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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

毒、どうすればいい?

2023-06-21 | ブログ
ブログというものは、読んだ後、活力を得たり、共感したり、爽やかだったりしたほうが良い。
わたしの蝶ブログの場合、役には立たないものの、そういう明るいプラス面もあるが、逆に、暗いマイナス面もある。
そのマイナス面を吐露すると、自分はスッキリするだろうけれど、読む側は、嫌な読後感になる。

マイナス面はひたすら隠して(書かないで)、良い面だけを、皆さんのために(自分のために)書く、、、ことはあるだろう。
わたしは、そのジレンマに陥る。

別SNSで、いつもご自分が活躍した輝かしいことを意気揚々と書く人がいる。
そんな人が、投稿が長らくご無沙汰だと思っていると、沈黙を破ってまた書き始める。
前にも増して弾けたような内容。
メリハリがすごい。
落ち込んでいる時や上手く行っていない時は、一切、投稿しないパターン。
投稿時は、一種の躁状態。
いろんな人がいる。

わたしは、マイナス人間。
自分の内面に関して暗い陰湿なことを書くと、やたら目が輝く。
逆に自分を良いように書くと、嘘っぽくて居場所がない気になる。
自虐派。

以前は不平不満をブログにぶつけて吐き出していた。
が、よい年齢になると、なんだかみっともないような、周りを気にするようになってきた。
とは言え、まだ、マイナス内容を書くと、目がギンギラ。
ではあるが、その負の部分の表現、文章を消したりしている。
取り繕っているわけだ。
自分で言うのもヘンだが、わたしは取り繕うと自分らしさがゼロになる。
加齢で、落ち着き知恵がつくと、自分に対する評価が気になるのだろうか。
余計なものが削ぎ落とされるのはカッコイイが、そうではなく、なんだかゴミを誤魔化して見えないところに追いやっているような気分。
かと言って、痛々しく剥き出しは嫌。
そういうお年頃だろうか。
「丸くなる」のは、「歳を取る」ということか。


ちなみに、昨日の記事。
「(リタイア後の)皆さん、何をしているのだろう?」への自問自答。
わたしが出かける時間帯が中途半端なため、わたしと同年代の人々と出くわさないのではないかと、ふと思った。
お稽古やカルチャーセンター、スポーツにしても、午前に終えるのではないかと。
スタートがもっと早い時刻だと想像する。

スポーツマンの知人がいるが、こんなにパートナーが活発で動き回っていると、奥さんはどうしているのだろう?一緒に動き回っているのだろうか?と、ちょっと思った。
で、聞いてみた。
答えは「妻は絵を描いてます」。
なるほど。
創作活動は時間が無限。アタマ活性化にも効果的。
身体は動かさなくても、精神は研ぎ澄まされ、時には血湧き肉踊る。

暮らし方、ライフスタイルは、都市部と地方、農村部でも異なる。
個人事情によっても異なる。

わたしは、怠け者の権化、スポーツ嫌いなので、身体は動かさない。(ダンス以外は)
ウォーキングやハイキングはまだしも、登山は苦痛。
キャンプなど、アウトドアが大の苦手。虫が嫌い。
軟弱、ひ弱な街人間。
農業や漁業、林業、畜産業には就けない。
全天候型で空調が整った空間が快適。
ではあるものの、屋外に出るのは、気候の良い時季、春と秋だけなんて、限られ過ぎている。
旅行もベストシーズンがあり大人気だが。
皆さん、考えることは同じ。


旅行にもそれぞれ好みがあるようだ。
個人旅行派と、団体旅行派。
ベルトコンベヤーに乗せられ、見どころに連れて行ってくれ、美味しいものを口に運んでくれる。
楽して、良いとこ取り。
無計画派もある。
行き当たりばったり。
本人が好きなテイストを選べば良い。
他人が口出しすることではない。

電車の時刻表を眺めているだけで、ワクワクする人もいる。
逆に、考えたり手配するのに、うんざりする人もいる。
旅に行って終えてから、長い間、記憶の中で楽しむ人もいる。
団体旅行の帰りのバスの中で、次の申し込む旅行先を考えている人もいる。
各人、自分に合った方法で楽しむのが良い。

