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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ねば、ねば、ねば、、、

2022-06-02 | ブログ
最近、日付変更線を目前にするて、ブログを更新しなければ、、、と、なぜか追い立てられる。
毎日更新は、毎日、歯磨きをし、お風呂に入るようなもの。
(最近はシャワーだけど)
というか、やはり目に見えない切迫感のような、迫ってくるものがある。
ああ、やだやだ。
自分で作る、自分の息苦しさ。

とかなんとか。
明日はイベント参加のため、朝が早い。
早く寝なければ。
ブログを更新せねば、早く就寝せねば。
ねば、ねば、ねば。

取り憑かれたように、休む前の5分をブログに費やす、意味のよくわからないわたし。
もっと、ぜひ書きたいことを書きたい。
ミイラ取りがミイラになるパターン。
いや、ちょっと違う。
誰にも言いくるめられてないし。
この場合、本末転倒?主客逆転?
うーん、違うか、、、
点数稼ぎ?
顧客回りみたいなもの?

、、、しょうもないこと、ばっかり書いている。

幸せ女芸人

2022-05-25 | ブログ
今、こころが満たされて落ち着いている。
こういう時はブログネタがない。
吐き出すものがない。
指が動かない。
困る、、、
わたしのブログは、拗ねて吠える系の内容か、毒づく系か、そういうのが受け入れられているように感じる。
別のSNSの日記でも「○○(わたし)節」と言われる、キツイ辛口内容は皆さんから反応がある。
ふにゃふにゃな内容は、全然パワーがなく、幸せな女芸人みたいに、面白くもなんともない。
が、無理矢理書いても、まったく力が無い。
難儀です。

モチベーション消滅

2022-04-26 | ブログ
蝶ブログ、低迷中。
わたし自身がこんなに楽しいのに、文章にすると、全然面白くない。

(※いつもお越しいただく方へ
ほんとうに励みになっています。
ありがとうございます)

ブログにも時代の移り変わりがあるのだろう。
わたしはわたしで、ひっそり密やかに自分時間を楽しむことにしよう。

さて、と。
今日は帰りに図書館に寄って予約した本を持ち帰る。
楽しみではあるが、駅近で食品を買って帰るために荷物が重そう。

と、どうでもいい話しをついでに。

今朝の行動をつらつら長々書いたが、限りなく、くだらない内容になってしまったため、消した。
つまらないことを書いては消し、書いては消し、、、が、最近続く。
どうなっているのだろう。
自分が変わりつつある?
季節の変わり目のようなものか。

ブログに求めるものも変化していると思われる。
自分が満足できることが、変わってきているようだ。
こってりしたものや、味の濃いものが好きだったのが、薄味に好みが変わった?
あるいは、書くことによって、諸々を発散できなくなった?
というか、書いたものが満足いくものではなくなった?

自己満足できなくなった。






つまると、つまらない

2022-04-20 | ブログ
暇な時は、ブログ更新しまくる、、、が、最近、なんだか活気づいている。
なので、更新数が、がくっと落ちた。
(自分で言うのも気持ち悪いが)イキイキしている時は、文字に頼ることはない。
自分と向き合う必要がない。

なぜ、わたしはこんなにイキイキしているのだろう、、、などと掘り下げて追求しない。
目一杯、短い春を満喫する。
落ち込んだり、マイナスの時だけ、なぜ?どうして?どうすればいい?と、ブログアドバイザー(わたし担当の、わたし)に泣きつく。
今は陽気な鼻歌、春爛漫。
なのでブログに書くことがない。
思いっきり発散している。
なんの〆にもまとめにもならないが。
アップしない日が続くと不安な貧乏性。

