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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

順調に物忘れ

2024-01-30 | 老い
どんどん浮世離れして行く、わたし。
自分の世界。
これがまた気持ちいい。 
時折、はっとして現実に引き戻される。
(スマホに没頭して、電車で、降りる駅を通過してしまうのは、日常茶飯事)

最近、自分の行動が信じられない。
悪い意味で。
◯◯し忘れる。
これが多い。
1番頻繁なのは、電源の切り忘れ。
地球温暖化スローダウンをこころの底から叫び、いつも、エアコンの省エネには細心の注意を払っているのに、、、もかかわらず、、、外出時に床暖房のスイッチを切り忘れ、木枯らしの中、帰ってきたら、室内は、ほんわか春。
ぎゃ。

電気敷毛布も、主がいないのに(寝てないのに)、一日中ぬくぬく、ほかほか。
ある日は、あまりにも暑くて寝苦しく、異常気象かと思いきや、電気敷毛布の設定温度が最強のダニ殺しモードになっていた。
ダニとともに、わたしも丸焼けになるではないか。

火事に至らなければいいと言っても、そういう問題ではない。
自己嫌悪。
今後、益々この傾向は強まるのではないかと戦々恐々。
少しぐらい家人の、トイレの電灯切り忘れは許す傾向にある。
自分に甘く人にも甘く。
2人で各々の失態を許し合うが、こころが広くなって良かったね、では済まされない。
防犯などの保安もさることながら、家の安全上、危険だ。

最近の田中角栄さん御殿を始め、ろうそくの灯りで家屋を全焼した話はゴロゴロしている。
信心のろうそく、家や家族を守りたいためのろうそくが、家を焼き尽くすという皮肉な結果をもたらす。
「神頼み」よりも、「自分頼り」という、神様仏様からの直々メッセージか。
神様仏様は、自分で目一杯、力の限り努力した上で、更なるダメ押し、安心の上の安心のためにお頼みするもののようだ。
が、ろうそくに関しては???
神様仏様にお聞きしたい。

ちなみに、わたしの中の自分教・神様仏様は、無心すぎて、無邪気に無意識に、物忘れする。
ある意味、天国に一歩一歩、階段を登っているのか。
階段を踏みしめる時に踏み外さないよう、よく注意することが、自分教の教えである。
とかなんとか、何度も電気毛布や電気マットのスイッチがオフになっているか、確認している。
神様、今日は電源、これで大丈夫ですかねー。
それに気を取られ(かどうかは知らないが)玄関の鍵をかけ忘れていたりする。


老けたなぁと感じる時

2023-12-30 | 老い
人は、老化する。
体力、頭脳、メンタル。
どれかが飛び抜けて衰えるのではなく、どれも同時に少しずつ低下する。
わたしも、そう。

そう感じたのは、、、先日、10年前からの知人に久しぶりに会って。
(わたしのブログをご存知なのだが、もしお読みになったとしたら、ごめんなさい。
というか、ここでストップしてください)

わたしより歳上のその方は、わたしより早く歳を取る。 
そんな当たり前のことを事実として感じた。
そして、どんな元気な人も、どんな頭の良い人も、歳を取る。
これは避けられない。
特に、元々、わたしなんかより雲泥の差で頭脳が優れている人は、ほんの少しでもわたし寄りの老化を感じると、不思議な気になる。

父より11年若い母が老年の父のことをよく言っていた。
「あんなに賢かったお父ちゃんが、最近、前ほど賢くない」
前ほど賢くなくなった父でも、十分、その時の母より賢かったが。
父も父方祖母も、アタマは最期までクリアだった。
わたしもそうありたいが、体が言うことを効かなくなると、アタマだけ冴えていても辛いだけ。
アタマと体は同じ足並みで衰えていくほうが幸せだ。