わたしは、ベルトコンベヤーを通り越して、鵜飼の鵜。
どこの何かもわからず行って丸呑み後、後からゆっくり溶かして紐解く。
逆に構想し始めてから何年も熟考を重ねるケースもある。
長さ時間別に、長・中・短期で予定を立てる。
と言ってもまだ何にも考えてなくて構想は白紙。
そのうち、暑いだの寒いだのグズグズしているうちに面倒になり、やがて、身体が動かなくなる。
しかし、焦って追い立てられるように行動するのではなく、成り行きにまかせよう。

今日もいつものルーティン。
何ごとも無い、静かで平和な1日。
このまま、歳を重ねていく。

20年後にはもっと毒のない、徳のある話が書けるだろうか。
わたしの場合、「徳」より「得(私利私欲)」かも知れない。

光と影、表と裏

2023-06-09 | ブログ
わたしの知性面の大師匠であり、先生である、とあるFIREブロガーさん。
毎日更新されるブログに啓蒙啓発されているが、前々からなんとなく思っていることがあった。

この方は、ご自分が歩んでこられた道に、何一つ、後悔がない。
というか、年老いて後悔しないよう、悩みや迷いの末に、舵を切り今日に至っている。
曇り一つない。
そして、これまでの歩みは、素晴らしい。
正々堂々、どこに出しても恥ずかしくない立派な輝かしいものだ。
その点には私は脱帽し、尊敬している。

が、おや?と、ふと感じたことがある。
奥さんに関する記述が一行あった時だ。
あれ?
わたしは妻の立場を長年やってきて、夫が思っている妻像、なんだか違う、違和感を覚えた。

このブロガーさんのように努力し、自信を持って人生を邁進する、、、なかなか出来そうで出来ることではない。
なんの異論もない。
全ての事柄に、立証できる文献なり研究なりの証拠を示して力説される。
納得できる。
この「全ての事柄」というところに疑問を感じた。
学問、科学や政治、経済は研究すればするほど幅や奥を知る。
そして、研究の結果、自分の信念を持ち確立する。
まるで意義なし。

人間のこころについては、幸福論を追求するのがこの方の生涯のテーマなので、これで全てが網羅されている。
が、、、わたしの疑問はそこにある。
文献や研究、データに基づく分析、理解。
これは大事。
単なる勘や思い込みがもしあったとしても、それを仮定として、立証できれば良い。
立証プロセスこそが重要である。

それはその通り。
で、疑問はほとんど解決され、さらに幸福を深め邁進するために、日々、充実した時間を能動的に過ごされている。

が、しかし、、、
そのブロガーさんの奥さんのことは、全て自分が思っている通りだと、信じておられるようにお見受けする。
客観的学問的探求と、実際の「灯台下暗し」的な感覚。
現状において幸せな人に、不安を煽って新興宗教に誘う手口に、こういう切り口がある、、、が、わたしは新興宗教の手先でも幹部でも教祖でもない。
わたしと、ブロガーさんの奥さんは、全くの別人、別人格なので、同じではない。
何の利害関係もない。
一緒くたにしてしまい、自分の考えを押し付けるのは、筋違いで間違っている。
なので、ここからは話を一旦離脱させる。

何の疑いも持たない自分の信念を持っている人は、オメデタイ場合がある。
厄介である場合がある。
何も知らない。
自分が正しいと思い込んでいる。
むしろ、他人の意向や意見に振り回されるのは、幸福になる障害である、と説く。
自分軸を持つ。
つまり他者の言うことを聞かない、耳を貸さない。
一旦聞いてから、言うままにならない、従わないのならまだしも、最初から耳自体を持たない。
自分の考えに疑う余地もないと思っている。

それは、違う。答えは一つではない。
人間や物事の一面はそうでも、多面的側面がある。
その多面的側面があることを知りながら、あえて言及しないのは納得できる。
が、多面的側面を一刀両断している。
ある意味、潔い、、、のではあるが、
自分のこころの衛生上、幸福度を上げるためにも正解ではあるが、、、
少しでもこころの隅っこに、自分は正しくない面があるということを認識してほしい。
ちなみに、幸福論では、「正しい」「正しくない」には判断できる根拠や基準がなく「好き」か「嫌い」か、らしい。
そうやって、自分をどんどん幸福に導いていくのは、浄化され天国に近づいて行くかの如く、素晴らしいことだと思う、、、ものの、、、

