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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ブログについて

2023-10-05 | ブログ
母国・日本に里帰り後、リターンしてフランスへ。
帰国してからは、ブログを書く気持ちが起こらなくなったというブロガー、裕さん。
残念である。
読者がいる限り、書いて欲しい。
この人を通して見る世界は、自分の世界観とは異なるので、興味深い。
同じなら、刺激にはならない。
違うからこそ、面白い。
かと言って、全くなんの賛同もしない、否定ばかりするのでは、つながる意味はない。
違うけれど、気になる、どこか共通するものがある、、、
だから、背景や環境、個性は違っても、なぜか知りたいのだ。
ということで、ファンがココにいるので、ブログ、続けてください。


ちなみに。
全くのアカの他人のことを知ることが出来るのが、ブログ。
アカの他人が自ら発信して口を開かなければ、知ることは出来ない。
ただし、なりたい自分を(ねつ造して)発信している実例もある。
実像とブログの一致は、誰も実証できない。
(出来る場合もあるが)
演出や嘘、作り事、見栄が入っている可能性はある。
だが、それはブログだけでなく、実社会でもなりたい自分や期待される自分を演じていることがある。
アイドルなどは、演じること自体が職業になっている。
ただ、実社会の場合、大きな嘘はいずれバレる。
破綻する。
嘘を重ね、やがて辻褄が合わなくなり、自分で自分の首を絞める。
ブログの場合は、わからないだろう。
ブロガーが実態とは違う自分を演じて現実逃避することもある。
自分に酔うこともあるだろう。
逆に、自身の内なる声を吐露したり、活動をPRしたい人もいる。
色々だ。
読む人も、それぞれの好みで選別して読む。

だが、かつて流行ったように(今もなのかも知れないが)、ブロガー同士、あちこち訪問し合い、お互いに営業努力をして閲覧数を増やすこともある。
今はブログよりもYouTubeやInstagram、X(元Twitter)のほうが、発信力はあるようだが。

わたしに関して言えば、2007年から16年間、飽きもせず、工夫もせず、延々と趣味でブログを書いている。
毎日の歯磨きや洗顔ぐらいの慣習となっている。
が、ごく最近は、あまり胸につかえるものも、吐き出したい思いもなく、あっさりした日々を送っているせいでなのか、ブログに自分が救われることも減ってきた。
また、歳を取ってきたからなのか、赤裸々に胸のうちを吐露するのが恥ずかしくもあり、抵抗感もある。
思春期後に、それまでのお笑い系の自分が恥ずかしくなり、お笑いを封印した経緯と少し似ている。
が、おとぼけは、生まれつきなので、どうしようもない。
隠しようがない。
こんな見ず知らずのわたしのブログに貴重な時間を割いてお立ち寄りいただき、恐縮するとともに、有り難く感謝している。
こころの支えになっている。


アタマも爪も隠す人

2023-09-27 | ブログ
なかなか面白いエッセイを発見した。
他の大手SNSで新人会員として日記を紹介されていた。
3つほど日記を読んでみたが、何を何を、、、どこが新人なのだ?!
鋭い文章、キレがありスマート。
リズム感と頭の良さ、、、、
あれは只者ではないと見た。
小学校の作文以来、作文を書いたのは久しぶりとのことだ。
が、アタマ隠して尻隠さず。
すっとぼけても、わかってしまう。

コメントは付けず、拍手を一つだけした。
あまり食い込んで行っても煙たがられると心外だし。

ずっと前に一度、キレを内に持ったブロガーさんと、ブログ村で袖振り合うご縁があった。
が、キレ過ぎて、わたしには毒だった。
読むのは研がれたキレキレの文章が好きだが、踏み込み過ぎると火傷する可能性がある。
なので、自分は昼行燈、暖簾に腕押しが、マイワールドとなっている。

