goo blog サービス終了のお知らせ 

蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

リタイア後の人生プラン〜趣味編

2020-02-13 | 趣味
く同好趣味の男性で、定年になったばかりの人、Aさんと、今年いっぱいで定年を迎える人、Bさんがいる。

社交ダンスは高齢化が進み、60代でも若い部類に入る。
Aさんは、365日、毎日自由なんで、いつでも声をかけてくれたら出向いてダンスします、とのこと。
リタイア1年生の今年、年金で暮らしていけるか様子を見て、経済的に無理そうなら職探しするらしい。

職探しって、そう簡単に見つかるんですか?と聞いたところ、ハローワークで見つけられるし、見つかるまでは失業保険が半年ほどあるという。

楽観的な、その大雑把な計画。
どこも願いが叶わないとすると、ダンスパーティ会場で、来場するお一人様女性を相手に踊るアテンダントとしてパーティ主催者に雇ってもらおうかと、希望を抱かれている。
その一番下の希望さえ、そうそう簡単には行かないと、私は悲観的な見通しを立てている。

もう一人のBさんは、もっとスゴイ。
ダンス教室にスタッフとして雇ってもらう、、、
特定の女性に請われる形で、ダンスアテンダントをチャーターとして雇われる、、、
豪華客船のダンスアテンダントとして雇われる、、、
、、、などなど、夢を描かれている。
なぜ、夢かというと、、、

彼らのダンス技術。
プロでもなかなか教室運営や雇用は難しいのに、素人、ましてや競技にも出ていない、個人レッスンも受けたことがほとんどないレベルで、大きく出たものである。
確かに、下手なわけではなく、あまり踊れない女性をそこそこ踊らせることは出来る。
が、とりあえず及第点といったところか。

彼らは、日頃、お年寄りが多いサークルに所属して、体育館などで練習している。
講師であるプロに生徒が支払うレッスン料はわずかで、行政から生涯学習支援の予算が割り当てられている。
サークル歴は長くても、仲良しお遊戯会みたいな和気藹々としたもので、通常、団体レッスンは、足型だけを覚えるもの。
社交ダンスは、上級になるには個人レッスンを受けなければ困難だと言われる。
個人レッスンは、1時間1万円ぐらいで、庶民には、ばか高い。
1週間に1回でも月4万円。他にも諸費用もいるだろうし、家庭を抱えるサラリーマンには重いかも知れない。
女性は、ばんばん使う人は使う。(男性も使える人は使う)
月10万円は下らない人もいる。
先生と一流ホテルでデモにでも出ようものなら1回50万や100万はかかる?
1年に2回出て、10年、20年続けるとマンションぐらいは買えそうだ。
「趣味にはお金がかかるものなのよ」とさりげなく仰るマダム。
しかし、わたしはどうもその臭い、好きになれない。
言葉の奥には、特権意識がプンプン。

まあそれは人それぞれ。各自の道として、、、
それとは別に、スポーツ部門として競技ダンスがある。
大学生の頃から学連でやっている人も少なくないが、違いは歴然である。
50歳を過ぎてから始める人もいるが、ペアレッスン費や初期投資の費用は見ておかなければならない。

AさんBさん、二人とも、見た目を競う競技には興味がないそうだ。

ちなみに、見た目を競う競技技術を身につけるには、陽だまりサークルでは無理。
競技は個人レッスン2回分より安い年間参加費さえ払えば、誰もが1年間出場できるから、万年ビリでもよいなら我流でもオッケーだが。

サークル内では彼らは若手で、踊れる部類なので、サークル内だけでのポジションで自らを評価している。
サークル以外では、厳しい。
今更、せっかく得た居心地良い居場所を捨ててまで、時間もお金もかかる、新しい分野には挑戦しないと思われる。

別にそれでもいい。
夢は夢であり、ダメだった、となっても、それはそれ。
70歳からいきなり素人が大統領選には出られない。
自治会の会長なら大歓迎だろうけれど。

自分の身の丈に応じた夢でなくてもいいと思う。
実現は無理っぽいと思われるが、バラ色の理想の夢を描くのは楽しい。

リタイア後は、毎日、現役で働いていた頃と違い、毎日がサンデーとなる。
土日祝日だけが休みだったのが、毎日休みになる。
それからまた考えてもいい。
わたしの予想では、ダンパ通いになるんだろうと思っている。
足りない資金は、出費を抑えて、交通費や食費を削り、パーティも高額なものは見送り、年金内生活にシフトしていくことだろう。
次第に仕事をしない自分の生活に慣れてくると思われる。