わたしはやはり、人間には欠点があるし、間違いや失敗も起こす、そのマイナス、影の部分も受け止めなければいけないと思う。
ではあるが、なかったことにするほうが、幸福になれる場合による。
大事故や災害、病などには、原因を客観的に追求はしても、受けたこころの傷、マイナスには触れないようにすべきだとは思うが、
普通の日常、ノーマルに戻ったら、人としての陰と陽があることは陰を否定するのではなく認めてほしい。

それと幸せな家庭とどう関係があるのかと思われそうだ。
自己肯定は自分を幸せに導き、幸福度を上げるのはよく理解できるのだが、
自戒や自省を含めて、なんだか片手落ち感を感じずにはいられない。
自分が幸せになるためには、他者の不幸に目を瞑らなければならない?
自分も家族も幸せをシェアすると良い。
よく言われる言葉がある。
喜びを2倍に、悲しみを半分に。

その、喜び分野はよくわかるのだが、夫婦間でエゴ等のぶつかり合いはどうしているのかと。
取るに足らぬ普通の当たり前のことなので、わざわざブログには書いていないのだろう。
それにしても、、、なんか、プラスばかりでは、わたしは落ち着かない。
あのFIREブログ主は、夫婦でお互い見て見ぬふりをして、幸せ度をアップしているのだろうか。

人が幸せになろうと努力しているのに、あれこれ思うのは、土に穴を掘って吠えて埋めるならいざ知らず、しかも自分のブログに書いて公開するなど、ほんと、余計なお世話である。
ブロガーさんが自分のブログに良いことだけ書いて、言いたいことだけ書いて、何が悪い?
嫌ならそのブログを読みに行くな、来るな、である。
こんな言いがかり的なことを本人には直接言ってないし、言う必要もないし、影響力のない自分の蝶ブログに、ボソボソ呟いている。

しかしまあ想いを吐き出すのに、こんなに文字数を使い、気分が悪くなるほど長文になってしまった。
本当は、ズバリ、ズバっと書きたいのだが(文字数もほんの少しで収まる)、人を斬ると自分も不快になる厄介な性分なので、いつもオブラートに包み過ぎて、なんのことやらわかりにくい。
言いたいことが吐けて気分スッキリかというと、そんなこともなく、長すぎて、船酔いした気分。
誰をも幸せにしていない。

まあ、そういう日もある。



同床異夢?同床同夢?

2023-06-08 | ブログ
作家の著書や文献紹介しながら幸福論を唱える人気FIREブログがある。
私はそのブログの大ファンで教示される記事を参考にしている。

ただ、全てを丸々頭から受け入れるかというと、御多分に洩れず、そんなことはない。
もしそんな全てを受け入れていたら、洗脳されていることになる。
この箇所、少し違うな、と疑問を持ったり違和感を覚えるほうが健全、正常だと思う。
丸呑みは、自分で考える力、思考力を停止させる。

とは言え、頑固一徹過ぎるのは良くない。
人の意見は全く耳に入れずシャットアウトすると、融通性ゼロとなり、周りと摩擦、軋(きし)みを生み、孤立する可能性がある。
進歩する機会を自分自ら閉ざすことにもなる。


ブログでは、ブロガーさんが薦める著名作家などの言葉が、何度か、手を変え品を変え、抜粋され紹介される。
で、その中で、わたしが、異論反論を持つことは次のようなものだ。

幸福を得るための自由時間を過ごすのには、能動的な時間と、そうでない時間に、分かれる。
趣味を持ち、楽しむのは能動的な時間の過ごし方らしい。
逆に、TVや音楽、映画は、受け身なので幸福感を高く感じるには至らないそうだ。
疲れを取る、リラックスする、癒される、というのは積極的幸福論から弾きとばされる。
ガッツリ頑張らなければ、高い幸福感は得られないということ。
ちなみに、読書は幸福度を上げるには積極的時間の使い方らしい。

だとすると、わたしは幸福感をあまり得られていないことになる。
本は読まないし、映画は好きだし、TV(主にNHK)は日課だし、音楽もBGMで流している。
そんな受け身の状態でも、みっちり、たっぷり幸せを感じている。
だらだら薄い幸福の垂れ流しか。
濃い幸福を脳をしっかり使って自分で掴みにいかなければならないらしい。

