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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

閲覧数のカラクリは?

2022-01-15 | ブログ
ここ2日、ブログをアップしていない。
毎日、閲覧数は下がる一方。
(実は、アップしている時から)
そろそろ自己最低数ぐらいになるかな、と諦め半分、ヤケ半分、自暴自棄半分(半分×3=1.5    1に、なってない)で、ボルテージは至って低いため、怖いもの見たさもなく期待もせず、事務的に閲覧数を見た。
ん。ん?
なんで?!
がーーん!と、ピン!と上がっている。
今迄の最高レベル帯の中に入るぐらい。
どうなってる?
益々goo集計を信用できなくなった。
前は、疑っていたに過ぎなく、さらに信用しなくなったのもそう遠い昔ではない。
だが、今回ばかりは、、、

なぜ、こんなに何回も騙されて苦渋を味わっているのに(明らかに大袈裟)、なぜ、見放さず、まだ少しだけ、ひょっとしてあり得ないこともないのでは?現実かも知れない、と、夢にすがる(またまた大袈裟)。
悪女の正体がわかっても、まだ執着するかのごとく、、、
馬の鼻先の人参(ご褒美)に、わたしは相当、翻弄されている。
諦めた頃、忘れた頃に、かつて振られた美女はやって来る。
またこころは掻き乱され、、、
おぉ、やはりわたしの元に戻ってきたのね、、、
でも気まぐれ美女はまた、ある日、ぷいっと家を出て行く。
それの繰り返し。

人気記事ランキングには翻弄されなくなったものの、やはり未だに閲覧数には動揺する。
ひょっとして、gooさん、閲覧数集計そのものが架空のデタラメねつ造だったりして、、、そのほうが、こころ落ち着き安らぐというものだ。

ちなみに、、、話は変わるが、
今日、明日とイベント。
移動中、集合場所に向かうための電車内だが、なんだか、歯が痛い。
幸先、悪い?

スベる怖さ、痛さ

2022-01-09 | ブログ
独り言を趣味SNSで書いたものの、未公開にした。
あちらは、閲覧数が順次公開されるから、心臓に良くない。
他の人の他の記事も記事毎に公開される。
なので、スベるとスゴイ。
痛々しさが心臓の鼓動と共に同時に公開される。
今までの流れから、概念的な独り言は、NGだとわたしは受け取っている。
趣味分野のSNSなので、具体的な内容ではなければ間違いなくスベる(と思う)。
かといって自分の恥さらしのような内容のウケ狙いは、自分のプライドが保てない。
だが、わたしはどうやら人が恥ずかしいと感じる、自分のみっともないヘマを恥ずかしいとあまり感じない天然系のようである。
恥ずかしいと感じる感受性は、人によって微妙に違う。
世代や立場、地域によっても違う。
常識がそれぞれ人によって違うように。

まあよい。
そういうわけで、その趣味SNSには未公開記事が結構たくさんある。
書くことによって発散しているのだろう。
未公開にするのは、やはり「人に受け入れられない自分」を受け入れたくないからだろう。

話を盛る人には、悪意のあるものと、無意識・無作為のものがある。
ミックスもある。
識別不可能のものもある。
周りを不快にしなければ良いのでは?
と意図せず話を盛った場合の自己擁護策を用意する。

で、思うことは、、、

話を盛ることはないが、想像力逞しくいろいろ話を仮定して展開するのは大好きだ。
しかし、あくまでも、仮定の話である。
ああだ、こうだ、ああでもない、こうでもない、と。