と、ここで眠気、睡魔、、、
幸せは眠気と共にやってくる。

電車内。
眠気に襲われて、間違って一つ前の駅で降りてしまった。
さすがに目がシャキッと醒めた。

とは言え、心配事もアレコレある。
アレとコレを失くした。
アレはブログに書けるが、コレは書けない。
深刻だ、、、。
帰宅してから落ち着いて探そうと思うが、期待、薄。
とことん脳を甘やかしているので、根性が足りない。
なければまた新しいのを使おう、また申請しよう、、、いずれ出てくるまで待とう、、、
はぁ、、、ため息。

しかし、私生活は限りなく充実しているのに、なんでこんなに脳がゆるゆるなのか。
私生活と脳は関係ないのかも知れない。

明日も目一杯忙しい。
午前、午後、夕方と三部作スケジュール。
忙しいうちが、華。
予定がつまって充実している時のブログは、限りなくつまらない。

わたし

2022-04-10 | ブログ
わたしの日記は自虐色が入っている。
なぜか。
自虐を抜くと、感じ悪いイヤ〜な匂いを放ち、甚だしく鼻持ちならないからだ。
単に運よく幸せに暮らしている。
なので、周りを気にせずキャアキャア無邪気に騒ぐと、間違いなく叩かれる。
だから大人しく静かにしている。
実際のリアル生活には愛が溢れて、幸福が満ち溢れている。
そう書くと、不思議と嘘くさい。
文章というものは、じつに面白い。

小説は事実より奇なり。
あ、違うか。
事実は小説より奇なり、か。
どっちだった?
どちらも背中合わせ。
幸せは、ある日、どんでん返しがある。
世界で実際に起きている、映画より悲惨な現実と向き合う勇気がない。

わたしが今したいことは、何?
コロナ禍はまだまだ収まりそうもない。
が、そろそろ旅に出たいかな、と。
旅の写真は限りなくわたしを癒やしてくれる。
旅の真っ最中に自分の瞼のスクリーンに全力で焼き付けたらよいものを、70%焼き付けて、残りの30%の余力で写真や動画を撮り、画像、映像、データで保存する。
脳は段々弱るから、リスクヘッジ。
生では(脳が)処理しきれない冷凍食品のようなもの。
 
姑も祖母も少し長生きをし過ぎた。
天寿を全うしたが、ちょうどぴったりの長さをちょっとはみ出した。
その点、舅も父も祖父も、よい頃合いでこの世を去った。
good-byの旬というものがある。
姑も祖母も、旬があった。
にもかかわらず、旬を掴みきれなかった。
旬に乗り損ねた。
旬より数年、長く生きた。
そのちょっとはみ出した延長分は、しんどくて悲しいだけの時間だった。
何よりも本人が辛い。
わたしの希望は、自分の生の旬を掴むこと。
理想的な終焉時期に終わること。
しかし、こればっかりはなかなかうまくいきそうもない。
神様が決めること。
人間は(倫理上)操ってはいけないことになっている。
余命は医師が診断してくれても、自分の命日を自分で決められない。
命日を自分で決めるには、今はまだ法律が追いついていない。

明るくない話題の独り言、文字、文章が次々出て来てしまう。
困った性分だ。

ちなみに、近所の人々と井戸端会議するのが好きな人がいるようだ。
自分の生活の近況をペチャクチャ話す。
それがストレス解消となる。
わたしには考えられない。
自己開示こそが、ストレスの元になる。
性質、性格の違いだろう。
わたしはストレスや情熱は、文章にして粗熱を取り、発散する。
と、これはわたしの一方的な嗜好。
駄文の書き散らし、いつもすみません。

またまた脳内から文字群が溢れてきた。
今日はヘンだ、いや、いつもヘンだ。
続きはまた。





お願いというか、苦情です

2022-03-31 | ブログ
goo様へ
ブログ村へのリンクがうまくいっていません。
新記事をアップしても、ブログ村の自分のところに上がらないです。 
連結できた頃は、公開してから日が経ってから。
直して欲しいです。