で。
知人は、わたしの父と母の違いぐらい、わたしとは頭脳に雲泥の差がある。
そうなのだが、やはり寄る年並みには勝てない。
わたしが中学生の時に、家族全員で(同時、麻雀を覚えたばかりの兄、主導のもと)麻雀を一斉に始めた。(ただし母、除く。父、兄、姉、わたし)
その時に、当時50歳を超えていた父の覚えが悪かったことを記憶している。
わたしたち子供はスイスイ覚えるのだが、父はモタモタ。
チョンボも父にはわたしたちは寛容。
わたしは、父を頭脳明晰だと尊敬していたが、あれれ?新しいことは、若い人のほうが覚え易いのだと感じた。
歳を取ると、頭がカチコチになりやすい。
たとえ、頭脳明晰の50歳でも、普通の中高生には負けるようだ。
仕方ない。
生物は生まれてきたからには、その日から成長もするし、衰えもする。
避けられない宿命である。

というわけで、尊敬していたダントツ学業優秀の知人が、父同様に、ピーク時よりダウンしていた。
わたしは、ピークが12歳の時(人生のスタート地点あたり)だから、それから半世紀以上も経ちダウンが著しいけれど。

そして、かつて一緒に運動していた仲間だった知人だが、運動機能的にも衰えを感じた。
その人は、家庭の事情で時間が取れないこともあり、スポーツを全くしなくなったようなので、印象的にガクンと若さがなくなっていた。
どちらかというと、趣味は足腰を動かさない、アタマや感性を使うものなのだからか。
やはり、ウォーキングでもよいので、軽い運動は日常に取り入れたほうがいいと思った。
わたしも渋らず機会があれば、参加したほうが自分のためになりそうだ。

老けて見えたのは、ちょうど、歳を急に取る年齢に差し掛かっていたのかも知れない。
わたしだって、何年も会わなかった人には、同様のことを思われることだろう。
皆んな同じ。
誰だって歳を取って行く。
自覚症状がある場合もあるが、人の姿を見て、この人、歳取ったなあと感じることもある。
何度も言うようだが、当たり前なのだけれど。

ジタバタあがいても仕方ない。
落ち込むなどもってのほか。
年齢と共にやってくる変化を受け入れると、こころが落ち着く。
歳を取る感覚に慣れてくる。
アンチエイジングの人から見ると、だから老けるんだ!と叱咤されそうだが。
なんで自然の流れ、真理に逆らわなければならないのか、わからない。





目を見張る成長、かたや、、、

2023-12-05 | 老い
次女母娘が、冬物衣料(前回の忘れ物)を取りに来た。
今回は日帰り。
2歳になった孫は、来るなり、玄関前の土スペース(前庭とは言い難い)に、しゃがみ込み、地面に一つだけ成っていた小さな赤い実を指さし、「これ、かわいいね」と言った。
まあなんと!
このAI(=孫)、確実に進歩している。
どんどん言葉を覚え、単語だけでなく、フルセンテンスで臨機応変に喋る。
学習、習得スピードは、実に速い。
たった2年で。女の子は口が早いと言われるが、実際、身近な実例を3つ見ていると、そう思う。
男女の違いによる特徴の違いがはっきり出る。
1番上の男孫は、初めて言ったのは「デンチャー(電車)」「パン!」だった。
単なる単語。
しかし、「三つ子の魂百まで」で、彼は食いしん坊の電車オタクになっている。
同じ幼児でも、着眼点が違う。
間違っても小さなお花を見つけ出して、「これ、かわいいね」などとは絶対に言わない。
じいちゃん(夫)も、そう。
目に入らない。
人それぞれ、感性は違うものである。

意外にその感性の違いから、接点がない故に、摩擦を生み出さなかったのかも知れない。
生活において、感性を持ち出すと、とても誰かと同居できない。
例え愛する娘や孫とでも、わたしは同居は苦しい。
感性の違いによる快適、不快が、微妙に違う。
夫で十分過ぎるほど経験しているので、人に合わせて自分の「快適」を曲げ、「不快」に合わせるのは疲れる。
自分の快適は、相手の不快、、、この調整が難しい。
なぜなら感覚というものはお互いが正解なので、自分の主張を譲らないとすると、力が強い方に引っ張られ、合わせることになる。
性格が弱いほうは、いつも相手に合わせて疲弊する。

そんなことを考えながら、、、
同居はありえないなあと思った。
自分への介護が必要になったらヘルパーさんの力を借りながら、もう自宅では無理という時期を見極めるまでは移行期間を過ごし、その後は老人施設に入りたいと考える。