こんな自問自答、自己完結ブログ、お読みいただきありがとうございます。
こころの励みになっています。
わたしを救うのはブログ。

とかなんとか、かんとか、、、
お正月あれこれの本題に移る前に今日は時間切れ。
終了です。

自分の嫌な面

2021-12-17 | ブログ
蝶ブログ記事、今日、1200文字ぐらいを書いたが、非公開にする。
自分のけしからん思いをわざわざ公開する気にならない。
隠す必要はないにしても、聞かれてもいないのに自分から自分が嫌だと思っているマイナス欠点を不特定多数の人に晒しても、誰の得にもならない。
何よりも、自分が一番嫌な気持ちになる。
気が乗らない。
だから、せっかく入力したが、ボツにする。
時間と労力の無駄遣いであるが、きっと何らかのプラスに繋がると信じて、忘れよう。
居眠していたと思えば時間は惜しくない。

いつも、自分の嫌な面や欠点を書き連ねては、冷静に分析して遊んでいるのに、今更、今回はなぜ非公開にしたのだろう?
思い当たるフシはある。
思いや悩みの内容が、わたしの実生活を想像させるリアルなことに繋がる点と、自分の嫌な部分を自分が好きではないこと、多面的に何面も何通りもの見方をすれば、取るに足らぬことかも知れない。
だが、どこから見ても開き直れない嫌な面、改善の余地も、改善する気もない、たとえ本気になっても改善することも出来ない、わりと末期症状のマイナス点。
そんなガンは、表に上げず、静かに地下に眠らせておく。
悪性病の手術はせずに温存、病と共存する。
わたしから悪い面だけ切り離せない。
良い面も悪い面も両方表裏一体でわたしに張り付いている。
霜降り肉みたいなもの。脂を切り離せない。
どちらかを取ると、わたしは存在しなくなる。
そういう自分が嫌な面だと自覚していることなのだが、まだ開き直るまでに至っていない。
目下、修行中。

と、延々、非公開にした理由を書いたが、誰一人として興味ない内容だ。
わたしが、こだわっただけ。
そういう、落ち着いて考えを整理する落書き帳としても蝶ブログを自分のために使っている。
しかし、読んでくださる方がいるのは励みになる。
わたしは救われる。

時間泥棒、ごめんなさい。
何回、書いても今日は同じような路線になる。
またボツも何なので、アップします。

ちなみに、写真、真ん中あたりに大きめの鳥が止まっています。
どこからやって来たのか知らないけれど、木の色柄に混ざって保護色のようでわかりにくいものの、いらっしゃい、こんにちわ。




閲覧数

2021-12-14 | ブログ
わたしは大満足している直近、前回蝶ブログ記事。
もやもや混沌と薄雲がかかっているようなわたしの脳内をちょっと自分流に整理してみた。
すっきりした。
足して100になる裕さん説も、するりと理解できた。
カシコとバカは表裏一体。
上下あまり差がない真ん中あたりが本当は1番アクやクセがなくていいんだろうけれど。


ところが、、、自分は最高に楽しんだが、、、
ブログ自己記録、下から3番目の低い閲覧数だった。
じつに面白い。
自分が好きな記事と、他の人の反応とは、わたしのブログにおいては反比例するようだ。
いかにわたしが多くの人とは話が合わないか、感覚がズレているかの見本のようだ。
たいがい、はじめてお付き合いする人は、わたしの中身が想定外のようで、理解に苦しんでいるのがよくわかる。
わたしは自他共に認める変人なのだ。
自分が変人であることを自己認識しているなら、普通の一般的な共通路線に近寄る話題なり感想なり、リアクリションなりをして、最初の初っ端から大きなミゾを見せるべきではないと思う。
社会人として常識を意識する。
当たり差し障りない共通の感覚をさぐるような、心理ディスタンスをもって接すると摩擦がないだろう。

わたしは距離感の取り方がよくわからないので、めんどくさいし疲れるし楽しくないから、必要にかられての最低限度しか接しないことにしている。
天気の挨拶のみ。
一種の発達○○(病名)か?
しかし、何か事件や事故、アクシデントが起こった場合の(被害者か加害者)本人を知る近所の人は「挨拶が出来る良い人(子)でした」と取材に答えている。
挨拶さえできれば、合格ラインをクリアできるのか。