前述の新人会員さんの書いておられた中で、
興味深い箇所があった。
その人は今、読書にハマっていて、中でも小説に夢中だそうだ。
どんどん影響を受けてインプットしているが、アウトプットできる才能は限られている、とのこと。
無から生み出すクリエイターはスゴイ、と。
これは、大変、納得した。
その例を世界的に有名な芸術家の言葉を引用して説明してあった。
教養がまたまた深い。
わたしは足元にも及ばないが(次元が違う)、別に競争しているわけでもないし、そんなことなどサラサラ考えていないにしても、
こちらが影響を受ける分にはどんどん目が覚める刺激あることを発信していただきたいものだ。

瞬く間に大勢の読者が現れることだろう。
ブックマークして次の投稿を探さなくても、多分、そのサイトでまた紹介されると想像する。



文章で遊ぶのは楽しい

2023-09-04 | ブログ
9月になってもまだまだ暑い。

読書、、、涙、涙に、本のページに涙がぽとり。
いつもいつも、わたしのむき出しのハートは感受性の塊になっている。
が、やっと一区切り。
と思いきや、第6巻まであるようで。
わあ、それは無理。
休憩しなくては、頭が持たない。
(安物の頭は、持ちが悪い)
インターネットで続きを購入しようかと思っていたが、しばし躊躇、再考。
ばばばばーっと一気に片付けるのが苦手なわたしは、あとまだまだ6巻まであるのかと考えただけで、へばった。
どう考えても熱烈読書好きではないと思われる。

カチンコチンの岩のように難しい文章を一つ一つ読み砕いて理解し、その結果、涙が流れていた。
私の頭に「ご苦労さん」の意味もあるのかも。
とは言え、関西弁でひらがなも混ざり、読みやすい文章である。
が、なにしろ時は明治。
天皇制に移ったばかりで、国の方針転換が急激過ぎて、やや、ぎくしゃくする感は否めない。
これ、司馬遼太郎の昔、TV放映されたVTRが先週、再放送された中で言っていたことの、パクリです。
が、ちょっと司馬遼太郎の発言の影響を無意識に受けたのかも知れないが、なんとなく彼の主張を実際のテキスト(明治の小説)で復習しているような感じ。
洗脳されやすい?
これは要注意だ。
しかし、デリケートな問題なので、安易に書くのは控える。

さて、と。
バス停での皆さん。
待ち時間に色々おしゃべりをされていた。
話題は病気一色。
ここが痛い、あそこが痛い。
あの薬は、どーだこーだ。
あの先生は、あーだこーだ。
微に入り細に入り、説明しておられた。
先生もこういう場所で評価を上げられたり下げられたりするのだ。
上げられることはまあない。
大概は悪口。
どこに行っても、そんなに良くならないということ。
先生や薬のせいだけでもないと思うが。
痛い痛い、と嘆きを口にすると、ちょっとは気が晴れる?
「わたしはもっと重症です」という話が聞ける?
暑い中、バス停でひとり無言で待つよりは、仲間を見つけて時間の有効活用。
悪い作用はないと思う。
わたしは一人スマホ入力だから、声をかけてくれるなオーラを放っているだろう。
ブログネタも拾えるし、悪くない。
こうやって好奇心をもって、人の話を聞き、文章にするのは脳の老化に役立つらしい。

別に何か効果を求めてやっているわけではないのだが、ブログという趣味を持っていて、楽しいし、大満足である。

どうなってるの?

2023-09-01 | ブログ
ブログの閲覧数がおかしい。
1カ月分の雨量が1日の数分で降った、ゲリラ豪雨、のようなかんじ。
gooさん、どうなってるんですかね?
どこの誰が何の意図で、こんなつまらない何の影響もない一ブログを標的にするのか全くわからない。
危険思想も特定される誹謗中傷も何にも入ってないし。
特別にいつもと変わった内容でもないし、何のうま味も特典もメリットもないのに。
1日経てばアクセス数は何ごともなかったかのように元通りになっていると思うけれど。
不愉快、一歩手前の「不可解」である。

