこから来るコトバなんだろう???
びびっと来る直観は、「愛してる」が、正しいのか?
男女間の魔法のコトバ?
お年頃になって、心身ともに大人になって、熱病にうなされている?

それにしても、そのコトバを発するにも、似合う人と、似合わない人がいる。
グっとくる人に言われたら、とろけそうになるかも知れないけれど、
いかにも、「彼女いない歴=年齢」、みたいな人に、言われたら・・・・
一方が熱くなって、そう発していても、その似合わないコトバを受ける方(私)も、
その時は、ちょっと可笑しかったけれど、そこまでキモチワルさを感じなかったようだ。
若くて経験不足なせいなのか、知らない間に、解毒剤か鎮痛剤でも服用していたのか、
今、考えると、かなりキモチワルイ。

まあ、そういう若い日々を送ったダサい男性も、いろんな経験を積み、浄化され?
やがて、普通のオジサンになっていくのだろうけれど。

「そこまで言う、そういうアナタはどうなの?」と、聞かれたら、
自分で正々堂々、胸を張って答えられるものがある?
いえ、私は、いいんです。私は。
私も治癒出来ていない「心の傷」がいっぱいあり、
そっとそのまま、天国だか、三途の川だか知らないけれど、あの世まで、
心に秘めたまま、持ち運ぼうと思っている。

若き日には、さほどなんとも思っていなくても、
今になって思えば、キモチワルイことがいっぱいある。
時には、そのキモチワルさが、別のパワーと核融合して、不気味な感覚となって
突如、蘇ってくるから、やっかいだ。


寒っ・・・!!!

2009-12-18 | 読む人々には興味ない話
http://www.flixxy.com/bear-animal-nature-film.htm
↑↑この動画、なかなかイケてます。

このおハナシは、出来過ぎだが、人間も見習わなければならない。
どうも人間は、ネグレクトに近い放任か、過干渉・過保護。距離の取り方が下手。
体だけは大人のようだが、精神は未発達、自己中心的な親が多いようだ。
結婚しても子供を産みたくない、という人が増加しているのは、
なんだか「個人の自由」の、はき違えのような気がする。
自分以外の人のために、尽くす、愛を注ぐ、というのも、経験したほうが、絶対にイイ。
恋愛もそうだが、子育ては、恋愛よりもさらに、人間の幅を広め、感性を磨く。
そういった経験は、映画や、芸術、旅、あれこれ、人生の後半になると、感慨もひとしお、深くする。


悩みの相談サイトを、ちょっとだけ覗くと、そこは、病院の待合室のようなかんじ。
心の病の人が、ひしめきあっている。
ほんの少しでも近付きかけると、引きずられそうになる異様な負のパワーを感じる一角もある。
プラス思考の私としては、自分の元の場所に戻ると、ほっとする。
心身ともに健康、健全な場所に身を置けることに感謝。


今朝は雪も舞い、急に寒くなってきた。
心も体も温かくして、この師走を乗り切りたい。
ちなみに、紫色のダウンコート、気になるものがあり、お取り置きしてもらった。
だが、今、悩みの渦の中。
モノをひとつ手に入れると、ひとつ、捨てろ、と、賢人のアドバイス。
「素敵なモノに囲まれた暮らし」を提唱している人の著書に、載っていた。
あのダウンコートの代わりに、ひとつ、捨てるものはあるのか?

今日も、もう一度、お取り置きしている店に、チェックしに行ってきた。
さらに、お取り置き期間を延長してもらったが、悩みは、益々深くなるばかり。

今年は、ひょっとして紫が流行なのだろうか???
だとすると、益々、紫は避けたい。
気に入ってしまったところに、問題がある。
結婚できない人を、好きになってしまったようなものだ。
見なければよかった・・・、出会わなければよかった・・・・、あの店に行かなければよかった・・・。

私の悩みは、実に浅い・・・、他に悩むことはないのか・・・?? 単なる、優柔不断??
が、真剣だ。
今週いっぱい、悩みは続く。


話が、ばらばら、流れが、むちゃくちゃになってしまった。
まとまりのない、展開で、ごめんなさい。
吹雪も吹くが、煩悩の嵐も吹く、ってことで・・・だめでしょうか。


マッチ売りの少女 VS 暖かい部屋の少女

2009-11-23 | 読む人々には興味ない話
ジングルベルの音はさすがにまだだが、街には、イルミネーションが煌いている。
クリスマス商戦、真っただ中。あと1か月、熱戦は続く。
家庭でも、幸せそうな笑い声が響く、クリスマス。