「若い人には、年寄りの哀しみが絶対にわからない」と、かつて姑が逆ギレするかのように怒りをぶつけて言っていた。
若い人にはわからないのは、よくわかる。
かつてわたしがそうだったから。
歳を取ってわかることがある。
幼児の1日1日の成長に喜ぶのと同じく、老いゆく者は歳を取って行くことを哀しみ怒る。
順送りだ。
ではあるが、喜ばしいことだけをきゃあきゃあ楽しんだら良いのでは?
哀しい方は、静かにじっとしていたら良いのでは?
観念するというか、諦観の心境。
とは言え、やはり、子供たちの成長にはエネルギーをもらう。
わたしの衰えるエネルギーの充足になるかも知れない。
他から得るのではなく、自家発電エネルギーを作り出せるように頑張りたいところだが、新しくは無理そうなので、今まで蓄えきたエネルギーを省エネでエネルギーが底をつく日を遅らせている。

そう考えるのは、今のわたしの年齢、状態だからだろう。
20年後はまた違うことを思っていると想像する。

と、書きつつ、ふと思った。
自分が誰かに介護されるシュミレーションは想定しても、夫を介護するシュミレーションが入っていない。
自分のことだけを考えているわたし。
この自己チュー路線は一生続きそう。


自分より下を探して安堵?

2023-12-03 | 老い
バス停での待ち時間。
2人の女性。
「最近、前みたいにチャッチャと物事が出来ないようになった。歳は取りたくないね」と1人の人が嘆いておられる。
先に自分の年齢を明かした女性に対して、さらにその4歳年長だという女性が気を悪くする。
「貴方の歳で、もう歳だからアカン、なんて言ってたら、ワタシなんかどうなるのよ!」
「4歳違うと、この年齢での4歳はえらく違うんよ!!」とムキになる。
昭和14年生まれと、昭和10年生まれ。
84歳と88歳か。
母より少し若い。

うーーん、、、
やはり85歳の坂は、一つの区切りのようだ。
だが、84歳の女性が20歳の時に腎臓?を切り取った話をすると、途端に88歳の女性の声が優しくなった。
その後の病状や、今の状態など、興味深く(同情心を持ちながらとは思うが)聞いていた。
こんなに、ころっと変わるものなのか。

近所の女性にも、こういうタイプがいる。
あの人(共通の知人)、どうしてる?という話題で、健康状態が良好だとわかると、途端に落胆する。
病気や足腰が大変な状態だとわかると、安心するようだ。
他人の不幸は蜜の味。
わたしも、こうなるのだろうか。
心情のシェア、共感ではなく、どうも、自分より辛い状態の人を様子を知り、自分はそれよりマシだと安堵する。
同情するわけではない。気が軽くなるかんじか。
人間としてそれはわかる。
が、胸の中で思うのは全く自由だし、止めることも出来ないが、あからさまに外に出すと、あるいは、無意識に外に出ると、この人、どうなんだろう、、、と思ってしまう。
正直すぎる。
顔はにこやかでも、もっともっと腹黒の人はいるにしても。

喉に痰が詰まったから、道端に吐き捨てるようなものか。
だが、痰が詰まって死ぬほど苦しいのに、吐き出すなと言われても困る。

ところで。
脚本家の山田太一さんが亡くなった。
彼の脚本のTVドラマは観ていた。
車椅子の人に対しての、優しいメッセージが込められていたものもあったようだ。
困っている人は勇気を出して手助けを求め、求められる側は優しく手を差し伸べる。
当時の考え方、迷惑をかける、かけられる、の、新しい提案だったそうだ。
弱者に優しい社会を目指す発信だったとか。

人それぞれの余裕や我慢、許容の範囲、温度差をどう調整するか。
なんだか考えさせられた。

そして、蛇足ではあるが、
お元気な80代後半の人々の会話を聞いていると、
わたしはまだあと20年もある。
母世代の人々を見送ったので、その生を全うする大変さがしみじみわかる。
今度は見送られるのは自分の番だが、まだ20年もあるのかと複雑な心境になっている。