人気ブロガーさん

2023-08-26 | ブログ
人気女性ブロガー、ちきりんさん。わたしはファンだ。
以前に、ちきりんさんのことをわたしのブログで書いたこともある。
アタマの良いシャープな人。無駄がない。
月間200万アクセスには、それだけの理由がある。
経歴、経験に裏打ちされた知的エッセンス。
時間を効率的に使い、無駄をしたくない人にはぜひ、オススメ。

凡人が回り道を何周も何十周もしている間、秀でている人は、短距離、短時間でポイントを掴む。
羨ましいかというと、そうでもない。
偶然が生み出す産物には、脳で計画し整理し考え出す内容と、また違う色合いのものがある。
道草をすると、なかなか目的地には辿りつかないが、道草こそ美味しいものが隠れ、宝物が詰まっている。
ちきりんさんなら、結果論の後付けでしょ、と一言で片付け一蹴されることだろう。

いいの、いいの。
人生に意味なんか無くても。
後付けの意味は、自分を納得させるためのおまじない。

もちろん、仕事、ビジネスはそういうわけにはいかない。
合理的で能率的でなければならない。
仕事においては、自己満足は仕事が終わって成果が出て評価の後から。
やっている最中も生き甲斐を感じているなら言うことはない。
「勉強が好き」という義務教育中の子供ぐらい、世の中にはあんまりいないかも知れない。
いたとすると、恵まれている。幸せだ。

大した功績も残さなかったわたしが、負け惜しみをして逃げるわけではないが、わたしはもう仕事から離れた。
リタイア人生。
なので、仕事を軸にした価値観は、自分にとっては卒業した。
(ああ、卒業できて幸せ)

とは言え、仕事以外の日常生活にも、老後の価値観や見方、ものさしは、ある。

「人は妬みの気持ちがあると匿名でなければ吐き出せない」と、ちきりんさんの名言として、とあるブログで紹介されていた。
マイナスの感情は、役職などがある現役の人なら公表できないだろう。
だがしかし、リタイアしたからと言えど、自分自身のプライドもあり、やはり名をあげては嫌だろう。
中には匿名でない実名の人が発信したとしても、この人、誰?と、誰もが知らない人だったら?
無名では発信しても影響力はない。

逆に無名人は気楽だ。
お行儀が悪くても、誰も見ていない。
ではあるが、悪質なコメントは犯罪である。
野放しの悪態、誹謗中傷も、書き逃げは社会に容認されない、許されないようになりつつある。
ネットで匿名だからといっても、良識、常識が必要だ。

さて、影響力のないわたしは、いつものびのび、無名、匿名を満喫している。
が、リアル社会で繋がっている面もあり、ハイブリッドカーのように、両方の良いとこどりを享受している。

と、こんなに長い、ちきりんさんの感想。
わたしのブログは、ちきりんさんの真逆で、伝えたいことを精査、整理しないで、ひたすら書きたいことを思いつくまま書き散らしている、無駄時間の権化である。

とは思いつつ、今、ちきりんさんのブログを読みに行くと、ああなんと面白いことか。
興味あることや、問題意識の喚起提案に、ぼーっと眠っている眠たい意識に水をかけるような記事が次から次へと。
そりゃあ人気なはずだわと、今更ながらの感想である。








忖度、苦手

2023-07-10 | ブログ
わたしは、いわゆる忖度(そんたく)というのが大の苦手で、いつもそれで評価を下げている。
感動したり好感を持っていたりしても、あまり本人には伝えない。
ましてや、自分のブログに賛同していただいていても、お礼の挨拶にも伺わない。
他のブロガーさんを見ると、たくさんのお付き合いをされている場合がある。
わたしは、一切しない。
心は大変痛むのだが、この忖度なしの無神経な行動には理由がある。

わたしはブログは長く続けていて、一種のライフワークとなっている。
その場その場で出会う方々もおられる。
その当時を思い出すと懐かしい。
が、1人のブログに長くお付き合いいただくことは、滅多にないと思う。
長く繋がりがあるのは、ご縁である。
ご縁は、大切にしたい。
かといって、無理やり、頑張るのは望まない。
何でも自然体が良いと考える。

