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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

街のダニもどき

2019-09-01 | 趣味
趣味SNSにアップしようと思い、昨夜、書いたが、あちらはやめて、蝶ブログにした。
人格を疑われそうなので、保身のため。
あちらでは、お澄ましして、猫かぶりしている。
蝶ブログは、人格も性格も品格も疑われてもよい。

・・・・・

今日のダンス・パーティ。
私は、自分磨きとは程遠いことばかりに目が行く。
下世話なんですね、ほんと。嫌になる。
自分の品性を貶めたくないのだが、まあ、たかが知れている、私の品性など。
で、またまたしょうもないことを書く。

前置きばかりが長いのが、いささかもったいをつけ、内容のくだらなさを粉飾しようとしている?

いつも行く場末パーティ。
見慣れぬペアが参加していた。
キラリ。
ひときわ目立っていた。
男性は、長身、バリバリにキメた、スタイリッシュなイケメン。
他にも上位?競技選手ペアも数組参加していた。

じつは、私はそのペアを別の場所で2回見たことがある。
1回目は、○○○ホールの練習場、2回目は△△△ホール。
私も同じ場所で練習していて、ちょっと挨拶したような気がしたが、彼の目には全く入らず、一べつもされることなく、まるで居ないかのように完璧スルーされた。
目が悪いのか、はたまた無視か。
どっちにしても、すこぶる悪い印象を受けた。
そもそも大嫌いなタイプだった。
私の人生には、ありとあらゆる意味で(良い意味でも悪い意味でも)カスリもしない人種だった。

パートナーさんは、クラブのママみたいな、独特の雰囲気の人だった。
決して美人ではないが、美人オーラを放っていた。
あんなスタイリッシュ、かつ、イケメンで、ダンスが上手だと女性はほっておかないと思う。
かつてのタイガーウッズじゃないけれど、女性管理が大変だろうなあと。
美人ではない分だけ、かなりの手腕と努力をされているのだろうと想像した。
忍耐と操縦。
どっちみち、私には縁がないから関係ないけれど。
いろんな思いが、湧いてきた。

ダンスが得意な大学教授、という路線ではなさそうだ。
見かけ部門が際立つタイプのようだ。
天は二物は与えても、三物は与えないと見た。
一つだけでも素晴らしいから、贅沢は言うまい。

・・・・・

ここからは、調子に乗って、今、加筆。

ただ、俺様ってカッコイイだろ!臭がキツすぎて、わたしは後ずさり。
(無視されたくせに、後ずさりもなかろうが)
少しでもそういう臭いがすると、途端にマイナス評価。引く。
ご自分のことをイケメン、美人と公言している人がいると、せっかくのプラス部分が、瞬時、マイナスに転じる。
「わたくし、人格者なんでございますの、崇高で気高いんですよ」なんて自分で、しゃーしゃーと言っているようなもの。

技術的には素晴らしいペアなんだけど、大キライなタイプ。
なぜなんだろう?
理屈抜きで、キライやわあ。
やはり、あの、ドヤ顔がどうしても、寒イボ、拒絶反応、体質的にわたしは受け入れられない。

しかし、なんであんな場末パーティに顔を出すのか。
意味不明である。
どこのパーティに参加しようが自由である。が、、、

美しい仲良しアベック(死語)に因縁をつける、街の不良、ダニのような内容になってしまった。
相手にされない、足元にも及ばない悔しさから、「お前のカーチャン、デベソ」と言っているようなもの。
これではやはり、趣味SNSにはアップできない。
毒づいて、スッキリしたものの、蝶、スローの評価はウナギ下がり。
どんまい。

古傷が前触れもなく突然チクリと

2019-08-02 | 趣味
かつての社交ダンスのペア相手から受けた、パワハラとモラハラの記憶が蘇ってきた。
ご本人には自覚はゼロ。
それだけに、身を切るように痛く苦しかった。
たかが社交ダンス。
お遊びなのに、こんな心身ともに傷めつけられるなんて、思いもしなかった。

同じ内容を別の相手に言われても、全く何とも思わない。
何故なんだろう?
元ペア相手が大嫌いだからだろうか。
何故、そんなにまで嫌っていたか?