家族も、大黒柱が年金になれば、現役時代の水準は確保できないことぐらいはわかるだろう。
ちょうどその頃、親は益々さらに老いてきて、サポート、介護問題が発生してくる。
忙しくなるはずだ。
現役時代に介護が重なり、遠距離介護しながら勤務していた人もいたが、AさんとBさんは、そうでなくて良かったと思う。

て、人のリタイア生活をあれこれ言っても余計なお世話である。

わたしはわたしで、好き勝手な自然体生活を満喫して、お気楽なものだ。



冷水を浴びると目が覚める

2020-01-29 | 趣味
あちこちブログ散歩をすると、痛みや辛さを堪える我慢大会みたいな雰囲気。
忍耐力は、一朝一夕に培われるものではなく、長い経験から身に付くもののようだ。

ちなみに、義姉。
骨折しても平気。痛くない様子。
我慢しているようには見えない。
これは、神経が通常人とは異なるのだろうか?
真似したくても真似できないし、真似する気がないし、真似する必要がない。

痛みは心身への警報であり、シグナル。
放置しているのは良くない。
ほんの些細な痛みで、ガーガー、ガチャガチャ、ピーピーいうのは、どうかと思うが、アラームが鳴ると点検したほうがいい。
とてもそんなことができる状態ではない、としても、心身は自分で守りきれる限界値を越すほど耐えなくてもいいと思う。
あくまでも自分のため。
自己チューは、自分を守る。
その我慢限度の頃合いは、人に依るのだろうけれど。
各人、いろんな自己経験を通して、自分の頃合いを知る。

わたしも我慢強いほうかも知れない。
基準は生死にかかわるか否か。
学生時代、同級生がピーピーわめいていたが、何が一体そんなに騒ぐようなことなのか、さっぱりわからなかった。
でも、年を重ねて、基準が甘くなった。
健康の質を維持できるか否かになった。

例えば転倒しても、打ちどころによっては生死にかかわる。
しかし、生きていても、車椅子だったり、歩くのが不自由だったりすると、健康生活の質が下がる。
それを考えると、ホームとホームを飛び越えるUチューブなどを観ると、全然、笑えない。
ほんの数センチの段差で転んでも、その瞬間には、とてつもない不安が一気に襲う。
わたしはもう若くないから、どうにかなるさ、と思わない。
自分の心身は自分で守らないと、自分の余生の質が落ちる。
人任せには出来ない。

かといって、健康オタクになって、常に不安が付きまとい、現状を楽しめないのは、本末転倒。
なんでもほどほどが、よい。

なので、わたしは我慢しなくなった。
が、あまりにも無茶は言わない、しないが、幼児のように、こころの赴くままに自然にしている。


ちなみに、、、
全然関係ないが、、、
昨夜から今朝のどこかの時間に、夢を見た。
飛行機の出発時間に合わせた集合時間に、間に合わない夢。
小学校からずっと一緒の幼馴染のYちゃんが登場。
早くホテルに帰って荷造りをしないと間に合わない、もう絶対に間に合わない状況。
こんなに時間がないのに、ホテルの部屋がわからなくなり、探している。
絶体絶命。
場所は、濃い色合いの天然木をたっぶり使った歴史的趣のある重厚などっしりした高級ホテル。
教会や貴族の邸宅のような、広い豪華な部屋がいくつもいくつもあり、どこからどこまでが自分の部屋だかわからない。

部屋も特定できない、こんな状態ではパッキングなど到底無理。
Yちゃんは、先に準備していて、わたしを急かす。
目が覚めるまで、延々とYちゃんを交え、時間に追い立てられるストーリー。

夢は無意識の気になっていることを意識下に現すらしいので、夢分析をしてみると、、、

夢の直前のその日の行動を振り返る。
その日は、ダンスで、ある人にフラれた。
ごく最近、出会ったお気に入りの人で、毎週、踊るのを楽しみにしていた。
前に、つんのめるカタチで、わたしばかりが先を焦っていた。
この人とのダンス活動が安定したらいいと願っていた。
一度、わたしの日時の都合がつけられないせいで、その人とはもう踊れないだろうと諦めていた。
が、たまたま偶然、別件の状況変化のため、その日、都合がつけられ踊ることが出来た。
がっかりしていたところが、一転して、ぱーっと明るく光りが射した。
で、次のダンス日にこぎつけようとした段階で、相手にシャッターを下ろされた。
フラれた。
それが夢を見た直前の出来事。