求めるもの、求める時期が一致することがある。
それは偶然の賜物。
永久的なものではないと思う。
わたしもあまり期待していると、寂しい悲しい目に遭うだろうし、今までにもたくさん経験してきた。
相手にプレッシャーを与えてはいけない。
一歩引くスタンス。
ではあるが、わたしのこころの宝物になっている。
ブログで繋がるご縁は、大切に大事にしたい。


大量に、ぐちぐち

2023-07-08 | ブログ
わたしのブログの存在をリアル人は知っているのに、それでもブログを「書く」ということはどういうことか。
お天気の話や時事ネタ、スポーツ、推し活を書いても、書く方は面白くない。
読む方はもっと面白くない。

まだブログを始めていなかった頃、母に連れられ参加したテーブルマナー講習会で、初めて顔を合わせた女性のブログを知った。
年齢はわたしより10歳弱ぐらい歳下?
その人はやがてわたしのブログにも訪れ、やりとりをしたことがある。
わたしの憧れの暮らしをされていた。
華美なものに囲まれ、日々、高級素材を駆使したグルメな食卓、ティータイム、、、マリーアントワネット的なゴージャスライフ。
でも、読むのをやめた。
おそらく、さらっと読む分には楽しいが、深く読むと、自分の信条との違いが浮き彫りにされ、心地よくなくなるからだろう。
なんでも、表面的に、さらっと、が無難。
決して否定するのではなく、目の保養になる上澄液だけを養分にいただくとよいのではないだろうか。

自分と他人との違いを見つけて、刺激材料にするのもよし、自分の道を再確認し、肯定するのもよし。
あまり深く入り込むと必ず嫌な面や受け入れられないところが見えてくる。
長所短所、どちらも含めて人は形成されている。
追求するのは、ほどほどがよい。
これは、他人に対してだけでなく、自分に対してでもある。
腹八分目。足るを知る。

ブログに話を戻す。
ものすごく近い関係の超・身内(わたしと同じ学年)がいて、ブログを書いていた。
わたしのパソコンやインターネット関係はすべて彼女の手解きから始まっている。
お互いのブログの存在は知っている。
具体的には、蝶ブログを彼女は知っているが(ふとしたことで、わかったそうだ)、わたしは彼女のブログ名を知らなかった。
あえて知ろうとはしなかった。
彼女は日々、あったことを書き連ねているので、それを知ることはお互い、色々まずいから。
彼女はわたしの母と同居していたこともあり、わたしは実家の生活にはあまり首を突っ込みたくなかった。

その後の話はあるのだが、まだ書く気持ちにはならない。
わたしの中で、完全に消化できたことなら書くが。
一生、書かないことは、山のようにある。
捏造や嘘は決して書かないが(勘違いや覚え間違いはあるかも)、書かないことも結構ある。
こころの奥にしまって鍵をかけていることは表には出てこない。
時効が来たら出るのかも知れないが、それはわからない。

話はまたまた逸れる。
趣味分野のお遊びのことは、どんどんブログに書いて発散している。
わたしの趣味はブログでもあるし。
小説を書くという手もあるのだが、虚実とり混ぜるのが、なんだか作り物には気が乗らない。
ドキュメンタリーが好きな所以だろう。
小説を読むより、ウィキペディアで事実を調べていって、自分の頭の中で、当時(歴史上)の事実ストーリーをつなげていくが面白い。
史実上の人物を扱う小説は作者のフィルターがかかっているので、その色に影響されたくないなら、何人も別の作者の手による人物小説を読むのが良いかも。
あちこち情報を調べて、それを元に自分が組み立てるため、自分のフィルターがかかる。
意外に楽しい。
ChatGPTは、要らないかも?
いや、もっと充実するかも?