おばあちゃんの一生

2023-12-02 | 老い
とりあえず、写真を直近撮った中から選んでブログに設定。

さて。
ふと、10年後のことを想像する。
1番下(5番目)孫が中学に上がった頃は、ばあちゃんは完全にご用意済みだろう。
さらにその10年後までの、ばあちゃんは、容易に想像できる。
母や姑、祖母や義理の祖母(姑の姑)を見ていると、歳の取り方や、家族との関わり方が等身大サンプルのようによくわかる。
65〜75歳、75〜85歳。
さらにこれに85〜95歳が加わる。
そしてまたまた95歳からのコースもある。(母が歴代実績サンプル、更新中)
とりあえずは、ここ10年でシュミレーションしてみよう。
時代背景の違いも大きく影響しているが。

以下は、わたしの身近な母たちの様子を元にしているので、データ平均値でもなんでもなく、全然違う人もいる(はず)。

65〜75歳。
新聞の記事では事件や事故で年齢と氏名が記されると、「老女」という表現になる。
本人には老人という自覚が全くない、前期高齢者群。
孫もまだ成長期。
孫や子供たちと積極的に関わる。
子供や孫たちにとっては、元気なおばあちゃん。
外部イベントに一緒に参加したり、美味しいものを作ってくれたり、お小遣いをくれる。

75〜85歳。
少しずつ心身共に老人の自覚が深まる。
孫たちも離れ、それと共に子供たちとも距離が生まれる。
が、85歳は本格的老人の入り口。
転げ落ちると、速い。
病気になると、そのあたりで他界することもある。
病気が長引くこともある。

おばあちゃんたちは歳を取り、やがて亡くなるプロセスをわたしは家族として共にしてきた。
いくつかの実例を肌で感じてきた。
その中で最も身近だったのは、姑。
特に、孫との濃厚な関わり方が参考になった。
徐々に成長していく孫との距離感。
嬉々として孫たちに尽くし接していた姑も、段々体力的に疲れて来る。
孫たちを饗応する機会が激減し、内心、ほっとしていると思う。
体力の衰えと共に気力が衰えるが、ぜひ、こうしたい、という要望や理想はなかなかなくならない。
更に老いていく姑、その軌跡をなぞるかのように老いていくわたし。
重なる。
モーパッサンの「女の一生」じゃないけれど。(若い頃、読んだが、どんな内容だった??忘れている、、、、また読もう。ひとつ、楽しみが増えた)

昭和、平成、令和と生きたおばあちゃん、彼女たち。
実母はわたしが結婚するまでと、その後出産するしばらくの間、姑はわたしが結婚してから、ずっと。
夫より濃厚に関わってきた。
毎日の機微や、こころのヒダ、人生への付き合い方は、おばあちゃんたちのほうが、わたしには、ずしっと感じるものがある。

特に姑とはよく話し込んだ。
舅(姑の夫)や夫(姑の息子)には聞かせらないような、女の本音が語られた。
実際、舅や夫が近くの部屋にいたら、声をひそめたり、話題を変えたりした。
男たちには聞かせられない、女たちの作戦会議。
家父長制バリバリではあったが、長編大河ドラマ級に、女たちに動かされていたのかも知れない。
姑の泣きごと、悔しかったことも聞いた。
時代背景のせいだったり、経済的自立をしていないせいだったり。
姑の悔しさ、芯の強さは、ひしひしと伝わり、特に無念さは、わたしの胸の中に引き継がれている。
内容については、一部は墓場まで持っていくつもりであるが。

中長期的に遠い将来、歳を取ったわたしが外出できなくなり、人前には出られなくなった時、この想いを小説に書こうと思っている。
ただし、その頃は、脳ミソはすっかり役目を終え、やる気も、恨みも悔しさも消えていることだろう。