完璧にフラれたわけではないが、一応、冷水をパシャーっとかけられた。
頭を冷やすには良い。
冷やした後、また出会えるかも知れないし、出会えないかも知れない。
深追いはしない。
でも、がっかり、、、少し残念を通り越して落ち込んだ。
だが、それは一瞬で、これで良かったんだ、と思った。
無理やり諦めるのではなく、自然の導きのままに。
そもそも、都合が付けられない日だったのに、運良く(わたしにとっては)、都合が付けられたのだから、神様からのプレゼントだ。
一度あきらめていたのが、復活した。
ゲームオーバーだったのに、もう一度、プレイ出来るチャンスを与えてくれた。
そのプレゼントは、最後に未練が残る状態で終了するのではなく、すっきり、あっさり、ことの成り行きを受け止められるような、そんな流れを作ってくれた。
断られた、フラれたんだけど、それで良かった。
悔いはないなあ、、、と。

そんな当日の現実があった後の夢だったわけだが、、、
なんで焦る内容なんだろう。
それも、しつこく延々と。

贅沢な迷いの森に入っている、わたしへの戒めかも知れない。
足るを知るべし。
現状維持に努力し、深追いはすることなかれ。
そう自分が納得するまでの、こころの調整、葛藤の過程かなあと。

時間はないでしょう?
そんな状態で何やってるの?
あれもこれも、欲に溺れてはいけない、現実を見よ、現実をクリアするための努力をせよ、ということかなあ、、、

よくわからないけれど、あっさりフラれて、1日経って、すっきりしたような、、、と、自分に言い聞かせているだけだろうけれど。

人間は欲深い。
ひとつ高めに登っても、また不満が出る。
足るを知らなきゃあね。



負の記憶が蘇った

2020-01-20 | 趣味
今日は、別SNSで日記をアップした。
その日記は何日も非公開にしたまま、抱え込んでいたものだった。
手を加えては放置し、非公開のまま、しかし、わたしの中では、くすぶっていた。

今日は大きく訂正し、思い切って公開した。
自分の悩み、迷いを、第三者的立場であるかのような客観的な書き方をした。
なんだか、重い、つっかえていたものが取れたようなかんじ。
ではあったが、、、わたしとリアルに関わりのあったリアル人、Aさんがコメントをしてきた。
「第三者であるあなたに、なんの関係があるのですか?」

わたしのそれに対する返信コメントは、一言だけ。
「なんの関係もありません」。

このAさんは、わたしのブログに何度も出てくる人物。
過去に、わたしにダメージを与え続けてきた人。
今更ではあるが、この人には文章の読解力は皆無だと確信した。
行間を読む、なんて、Aさんにはあり得ないことだ。
わたしは悩んでいて、自分に関係あることだから書いているのに、よくまあ、あんな、すっとぼけたコメントが書けるものだ。
わたしの返信コメントに、さらにつけ加えたい言葉がある。
「で、それがどうかしましたか?」と。
もう、今更追加できないから、ちょっと残念でもあるが。

鈍感とか、そんな生易しいものではない。
なにか、こころの中心にある重大な理解力や、想像力が欠如している。
日本語が通じると、そこそこ会話は表面的には出来るが、一見普通で、わからないが、どこか中身がおかしい人はいる。
道理でわたしとは全く噛み合わないわけだ。
ああ、3年前の悪夢が蘇ってきた。
思い出したくないから、感情と記憶に蓋をする。
ひょんなことから嫌な感情が湧き上がった。
そんなことは、リセットしよう。忘れよう。

※この記事こそ、非公開にしたほうが良かったんじゃないかと思った。
公開、非公開の基準は自分の気分次第なのか、はたまた深層心理に理由、原因があるのか、、、


※※後日談。
翌日(今日、今さきほど)、ご本人さんから追加コメントが寄せられた。

「あの日記はあなた自身の悩みなのでは、、、?
気がつかないですみません。
なんたらかんたら、、、」

再コメントに、わたしは再返信コメントを付けた。
が、核心には触れず当たり障りのない一般論を思い入れを入れずに書いた。
ホンネをやり取りする気は、全くないので、最後に仲直り風な体裁で収まればそれでよし。