自分で調べて組み立てるところに妙味がある。
とかなんとか、今、有吉佐和子の古い作品を読んでいる。
昔の仮名遣いが難解。
それを見た次女が言っていた。
昔の単行本が嫌いな理由は、字が小さいこと、なんだそうだ。
あんなに若い次女でさえ字が小さく感じるなら、わたしはどうなのか。
わたしは逆老眼で、メガネを外すと小さい字もオッケーなのだ。
近距離以外は、ぼけぼけぼんやりであまり見えないが。
なので、パソコンよりスマホのほうが、見えやすい。

ちなみに、わたしのことをスマホ狂のように言う人(Aさん)がいるが、無視している。
話はまたまた変わるが、
その人こそ、わたしからすると、すごく恥ずかしい。
先日、コンビニでおにぎりを買った時、その人はスマホで払おうとした。
なんと言ってスマホを出したか?
「おサイフケイタイで」

これには店員さんが、は?という顔。
「おサイフケイタイ?」
と復唱されていた。
わたしは、ひっくり返りそうになった。
それじゃわからない。
電車の改札口をお金しか入れてないサイフをタッチして入ろうとするようなもの。
かざすバーコードなりQRコードなりを画面に出して準備しなければならない。
後ろにも人は並んでいる。

政府広告である、コンビニレジ前の高齢女性が支払いに戸惑っていると、後ろのコワ面の兄ちゃんが「大丈夫だよー」と、優しく待ってくれる、あれ。
人は見かけによらないし、そんなにビクビクオドオドしなくてもいいんだよ、
という、あれ。
あのラップ仕立ての広告が頭をよぎった。
が、、、
Aさんは日頃からわたしに「スマホばかりいじっている」と非難めいたことを言う割に、その一方で、自分もスマホでチャレンジしてみようという気はあるようだ。
が、気持ちはあっても、あまりにも人任せ。
前もLINEがうまく繋がらず、待ち合わせリアルタイム連絡が取れないで困った時があった。
そのLINE復旧の時の提案が、なんと、携帯電話会社の店舗に出向いて、やってもらおう、というものだった。
わたしは、これにも、のけ反った。
違うでしょう?
解決方法、そんな携帯電話会社じゃないでしょう?
まずは原因や対策を、googleなどで検索してからでしょう?
あまりにも丸投げしようとする姿勢に驚いた。
わたしが調べている間も、まったく自分の携帯に触れようともしない。
まだあ?と、何もせず問うてくる。待ちの構え。
しかも、原因はAさん側にあったにもかかわらず、まるでわたしが犯人かのような悪びれない態度。
あれには参った、懲りた。
そういう意識なので、コンビニレジでも平気で「おサイフ携帯で」などと言ってのける。
その次の、d払いやPayPay、楽天ペイなどの画面を全く用意していない、その神経たるや、強者である。
前に支払えた店もあったから、とご本人の弁。
ではあるが、、、せめて、かざす画面は用意していただきたい。

不慣れなことも少しずつチャレンジするのは結構な試みである。
子供に設定してもらったくせに自慢するよりは、ずっとマシ。
だが、、、元々どんくさく、同じぐらいわたしも不慣れで不得意なのに、それでも頑張って使いたい箇所は使いたいと努力しているのに、人に丸投げするのはやめてほしい。
しかも、わたしを、一日中スマホをいじってゲーム狂でもあるかのごとく言うのはどうかと。(ゲームは嫌い)

やはり頭の柔軟性や回転の良さは年齢にもよるが、生まれつきのものもある。
わたしは、家族の中ではとんでもないダントツ劣等生であるが、一歩外に出ると、わたしがイライラする場面にも遭遇する。
もちろん、イライラされる場面はかなりある。
人には優しくしないといけない。 
へんに丸投げのくせに(自分でできないくせに)、マウント取りたがる(優越感に浸りたがる)人がいるが、疲れる。
家族メンバーは厳しいが、マウントを取りたがるキャラクターは一人もいない。
童話「幸せの青い鳥」の青い鳥は家にいるパターンのようだ。


ブログの存在を身内は知っているか?