この記事がブログ村の自分欄にアップされる頃には、直っているのでしょうけれど。
タイムラグ?1日以上もあるのは長いです。

栄養偏り、カロリーオーバー

2022-03-19 | ブログ
gooブログユーザー向けサービス「アピールチャンス!」にアップされたブログを最近はよく読む。
ヒマになったということ。 
で、価値観って不思議に交差しているんだ、と感慨深い。
同じものごとでも、わたしなら隠すとまではいかないにしても、聞かれない限り自分からは表さないようなことを、わざわざ陽の光に100%当てて、ブログネタにしているブログがある。
決して非難しているわけではない。
わたしも同じような行動を取っているが、恥ずかしいから敢えて自分から進んで言わないだけなのだ。
わたしのブログも、読む人によっては、恥ずかし気もなくよくまあ、ネタにするなあと思っている人もいるだろう。
それと同じか。

同じことをしているのだが、それを面白がるか、恥ずかしがるか、、、価値観、性格、状況の違いか。

わたしは全ての分野に手抜き甚だしいが、人のお手本になるようなこととは程遠い内容をいちいち、これでもか、これでもかとアップしない。
恥ずかしいから。
(と本人は思っていても、実は連日、アップか?)

写真は、借り物より自分で撮ったものを使う。
(テーマによっては、稀に借り物もある)
良いと思って出している自信作ではない。
シャレ。
無いより有るほうがマシ程度の、目についたモノ、光景を手当たり次第、写真日記のごとく撮っているだけ。

と、まあそれはそれ。
価値観は、年齢の違いも大きい。
暮らし方も年齢による。
年齢だけでなく、方針、テイストも、アクティブ ライフや、丁寧な暮らしやら、色々。
食べ物は特に。
とあるブログは、食べたものを紹介するのみのグルメに特化したものなのだが、、、
年齢の違いはまあ歴然(推測だけど)なのではあるが、栄養の偏りがすごい。
こんなに炭水化物と油モノばかり大量に食べて、身体は大丈夫なのか?と心配する。
肉体労働ならこれぐらいの摂取カロリーは必要かとは思うが。
男性一人暮らしかと思いきや、いつも2人分、別々にしっかり購入されている。
手に入りやすい既製品と外食オンリー。
奥さんはご病気のために食事を作れないのかと想像したが、奥さんの分も同量。
かなりの大食漢。
大丈夫?こんなに高カロリーで?
よほど若い人なのだろう。
買ったほうが、作るより安い場合もあるし、忙しくて作る時間がほとんどないのかも知れない。
「グルメ」というのは「食通」という意味にわたしは捉えていたが、いろんな捉え方があるようだ。
食を追求するものは全て「グルメ」というくくりでも間違いではない。
有機野菜メニューもある意味、グルメかも知れない。
健康志向、健康カテゴリー寄りか?

わたしのブログ写真もケーキがいっぱい。
見る人が見ると、スイーツ依存症のブクブクのおばあさんだと想像されているかも知れない。
写真はネタの一つであり、わたしは一つしか食べない。
誤解なきよう、お願いします。

しかしまあ、、、
そのグルメ・ブログは、手作り簡単ボリュームメニューとか、旬の素材を楽しむ、とかではない切り口。
カロリーのどかんと高いものは、値段ががくんとお安い傾向にある。
良質を追求すると、価格が上がる傾向がある。
いかにカロリーを控え、美味しく、栄養バランスを取るかをわたしは理想とする。
(うんと高齢になると、高カロリーのものがオススメらしいが)
ちなみに、わたしの場合、夫が味の濃い、身体にいかにもよくなさ気のものが好きだ、、、。
とても複雑な心境である。
夫が、わたしの手料理をちゃんと食べないから仕方ないのだ。
料理嫌いにもかかわらず、頑張って作った力作を残されると、もう作らん!!となる。
(長女もこの流れで子供たちが食べないと頭から火を噴いて怒る)
徐々に味を薄くしていくという、良妻になろうと思えばなれなくもないのだが、、、。
なぜか、ならない。なれない。
愛情はないのか?
あるとか、ないとかではなく、愛情とは別次元である。

