ママ友。
わたしに、ママ友などというものが、いたのだろうか??
いったい、いずこに?
公園で、子供を抱いたわたしは、どんな顔をして、なにを話して、どうしてたんだろう?
お砂場などで、遊ばせていたのだろうか?
その時の、ママ友たちの反応は???
公園デビューした経験は、あるのだが、残念なことに、その公園には人がいなかった・・・。
出没したり、集まったり、ママ友を選別したり、されたりする、そんな、肝心の「ヒト」そのものがない・・・
そういう不毛の時期を経て、・・・
ママ友と呼ぶにはあまりにも、カビが生えているかも知れないが、
わたしにも、不思議なことに・・・いたんです、
というか、その中のひとりとは、今も時々、いっしょにウォーキングしたりしてるけれど。
ご近所さんでもあり、自治会、いっしょ(=おなじ)、子ども会、いっしょ、
学区、いっしょ、PTA、いっしょ、同じ地区での子供のお稽古事、いっしょ。
そういう人々が、何人もいた。
今も、自治会主催の町内掃除の時に顔を会わせたら、ご挨拶。
おしゃべりすることもある。
そのうちの一人は、1年半前、デパートで偶然会って近況を話したら、娘の結婚祝いをくださった。
自治会の役員になったりすると(順番制)、顔見知りの人が必ずいる。
このままいくと、老人会も、顔見知りの方々が何人もいることになるだろう。
べたっと付き合わない。
付かず離れず。
といっても、もう何年も会ってない人がほとんだし、
ごくごく、ご町内の近くなのに、年賀状だけのやりとりの人もいる。
そのうちの一人などは、引越ししたことも知らないぐらいだし。
引越しの案内状で、詳しい住所を知った。
冷蔵庫の中身まで知ってるなんてありえない。
職業、学歴、年収、実家は何してる、なんて、言いたい人が言えばいい。
言いたくない人は、言わない、そして、そんな人には聞かない。
結局、自分の学歴や実家周辺事情を決して言わない人は、2~3人いた。
子供の最終学歴も知らない人も、何人かいた。
言いたければ言えばいいし、言わないんなら、聞かない。
そうすると、一方的にしゃべる人と、一方的に聞く人に分かれる。
でも、ご近所さんや、ママ友なんて、しょせん、そんなものだから、いいんじゃないかと思う。
いちばん上の子が4歳になるまで、転勤で、毎年、住所を転々と変わっていた。
マンションにいたこともある。
スレンダーで、和風・色白美人、女優さんみたいなモダンなファッションの人がいた。
この人の子供は一人っ子(まつげクルンの男の子)で、うちの子供の1歳年上。
彼女とわたしは、相性が合わないというか、接点はまるでなく、でも、同じマンションで、同じ年頃の子供がいるので、
マンションの中庭や、同じマンションの子供たちと遊ぶときに、いっしょになることもある。
5人きょうだいの家の子の、真ん中の子と、その一人っ子とが、同じ年。
一人っ子は、5人きょうだいの子と、いつも遊んでいた。
いやはや、この女優さんみたいなママ女史、いい思い出はない。
(書けば長いので、またの機会に)
しかし、この地に2年住んでいたが、こんなわたしにも、2人、ママ友ができた。
現地のみ、2年間限定のお付き合い。
今は、年賀状だけのお付き合い。
転々とした赴任地は、いつも、行ったこともない、縁もゆかりもない、まるで知らない地。
いちばん上の子が1歳の時に住んでいた地では、悲惨な状況だった。
まわりは、牛が、もぅ~と鳴く、超・のどかな田園地帯。
公園に行っても、子供の姿なんぞなかった。
農家のおばあちゃんが、孫の子守をしている家が、うちから、ちょっと歩いたところにあった。
その家の庭(というか、敷地内の空きスペース)には、ブランコなんかもあり、幼い姉妹が遊んでいた。
また、そのおばあちゃんは、のどかな、おおらかな典型的農家のおばあちゃんタイプではなく、
田舎にもこんな、せせこましい人がいるのか、という、
人の生活やらなんやらに興味津々のお方だった。
しかも、わたしとは同世代ではなくて、親世代の方なのに。
なので、引越しの時も、お手伝いしてくれるわけでもなく(当然、こちらも期待なんか全くしてないけれど)