今の練習相手も同じ改善ポイントを指摘してくる。内容は同じ。
が、全然、嫌じゃない。事実として受け止めて改善に向けて努力している。

では、なぜ?
モラハラ元ペア男性、最初の頃のあの出来事、次の出来事、さらなる出来事、次々重なっていく出来事で、私は金縛りにあったように抵抗出来なくなり、苦痛だけが増していた。
心身が悲鳴をあげ、ついには踊りを継続できなくなり、わたしは破綻宣告をして一気に逃げ去り、やっと解放された。

今でもふとしたことで、あの痛みを思い出す。過去の古傷。
わたしのブログにも一時期、かなり登場している。
たんに相性だけの問題ではないような気がしている。
見かけや、日常生活はどうもない正常に思えるが、一皮剥けば、別の顔がある。
その顔は滅多に出ることはないが、出始めると、みるみるうちに、どんどん露呈される。
彼は、一流企業での業務を勤めあげ、マイホームも持ち、妻や子供、孫たちにも恵まれた、健全で幸せな一市民である。
その一見とのギャップに、わたしの見間違いか、勘繰りか勘違いなのかも知れないと思うこともよくある。
表面の数ミリ薄皮を剥いたその下には、優しさは微塵もなく、攻撃性を隠し持っていた。
わたしは、自分が悪い、自分のせい、と自分に苦痛の根元があるのかも知れないと思ったりする。
自分が至らない変わった人物で、狭量のせいで、必要以上に人を責めているとも考えられる。
ずっとそう自分に対しても、刃の先が向いていた。
だからよけいに痛みが深刻だったように思う。
しかし、おなじ趣味SNSの(リアルにはお付き合いのない)知人、Aさんが、ある日突然、それまで話題にも出ていなかったそのモラハラ元ペア相手の名前をいきなり出して非難をほのめかした。
(わたしと、Aさんだけの閉ざされた会話の中で。しかも、わたしが彼のリアルを知っているばかりでなく、元ペア相手だということは知る由もなく)
やはり、わたしの元、ダンスペア男性は、少し癖がある人なんだとわかった時、どれだけわたしは救われたか。
わたしから話題を振ったわけでもないのに、ほとんどアカの他人である人から突然名指しで(元ペア相手が)悪く言われるには、それなりの過去の経緯があると思われる。

ああまた眠くなってきた。
負の感情を時々吐き出すと、脳が気持ち良くなって、安らかに眠ってしまうようだ。
朝の一眠り、スマホを打ちながらの、うたた寝、終了。
おしまいっ。

蛇足ですが。
趣味のSNSにアップするつもりで、途中まで書いていたが、これはアップ出来ないと感じ(彼が毎日、読みに来るから)、後半からは、ここ蝶ブログにアップするつもりで書いた。
どこにアップするかで、内容の露出度が変わる。
変なようで、わたしにとっては変でない。
自動出力装置付き。
カメラで言えば、自動絞り機能付き。

さあ、またまた出かける準備時間が来た。
とりあえずは、このあたりで、蛇足は、おしまいっ。

筆が招いた禍

2019-06-14 | 趣味
わたしは、針の穴ほどの小さな些細なことを何十倍、何百倍にも大げさに書く、たいへん悪い癖がある。
抽象的なことや、概念的なことなら、A4何千ページ書き連ねても別に問題はないが、それを映像や写真、色で表すと、一瞬。
その色、物質だけ。
それを見た人が、赤に見えようが、一杯小石を並べたものを遠くから見たモノに見えようが、見た感想は千差万別。
事実は一つ、解説、感想は無限。

そういうわけで、やたら我流解説を暇に任せて、ちんたらこんたら趣味のSNSで書いている。
対象が、物(モノ)、物体なら事実は限定されるが、事(コト)、動作なので、書いても書いてもなんだって、湧き出てくる。

で、やっかいなのが、、、
数式を旋律(たとえば、ハーモニカで音階をつなげたような)で表現したような、わたしの、我流見解。
たんなる感想というものなのだが、それを、数式で証明しろ、と言ってくる、厄介な人がいる。しかも複数。

数式も公式も知らないし、数学自体も、せいぜい、足し算と引き算、掛け算、割り算ぐらいしか知らないのに、「高等数学レベルにも達していないあなたに、失望した」、と言われましても、、、

ちなみに、いつもわたしは、ちまちまスマホ入力なのだが、ちまちまも四年目になると慣れてくる。
だが、昨日、ニュースで、スマホ連続使用で目の病気を発症する症例が増えているというのを知って、少し、ひやりとしている。