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。

自慢ではないが、わたしはその程度の挨拶なら会釈と共に出来る。 
社会問題の解説は出来ないが。
テレビのコメンテイターの言っていることをまるまるパクるよりは、静かにしているほうがわたしはオシャレだと思っている。

閲覧数、自己記録下から3番目ついでに、どんどん好きなことを書こう。

偏差値を仮に頭脳のデキを数値化したものとする。
努力や意識、環境もあるが、DNAは大きな要因だ。
両親のDNA、父方、母方。
父方の祖父母、母方の祖父母。
おばおじ、いとこ、甥姪。
ざざざーっと、だいたいこれでわかる。
わかったところで、それがどうした?なのだが、まあ参考のため。

わたしが発見した(誰でも気が付くと思うが)学力偏差値の法則がある。
歴然とした厚い層に分かれている。
これはDNAによるものだと感じている。
しかし、DNA論はタブー視されている、とある人が言っていた。
危険な思想や導きに悪用されるは避けたい。
そういう世界はわたしは好きではない。
お花畑で平和な毎日が心地よい。
なので、さらっと、深く突っ込まず、何もなかったかのように。
笑顔で。
笑顔は何でもマイルドにうやむやにしてくれる。
突き詰める、追及するのは、良いこともあるが、良くないこともある。

で、中途半端なまま、前のめりにつんのめった状態ではありますが、前に進まず着地もせずに、今日は終わりです。


※蛇足
今日の写真、ご近所の郵便局近くで撮ってすごく気に入っていたが、しばらくブログ画像に使わなかった。
こっそり未公開でストックしておきたかったので使ってしまうのはちょっともったいない気もするが、気前よく使おう。
て、小さなマイワールドで遊ぶわたし。




悩みを共有している?

2021-10-30 | ブログ
別SNS。カテゴリーは、「趣味」。
わたしの日記に毎日、朝夕、訪れてくれるメンバーさんがいる。
わたしはこの人をリアルで知っている。
踊ってもらったこともある。
わたしより10歳ぐらい若い??(推測)
その人はリアルなわたしを認識していない。
そのサイトではお互いに友達認定しているので、個人的にミニメールも送ることが出来るにもかかわらず、そういうことは、一切せず。
ここのところ、挨拶のごとく、朝夕。
 
もう一人いる。 
この人は一日一回。
女性。年齢はわたしより5歳ぐらい??歳下。
サイト内でのやり取りは、あまりしたことがなく、リアルでは会ったことはない。
が、実際にわたしがリアルで会った人たちとのやり取りを読んでいると、リアルはほぼほぼ想像できる。

たぶん、お二人ともわたしと共通の悩みを
持ちなのだろう。 
痛みをシェアしているのかも知れない。

こんな感じで、ダンス超上級者さんが、わたしの日記内容に興味を抱き、肩入れしてくれたこともある。
わたし、口が上手いタイプで、大袈裟な演出表現のためか、文章がリアルを上回る。
これは、良いことか、悪いことか。

なにしろ、大勢ではなく、ほんのピンポイントの人だけがピンポイントの期間に共鳴してくださり、本当に嬉しく思っている。
いわゆるファンというものは、根なし浮動票のようなもの。
虚ろな面を抱えている。

だが、好きな面も嫌いな面も含めて、本当に芯の部分で繋がっている場合、リアル人生に彩りを添えてくれる。

趣味サイトでの繋がりは、特にリアルでお目にかかることが多いので実際の生活や人生に関わってくる。
これまでも、そういうことは何度もあった。
リアルな3次元の世界が4次元に膨らむイメージだ。
だが、実際の人物は、サイトでの文字から来る先入観で嵩上げされない素のまま。
ではあるが、キッカケはインターネット上でのやり取り。