身体も資源。無限ではない

2023-11-26 | 老い
一昨日、七五三詣の帰りに、高齢男性が転倒して頭から血を流している現場を車で通り過ぎた。
警官が両側に2人ほどいた。
7段ぐらい?の階段から落ちたと思われる。
頭が地面側、下になって、下半身は、階段上部で止まり、足の向きは頭と逆さになっていた。
階段も地面もコンクリート(またはアスファルト?)で、土ではない。
見かける直前に救急車が走っていたので、その後すぐ病院に搬送されることだろう。
衝撃的なシーンだった。
大丈夫だろうか?
出血しなくても危ない状態のことはあるが、出血していると、周りはショックを受け呆然とする。
他人事とは思えない。
あの人がわたしであっても、なんの違和感もない。
階段を踏み外して頭を打ったのか、ふらっとして階段から転げ落ちたのか、、、
わたしも気を付けなければいけない。
(あの人が、不注意だったわけでもないと思うが)

どこに何が潜んでいるか、わからない。
良いことも悪いことも、普通の日常も、一瞬一瞬は、大事にしたい。

さて。
蝶ブログに優しいコメントをいただき、ほっこりしている。
ありがとうございます。

それはさておき。
ある趣味仲間の人、Aさん。70代男性。
「家ですることが全くない」んだそうだ。
スポーツマンで、体を動かすのが好き。
毎朝、ウォーキングは日課で、1週間に9日、(そのうち2日は、1日に午前、午後と2箇所、移動してダブルヘッダー掛け持ちあり)スポーツに出ている。
あちこち出掛けたり、歩き回ったりするのも大好き。
オペ入院中も、暇を持て余し、病室を抜け出し病院周囲の地域を歩いていたそうだ。
近大マグロのような、泳ぎ続けないと死ぬタイプ。

Aさんに40キロ・ウォーキングを誘われているが、お断りしている。
わたしの膝を曲げる度にポキポキ鳴る症状について、医師に相談したところ、あまり良いとは言えないとのこと。
膝曲げトレーニング、スクワット、長距離ウォーキングは避けた方がよいと言われた。
歩くなら水中か自転車がオススメだそうだ。
その診断結果(単なるアドバイス)をAさんに突きつけ、堂々とお断りすることが出来て、ほっとしている。

人生の半歩先行く、わたしが行動見本にしているのは、2歳上の実姉。
彼女は卓球歴56年だが、ウォーキングは全くしないそうだ。
旅行で歩くのは何の支障もないが、ウォーキングは、夫殿と共にNG。
足か腰か、どこやらが悪いらしい(具体的には忘れた)。
でも卓球はまだアマチュア第一線。
歩ける持ち歩数を全て卓球に使っているのだろう。

姑も晩年はよくそう言っていた。
一日の持ち歩数が決まっているから(ある一定量を過ぎると足が痛くなる)、制限された貴重な歩数を考えながら使っていた。
と言っても、1日の前半は何も考えずに好きなだけ使い、使い過ぎたと感じたら、後半はセーブする、といったような大まかなもの。

支障をきたしてから、痛くなってからでは、修復に時間がかかる。
一歩手前でやめておく。
食欲なら腹八分目、歩行なら足八分目。
にもかかわらず、動き回る制御装置の壊れたAさんには、全く理解を超えている。
Aさんのバロメーターや感覚で判断されては困る。
責任は取ってくれないので、自己責任としてお断りしている。
なんでも、基準は自分。
人に振り回されて身体を壊しても、泣くのは自分。
だが、悪くなる一歩手前でやめる、その頃合いを見極めるのが難しい。
バブルは弾けなければ、バブルだとわからなかった。
バブル崩壊の直前で切り抜けた人はすごい嗅覚。
大抵は、行くところまで行かなければ止まらない。
身体もこころも、欲も、八分目を良しとするようになったのは、わたしはつい最近だ。
追い求める頂点の手前で引き下がるほうが、身を守ることを今までの長い?ドジ人生で学んだ。
身を引く引け際に、自分なりの美学がある。





認知症散歩

2023-11-21 | 老い
認知症の人が散歩の途中に行方不明になる件数が増加しているらしい。
重症ではなく、軽症の人に多く見られるとか。
足腰達者で体力もあり、元気なだけに、どんどん遠くまで行ってしまうとのこと。
また、徘徊も、意味もなく徘徊しているのではなく、本人なりの理由があるそうだ。