スマホはいつでもどこでも便利なので、ほぼ中毒なのだが、、、
それはそれとして、長々と「あなたに失望しました」メールをいただき、返信しようと思ったが、、、あんなに長文、お返しも同等に長文をスマホでやったら斜視になりそうだ。
ホコリをかぶったパソコンを三年ぶりに立ち上げる? めんどう。

とりあえず、あちらSNS、いただいたメールや、皆さんからのコメントをちょっとお預かりしておく。
返信、お時間いただきたい。(といってもいつも最長でも一両日中)
これだからSNSは、めんどうだ。反応があるのは嬉しいが、一方通行ではないため、時間制約とかがある。
この制約、あくまで自分で勝手に感じて、勝手に縛られているのだが。

そもそも、独り言でコッソリ書いていたものを引っ張りあげてくださった方がいて、、、調子に乗って表に出したら、あれやこれやの皆さんの反応。
自分1人の中でのつぶやき、自問自答だとカンタンだけど、人さまの答えに反応しなければいけないのは、結構、疲れる。
悩みの相談の聞き役みたいなかんじか。
「答えはあなたの中にあります」と一律、同じ答えにしようかしらん。

まあ、それは良いとして、失望メールの返信、即返答するのではなく、しばらく醸造させようかと。
でも、無視されたと思われてもいけないから、ちょっとだけ書くつもり。
一言でズバッと的を得たことは書けないので、だらだら長文には、パソコン立ち上げたほうがいいのかなあ、と少し悩み中である。

わたしを買い被り、失望させたのは、わたしの、誇張癖のせいでもあるので、自業自得でもある。
でも、ぶっちゃけ、じつは、わたしはその趣味分野を数学とは捉えず、感性の表現だと思っている。
だから、基礎だけは学んでも、さらに、しちめんどくさい、難しい込み入ったことには全く興味はない。重きを置いていない。
知識はコンピュータ任せ。自分で覚える気がない。

なぜなら、基本の後は各自、自由だと捉えている。
国際バレエコンクールに出るなら、自由ではなく、幾重もの重厚な積み重ねや練習が必要だろうが、別にそこらへんの体育館や公民館で音楽に乗って踊る分には、なんでもいい、と考えている。
(バレエじゃないし)
そもそも、押し付けや、がんじがらめは嫌い。人には人の世界がいるんだから、いちいち、「あなたの世界、レベルが低くて失望しました」なんて知らせに来ていただかなくても、よろしかったのに。

わたしの筆が招いた禍かと、わたしは思っている。
筆は生きているのだ。

努力しない自分を自己肯定してはいけない、と押し付けられても、、、眠いだけ

2019-06-13 | 趣味
自己肯定ばかりしてきている。
自己否定しようと思えば、一瞬で出来る。
自己否定しても楽しくないから、いつも自己肯定している。

そうやって、せっかく、まったり楽しんでいるのに、横から、斜めから、ヤイヤイとうるさく言ってくる人たちがいる。
ノイズ。

彼らは、ある分野において優秀である。
ただ、たんにそれだけなのに、その分野で、まあなんと、上から目線の雨をざあざあ降らせる。
わたしは、もともと、そもそも自分は優秀だと思っていないので、「優秀ではない」と言われたら言われるだけ、ズブズブと地面に、めり込んで行く。
その通りです。優秀ではありません。

貴方たちが優秀なのはよくわかったから、なにも、優秀でないわたしを叩きのめさなくてもいいではありませんか。

気に入らないのだろう。
優秀ではない、なのに努力しようともせず、しかも恥じ入ることもなく、堂々と自己肯定されたら。
とても認められないのだろう。

あなた、それ、恥ずかしがらないといけませんよ。ああ、恥ずかしい。
おおっぴらに、恥を公開してどうするんですか?
無知って1番恥ずべきことです。
え?
無知じゃない?
わかって言ってる?
ありえない。この恥知らず!

そう言われているような気になる。
恥知らずじゃないなら、じっと息を殺してなさい、みっともない!
そんなかんじだろうか?