小さい、わたし、、、。

2020-01-14 | 趣味
別SNSで、私の日記に時々、イチャモンをつけてくる、いや、意義を申し出てくるお方がおられる。
賛否両論あるほうが議論が盛り上がり、理解が深まるから大いにウエルカムである。
賛成だけの人と閉ざされた、ぬくぬく緩いサロンを開催しても、つまらない。
のではあるが、、、

と、一応、相手を肯定してから反撃へ、いえ、反論へ。

わたしは、人間ウォッチングが大好きで、目をつぶっていても観察してしまう(→誇張表現)

意識して見ようと凝視、注視しているわけではなく、自然に勝手に目や耳に入ってくる。
観察しないようにするには、アイマスクと耳栓が必要である。
それで、ダンス界隈のことも、別にスパイを雇っているわけではないが、靴をすり減らして聞き込み調査をする刑事のごとく、いろんな情報が蓄積される。
年月が経ち、情報量が増えると情報に厚みが出て、データベース化され、仕分け、分析することができる。
人々の動向をベースにした意識調査みたいなものが、自分の中で出来る。
ちょっとした人間学、行動心理学みたいな領域。

それを日記に面白がって書くのだが(もちろん、人物特定されないように)、それに対して、非難めいたコメントをいただく。

「人のことが気になるんですね。
人には人の事情があります。
人のことより、ご自分のことに一生懸命になればいかがですか?」

と、いつもこんなかんじ。
うーん、、、まあ、不快だと感じたり、カンに障る人は必ずいるだろうけれど、なにも、その人のことを言っているわけではないし、特定の人を指して非難しているわけではない。
自分は自分は、と、自分を声を大にしてアピール、肯定しているわけでもない。
人々のトレンドや世情みたいなものを自分のフィルターを通して書いている。

「で、あなたは、どうなんですか?」
という類のツッコミをされるような切り口は、ちょっと温度が違うかと。
一般論みたいなものを書いているのだが、いつもその人は、わたしに切り込んでくる。
その人は、「人は人で、自分だけを見よ、自分の考えを持て」と仰るのだが、、、。
行動心理学系の情報集め、解析、および、途中発表をしているわたしなのだが、なんか、噛み付かれても、ねえ、、、
不快なら見に来なければよいし、わざわざコメントしなくても、スルーしていただいたらよろしいかと。
おそらく、腹に据えかねるのだろう。

例えば、襟を立てて着ている人に、「あなた、襟、立ってますよ」と。
ワザとボタンを外して着ている人に、
「あなた、ボタン、外れてますよ」と。わざわざ言いに来る人の、あの感覚、心理かと思う。
クシャミが出そうでムズムズして、思いっきり周りを考えずにクシャミする人にも似ている?
なんか、気になって仕方ないのだろう。

わたしは、そのコメントに対し、相手を肯定する返信コメントをいつも返している。
ついでに自分も肯定している。
両方肯定って、なんかヘン。
まあ、あんまり考えてないってことだ。めんどくさい。
所詮、わたしの日記など大したことは書いていないので、どうでもいいことである。
て、わざわざココに、チマチマ反論を書くことでもないのだが、しつこく書くところが、わたしの器の小ささかなと。
みんな、似たりよったりなんだろう。



「合わない感性」のことを「嫌い」という

2019-12-25 | 趣味
嫌われてもいいホンネは、蝶ブログで吐く。
別の趣味SNSでは保身意識があり、自分の持つ悪人要素、腹黒内部は、さらけ出せない。
ここ蝶ブログは、SNSとはいうものの、自分だけの城。(大袈裟)
(gooさんの所有する賃貸マンションに住んでいる一住民に過ぎない)

いいね!や、応援クリックは、有り難いと嬉しく思っているものの、実はわたしは、あまり、とらわれない。
いいね!欲しさに、なんてことはあり得ない。
現実的には、最近、新しいアプリを使うようになってから、初めて、いいね!が、自分のブログにも機能していることを知った。(たぶん、goo同士、限定)
せっかく、いいね!を付けてくださる方には申し訳ないのだが、わたし、腹黒です。
蝶ブログには全編、腹黒コンテンツが溢れかえっているので、既にご存知だとは思うが。