話を戻す。
こういう食品ばかりを食べていたら絶対に病気になるだろうなあ、、、というグルメレポート・ブログを見て、、、
レポート以外の日は、普通にちゃんとしたものを食べておられるのかも知れないし、、、
価値観は人それぞれなので、かえって面白い。
わたしなら絶対にしないことを、好んで能動的に選択して行う、、、ほんとに、人の数だけ好みがある、ライフスタイルがある。
ブログは、人の暮らし、生活、価値観、人生を簡単に垣間見ることが出来る。
必ずしも賛同、同感ではないところが、厚みがある。
色んな野菜が混ざったサラダボウルの如く。
わたしなら絶対にしないことだけど、理解できない行動や考えは理解しないとか跳ね除けたり拒絶したりするのではなく、そんな考えもあることを知ろうとする自分がいる。

※写真は、孫(6歳)制作、ミニチュアお菓子


過去

2022-03-14 | ブログ
書きたくなるパワーはどこから来るのだろう。
わたしの場合、逆噴射的なエネルギーであることが多い。
幸せをお裾分け的な内容は、人徳のある人がすると喜ばれるだろうが、そうでない人がすると、単なる自慢だったり、嫌味だったり、見せびらかしになる恐れがある。
自分ではそんなつもりは微塵もなくても、見る人や接する人にはそう感じることがある。

ブログはその点、仕組みとして優れている。
見たくなければ見なくてもよいし、見られたくなければブロックすることも出来る。
鍵のかかっていない半開きの部屋。
防犯的にロックすることも出来る。

ファンが多いブログや、閑古鳥ブログもある。
お店みたいなものか。
いつも営業していると思っていたら、いつの間にか閉店していたり、全く更新が止まっていたり。
いつ行っても同じ商品が並べられて変化がなかったり。(弊ブログもそう)
面白くもなく目新しくもなく刺激も味もない。
が、毎日ブロガーさんは生きている。
こういうことを平気で書くので、ブロガーさんには嫌われると思う。
しかしながら、各個人個人は皆、全員、それぞれ、唯一無二の存在である。

わたしは、主に書くのがメインで、ほとんど見に行かない。
何故だろう?
自分とコネクト、やり取りがある人のブログしか訪れない傾向にある。
内容によっては一方的に愛読することもある。が、たまにである。

かなり前に読んでいたブログを久々ぶりに訪れると、まだ続いていて、懐かしいやら嬉しいやら。ほっとする。
また、見に来てくださる方々がいるのはとても励みになるが、あまりそこに期待を寄せると共倒れになる。
ずーっと読んでいただいた方が、姿が見えなくなるとがっかりしたり、ご病気かしらと心配したり。
人様に興味を持ってもらえることやリアクションを期待し続けると落胆につながる恐れもあるので、リスクヘッジも心がける。
飽きられるのは当たり前の事実である。

ちなみに、呆れられると思うが、自分のブログを読むととても楽しい。
おぼろげにしか覚えてないようなことでも、ブログを読むとクリアに思い出す。
まあなんとちゃんと書いていること!と過去の自分に拍手。
ツッコミもビシッと。
今の自分では脳が緩んでいて、きっと書けないだろう。
だから過去記事は、気持ちよく読める。
記憶を照合しているようなかんじ。
そして、過去の出来事を題材にしてブログを書いている時の自分を思い出す。
何しろ自分の原体験は一つ、過去は何通りもない。
書くのは、出来事から1年後もあるし、10年後もあるし、半世紀後もあるし、アットランダムな期間に断続的だったりもする。
しかし、何度も書いているうちにだんだん勘違いしたり、思い込みや、思い間違いをすることもある。
ピントが合ってくるのではなく、ぼやけてきたり、二重や三重に見えたり。
過去に書いた記事ほど、おそらく原体験に忠実に書かれているように思う。
時間が経てば経つほどに、事実の受け取り方や当時の感想が変化する。
逆に思い違いを発見したりする。
年齢と共に解釈の仕方が変わってきているとも考えられる。
同一人物による定点観測のようで興味深い。
題材は自分。
研究材料は自分。
変化が楽しい。
が、全く変化していない部分もある。
面白いものである。

※写真は、昨夜、孫制作のミニュチュアお菓子。


贅沢は時代と共に変わる?