ただただ、好奇の目をぎらぎら光らせて、人の家に上がり込んできたことを覚えている。
うちの家の中には、平気で入り込んでくるのに、むこうの家の中には入ったことがなかった。
べつに、入りたいと思わなかったので、なんの問題もなかったが。
強いていえば、うちの家に入ってきてほしくなかった。
というか、このおばあちゃん、社宅である家に、前に住んでいた人の後任として入ってきた我々に興味を抱いたんだろう。
前任の方のご主人サマと、このおばあちゃんちの嫁さんが、なんやらオトコとオンナのヤヤコシイことになったらしく、
ご主人サマが、おばあちゃんちの嫁さんの旦那さん(おばあちゃんの息子)に、慰謝料を払ってとりあえずは、解決したらしい。
そんなオドロオドロシイ出来事が、つい、直前に起きた、その後に、同じ社宅に我々が入ってきたものだから、
うちの家の、ま隣のおばちゃんも、興味津々で家の中を覗き込んでいた。
田舎なのに、・・・田園は広がり、土地は広々、牛も広々なのに、
なぜか、この社宅のある場所だけは、2軒がぴたっと寄り集まるように建てられていて、
こちらからは、向こうは見えないが、向こうからは見えるようだった。
わたしが、子供を背中にオンブして、掃除機をかけていたりすると、
ばぁ~と、ガラス越しに赤子をあやしてくれたり、
こちらの意思とは関連性のない動きとして、よく、そのおばちゃんの顔が近くにあった。
まあ、赤子が喜んで、おばちゃんも、楽しければ、それでもいいんだけれど。
その時は、気付かなかったが、ちょっと接近しすぎじゃない?
しかも、うちの夫の行動について、注意すべきこととか、教えてくれる。
親切、丁寧に。
あの、農家のお嫁さんは、これこれかくかくしかじかで、前任のご主人と、これこれあれあれになったので、
あなたのご主人も、気をつけなさい、
あの女性は、これこれこう、だから、こういう場合は、こうしなさい、ああいう場合は、ああしてはいけません、などなど・・・
前例を具体例に出して、教えてくれる。
人のためを思ってやってくれてるんだか、面白がってるんだか、
みなさんに、格好の娯楽の素を提供したようなかんじだった。
テレビのエンタメや芸能人のゴシップなんぞより、ずっと面白いことだろう。
ママ友などの騒ぎではない、年上の、世話好き(別表現では、お節介ともいう)ご近所さんに囲まれて、
あっという間の1年間の赴任期間は過ぎた。
近くの公園には数回行ったきり、しかも、人に出合った記憶なし。
あとは、牛が鳴く牛舎を横目に、ベビーカーを押して、だんだら坂を降りて、市街地に用事に行っていた。
食料品とか、どうやって調達していたのか、ちょっと覚えていないところが、
非常にわたしも、不謹慎である。
かんじんな生活の基準となることを覚えてないなんて、けっこう、いい加減というか、
はじめての子育てに、そっちのほうが、印象が強すぎたのだろうか。
で、子供の食事とか、どうしてたんだろう?
う~ん・・・
あの頃は、1歳の子供(長女)を抱えて、まるで知らない地に赴任、引越し、
新生児(長男)がいて、ついでにお腹にも子供(次女)がいて、
なにがなんだかよくわからなくて、ひたすら、毎日が過ぎ、あまり記憶にないのだ。
特に第二子(長男)、新生児から半年ぐらいにかけての記憶がない。
よほど手が、かからなかったんだろう。
(あるいは、夫の実家にしばらく居たのかも? 覚えてないところが、いたって、いい加減だ)
あの新生児、だんだん大きくなって夏には6ヶ月になっていて、出産祝いで姉にもらったベビー服を着せて、
じいちゃん、ばあちゃん、義姉さん一家(夫婦と子供たち)と、みんなで旅行したんだった。
ただし、お腹に子供がいたので、すごく熱い、暑い夏だった。
秋頃には、新生児(長男)は抱っこするぐらいに大きくなり、ずっしり感は覚えているが、
年末には、また見知らぬ地である赴任地に引越し準備と出産。
引越し荷物のダンボール箱がひとつ増える度に、子供が一人増えた。
その赴任地のマンションにいたのが、前述の女優女史だった。
と、延々、長くなるので、ここで終了。
思い出、四方山ばなしをしはじめると、これは年がいった証拠であります。