と、前置きはさておき。
(これ、前置きやったんかい!と、漫才ならツッコミをここで入れる、、、長い前置き)

別の趣味SNSの会員さんの日記を読むと、、、
クリスマスから年末年始にかけてパーティ三昧。
特に元旦から5連チャンで踊りに行く、とのこと。
1月1日、2日、3日、4日、5日、、、結構なことだ。
羨ましいなあ、、、の前に思ったことは、、、独身、単身、一人住まいなの?この人。
どうもムスメとムスメ婿は、ムスメ婿の実家に年末年始は行くので、楽々お気楽、、、とのこと。
ムスメさんはいるのね。じゃあ、寡婦?(表現が、お役所っぽい)
旦那さんは亡くなったか、別れたか?
人のプライバシーには首を突っ込む気はないが、旦那さん以外のスケジュールは、華々しく賑やかにご自分の日記に公開されている。
こんなに公開されているのだから、プライバシーお披露目タイプの方なんだろう。
ここまで発信するのなら、ダンナさんは、、、?と、ツッコミを入れたくなる。

しかし、わたしは、あちらの趣味SNSでは、保身スタンスなので、ツッコまない。
ダンナさんが居ないなら、あるいは、存在しないなら、なんの問題もない。
が、、、もし、ダンナさんが居るなら、おいおいおい、と、わたしは思ってしまう。
独立採算制の別行動、個人の集合家族なんで、ノープロブレム、平和です、なんてこともあり得るし。
余計なツッコミを入れて、地雷を踏んでは、つまらない。
が、なんだかなあ、、、である。
情報公開は、自己開示であるが、公開される内容の偏りを感じる。
ではあるが、自分に都合良いことだけを公開してどこが悪い?嫌なら読みに来るな!だろう。
ご無理ごもっとも、その通りでございます。

まあ、そういうわけで(どういうわけで、、、?)
各個人の自己開示の情報は、不快で嫌なら見に行かない自由が確保されている。
それを前提に言わせていただくと、、、(言わなくてもいいのに、まあ、言う自由もある)

その趣味SNSの自分の日記に、孫のバレエの発表会の動画をアップしている別会員さんがいる。
微笑ましい、可愛い盛りのお年頃。
子犬のモフモフみたいな。
会員さんたちは、カワイイ!と皆、褒めまくるコメントが、ぞろぞろ付く。
わたしは、性格が著しくひね曲がっているので、こういう動画は、お気に入りさんだけの限定公開にしたらよいのに、と思った。
わたしのような、一、通り過ぎの者まで見れてしまう。(その、もふもふお孫さんの、おばあちゃんであるご本人のリアル人物は知っているが)

見て見て!うちの孫!!カワイイでしょう!!!
これはなんの罪もない、人間としての素直な感情の発露である。
それは重々理解し、非難も否定もする気はさらさらない。
が、、、じゃあ何が言いたい?
わたしは、実像の彼女が好かんタコ。
彼女は、趣味分野で実力もある、人気もあり、お人柄も良い、行動力もある、人の為にも尽くす人。
なんの申し分もない。
しかし、わたしにはナイナイ尽くしだからと、卑屈になどならない。(そういうのは、卒業、超越した)
じゃあ、何なの?
何なんだろう?
何の理屈も理由もない、単に好み、嗜好だろう。
妬み、そねみ、ひがみではない。
いい年したおばあちゃんが、自分の90歳ぐらいの母親のことを「ママぁ、ママぁ」と呼び、娘さんやらお孫さんを一般に公開する神経が、ただ単にわたしの好みと合わないだけ。
であるが、個人の好みには、白黒、勝負のつけようがない。
どっちがいい、なんて言い合うのは、全く不毛な時間だろう。
お互い、相手を認めた上で、「わかるわ。でも、わたし嫌いなの」の世界だ。
「そんなに素晴らしいんですか。でも買いません」と、プレゼンテーションの後のようなもの。
だから、同好の人だけ閉ざされたところでやれば余計な摩擦もないのに、路上パフォーマンスなんぞするから、色々な意見や感性が出てくるのだ。