努力しない自分を肯定など、とんでもない、ようだ。
ダメな自分を肯定など、ありえないようだ。
ありえないなら、ありえないで、こころの中で思って軽蔑してくれたらよい。
なのに、わざわざノコノコ呼びもしないのに、
「努力もせずに低い評価でも構わないとか言って、楽して甘い評価を得ようったって、無理ですよ」と、耳もとで囁くかのごとくは、どうかと。
努力せず、結果は良くない。それは自己肯定すべきでない、と。

わたしは、「評価が低い」という悪い結果も受け入れている。
だが、受け入れ方が曖昧で気に入らないようだ。
「あなたの能力、実力は、これこれぐらいですよ(ぜんぜんダメレベル)」と知らしめようとする。
わかってるって。わかってます。
でも、わかってないように思われ、「自己否定してもいい程度の低いレベルだから、自己肯定は、おかしいのでは?」というニュアンスが、彼らの無意識なところから発信されている。

むこうから寄ってきて、否定しようとする。
キツイ言葉ではなく、冷静な言葉で。
努力しない低いレベルのものは、評価も低い。
努力して高水準になったものは、価値が高い。
そういう当たり前の価値基準を乱すようなことはしてはいけないようだ。
努力しているが低いレベルは、許せるような気配だ。むしろ、応援。
努力が、評価のポイントのようだ。
努力しないかわり、評価が低くてもいい、ってのは、なんでダメなんだろう。
努力していれば、低い評価でも自己肯定してよくて、
努力していなければ、低い評価は、自己肯定してはいけない?

ほんの少しでも自己肯定しようものなら、やんややんやと、そんな大したレベルじゃない、己を知れ、とノイズ、ノイズ、ノイズ。

あ、あ。眠くなってきた。

ざわつくノイズは、何?

2019-06-05 | 趣味
趣味関連SNSに、日記を書いたが、二つ続けてお蔵入り。
お蔵入りが、続くのは何故か?
暗い内容だからだ。

明るい時ばかりではなく、静かに落ち込む時もある。
落ち込む気持ちは何処から来ていて、どうすれば対処できるのか、自問自答している。
誰にでも感情の起伏はあるが、わたしはいたって少ないほうだ。
そんなわたしが、落ち込む理由は見当たらない。

身体が老化するように、こころも老化しているのだろうか。
やる気、チャレンジ精神、向上心、バイタリティみたいなものが、しなしなと萎えている。
今日が悪くなければいいじゃないか、と。
今日をぜひ、さらに良くしようと頑張らない。
現状維持なら御の字。
または、少しずつ気付かない程度のスローダウンを受け入れる。
それで、脚光を浴び、頑張っている人を見ると、こころが落ち着かずザワザワするのだろうか。
応援側に回るなら良いが、応援するまでまだ自分の立ち位置をすっきり潔く決め切っていない。
まだ、自分もやれるかも知れない、と自分に未練がある。
それは未練であって、実践へのエネルギーには少し足りない。

もう少し待って、チャージできたら、自分も頑張れるかも知れない。
あるいは、チャージできないことがわかり、ポイントが貯まらないままに期限切れになる日を目前に、ポイントを使い切れずに失効していくことを受け入れる。
満杯にまで貯められない、でもポイントは集めている、だけど使えないで失効。
その過程をしみじみ感じながら。
ジタバタあがきながら。

いっそ、ポイントを貯めなければいいのに、少しは貯まる。
そのチャージ分が、自分にはノイズに変化して自分を煩(わずら)わせる。

さて、ではどうすればいい?
無理せず、自然に任せて、手放さなければならないものは、諦める。
そういう諦観の心境に達するまで待つかなあ。
ひょっとして神様のイタズラで、ポイント5倍デーが何回も重なって、思いがけずポイントをゲットできるかも知れない。
失効寸前にスレスレの量までポイントが貯まるかも知れない。

ポイントをゴール目指して諦めずに貯めることに意義がある。
早々と諦めてしまうことが、今のわたしには落ち込みにつながる。
目標に達することを目指して頑張ろうとしても、現状から推測すると無理っぽい感じなので、元気でモリモリ頑張っている人を見ると、こころが、ざわつく。
やる気より、諦めが先に来るが、でも諦めきれない、中途半端な心理状態。

しかし。
朝になると気分が変わる。
日が進むと考えも変わる。
明けない夜はない。
唐突だけど、もうちょっと頑張ってみようかな。

ノイズが、うるさい

2019-06-03 | 趣味
趣味関係SNS。
皆さん、大パーティのデモだの、オフ会だの、遠征だの、華々しく楽しまれている様子。
そのアップされた内容を見れば見るほど、なんだか、どんどん落ち込んでいく。