そうかなあ、、、
そんなダラダラ、薄い時間でも満足だけど。
が、ブログを書くのは、積極的行動らしい。
そして、趣味を持つのは幸福の極め、最高のようだ。
では、「趣味のことをブログに書く。しかも読書で研究して」、とか、「趣味がブログ」だったりすると、ダブルでもトリプルでも幸福感に貢献していることになる。
ではあるが、趣味とブログ以外のその他のことは、消極的で受け身。
わたしはエネルギッシュでスタミナたっぷりではないので、あれもこれもは、疲れる。
半分寝ているぐらいが丁度良い。

あるいは、宗教分野に精神世界を持っていくのも良いかも知れない。
上記のFIRE人気ブロガーさんも、今日から何日か禅寺で禅修行に入るらしい。
幸福の辿り着くところは極楽浄土か、天国か。
しかし、不幸な人に「幸せになれますよ」と釣る、勧誘する、悪徳新興宗教は許せない。
罪だ。
とは言え、出家しなくても、生きたままでも、悟りを開けたら結構なことだ。
だが、生仏は、なんだか、諸説ありそうだ。
(ちなみに、逆説の接続詞ばかり、続く)


ところで。
私がこの人気FIREブロガーさんのことで懸念していることがある。
今はまだお子さんも義務教育中だし、子育ては外せないが、いずれ手を離れた時に、お二人ご夫婦は、夫婦を続けているのだろうかと思う。
家庭生活の基本は、夫婦両輪。
肝心の、片輪である奥さんの話は全く出てこない。
なんだか肩透かし。
まるで、わたしのブログのようだ。

自分の幸福を突き詰めてFIRE生活を送るのは大いに結構だが、夫婦の絆的なものは、全く感じられない。
ひたすら、奥様お手製のグルメで美味そうな綺麗な食事やデザート写真をアップされるだけ。
いかにも写真映えし、いかにも手がかかっていそうな食卓の品々。
その毎日の写真には暖かい日常、幸せが凝縮されているのだろうけれど。
FIRE夫のブログを「幸せな家族」「FIRE成功者」という見られ方、位置付けをするためには、大いに貢献している。
が、奥さんは一体何を考えているのかと、つい深読みしてしまう。
子育て中は、ただただ毎日の生活をフォローしていくことが第一なので、それ以外は(仮に考えていたとしても)行動には移しにくいかも知れない。
この、幸福論を唱え実践しているFIREブロガー夫の奥さんは幸福なのだろうか。
一番身近な存在、素材にはあえて手を触れていない、地雷だったりしたら恐ろしいので、、、
幸福を追求する場合、書物や著名人の名言はもちろん研究には欠かせないが、生活の視点が抜け落ちているような気がする。
ご本人(FIREブロガーさん)も薄々気づいていて、ワザとその視点には触れないのではないかと想像する。
なんでもかんでも、全てを知り尽くしても良いことばかりではない。
知って苦悩が始まるより、知らずに不安がないほうがずっと良い。
曇ったガラスで見ることも大事かと思う。
特に身近な日常は。

子供は巣立つが、さて、幸福を追求し尽くした夫に、子供が巣立った後、妻はどうするか。
同時に妻も巣立っていく可能性はある。
今から探りを入れ、予め手を打つと、幸福度が下がりそうで、故意にやらないのではないだろうか。

こんなことを書くのは、幸福な人を羨み僻む、穿(うが)った見方、意地悪、ひね曲がった性悪か。
余計なお世話以外の何ものでもない。
とは言うものの、FIRE夫の妻の立場で、まだ現役年齢の妻が無職だとしたらどんな意識なのかと、ちょっと思った。
毎日、美しい食事の写真のみに参加するだけで満足なのだろうか、と、(時代遅れ感のあるわたしでさえ)わたしの経験を振り返り、そう感じた。
ブログには書かれていないだけで、奥さんは仕事を持っているのかも知れない。
あるいは、夫婦同じ考え、ライフスタイルで、二人共がFIREなのかも?(奥さんは専業主婦のように思えるが)
または、奥さんは夫がどんな職業でも(FIREでも)、専業主婦なら夫の仕事は関係ない、関与しないのかも?
想像で、ものを言っても何にもならない。
時間の無駄である。

すみません。
わたしの無駄時間に無理やりお付き合いしていただいてしまった方がおられるとしたら、お詫び申し上げます。








子供1人既婚40代主婦

2023-05-15 | ブログ
セミリタイアを目指す40代パート主婦さんのブログを初めて読んだ。
子供1人あり。
セミリタイアまでの道のりが楽しくて仕方ないそうだ。
完全リタイアはしない、心身に悪いから、とのこと。
それ、面白い。
心身に悪いのか。なるほど。