2023-07-07 | ブログ
ブログの存在を家族は知っているかどうか。

イエス。
友人、知人も知っている。
リアル人、いっぱい。
でも皆さん、わたしのブログに毒が詰まり過ぎて、ふいに無意識に地雷を踏む恐れがあるのを察知している。
なので、興味本位で自らが傷つくのは避ける。
怖いもの見たさ、は、ないようだ。
興味があればまだよいが、100%の確率でうんざりして撤退していく。
何よりも文章が長すぎて読む気が失せる。

そういう事例をいくつも知っているので、のびのびとブログが書ける。
ふと読もうものなら、突然、食中毒するのはよくわかっている。
後味が悪い。

関係者以外の、利害関係が全くない人は平気。
少しでも知っている人は、良い気がしないはず。
深読みしたりして、それ、どういうこと?と気分を害するはず。
だから、絶対に読まないだろうと確信して書いている。 
その代わり、褒めたり感謝したりプラスの気持ちも書いているが、当然ながら伝わらない。

ブログだけでなく、最近は夫も、
「今から話すこと、聞きたい?」とわたしがワンクッション置いて尋ねると、
「聞きたくない」と答える。
不穏な空気を読んだか。
その後、話す、話さないは、わたしの気分次第だが。

知らないことは、知らないままのほうが穏やかに暮らせる。
たとえ、楽しいことを聞き逃したとしても、嫌なことを知るダメージのほうが大きい。
守りのスタンスだ。


いじめられないようにする対策

2023-07-05 | ブログ
ブログ村エッセイにランクインされていた、とあるブログを初めて読んだ。
内容は「いじめられないようにする対策」。
そのブロガーさんは、過去にいじめられていて、いじめられやすい特徴を持っていた。
で、いじめられないようにするには、、、
その対策は、実はわたしにとっては目からウロコなのだが。

金持ちのフリをすること。
金持ちの雰囲気を醸し出すこと。
実際には高級品を身に纏ったり、自宅に高級な調度品を飾ったり。

とても斬新だった。
わたしは、今までそんなことを考えたこともなかったからだ。
ちなみに、わたしもいじめられやすい。
かなり高い確率でいじめられる。
だが、いじめてくる相手は傾向が偏っている。
お金持ち云々ではない。
逆にお金持ちや頭の良い人からは、割と好かれるほうかも知れない。
いじめられた経験は幼稚園の時と、小学生の時。
なので、ざっと60年ぐらい前。
時代が変わり過ぎて、何の参考にもならない。
むしろ、わたしがいじめられていると感じていた相手は、幼稚園の偉い上のポジションの先生だったり、学校の先生だったり。
(故エリザベス女王のようなオーラを持つ威厳あるタイプの先生だった)
生徒のナイーブな気持ちを察してもっと配慮してほしい、と当時、子供なりに傷ついていた。
これは今で言うとパワハラになるのか。
幼稚園児相手に、ちょっと笑える。

いじめられない対策として「貧乏な人を避ける」。
ブログではそうも書いてあった。
しかし、貧乏な人よりも怖いのは、こころが貧しい人。
これは、わたしはしっかり避けた。
接点を持ちたくない。
一緒にいて全く楽しくなくマイナスしかない。
なんの得るものもメリットもなく、自分が引き下ろされるような人とは交友関係を持たない。
だが、憧れの人とお付き合いするのも疲れる。
背伸びをしなければならないから。
等身大で、向上心がある、自然体の素朴な人が好き。
このスタンスで生きてきたら、ひねくれた人と接する機会がなかった。
嫌いな人はどんどん消えていくため、こちらからアクションを起こさなくてもよいので、省エネで楽だ。

いじめる人は、自分が優位に立ちたい快感を得たいから、いじめるのだろう。
わたしは、にゅるにゅるウナギみたいに捉えどころがないので、ああ言えばこう言う、で、グサリとトドメを刺せない。ゾンビ的にしぶとい。
ネチネチじめじめ陰湿にいじめてくる手もあるが、わたしは逃げる。
それと、相手が自滅する場合があるので、それを待つ。
持久戦。
少し時間はかかるが、AIのように学習する。
なので、同じミスや失敗例を参照にして行動を選ぶようになる。