毎日、貴重な時間を割いて、わたしごときのブログや日記にお越しいただき、小さな積み木を積んでいるような気になっている。


斬るとスッキリ

2021-10-19 | ブログ
思いの丈を吐き出すと、スカッとするのはブログだけではない。
わたしは、日頃、思っていることを口に出すと、たいていの人は引く。
的を得過ぎているからだ。
キレ過ぎ包丁には注意。
自分の言っていることは、人を不快にしたり傷つける。
だから言わない。
むやみやたらに斬ってはいけない。

こうやって人知れず広告チラシの裏、いやブログに書いて憂さを晴らしている。
わたしは、ひとを傷つけたくないし、決して攻撃したくない。

ひとつには、わたしがお釈迦様でも弘法大師でもなく、ほとんど自分で何もまともに出来ないのに、人を批評する権利はない。
万能者で何でも出来てこそ、高いところからモノ申す流れ。
目くそ鼻くそを笑うのは、じつに恥ずかしい。
それもあって、何も言わない。

が、凡人のわたしは、段々ストレスが溜まってくる。
それ、違うんじゃない?と、言いたくてウズウズ。
それをブログに書くと実に気分爽快になる。
救われる。

じつは、趣味のサイトでもその悪い癖が出ている。
斬り過ぎ傾向あり。
こっちは気持ちいいものだから、ついつい痛快コメントをどんどん書いてしまう。
反省、、、。

自分の成果を自分で思いっきり褒めて酔いしれている人、、、とかは、わたしは苦手とする人種。
今は、皆んな違って皆んなイイ。
全員亀でもウサギの気分らしい。
別に評価はコレでなければならない、という規定や基準がない。
曖昧。
だからそれで良いとは思うのだが、、、。

何ごともやり過ぎは良くない。
ねえ褒めて!褒めて!褒めて!は、、、疲れる。
だが、わたしの斬り癖のように、褒めて欲しい癖の人もいる。
どっちもどっち、皆んな違って皆んなイイ。

、、、というか、このフレーズ、かなり曖昧すぎて、もはや怪しさを通り越して、うさんくさいニオイがする。
本当に皆んな違って皆んなイイのだろうか。

皆んな違って皆んなイイのは、同じカテゴリーに属さない、おのおのそれぞれ別々の集団に限られている?
本当に認めているのかというと、?である。
自分の真のライバルは同じカテゴリー内にいる人であり、別カテゴリーの人は笑顔で認める。対岸の火事。
真のライバルではないから。

まあそういうわけで、、、
何を書いているのかわからないぐらい、難しい問題なのである。
(真顔でジョーク)

書きながら考える癖があるわたしだが、スカッとするつもりが、こんがらがってきて、糸が解けなくなってきた。
(解釈説明、大幅にカットした)

人に鋭く斬り込むより、自分の糸に巻かれて身動き取れなくなるほうが、まだマシかなあと。

とかなんとか、かんとか、、、
天国までの待ち時間、自由な持ち時間、なんやらかんやら言いながら、今日も無事に過ぎた。
結果良ければ全て良し。

時間泥棒にお付き合いいただき、ありがとうございました。



自分のブログに癒される?

2021-10-17 | ブログ
自分の過去ブログ記事を読み、感動した。
うまいこと上手に書いてまとめてある。
わたしが思っていることそのもので、まるでブレがない。(当たり前)
もう10年近くも前に書いたものだろう、、、と思っていたら、コロナのことも書かれていた。
なんだ、去年の記事か。
わたしのカレンダーは、ブレまくっている。

しかし、言いたいことが凝縮されていた。
今ならあんなに整理して書けない。
だが、思いは同じ。
そりゃそうだ。一年ぐらいではそう変わらない。

自分の核、芯は、両親から来たもののようだ。
好きでも嫌いでも。性格は真逆であろうと。
DNAと環境。
培われたその信念を貫きとうそうしているだけだった。
昨日の記事では「自分の核は自己開示しない」と書いたが、なんのことはない。
去年、みっちり、しっかり、明確に書いていた。
一年で忘れている、この脳キャパの小ささ、狭さ!