年齢、ライフステージを軸に、収入を細かく分けて、自分の目標を定める。
数字に強いと見た。 
仏像彫り師とはまた違う世界観。

この仏像彫り師さんも、NHK ETVシニア番組「あしたも晴れ!人生レシピ」で紹介されていた。
同じような年齢、状況。既婚主婦、子供2人?大卒。
お金に振り回される人生は嫌になったという彫り師さん。
かたや、仕事が大嫌いの、自分が生み出すお金計算の上に幸せ実感が成り立つパート主婦さん。
主婦にも、見る角度によって違うが、本質に迫りたい、自分と対峙する試みは同じ。
真摯な実践派。

昭和人間のわたしにはまるで隔世の感、、、かと思いきや、そんなことはない。
時代の価値観が推移していっているだけで、自分自身は同じ。
潮流が変わるだけで、自分は自分。
わたしに関して言えば、時代に振り回されることはない。

明治生まれの「姑の姑」は、女性も手に職を持ち仕事をするほうが良い、と、ひ孫に勧めた。
姑は、結婚は人生で一度はしたほうが良い(後で離婚したとしても)、と孫に勧めた。
男性に保護され従え、とは言っていない。
とは言え、バリバリ仕事を持って外で働いたかというと、姑たちは家庭内で働いた。
だが、本人たちの意識では男たちに雇われた感はない。
ではあるが、実際のお金の流れも知っている。
先人たちは、強かにしなやか生きてきたと、わたしは感じる。
大きな戦争や自然災害にも遭う中で。

清濁併せ持つ。
理想は理想、現実は現実。
でも夢や希望、目標は生きる糧。

貨幣経済に振り回されないで、お金に解放されたという彫り師さん。
彫り物(作品)と食べ物と物物交換もする。
原始的な基本的な動きが気持ちを心地よいものにするそうだ。
こころの拠り所は、人それぞれ。
自分1人だけ凝り固まるのではなく、自分も活かし、家庭も持ち、子供を育てる。
その境地に至るまでには紆余曲折があっただろう。

お金になぜそんなに執着するのか。
健康を保ち、衣食住を快適に毎日を過ごすのに、どれぐらいのお金が必要なのか。
人それぞれ基準が違うだろうけれど。
贅沢だと捉えられることが、個人の感性によって異なる。
その感覚が同じ人と時をシェアするのが理想。
安心安全を得るために、仮に地下シェルターが必要だと考えるとすると、日本人はどれぐらいの人がクリアしているか。
政府要人とお金持ちのノアの方舟。
タイニーハウスの真逆。
色々だ。

頭の中を整理して何が大事か、あれこれ取捨選択する。
それを行動で現すのが断捨離らしい。
寝袋一つで十分な人もいるだろう。
人のことなどほっておいて、さて、自分は?


少し前に、趣味SNSで、わたしが人の行動の考察を書く度に、「人のことばかり見て、肝心のあなたは、どうなの?」といつも反論をコメントを付けてくる人がいた。
わたしとしては、「ほっといてちょーだい、あなたこそ、人のことなど構わずに自分の感性で突き進んでください」という気持ちだった。
コメントにはそうは書かなかったが。

自分の道を模索するための試行錯誤のあれこれのために、人の行動や方法を参考にしている段階、プロセスなのに、書いて脳内整理しているのに、いちいち、「人のことはほっておいたら?」と言われると、「そうじゃない、そういう、他人を評価したいわけではなく、自分の参考にするため、自分を定めるため、良くも悪くも道標にするために他人の行いを見ている」わたし。
いつもコメントされる度に思っていたが、やがてその人はコメントは付けなくなったものの、わたしのページに(訪れた)足跡は付いている。
気になるのだろう。悪い意味で。
嫌いなら無視していただくと良いのに。
わたしは、一生、モラトリアム、、、だから未完成。どこかが欠けている。

色々な人がそれぞれの場所で生活されているのを見ると、今の私には刺激になったり癒しになったりはするが、、、
もちろん素晴らしい、感銘を受け涙することも度々だが、悲しいかな単なる暇つぶしになっていると鈍さを感じることがある。どよ〜ん。
これは、わたしの感性がどんどん衰えている現れだと思う。
就寝中、夢でも、わたしの衰えを示すような内容の夢を観る。
まだわたしは自分の衰えを客観的に受け入れられず、意識下でも、無意識下でも、あがいているようだ。