2022-02-15 | ブログ
編集画面に現れる、gooユーザー向けサービス、ライトブルーが目を引く「アピールチャンス」。
次から次へとユーザーさんたちの自己ブログのアップが続けられているが、いつも、見るともなく通り過ぎている。
たまに気分や写真やタイトルから立ち寄ることがある。

今回、開いてみたのは、毎月、何処かのラグジュアリーな高級ホテルにご夫婦でステイしているレポートブログ。
豪華ぶり、美味ぶり、素敵ぶり、、、万人がいいなあと憧れるであろう夢の暮らし(ステイ)が繰り広げられていた。
こう毎回毎回だと、毎月、いくらの出費かな?と、計算。
この中年のご夫婦は共稼ぎかな?
YouTubeにも同じ内容がアップされているようだけれど、記念や記録、情報の共有、贅沢気分のお裾分けかな?
と思いながら2つほど見た。

お金や時間の使い方は人それぞれ。
ひとつの提案であり、何か楽しいことはないかなあ、、、と思っている人には具体的な欲求喚起のヒントになる。

わたしが思ったことは、、、
このブロガーさん(YouTuberさんでもある)は、もちろんラグジュアリーライフが大好きであるが、同時に記録して公開し、皆んなに見てもらうことにも喜びを覚えておられるようだ。
仮にわたしがこのようなブログをアップするとすると、、、部屋や風景の撮影はまあよいとして、食事の撮影には今のわたしは抵抗を感じながら、身を小さく縮めながらやっている。
撮影することが好きなのだから仕方ないにしても、自分が抱く、自分に対する理想は、写真など撮らずに、その瞬間瞬間を貪欲に味わい尽くせ!というもの。
だが、写真を撮ってしまうサガ。すぐ従軍カメラマンになってしまう。
この一瞬だけではもったいない!記憶として薄れてしまっては手遅れだ!
それに後日、何度も楽しみたいからだろう。
ではあるが、写真を撮りながら周りの目を気にする自分もいて、「写真を撮っている自分」も「気にしている自分」もカッコ悪い。

家庭内でのケーキショットなどは、公開することは稀、というか公開するために撮っているのではないのだが、わたしの家族の皆さん、文句も言わずに撮影時間(15秒ぐらい?)は大人しく待ってくれる。
撮り貯めた写真の中からブログに記事に関係なく使用することもある。

話を元に戻す。
お金や時間の使い方は本当に人それぞれ。
無い袖は振れないが、生活に支障をきたさないのであれば、身体とこころが丈夫なうちに好きなことをするのが良いだろう。

わたしは、安い100円の回転寿司でも、目の前で寿司職人が握ってくれカウンターで食べる高級お寿司も、味は多少違うが、お寿司というカテゴリーは同じであると感じる。
食に貪欲な人はどんな労力やお金や時間を使ってでも、美味を追求する。
わたしは、美味しい、不味いの味の「違い」はわかる。
喉元過ぎれば同じだが。
どれぐらいの価値を置くか、である。
ではあるが、わかるということは、幸せである。
わからない人もいるし、一生、わかることはない人もいる。
その人の歩んできた人生、歩む人生による。
選択肢があるか、ないかであるが、喉元過ぎたらおんなじやん!なんて言っているわたしは、味わいも風情もない。
美味を味わい共に楽しもうとする人々を白けさせるかも知れない。
確かに良いものは良い。
味わい尽くすことに生きる悦びを感じるだろう。
その一方で、衣食住ではなく、命をかけた登山に人生の全てをかける人もいる。
命ほどではなくても、グランピングなど、半分自然を取り入れたキャンプも人気だ。
贅沢の感じ方が人や年代によって違う。