なので、外に出たがるご老人を家に閉じ込めるのは良くないそうな。
迷子になって居なくなったらすぐ警察に連絡すべし、と勧められるが、これだけ案件が多発すると、警察も手が回らなくなってくる。
何度でも警察に声をかけて下さい、と言われても、なかなか何度もになると、恐縮するし、こころ苦しくなりそうだ。

わたしは、団体での散歩はするが、一人となると、、、どうだろう。
かえって一人のほうが、気楽だ。
行方不明になる人は、家族がいて、行方不明になったことに気づいてもらえた場合。
独居なら、ふらり、どこへ行っても、待つ人もないので、わからない。
認知症で行方不明になり身元がわからないまま、施設に入居して10年のお年寄りもいる。
身寄りがないのかも知れない。
日本は手厚く保護してくれ、社会が整備されたと感じる。
時代が時代なら、全く様相が違う。
人権問題然り。 
豊かな国になったものだ。
が、その一方で、豊かになったらなったで、メンタル問題などが生じてくる。

話を戻す。
12年前と10年前に、海外一人旅に出ていて本当によかった。
今なら、絶対、迷いに迷っていることだろう。
あと10年ぐらいは、持って欲しい、わたしの脳みそ。
今しかできないことをしたい、としみじみ思う。



笑う余裕はありません

2023-11-12 | 老い
いつも利用している私鉄電車の最寄り駅。
改札口で大きな怒鳴り声。

「ない、って言われも困るんだよ!」
自動改札機を通り抜けて外に出た50歳以上ぐらいの男性。
関西弁ではない、このあたりでは聞きなれない標準語のイントネーション。

改札口手前で身動出来ず、改札機に引き止められている状態で、初老の男性が足を止めている。
「だったら精算してくるしかないじゃないか!!」
と、また50歳代ぐらいの男性。
たぶん、親子で電車に乗って、先に息子が改札機を通り、次に父親が出る間際になって切符がなくなっていたのだろう。
改札機を挟んで、親子で押し問答。
怒り狂う息子と、困惑する弱々しい小柄の父親。
とてもよくわかる、切なく気の毒な哀しい場面。
多分、まだそういう状況に慣れていないのだろう。
親が失念する状態。
年齢的に見ると認知症の入り口付近。70代後半〜80代前半?
家の中での出来事なら影響はあまりないが、外で、外部を巻き込んで進行している状況は、周りに影響も与えるし、通常より冷静さを失う。
焦って集中力が飛ぶ。
何度かそういう状況に遭うと、親に注意を促すか、それでも頼りなければ、親の切符を付き添い者(子供)が持って、降りる時に手渡す。

怒りが起きるのはよくわかる。
親の認知症初期段階は、認知症だと気づかない。
いつものしっかりした親だと思っているから、現実を理解できず、受け入れられない。


ちなみに。
うちの家のお向かいさんの息子さんも、いつも大声で、認知症初期症状(と思われる)のお母さんを怒鳴りつけていた。

なぜ、しない?
なぜ、できない?
なぜ、こんな当たり前のことが?

なぜ、こんなことをする?
なぜ、いつものようにしないで、デタラメな、むちゃくちゃななことをすんだ?!

響き渡るような怒号が続き、気の毒な思いがした。
やがて、怒鳴る声は聞こえなくなり、愛犬に話しかける声だけになった。

お母さん、どこに行かれたのだろう?
この世にはおられるのだろうか?

この家のご主人だったお父さんは、明るく社交的な方で、いつも家の周りをホウキを持って掃除され、顔を合わす度に笑顔で挨拶され、わたしの子供達の相手をしてくれた。
よく散歩され、近所の子供たちにも声掛けされたりしていた。
当時は最も早い55歳で定年を迎えられ、家でリタイア生活をされている若い元気なお父さんだった。
娘さんと息子さんがおられ、かつて(35年ぐらい前)、「結納品の数々が届いたので、見に来てちょうだい」とお母さんに招かれ、お邪魔したことがある。
しかし、いつの日からか、息子さんだけが戻って来られ、家におられる。
お姉さん(または妹さん)は、ごく稀に車で実家に訪れて来られる。
大人しそうなお母さんは、ごくごく稀に道でお見かけしたことがあるが、やがて、怒鳴られる声だけになり、声も聞こえなくなった。
どこかの施設にでも入られたと推測した。
自治会もご主人が亡くなられたずいぶん前から脱会しておられるし、亡くなったとしてもわからない。
毎日暮らしている、真ん前の家のことなのに、まるで遥か遠方の地に住んでいる一家のごとく。