しかし、今更ながら、自分に教えられた気分。
先生は、自分の書いたもの。
やはり、考えを書いて残すと、役に立つこともある。

嫌な不快な記事や、恥ずかしくてのたうち回るような記事は、読まなければよい。
不愉快になるために、わざわざ読んでも何の得も意味もない。
で、皆さんの中のどなたかが、過去記事を引っ張り出してお読みになった記事を後から読んで感動するなんて、なかなか奇妙ではあるが。
癒されたりもしている。
自分で自分を癒やしてどうする?
なんでもありだ。 

ブログは面白い。
書いてストレス解消。
後から読んで、楽しさ倍増。
1度で2度美味しい。
だからブログはやめられない。

でもよくよく考えると、読んでくださる方がいてこそかなと。
取るに足らない呟きを。
そういう存在があるからこそ、チラシ広告の裏ではなく、インターネットの海に放り投げるのだろう。
呟きも虚しさを伴わないのだろう。
それに、攻撃を受けるような過激な内容ではないので、ごく稀にしか被害に遭わない。
おかげさまで、楽しいブログ生活を満喫している。




あなたのブログ、どれ?

2021-09-15 | ブログ
昨日、リアル人に面と向かってブログやサイト日記の話をした。
ブログは14年にも及ぶと話したら、きょとんとしていた。
早速、どのブログ?と探そうとしたが、無理ですよ、と言っておいた。

わたしのブログは、肉親をはじめ、リアルな近く親しい人の数人は見ることが出来るが、彼らは見れても見ない。
ごくたまに近況報告チェックのつもりで読む人もいるが、ほとんどの人は読まない。
なぜなら、、、これはわたしの想像だが、地雷が埋まっていて知らずに踏んだら大変だからだろうと。
それよりも、人のブログをチェックするほどの時間がない。

見ず知らずの人や、一生に数回会うか会わないかの人なら、リアルな距離感から考えると、対岸から面白おかしく読める。
が、同じ側に居るとそんなわけにはいかない。
亡くなってしまった近い親しい人の、亡くなる直前まで書いていた未完のブログでさえ、ブログを読むのは憚られる。
知らないほうがよかったこともあるからだ。

日記というものは、文豪や重要な時局を迎える時の総理大臣級の人なら、歴史を紐解いたり検証、考証したりする重要な文献として参考になるが、、、
そこらへんの無名の暇つぶし女子(わたし)の戯言には、人畜無害ではあるものの、つまらないものである。
無害ならまだ善しとしよう。
無意識地雷は書き手にも読み手にも被害がある。
だが、ごく稀に良いことも言っているかも知れない。
ただし、ごく稀に。
膨大な時間を割いてお読みいただくのは、こころが痛いのではあるが、身内以外の方に関しては無罪放免としていただきたい。
身内の方は、自己責任で読むべし。
ただし、幸か不幸か、身内には暇人がいないようだ。

で、話を戻す。
身内ではないリアル人は、たいがい、こうおっしゃる。
「わたし(僕)のことは、書かないでね」
はい、書きません。
が、人物を特定しないかたちで登場する可能性はある。
出演料なし、参考料なし、アドバイス料なし、、、
すみません、ごめんなさい、の気持であるが、わたしの人生にそっと彩りを添えてください。

で、、、
面と向かって話すのは苦手だということ、しかも相手が受け身タイプだと話題に困ること、、、
今更ながらしみじみ、そう感じた。

蛇足。
写真は双子の葡萄。
ハートのかたちにも見える。
パチリ。
幸運のシンボル葡萄ならいいなあ、、、と。

潮時

2021-09-01 | ブログ
「潮時」って余韻がある言葉である。
わたしが「潮時」という言葉に抱くイメージは、、、
人工的、無理矢理的、MAX頑張り系ではないニュアンスを感じる。
自然体で自然に諦める、衰退する、やめる、、、
時の流れや摂理に逆らわず、自然消滅。
気持ちはやや残るが、執着心はない。
消極的に諦める時の手法?