毒無しはインパクト無し

2023-03-06 | ブログ
わたしの何の役にも立たない独り言にお付き合いいただき、ありがとうございます。
お役立ち生情報もなければ、ナビゲートもなければ、解説もなし。
あるのは個人的解釈と一方的な感想のみ。
これで面白いわけがない。
まあそれはそれとして。

ちなみに、わたしの売りは毒舌。
斬られて快感を味わう人もいる。
ひと(他人)のことアルアルで、自分のこととは思っていないようだが、実際のところは、斬られているのは当人も含まれていることが多々ある。
わたしは自分を斬るついでに、他人ごとごっそり斬ってしまうことがあるので、言葉には注意しなければならない。
言葉に細心の注意を払った途端に、切れ味の悪い、誰も傷つけない代わり、何の印象にも残らない、つまらないブログになる。
みんな幸せで良かったね、というスタンスのブログは、書いていてこころの底から満足しているかというと、そうでもない。
ほんとは言いたいけれど、自分では言えないことを代わりにわたしがズバッと言うと、スッキリして爽快な気分になる、と他のSNS日記で感想を言われたことがある。
そのSNS日記は閲覧数は少なくないのは、そういった毒舌のせいだと思われる。

最近、わたしは、人のこと言えないよね、という自覚があり、あまり毒を吐けない。
飲み込んでしまう。
だから面白くない。
めちゃくちゃキツイことや失礼なことをおもいっきり思っているが、わたしのどの口が言う?と、さすがに胸の内を打ち明けるのは躊躇われる。
で、言わない。
で、中途半端になる。
最初はとんがっていて覇気があったのに、幸せになってしまって面白くなくなった女芸人みたいで、生気がない。
やはり、記事にするには緊張感、張り詰めるものは必要だ。
が、どよ〜んとしている。

さて。
今からワンオペで4人の孫たちを、お迎え、お泊まり、明日の朝まで、保育所、小学校へ送り出し任務あり。
ああ、しんど。



まったく面白くない独り言

2023-01-21 | ブログ
来る日も来る日もブログ更新。
よっぽどヒマなんだ、わたし。
ブログにしか自分を表せないのか。

・・・・
自己表現はブログ以外にもある。
のではあるが。
受け入れられようが、受け入れられまいが、細々と懲りずにブログを更新している。
たんに理屈抜きで好きなんだろう。
・・・・

さて。
最近の目新しいことと言えば、孫達の目覚ましい成長ぶりと、わたしの目覚ましい?脳の衰え。
特にわたしの脳は、自分でもびっくりするようなとんでもないことを無意識にやらかす。
1秒後にハッとして、何やってんの?わたし?と、我に返り驚く。
今にそのうち、気づくのが2秒後になり1分後になり、いずれ気づかなくなり、、、
ああ、恐ろしや。

脳は確実に逆進化(退化)している手ごたえを感じるが、どの現象、行動も、あらかじめ広くあちこちから知識で得ていたものと同じ。
アタマでは知っている事柄だが、自分の身に降りかかると、こころの準備が出来ていない。
が、一度、いや何度もそういことがあると、自覚して、新しい自分に慣れてくることだろう。
こんにちわ、新しい自分。
やはり、人間の成長や退化として一般的に皆さんの身に起こっていることは、自分は例外ではなく、生物として同じなんだと実感する。
と同時に鈍感力も養われているので、ショックや失望も和らげられている。

とは言え、まだトランプでは(小学生)孫達と互角の時もある。
日本語ことわざカルタも、突然、バリバリ強く勝つ瞬間もある。
しかしこれ、この自分の行動、もはや91歳手前の人のようだ。
やはり時間、歳を25年早取りか。
時計を25年、早回しにしている。
今(66歳)からもう既に91歳だが、91歳になっても91歳。
ずっと91歳のままで変わらず安定している。
ずっと20歳のままで変わらないのなら理想的だが。

アタマは91歳だが、問題はカラダ。
まだ91歳ではないが、50歳でもない。
この1年で急に老年になったような気がする。しかも意図せず自然に。
そういう速さに偏りのある時の流れ方か。
そんなわたしが書くものが、面白いわけがない。
今日は取り分け特に。
書き直すか。