今ふと思うと、豪華ホテル贅沢三昧は、あんまりカッコよくないかも知れない。
時代遅れ感がある。
昔昔の大女優さんのように、すごい毛皮のコートをまとって、しゃなりしゃなりと歩くと、動物愛護団体から非難を受けるように、時代は移り変わる。
豪華、贅沢も時代と共に質が変わるように思う。
ごてごてコッテリよりも、心地よい透明感。
豪華な部屋でなくても、一粒のコーヒー豆を自分の手で栽培し焙煎し味わうのも、こだわり。
クラウドファウンディングで寄付して皆んなで企画立案、夢を具体化して立ち上げ作るのも良し。
ではあるものの、日常生活に忙殺されると、意識の高い目標より、手に取りやすい快適時間のほうが効き目があるように思う。
が、人それぞれ。

豪華ホテルステイのブログも、年に数回ならまだしも、毎月毎月これでもか、、、と、なかばムキになるかのようにインターネットにアップされると、ステイするのが楽しみなのか、アップするのが楽しみなのか、本末転倒のようにわたし個人としては思う。(決して非難でも否定でもありません)
そういう時期は誰にでもあることだろう。
自分を楽しませているのは、本当に贅沢なライフスタイルなのか、皆んなの目に触れる自分の生活なのか、、、
両方同時に楽しんでます、というのもアリだけれど。
日記を兼ねて、なんていうのもアリ。
読む人を不快にさせる、特定の他人に対する誹謗中傷やヘイトスピーチでなければなんでもアリだ。

皆んなの生活や考えを知ることによって、自分の刺激になり、自分が活性化されることなら、大いに好奇心を持ち触れると良いと思う。
ただし、わたしの場合は、あんまり行かない傾向にある。
今を楽しむのが精一杯で、人のことまで興味が追いつかない。
わたしは器が小さいのか、自然体エコ路線である。

ブログつらつら

2022-01-26 | ブログ
昨日、悪戦苦闘したスマホ決済のクレジットカード登録。
別のカードにしたところ、(24時間、30日)上限利用額が4000円から、いきなり25万円になり、なんだか落ち着かない。
で、上限額を(お勧め額ではなかったが)1万円にした。
5万円や10万円も推奨されていたが、1万円で結構。十分。
スマホ決済で支払う商品は1か月でこれぐらいの範囲で楽々収まる。
高価なものは、その場の持ち運び携帯モバイルであるところのスマホ決済にしない。
わたしは、まだスマホ決済に対して信頼を全面的にはしていない。
お財布小銭感覚で捉えている。

と、先ずは昨日した作業の微修正。
昨日は、国から付与されるグリーンポイントの申し込み期限がいよいよ来月に迫り、焦っていた。
これは、悩みに悩んでいた。
全部のポイントを使い切らないと、期限が来ると全てパー。
もう3回?、お知らせ催促ハガキが届いた。
今回の国の事務作業はかなり完璧だと感じた。
どこの省の管轄なんだろう?
(国土交通省のよう)
とりあえず、3つの商品を選び切り、残すところ100ポイントになったが、100ポイントの交換商品は見当たらず、諦めた。
(1ポイント=1円換算?)
3つ中、2つは、最短時間でスムーズに手続き&発送が行われた。
何重にもチェック体制が取られていたが、口コミ欄には、配達日時を変えてもらえなかったなどの苦情もあった。
各業者は、国と直結なので抜かりなく細心の注意を払っているように思う。
気持ち良いぐらいだ。
珍しい。(個人的感想)
国の仕事は、こうキレイに順調に進むことはないと今まで感じていたので見直した。
これは、管轄省(国土交通省?)の指導者か、はたまたその下の部署か、はたまた実践者か、それぞれの間での連結プレイが上手く行われていた。
あと1つ届いて全部見届けた後に、トータル感想を書くべきなんだろうけれど。
何しろ、10万?アイテム近い中から商品を選ぶのが相当難産だったので。
1つ1つチマチマ、スマホで目を通すのは至難の業。
同じ商品、同じ業者がいくつも重複して掲載されていて、個数をいたずらに増やしていた。
同じ商品が、違うポイント数で掲載されているのもあり、あれれ?うろうろ、、、となることも多い。
(さすがに全部、目は通せなかったが)
あー、スッキリ。やっと終わった。
(まだ到着してないものの、〆切期限内に申し込めた)