と、話は逸れに逸れている。
話を戻す。

駅の改札口で見かけた親子は、今からが大変かも。
ではあるが、認知症の症状を把握すれば対策も講じられる。
入り口、まだ序の口で、それ以上、進みは遅いかも知れない。
あるいは、進まないかも知れない。
誰にでもある失敗なので、初めて接した時は理解出来ず頭に来るが、そのうち慣れて来る。

昨日も、座り込んでバッグから一つ一つモノを取り出して周りに並べ、必死で探し物をしている高齢の女性と、その横で立って待つ高齢のご主人を見かけた。
その状況が痛いほどよくわかる。


子供叱るな、自分も来た道
年寄り笑うな、自分も行く道
そう言われるが、
子供ならぬ年寄り怒るな、自分も行く道

笑う余裕も、叱る余裕もなく、
怒らないで、諦観、達観と悟りの気持ちで受け入れてね、とお願いしたい。


おじいちゃん、おばあちゃん

2023-11-11 | 老い
昨今は、核家族が普通になっている。
多世代で同居している世帯は、進んで同居している場合と、やむを得ず同居している場合がある。
家族のうち、誰かが不満を抱えることがあり、家族内で内紛の種が生まれ育つ流れもある。
例えば、夫の親と同居して、妻と娘がグループ化して、「夫と姑」と対立するケースがある。
夫は母を孤立させないように母側に付く。
その一方で、妻は不満解消には、はけ口を子育てに向け、子供を味方に付ける。
すると家族内では夫は孤立する。
ギリギリのラインで家族は(表面上は)成り立っている。
難しい。

核家族が増えて一般的になると、嫁姑の争いや、嫁イジメなどの話は、小説の中の世界になりつつある。
家の中に主婦が二人は、紛争の元、確執の原因。
しかも、二人とも無職主婦なら、尚更。

今は、女性も働き、共稼ぎ夫婦が普通になり、子供は0歳から保育所に預けることができる。
親が子供の世話を365日24時間、家でする時代ではない。
おばあちゃんが孫の面倒を、家で子供の勤務時間中、見る時代ではない。
(イレギュラーで見るケースはある)
しかも夫も妻同様に家事育児。
時代は確実に変わった。
女性の社会進出である。

昔は、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に生活していた。
ひいじいちゃん、ひいばあちゃんもいた。
小さな子供も老人と暮らしていた。
若いお嫁さん、その上のお嫁さん(若いおばあちゃん=姑)、そのまた上のお嫁さん(1番上のおばあちゃん=1番歳上の姑)、、、と家にお嫁さんが三人いることもあった。
夫のきょうだいも一緒に住み、一人一人独立していった。

老人は更に歳を取り、病気になり、家族に見守られ息を引き取っていた。
ずいぶん大昔のことのように思えるが、わたしの実体験、家族の原風景の一部である。

自分が歳を取ると、自分より上の世代のことが頭に浮かぶ。
あんな風に歳を重ねていき、あの世に旅立って行った、というパターン、実例をいくつも見ている。
ただし、地域限定。
世の中は、時代は同時代であったとしても、都市部と地方では違う。
職業によっても違う。

わたしの孫たち(姑のひ孫たち)は、元気な頃の姑とも交流がある。
姑が亡くなった直後の姑とも対面しているし、火葬された姑とも対面している。
小学生にもなっていない幼い子供にとっては、どう映るのだろう。
今は意味がわからなくても、その後、なんらかの記憶として残るだろう。
わたしの祖父が亡くなった時、わたしは3歳6ヶ月だったが、その時の様子を断片的に覚えている。
亡くなる以前、祖父が家で療養していたことも覚えている。
祖父の部屋は、内蔵に隣接する、蔵の前の廊下を進んで右にある独立した角の和室。
2方面L型に配置された障子を開けると両面が廊下と一続きになり、裏庭が見え、中庭へと繋がる。
部屋に遊びに行くと、祖父は病気のせいで片手が不自由になったため、歯で、お菓子袋を切って開封して、わたしにお菓子をくれた。
3歳でもちゃんと記憶はある。
そのシーンのインパクトが強いということは、よほどお菓子が嬉しかったのだろう。