そんなに派手な活躍が気になるということは、深層心理として、羨ましいのか?
羨ましいわけではない、と自分では思っているのだけれど。
良い気持ち、愉快な気分、晴れやかな心情になるかと言えば、ただただ、なにやら雲が張って雨でも降って来そうな、、、。

わたしがこころに引っかかる(悪い意味で)皆さんのように頑張って、やろうと思えば、似たようなことは出来なくもないと思う。
でも、憧れているわけでも、嫉妬しているわけでも、羨ましいわけでもなく、、、
うるさい。
こころが、ざわつく。
ノイズのもと、消えてほしい。
なら、見なければよいではないか。
わざわざ出向いて見に行く、自分から呼ばれもしないのに、ノコノコと。
怖いもの見たさか。
無視すれば、こころは平坦になれる。
気になるということは、興味本位だけでもない、なんらかの心理状態なのだろう。

そもそも自分とはキャラクターや嗜好が違う。
同じものを目指さない。
だが、では目指したら、同じように出来るかといえば、怪しい。
劣化したクローンより、更に劣化した、まがい物のようなかんじだろう。
能力が及ばないことを先にいち早く察知して、負けるレースには出ないスタンスを無意識に選んだように思う。

能力だけでもない。
気力が及ばない。やる気がない。
エネルギー、モチベーション不足だ。
ハングリー精神ゼロなところに持って来て、承認欲求がない。
そんなんじゃあ、なんの行動も起こせない。
元気な人々を見て、妬ましく思っているだけかなあ、と。

昨夜、NHKスペシャルで、安楽死が取り上げられていた。
尊厳死。
もうこれ以上の上達や発展は望めない、あとは下降するばかりの「趣味」分野=ダンスにおける、一種の安楽死を選んだかのような、わたしである。
自分に最低限ある尊厳を大切にするあまり、元気な(まだわずかに、ほんのすこしだけ残っていると思われる)活力をその交換として差し出している。
現状維持を望み、今後、起こりうる最悪のシナリオを自分で書いている。

最悪の嘆きを受け止めるよりは、最小の諦めで身を守る。
チャレンジしない。トライしない。
身を引いて、自分のプライドを守る。
そもそも、プライド自体がお笑いぐさだけど。

スマホでイジイジ、、、部屋に閉じこもり、丸い背中で、暗い後ろ向きなこころ。
ただし、華々しい人々を逆恨みとかは、絶対にしない。
ただ、目障りなノイズとして現れる。
やっぱり、元気な人々への「やっかみ」かなあ。

眠くなって来た。目は半分以上閉じられている。
キーを打つ手が震える。
スマホを落としそうだ。
おやすみなさい。

現実主義では、お稽古事には向いていない

2019-06-02 | 趣味
わたしは今、趣味のダンスの個人レッスンを受けている。
レッスンを受けるだけで満足なのだ。
が、そうは行かないらしい。
やれ、教室主催のミニパーティだの、記念謝恩パーティだの、パーティ券を買わされる。
わたしは、生徒といっても教室主宰者に雇われている若先生に習っている。
しかも、彼はただいま、売り出し中で、競技会でうなぎ登りに成績は出しているものの、まだトップ級ではない。
弾ける前夜に、お得な期間限定キャンペーン価格中である。
青田買いしました。わたし。
で、先生がメジャーになったら、レッスン料金もメジャーになることだろう。
今を逃す手はない。

もし、良いとなれば、キャンペーンが終了しても、引き続き教えてもらうつもりだ。
が、先生を応援したいが、教室に貢献する気がない。
どう考えても、あのパーティ会場で、あの値段は高い。
超一流ホテルでも、かなりお安くしている先生を知っているだけに。
独立一周年記念だから、その先生は持ち出しで気合いを入れているのかも知れないが。
なにしろお安いので、あっという間にパーティ券は売れたようだ。

それに比べると、わたしがかつて毎週通っていた練習場のあるパーティ会場で、あの値段は受け入れられない。
学生アテンダントが多数スタンバイしているようだが、わたしは興味なし。
自分がデモするわけでもなし。
つまり、そのパーティに行くメリットは何もない。
強いて言えば、教えてもらっている先生のノルマがあるだろうから協力してあげる?
だが、協力しない。
それなら、そっと、こっそり教室に内緒で先生に「寸志」をお渡ししたい。
教室運営には、なぜか協力したくない。
やはり、あの会場で、あの値段という、大胆不敵な、儲け主義、見え見え設定に腰が引けている。
やだやだ。
せめてホテルならわかるが、、、
あの会場にするなら、それに応じた金額というものがある。
以上の理由で、夏のパーティは、なんらかの理由をつけて参加しない。