ま、そういう日もある。
今日は楽しいことがあったので、大袈裟に言えば、浮ついて集中力を欠き、魂を抜かれている感じか。
だが、視力、視界に異常、違和感が現れ、しばらく目を使い続けるのをストップした。
何ごとも集中し過ぎ、気合いを入れ過ぎは要注意だ。
遊び過ぎ、反省。
その内容をブログに書けばエキサイトするだろうけれど、今は書かない。
だから、わたしのブログは面白くない。
今日の閲覧数はまたまた地の底だろう。





無防備の罠

2023-01-09 | ブログ
わたしがつい最近、6日前ぐらいから興味を持って拝読しているブログ。
つい、コメントを寄せてしまい、返信がないので今しがた自分のコメントを削除した。

このブロガーさんは、本来、2チャンネルあたりに(もちろん匿名で)出没されるタイプかと想像する。
なぜなら、ホンネと実情をリアルに語りすぎておられるからだ。
無防備であんな内容を不特定多数の人々に曝け出すのは無謀で危険。
還暦を過ぎたとのことなので、社会的知識はお持ちかと思うが、あまりにもお坊ちゃま。
悪い人が寄ってきたらどうするつもりか。
逆手に取って、悪い人を引き寄せて騙す、という手もある。
わたしは基本的には自分で明かす社会背景だの、肩書きだの、環境だのを信用していない。
まともな人は見ず知らずの人には自分を公にしない。
選挙にでも立候補するならいざ知らず。
が、こころの声は、直球で伝わるものがある。

というわけで、そのブログ、毎日、リアルなこころの声を楽しみにしている。
ドラマよりドキュメンタリーはリアリティがあり真実味がある。
が、わたしは他人の不幸は願っていない。
静かに応援している。


※写真は、若き日のわたし、、、のわけがなく、グレース・ケリー。



自分探し

2022-12-08 | ブログ
私が今、興味津々の作家さん。
48歳でアーリーリタイアされた方。(現在54歳、男性)

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされている。
が、残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。
毎日ブログ更新されているが、その方の本も買ってしまった。
届くのが楽しみ。

あえて作家名を書かないところが、わたし流。
わたしは自分の閲覧数を減らしてもいいから、その引き換えに、自分だけの世界に引き篭もれる楽しみを確保できる。
ブログの肝心のところの中味(情報)を共有しない、シェアしないのでは、他の方がわたしのブログを読んでも何の得ることもないのに、わかっていながらリスクを取る。

スマホでも毎日更新されるその人のブログが読めるのに、あえて本(紙で製本)を買う意味は?
しかも、これ以上、モノを増やしてはいけないのに。
さらに、全く読んでいない新古品の本(10年ぐらい前の)が数冊あるのを先日、本棚の中に発見したのに。
(生情報はさすがにら10年近く前だと古すぎる)

ある、うねりだと思う。
自分が変わろうとしている。
人に受け入れられなくても全く平気だったわたしだが、ブログの過去からの推移を見ると、やはり胸に感じるものがある。

ちなみに、2016年夏から冬に書いていた、わたしの別のブログを発見した。
本当は、過去に自分の書いていた小説ブログを探しているのだが、ブログ名を忘れたので探しようがない。
こんな忘却人間になるなんて、過去のわたしは思っていただろうか。
探せなくて絶対忘れるだろうと確信していた(だろう)半年間だけのそのブログをスマホに貼り付けていた。
しかも、IDもパスワードもメモっていた。

ちょっと自分探しの旅に出ます。
(たとえ家から一歩も出なくても)



ブログ低迷の原因

2022-12-02 | ブログ
数ある素晴らしいブログがたくさんあるにもか関わらず、いつもお越しいただく方々、ありがとうございます。
(gooメイトのユメさん、ハルさん)

その数(閲覧数)をどうこう言うのは、身の程知らずなのだが、、、
閲覧数が少ない理由を推測してみた。

①内容に魅力がない
a)具体性がない
b)役に立たない
c)個人的なことに留まり汎用性がない
d)個人の世界観に感情移入出来ない

②ブロガーの個性が嫌い
a)裏自慢臭が臭う
b)ダラダラくどい、長い
c)いくら自虐ネタを連発しても、結局は自己肯定か。(自分大好き)
d)やぶにらみネガティブ色あり。他人の自己満足に水を差す無粋

③営業努力をしない
a)マメに訪問お返しをしない
b)マメに訪問しない
c)愛嬌、愛想がない(親近感が湧かない)