お付き合いや、事業、ビジネスなんかも、こういうかんじか。
赤字続きだったり、病気したり、資材調達困難が続いたり、、、
持ちこたえようと頑張るものの、そろそろ限界か、、、
やめたいが、やめられない。
やめるキッカケを探している。
それがずっと続いている。
そんなかんじかと。

ちなみに、わたしにも潮時がいずれ来るだろうと感じることはある。
が、まだその時は来ていない。
予感、予想はするが、局面は迎えていない。
ブログに関しては、書くのは楽しみの一つ。
というか、エネルギー発散、ガス抜き、ストレス解消。
生きていくには必要。(→相変わらず大袈裟)
書かないと、何日も髪を洗ってないような、そんなムズムズ感に襲われる。
普通にお箸を持って毎日、何かを食べるかのように、目を瞑って書いている。(→またまた誇張)
お箸がわりに、人差し指くるくる。
なので、まだまだ食欲旺盛で、潮時感覚はない。

多分、気が狂うほど退屈でも、退屈だ退屈だ退屈だ退屈だと書くんだろう。
退屈はしのげると思う。
ただ、気持ちよくスカッと空気が抜けるかというと、そんなツマラナイ内容では自己嫌悪に陥いるだけだけれど。
退屈だから書くのではない。
なので、退屈な時は、それなりに何かしていると想像する。

・・・
潮時、、、それは自分で決めるのではなく、状況がそうさせるように感じる。
自分は潮に身をまかせるのみ。
抵抗はしない。
抵抗したい時は潮時ではない。

ちなみに、今日の記事、そろそろ潮時。
書きたいことをみんな書いて、もうなくなってきた。

ボランティアするには未熟

2021-08-27 | ブログ
ほんの一年前に書いた自分のブログ記事。
どなたかが、引っ張り出してお読みになった形跡あり。
恐る恐る読んだ。
大いにウケた。
画像もバッチリ!!
わたし的には完璧な出来。
オチも素晴らしい。
当たり前だ、自分で書いているのだから。

無農薬で自分の畑で育てる作物を自分レシピ、自分が作った釜、皿で食すようなかんじ。
これを自己満足という。
自己完結ともいう。

自分を喜ばせる自分。
書いている時はさほど何も思わずに書いているのに、時が経過して自分をこんなに楽しませるとは、予想も期待もしていなかった。
だからといって、家族や同人誌に載せて見てもらおうという気はない。
ブログ村のエッセイ部門だけで十分すぎるぐらい十分だ。
お釣りが来るぐらい。チャリ〜ン。


話は変わるが、わたしは遠い将来に、傾聴ボランティアをしたいと思っている。
ただし、業者の見積もり書のように有効期限つき。
この1か月ぐらい?
断言はしない主義。

傾聴は仏教の修行のひとつで、相手の話を否定せずに無になって、こころの耳で聴くことだとか。
ふんふんと、聴いていないのに聴いているフリは良くない。
意見を言ったりアドバイスも良くない。
そういうのをやりたいが、おそらくフラストレーションがすごく溜まり、傾聴ボランティアの人にではなく、有料傾聴プロに、有ること無いこと、こころの全てを吐き出して聴いてもらうことになりそうだ。
(ホステスさんが接客ストレスをホストクラブで発散するかのように。
マッサージ師がマッサージして溜まった筋肉疲労をマッサージやエステで解すように)
あるいは、漏らしてはいけない守秘義務を守らず、ブログや色んなところに書きまくる、どうしようもない展開になる可能性もなくもない。
それなら、そんな人騒がせなボランティアはせず、大人しく自分のブログを書いているのが良さそうだ。
読んでくださる皆さんは、明らかに傾聴ボランティアをしていただいている。
すみませんねーーー。

これ、前にも書いたがまた何度も書きそうだ。
その時は知らん顔してスルーしてください。
きっと二重に徳を積まれることだと思います。

て、相変わらずの、わたし。