良くも悪くも自分はどんな器か、1番自分がよく知っている。
それ以上でも以下でもない。
が、今は出来なくても、ささいな目標はある。

冒頭のブロガーさんがブログで書いておられたことは、一部、うなずける。
そのブロガーさんは自分を守るための手段だったようだが、
自分が好きなことをしていると、その雰囲気は自然と自らから漂う。
雰囲気を出したいためにするのではなく、したくてやっていると、結果的にそのイメージが外側にも溢れてくる。
人にそう思われたいから、そう見えたいからではなく、自分がそうしたいから、という、軸は自分。
人に中身を想像されたくないために、わざと殻をかぶり自分を隠す場合もある。

意外に全然中身が外に現れないことはある。
全く中身と別の外側になることもある。
それはそれで、法則に反する実例として、イレギュラーで面白い。


色んな人がいて、自分なら絶対しない行動を好んでしている人もいる。
自分が書いた回答の答え合わせをしているようで刺激になる。
人は人。それぞれプライドや尊厳がある。
ただし、自分の領域を侵して来られると争いになる。
そこは話し合い、調整が必要だが、世界中でトラブルが巻き起こっている。


真面目な人が真面目にやると超絶、面白い

2023-06-23 | ブログ
わたしが(勝手に)師と仰ぐ、FIREブロガーさん。
坐禅の修行に行かれた。
その報告記事がめちゃくちゃ面白い。
ブハッ、ワッハッハと、声をあげて笑っている。
自宅で読んでいて良かった。
自宅以外なら、よくいる変な独り言シニア。
一人笑い。

坐禅中には、雑念をもってはいけない。
例えば、ウグイスの鳴き声が聞こえても、「ウグイスの鳴き声がする」だけしか思ってはいけない。
今日は2羽かな、だとか、声の大きい小さい、だとか、もうそんな季節か、だとか、音楽のようだ、とか、子供の頃を思い出すなあ、だとか、そんなことは一切思ってはいけない。
最初の客観的状況の認知のみ。
早く終わらないかな、とか、晩御飯は何かな、などとは、もってのほか。
隣の人の鼻の鳴る音が気になってしかたなかった、と、FIREブロガーさん。
初日だから、仕方ない。

いーち、にー、と、無心で数を数えるのだそうだ。

わたしなら間違いなく寝落ちしている。
目をつぶったまま寝ている。
はっと起きたり、また寝たり。
自分ではコントロールできない。
ではあるが、はい、終了です、の合図には反応することだろう。(そうありたい)
終わりなのにいつまでま座っている場合は、足が痺れて動けないか、熟睡しているか。
ひょっとして、熟睡している可能性はある。
わたしのことだ。
なんでもあり得る。

このFIREブロガーさん、お笑い系作家になれる。
真面目に書いているのか、狙っているのか、絶妙なユーモアセンスは、抱腹絶倒。
超真面目な人の超真面目ぶりは、笑いに通じる。
不真面目な、おちゃらけな人より、ずっとずっと面白い。
前職は、すごく真面目で難しいお仕事をされていた。

まだ50代とお若いため、頭が柔軟。
目の前に繰り広げられるおかしな様子も、一生懸命考えを巡らせて、ああでもない、こうでもないと仮説を立てて理解しようとする。
勉強や特殊な分野は得意でも、肉体労務作業(掃除や草刈り)はやった経験がなく自信がなくても、「効率や結果を求められているのではなく、自分が精一杯頑張る、取り組むことに意義があります」と説明されると、俄然やる気が出るあたり、なかなか前向きな明るい人だ。
今更そんなことが出来るか!というのではなく、謙虚な姿勢は気持ちが良い。

なにしろ瑞々しくて年齢性別を超えて、面白い。
いくつになっても未知のことへ挑戦したり、深掘りしたりするのは、新鮮で、発見がある。
明日も坐禅道場の報告記事を楽しみにしている。