ちらと参加シュミレーションもしたが、やはりあまりにもリーズナブルではないものには、拒絶反応しか起きない。

金額も大事だ。
あの商売方針なら、生徒はよほどでもないと定着しない。
値段札がかかっていない、時価の高いお鮨屋さんのごとく。
値段をまったく気にしない固定客のみ。

わたしは値段と内容を見比べる。
良いものが高いのは理解、納得できるが、「安い仕入れ」で、「やたら高い売値」は理解できない。
ということで、わたしには、不向きであるので、良いとこどりをさせていただく。
もし、先生が親先生夫妻からのノルマに苦しむとしても、わたしは非情。
直接、彼にお金を手渡すことはしても、教室運営には手を貸さない。
でも、わたしみたいな生徒ばかりだと、教室は経営不振に陥り、わたしの先生を雇えなくなるかも知れない。
先生がクビになっても、わたしは個人レッスンは続けても、彼をお抱えで面倒は見れない。
何人かでシェアしたり、チャーターさんの道を歩むのだろうか、かわいそうに、、、。
わたしが先生の母親なら、そうとう嘆く。
そもそもダンス教師になるなんて。
しかし、子供の夢を後押しするのが、親の務めなのか、、、?

あれこれ思うなら、教室主宰のリーズナブルではないパーティに行って応援してあげたらよい。
でも、、、
出来ないと思う、わたしの性格は、、、。
せいぜい、お中元、お歳暮を親先生に内緒でこっそり手渡すぐらいだ。

現実主義。
高ければ高いほどステイタスが上がるお稽古ごとには、わたしは向いていない。

人を羨んで何になる?

2019-05-31 | 趣味
わたしは、やはり趣味分野ではダメ。
人並み行くか、行かないか。
でも、それでいいじゃないの?

何を望んでいる?
その道で評価を得ている人のように、行かないからって?
自分は何様だと思っている?
好きな趣味に邁進できて幸せではないか。
能力もたいしたことない上に、努力もしないで、なにを好きな想像をしている?
現状で満足しなければ。

そもそも、わたしが、劣等感に陥る状況
、自分で作り出した想像の世界かも知れない。
羨ましく映る女性も、じつは、羨ましくないかも知れない。
他人には目に見えない部分がある。
自分の身の丈に応じた幸せを享受すべきだ。

努力しないで果報を手に入れようなんて、そもそも甘すぎる。
努力したからといって、その分、報われるかといえば、保証はない。
欲を出すと、ろくなことがない。
努力しない道を選んだのは自分。
努力しない程度の評価は当たり前。
努力しても、その分、得られない評価に苦しむことは多々ある。
いずれ努力が実を結ぶことも、結ばないこともある。
向上心て、なに?

まあ、色々です。
C'est la vie.

主婦のキャバクラ体験レポートを読んで

2019-04-24 | 趣味
エッセイスト柴原明子さんのエッセイが面白すぎる。
私にとっては、ツボ。
この人の元夫がキャバクラにはまり、一晩で2000万円も使ったり、で、どんなものなのか(敵を)知るため、彼女は潜入を試みた。
キャバクラ体験レポの記事の中で、ある一文に、デジャブ的にピンときたものがあった。
(ちなみに、主婦が客として入ったレポートであり、キャバ嬢として働いたレポートではない)

体験レポートによると、客は入店した時、大勢のまばゆいばかりの美人たちに迎えられる。
キャバ嬢って、ある意味、ダンス教師に通じるものがあると(個人的体験を通して)感じる。
いろんな特徴ある売り(個性)を持つ、プロがズラリ。
一瞥してお好みだったり、ちょっと踊ったりして気に入ったらお金を渡すと、さらに踊ってくれたり、教えてくれたりする。
あまり意味があるとも思えない、プリプリの身体の一部を触らせたり(意味があるんだろうけれど、いまいち、ワカラナイ。深い理解力、欠如)
いい線まで興味を惹きつけておいて、ハイ、あとはお金を払ってねー、とにこやかに背中をくるりと向ける。
ここからは、指名料がかかる。
美しい背中と、お高いレッスン料に、高いプライドが詰まっている。

お金で手に入るものが全てだとは思わないが、
ガス、水道、電気などは、お金で手に入れるほうが楽。
文明の力は、利用させていただいている。
衣食住、教育、娯楽もお金で。便宜上、お金を利用する。
愛情も? 一部、お金で手に入る。
技術は?
頭脳は?