④世代傾向
a)主流はTwitterやInstagram、YouTubeやTikTokへと移る中、ブログは時代遅れ
b)同世代(シニア)のブログ離れ
c)他への貢献は終了し、下降していく人生時期
d)歳を重ねて諦観の要素が現れ、キレやヤンチャな面白さが消失。エネルギッシュなパワー不足。

⑤トレンドワードを入れない
a)アクセス数に影響がある、最も納得できる理由
(検索にひっかからない)

読者は何本ものブログを読んでいたが、数を絞る傾向にあり、その選に漏れる。競争に負ける。

そんなかんじかなあ、、、と。
書いても書いても閲覧数は伸びないどころか減少する、その理由は自己分析できる。
別に、閲覧数を目的にはしていないので、no problemなのだが。
継続は力なり、、、とは言え、なんの力になっているのか。
自分の生きる活力になっているのだが。
ブログ内容、テイストを見直すべきかと一瞬思ったが、売り物ではないし、商売しているわけでもないので、上司でCEOも兼任しているわたしにお伺いを立てると、、、
そのままで良いとのこと。

なので、自分救済の自分ブログは今日も続く。

追記。
いろんなジャンルの人に話を聞いてもらうカウンセリングがあるそうだ。
現役女子高生、ヤンキー、保育士、薬剤師、教師、サラリーマン、主婦、、、たちを相手に自分の悩みや愚痴を言って、日頃は何の接点もない人々の意見を聞くらしい。
30分3000円??(正確な金額は忘れた)
相手の話を聞く「傾聴」は、聞くだけだが、答えてくれるとのこと。 
価値観の違う人からの返答に、別角度からのヒントを得るとか。
わたしなら、そんな時間もお金も必要なし。
自分が聴いてくれ、自分が答えてくれる。
どんな人の言葉より確か。 
とは言え、最近、親身になってくれる他人の言葉に動揺したり、気付きを得たりする。

というものの、立場も価値観も属性も違う人に答えを求めても、「あんたに何がわかる?」と、素直に聴けないかも。
答えは自分にある。
いくら周りに説得してもらおうが、好きしたら?とほったらかされようが、決めるのは自分。
それまでの熟成期間の一つか。
ブログは、まさにセルフカウンセリングにピッタリのツールだ。

だから、他人が読んでも面白くないのは、最も当然だ。

ちなみに、最後に追加。
サラ・ブライトマンwithYOSHIKIのコンサートに行った。
世界の歌姫の美声にインスパイアされ、涙がはらはらと溢れた。



退屈だ

2022-11-12 | ブログ
久しぶりに休日を体感したが、、、
次の瞬間に訪れたものは、、、退屈。
ヒマだ。
手持ち無沙汰だ。
何もする気がない。 
しーーん、、、

しかたないから、製本された紙の日記を溜めたここ1週間分書き、買い物したレシート金額を転記し、、、ゆるゆる、するする、渋々、指を動かす。
全く退屈である。こころ踊らない。
大きなイベントからまだ1週間しか経っていない。
そして、トラブル解決も、どんどん深刻な悪い方向に進んでいる。
というか、何の進展もなく、時間だけが過ぎて煮詰まりつつある。
後に来るのは、嫌〜な作業。
誰もしたくないような裏作業。

週が明けるまで、とりあえず放置する。
ゆっくり待つわけではなく。
ほっとく。
世の中には、憂鬱な案件を抱えている人も多いだろう。
嫌な気持ちだろう。
わたしは被害者なのだが、加害者は人に迷惑をかけていて、解決に向かっていない状況に、もっと気が落ち込むに違いない。
良い展開の希望は砕かれた。
あとは、いかにダメージを最小にして終わらせるか。
気が重い。
楽しいことをブログに書きたいのに、頭の上に未解決トラブルが、ずしーんと乗っかっている。

何もする気にならないため、何もせずにスマホばかり触っていると、肩が凝る。
ブログ村は、またまたアップした新記事とマイページがリンクされていない。
時々こういう事態になる。
コンピュータもくたびれるようだ。
gooさんとうまく行ってないのか。
また忘れた頃に、2つ同時にマイページに新記事がアップされることだろう。
どこが不具合なのか。
もし仕事だったら、イライラするだろうけれど、所詮お遊びなので、声を大にせず、大人しく消極的に、諦めて復旧を待つとしよう。