マッチ売りの少女は、明るく楽しそうな声が聞こえる窓に、顔をくっつけて、
その光景に、こころ奪われる。
実は、そんな幸せそうな家庭も、病魔が潜んでいることもある。
(「本当は怖ろしいグリム童話」、みたいになってくるが。)
自分が幸せだと、自分に言い聞かせているだけのこともある。
そういう人に限って、ことさら、幸せを演じ、装う。
偽善のニオイが、プンプンする。
が、本人は気付いていない。
それは実際のところ、「幸せ」というものなのだが、一生、知らないまま、棺桶まで到達すれば、完璧だ。
幸せに必要なものは、いい意味で表現すると、純真、純粋、悪い意味では、無知、鈍感。
これに、「努力」、「才能」、「運」が加わる。
そうすると、幸せをつかむことができる(らしい)。

マッチ売りの少女は、最後は死んでしまうが、凍死は死因の中では、最も安らかだという。
夢を見ながら死んでいったのだから、幸せかも知れない。
残された家族がいる場合が、悲劇なのである。
彼女の場合、家族はいないのだから。
ぬくぬくとした窓の中から、笑顔の女の子が、ふと、窓の下を見ると、そこには少女の姿が・・・
でも、見なかったことにしよう・・・いや、それでは、罪悪感が残る。
アタシは、見えていないんだ、気のせい、気のせい・・・と、意識的に消したかも。
いつまでも、死ぬまで、その罪悪感と戦う窓の中の少女と、マッチ売りの少女とでは、どちらが幸せだろう。

マッチ売りの少女は、自分のせいではない理由で、楽しい思いもせずに
努力のしようがない状況で、人の家庭を羨みながら、悲劇のヒロインで死んでいく。
現在の福祉が整っている先進国では、
そんな幼い子供が、寒空の下で凍死するなんてことは、ちょっと現実味はないけれど、
世界中では、まだまだ貧困による悲劇は後を絶たない。
絶対的不幸は、根絶すべき問題だ。
しかし、戦争は、いつも、世界のどこかで起こっている。

富める国で、幸せ感覚が麻痺してくると、目や感覚が曇ってくることもある。
それを承知で、あえて精神面だけを誇張して言えば、
自分のせいではないことや不条理を恨み、嘆くことは、不幸だが自責の念はない。
が、自由な選択のあげく、自分の生き方に責任を取ることも重いものがある。
幸せの質は、高くなればなるほど、苦しみも増す。
いつも、不満を人のせいにしている人は、ある意味、幸せだ。


人は、偽善を抱えて生きている。
そんなこと、ないわ、アタシは、純粋よ、本当に幸せよ、
素晴らしい家族にも囲まれ、素敵なオトモダチもたくさんいるし、・・・
という人は、周りでは家族が泣いているかも知れない。
暖かい部屋の少女は、何も見えなかった、と無理にでも信じようとしているのかも知れない。





無知の導くもの

2009-11-19 | 読む人々には興味ない話
人のブログを読んでいると、面白い。
何が面白いのか・・・・それは、ひとそれぞれ、面白いと感じる視点が違うからだ。
自分と違うからといって、不愉快というわけではない。

ただ、自分の考えや感性、価値観と、すべてがあまりにも全く違う場合は、
無意識に、条件反射的にシャッターを下してしまう。
お互い、相い入れず、不快なので、近寄ろうとしない。
見たくもないし、興味もない。

なにかしら共通点があるうえで、別の、相違点を発見すると、それが面白いと感じるのだ。
考え、感性、価値観、全てが同じ人など、この世にいるわけもなく、
友人というものは、ある部分が共通しているだけだ。
その、「ある部分」が、大事なのだけれど。

なので、友達にもいろいろあり、
職場仲間、学友、ママ友、ご近所さん、趣味仲間、ファン仲間、飲み友達、遊び友達、ヒマ友達、
頑張り仲間、病気仲間、悩み仲間、愚痴仲間、ネット仲間、、戦友、盟友、悪友・・・
共通の部分で、盛り上がり、絆を強める。