この祖父の思い出の文章を書いていて、涙が溢れてきたのはなぜだろう。
涙が止まらない。無意識の涙。
これは、きっとセルフセラピーになっている。
涙を流すことは、癒されるらしい。

祖母は、祖父の世話を最期までし、その24年後に他界した。
長寿だった。
その時の祖母の長寿年齢を母はもう超えている。
そしてわたしは、祖父の世話をしていた頃の祖母の年齢に近い。
繰り返している。
重なり、オーバーラップする。
が、今は舞台は、介護施設、病院。

老いや介護、死は、生活シーンの中の一部には組み込まれていない。
別のところへ、アウトソーシング。
家族に代わる代行システムが整っている。
選択肢が増えた。
それによって得られたものは、女性の社会進出。
得られたものの替わりに、失われたものもあるはず。
何かを得るためには、なんらからの犠牲を要する。
何かを手放すことになる。

(老老介護や介護離職など、まだまだ課題山積)

時はどんどん進む。




元気なうちに

2023-11-10 | 老い
終活について、その2。
男性と女性では、終活の傾向が少し違うように思う。
男性は、書類、手続き準備、金融機関や、税金などの流れがわかるもの、主に事務的内容。
女性は、身の回りのモノや、不用品の処理など、固体物の整理。
男性で一生懸命、断捨離をしているブログは見たことがない。
女性がほとんど。
なぜなんだろう?

主に家に居て、モノを積み重ねていったのは、家事をしている女性だからではないだろうか。
(モノを捨てずに増やしていく戦中派世代に、ヘキヘキして反動で必要以上に捨てまくる人もいる)
わたしが知る男性たち(父、舅を含め)は、外回りの仕事や、庭、盆栽、畑の手入れをする人が多い。
家にじっと居る場合は、病気になった時。

シニアの皆さんのブログを拝見すると、なんやらかんやら健康なうちにと、なかば焦りながら追い込み、駆け込み活動をしておられるようにも受け止められる。
自然体で、というわけには行かないようだ。
残り時間は少ない、と、せき立てられる。
そして、人の行動の裏には必ずビジネスがついて回る。
人の流れは経済を回す。
溢れるばかりの旅の広告。
今、行っておかないと、いつ行く?
だが、外出中、トイレ不安を抱えながらでは楽しめない。
少しでも健康に翳りが見え始めると、途端に旅行どころではなくなる。
旅のために体調を整えなければならない。
結構、プレッシャーである。
プレッシャーがプラスの効果を表すうちは良いが、負担になると旅も億劫になる。
お金がなくて旅行出来ないのと、健康事情で旅行出来ないのと、家庭事情で旅行出来ないのとでは、どれが辛いか?
全ての条件をクリアしていても、旅行に行きたくない、というのもある。
趣味、嗜好の問題か、あるいは、こころの問題である。
何もやる気が起こらない、それが長く続くと精神的に疲れる。
こころは、厄介なものだ。

気分の良い晴れた日に、近所を散歩するのは快適だ。(今は、近所はしないけれど)
少し足を伸ばして植物園を歩いたり、ハイキングしたりすると高揚する。(旅先などで)
気分がイマイチの時は、自宅に篭る。(イマイチでなくても、篭る)
雨なら映画でもよい。(晴れでも行く)
読書もよい。勉強もよい。創作もよい。
だが、そんなことが大嫌いで苦痛の人もいる。
それぞれが自分が楽しめることをして、好きなようにすればよい。
(わたしは、自分は何が好きなのかを探す行動が好き)

こんなことばかり書いても、何の薬にも毒にもならない。

ちなみに、わたしは、終活、たっぷりすべきことがある。
あまりにもお尻が重く、全く手を付けていない。
モノが捨てられない自分が変わるのを待っていては、終活しないまま、あの世に行ってしまう。
終活しない人は羨ましい。