ブレーンは、ある程度、お金で繋がるが、ネットワークや、信条、ポリシーが一致しないとお金では動いてくれない場合もある。

キャバクラが好きな人は、お金だとわかっていても擬似恋愛付き快楽を享受する。
私は、偏屈なので、お金で動くものには、最大の価値は置かない。
ただしサポート的には使う。

どれだけ自分が満足するか、だ。
キャバクラが好きな他人を非難する気はないが、もし恋人や配偶者なら、私は別れる。相入れない。
もちろん、キャバクラとダンス教室は違うし、キャバ嬢と先生は違う。
共通点は、ビジネスが介在している関係性であるということ。
経済で社会は成り立っていて、お金が動かない社会なんてないのだから、目をむくこともないと思う。
(とある別SNSで、お金の話を書くと、社交ダンス愛好家の中には不快だと思う人が必ず絶対にいて、いつも「不快です」とコメントを同一人物が寄せてくる。
このコメントは、わたしにとっては最大の不快である)

だからどうやねん!という話だが、柴原明子さんのエッセイの中の丁寧な解説に、社交ダンス愛好家と社交ダンスプロの相関図のようなものを発見し、すとんと腑に落ちた驚きに近い衝撃を書かずにいられなかっただけ、という話だ。

男性も女性も、キャバクラが嫌いな人も存在する。
私もその1人。
でも、根底に流れているものが一部共通するものがあると感じ、私はそうじゃない、そうであるべきではない、と、なぜか、お目々をパチパチ、まつげを揺らしながら、清らか路線を選択している。
お金は払う。
が、電気ガス水道代、衣食住、医療費には払うが、教育娯楽費に関しては、入り口までは最低必要限コースだが、あるところから更に進むと、高い意識を持っているんだ!と自負している自分。
わたしって、(現実はさておき)へんにプライドが高いなあ、と自覚したということだ。
ただ、たんにそれだけのこと。
偶然見たり接したりしたものから、共通点を見いだし、自分の特性を知り、再認識する、いつもの脳の巡廻コースである。
脳内お散歩、本日は終了です。


ピカピカの一年生のわたし

2019-04-13 | 趣味
お目にかかったこともない先生に個人レッスンを受けることにした。
私にとっては神様みたいな、ある方からの御推薦、お墨付き。
受ける前からもう、ウキウキモード。

じつは、趣味に熱を入れすぎ、熱くなりすぎ、袋小路に迷い込み、神様にすくい上げてもらった。
この神様は、私のダンスの師匠。
1人で、にっちもさっちも(死語か?)行かずに、ダンス、やめようか、とも思った。
でもやめられない、でも進めない。
完全に煮詰まった。
一晩、まんじりともせずに(ちょいちょい眠って)、カチカチに固まっていたところに、「誰か助けて〜」と、こころが叫んだ。
一人一人候補者の顔が、次から次へと浮かんだ。
次!はい、次! この人じゃない、次の人でもない、はい、パス!はい、パス!と。

次々、現れる証明写真のような顔が頭の掲示板に入れ替わり中で、カチっと止まったのが、この師匠。
この師匠が、わたしを救ってくれると感じた。
で、体裁なんか全てとっぱらって、弱々しく弱音を吐いたところ、神様師匠が的中通り、鳴門の渦の中(擬似表現です。めんどくさいこと、書いてます)から、わたしを引っ張りあげてくれた。

ふとした、師匠とのやり取りから、この、わたしは見たこともないY先生を紹介してくれた。
師匠にとっては、直近1週間前に試合で活躍していたところを見たばかりの人。
所属する勤務先教室に初めて入ってきた何年も前から知っている人らしい。
なにか、閃くものがあり、ぴーんと来て、わたしはその人の個人レッスンを受けることにした。
その人、ブレイクする前の、予感がした。
期待の新人だ。

来週から早速。
うまく合えば、週二回でもよいと考える。
チャンスがあれば、意外にわたしは短期集中タイプ。
日頃、まったく動かないのは、時機をじっと待っているのかも知れない。

春は入学の季節でもあり、たまたま偶然、重なった感がある。
ピカピカのランドセルを背負った自分に、なんだか期待している。