価値観というものは、生まれ育った環境や、生きざま、体験、精神構造などで、大きく変わる。
上昇志向の頑張り屋さん、苦労知らずの楽天家、不幸を背負う人、はね返す不屈の人、などなど・・・
だが、願望や目標と資質とが、あまりにもかけ離れていると、不幸の元だ。
犯罪につながったりする例もある。
自分を見極めて、目標を持つべきだ。
そして、一気に目標に到達しようとするのではなく、少しずつ、少しずつ、気長に、忍耐強く。
時としては、柔軟路線を取り入れ、方向変更もありだ。

毎日をいい加減に生きている人も、その人が楽しければそれでよし。
しかし、周りに迷惑、悪影響を与える場合は、NG。
人それぞれ、価値観が違うのだから、自分と近い価値観の人と付き合えばよい。
ただし、自分の属すグループだけを重んじるあまり、協調性がなさすぎると、
自己中心的な、他人を思いやる気持ちが生まれなくなったりして、
そういう人が増えると、国としても将来の展望は、憂いあるものとなりそうだが。

私は、自分が劣等感を感じている部分がある。
その劣等感分野で、もっともっと劣等感を感じるべきレベルの人がいても、
全くそんな劣等感は感じていない、むしろ、満足している人もいる。
ある意味、羨ましい。
それは、価値観の違いというよりは、棲む世界の違いだろうか。
それとも、心の持ちようだろうか。
自分の立ち位置を知って、精神面をコントロールするのと、
知らなくて、幸せなのと、どちらがいいだろう?
無知というのは、不幸も引き起こすが、時として、幸せを導くこともある。
どうせ手に届かないこと、どうしようもないこと、達成不可能なことなら、知らない方が幸せだから。
羽をもぎ取られたウミツバメよりも、ニワトリのほうが、生きるには居心地がいいかも知れない。

世の中には、いろんな人がいるので、自分の尺度は、人と同じかどうかは、微妙なところだ。
だが、私は、無知を恥じる。
知らないよりは、知って、受けとめ、そして強くなりたい。






あと5分

2009-10-09 | 読む人々には興味ない話
あと5分あれば、何ができるか?
何をするか?


貴重な休み時間を、インターネットバンキングで20分も使ってしまった。
私が会員になっている、とてもおカタイ「女性の会」への通信年会費を振り込んだ。
この会は、社会や家庭をグチるばかりではなくて、考え実践する、
その行動力はたいしたもので、議員さんも数名、輩出している。
私は、アタマとカラダ、指定された日時に時間を割くのが面倒(パワー不足)で、
10年以上前からは、もっぱら通信専属の幽霊会員に、なり下がっている。

しかしまあ、めちゃめちゃカンタンに、ネットバンキングで、するするとお金が移動する。
あんまりカンタンすぎるので、一日の振込限度額を6分の1に減額した。
パスワードも変更しなければいけないのだが、新しいのにすると、忘れてしまうので、そのまま。
秘密の質問を設定するのだが、凝った内容にすると、自分で答えられないし、
メモを残しておいたりすると、話にならない。

義母が、先日、新しいキャッシュカードの暗証番号を「生年月日」にすると言うので
猛反対した。
次なる番号は、「電話番号」。当然、却下。
すると、また別の番号にするのはいいが、冷蔵庫にしっかり、きっちり、番号メモを貼ってある。
「だって、忘れるから・・・」と彼女は言う。
確かにそうだが、自分もわかりやすいものは、他人様にもわかりやすいので、
お願いだから、やめてほしいと懇願する。
どうにか、別の番号で落ち着いた。
私自身は、今は、生体認証カードに切り替えたり、セキュリティには気を使っているが
近い将来は、ああなること、間違いなしだ。
安全、安心のため、と、がんじがらめにして、結局自分でもロック解除できない。
そういう自分が、そう遠くない将来、いるに違いない。


さあ、あと残りわずか。
毎日のように、ブログに何かをアップする習性がついてしまい、自分ながら困っている。
なにも発信する内容がなくても、アップしようという、
以前に私が警告したにもかかわらず、自分自身が「本末転倒」の罠に陥っている。
話題を絞らない、まとまりのない、とりとめない5分間のおしゃべりになった。