パソコンでやれば、ざーーっとスクロールすると作業が早いのだが、携帯をガラケーからスマホに替えた7年前からスマホ一本槍。
ちなみに、スマホいじりは、首に良くないそうだ。
首を直角に曲げるのは首の本来の姿勢に逆らうもので、身体のトラブルを生み出すらしい。
昨日それを知り(遅い!)、スマホを下に水平に置かず、目の前に垂直に立てて持つようにもしている。
首はまっすぐ立てたまま。
そんな努力するなら、自宅にいる時はパソコンにすれば良いものを、、、
明らかに努力の方向性を誤っている。


それはそうと。
筆トーク。
よくよく存じております。
ブログデビューその初日から、初々しいお姿、インターネットを通して海の向こうから知っております。
お互い長いブログ活動であるが、更に夢さんはもっとその前からの(静かな)お付き合い。
わたしは早めに50代の時からブログ村60代カテゴリーに登録していたため、60代カテゴリーでは夢さんとご近所さんだった。
やがて夢さんが60代カテゴリーから70代カテゴリーにお引越しされ、年代部門ではご近所さんにはならなくなった。
閲覧数の多い夢さんのブログとは違い、指の暇つぶしに更新数ばかりやたら重なっている、こじんまり蝶ブログ。
今も細々した超個人的、内なる蝶ブログを応援してくださって嬉しく思っている。
10年を越すと、ブログは日常の一つになり、読みに行くブログ(今は2ブログのみ)も遠くに住む兄弟か親戚みたいな感覚。
年月が長くなると精神的には近いものを感じる。
最近、お寄りいただいている方々も、こんなぐだぐだ長々蝶ブログをお読みいただき、わたしは元気をいただいている。
ありがとうございます。

インターネットを始めた33?年ぐらい前から、顔も存じない、ある方と、いまだに年賀状のやり取りが続いている。
1年に1度、年賀状だけなのでハガキのやり取りは33回ぐらいだが、年月は33年経っている。
いったい、どんな方なんだろう?
知っているのは、知り合った最初の頃の短文と、住所と名前だけ。
同じ住所にお互い住み続け、ハガキが届いているところを見ると、インターネットの世界だけではなく、リアル世界でも、地に足が着いた、定着した生活をお互い送っているように思う。

少なくともわたしは、同じ住所に平成元年から住んでいる。
その間、ご近所さんは同じ顔触れ。
だが、3軒は引越し転出され、新しい人が入居されている。
そのうちの2軒は取り壊され更地になり、更地のうちの1つには2分割され2住宅が建ち、もう1つの更地は今も更地のまま買い手が現れていない。
3家族(2老夫婦と単身高齢者)が去り、3家族(若い2家族と熟年単身者)が入った。
年齢は若返っている。
世代交代が行われている状況。
若い家族だった世帯が、子供が独立したり、孫と三世代同居したり、、、そういう家もある。
30年以上経つと、世代が変わるのは自然な流れだ。
今は、晩婚、非婚が普通になり、自然な流れも変化する。

大海インターネットで知り合った人も、ほんのひと握りの細い糸のような繋がりをもたらす。
頻繁にやり取りしていた人、時期があっても、通り過ぎた人であっても、良い思い出となる。
懐かしい。
まして、今も繋がりが消えないことは奇跡に近い。
ご縁というものだろう。
無理することなく自然体で、大切にしたい。