大人なので、「あら、それいいわね!」とは本人に言っても、「あら、それ、感じ悪いわね」とは言わないだろう。
個人の感想は、口に出す場合と、胸に仕まっておく場合がある。
相手の気持ちを思い遣って、というのが道徳的優等生の答えだが、わたしは、それプラス、自分の評価に跳ね返るのを避けるため。
これは道徳の教科書には載っていなくて、社会に出ると防衛本能として身につくことがある。
聖人君子、キレイごとばかり言って世の中で生きて行く人、美しいが、実は、煙たがられたり、嫌われたりしている。
だが、誰一人として本人には伝えないから、いつまでも美しいまま。
それはそれで、世界遺産みたいなかんじで、守らなければならないのかなあ、、、と、俗世間に汚れ、もはや純白、純真ではないわたしは、思うのであります。
外の世界から離れ、好きなようにマイウエイで、自分の世界を楽しく満喫していると、○○障害やら、なんやら、病名が付く世の中。
世間とのお付き合い、人との調和、協調もある程度はクリアするようにしないと、ダメみたいだ。
そのあたり、調整するのは自分。
色々な人がいて、バラバラの特徴ある個性を出し合うのは、面白いと思うんだけど、、、


師走、、、忙しないというのに、いつまでもまとめに届かず、〆られなくなってきた。
こういうの、時間泥棒なのかも知れない。すみません。


リベンジを果たしに武者修行

2019-12-23 | 趣味
大阪市内、上級者が集まるといわれるダンスパーティ会場に行った。
武者修行。
8年間、辛酸を舐めてきたパーティ。
今回は3度目のリベンジ・チャレンジ。
1回目は、会場の雰囲気に飲まれ、いともカンタンに敗退、撤退。
2回目は、武器を携え、戦力アップ。
この武器は、超上級者の知人を保護者にして、バックアップ体制。
これは功を奏した。
知る人ぞ知るの、あんな上級者、しかも、お金なんぞでは踊らないストイックなお方、そんな人物と踊りながら、会場にしだいに慣れて行った。
目が慣れて薄暗かったものが、だんだん落ち着いて会場内を見渡せるようになってきた。

しかし、自転車でも補助輪を外さないと、乗れたことにはならない。
さあ、3度目。
お一人様で敢行。
2回目と同じドレスで縁担ぎをした。いわゆる勝負服。
1回目は、自信のなさから、真っ黒カラス服だった。
やはり、やる気を見せるためには、積極的に出なければならない。
かといってキバりすぎるのも、どこの田舎から出てきたの?になる。
なので、日常感をサラリと演出。
(実際はキバった服をやめて、あえて、普通っぽい、だが、自分にとっては、一番自分の長所が見える、と、勝手に思い込んでいる服)

それを着て、さあ、出陣。
結果は、オッケー。丸。戦果あり。
まあマイナスの自信が、少しはプラスになった。

だが、パーティは中盤も過ぎ、戦果も手ごたえを感じたというのに、トイレの鏡で見た自分の顔は、どこからどう見ても、魅力のない老けたシニア。
歳相応ではあるが、元々、顔には自信は全くない、非美人のわたし。
スタイルも、脂肪の乗りが良い部分と、タプタプ部分のある、ぽってり体型。
現実を鏡は如実に物語っていたに過ぎない。

2013年に2回目のパリひとり旅をした時、地下鉄の窓に映る、さえないおばさん顔の自分を見た。
駐在員でもない、駐在員の妻でもない、その地に、なんの関わりもない、ただ異邦人のように、存在が宙に浮いている自分。
あの時の不思議な感覚が蘇った。

が、外国語は話せなくても、最低限度の知恵はどうにか備わっているので、自分の出来る範囲で出来ることは実現できる。
それでいい。

これは、実がないんだよ、サワリだけ、予告編に過ぎないんだよ、と、魔法がとけたシンデレラのように、現実に戻るのだろう。
シンデレラは、あれから王子様と結婚してハッピーエンドだが、私は王子様と結婚した時点がピークだと思う。
やったぁと、成果をあげたのに、身贔屓に光り輝いた顔に見えてもいいはずなのに、不細工な顔の自分の現実が見える、、、ということは、ピークを無意識に予見したのかも知れない。

まだ美味しい部分は残っているのに、深追いしない自分。
自分への失望を恐れ、腹八分目にしているのだろう。
目一杯でないので、逆に少しまだ余裕を楽しめる。
やり切る、出し切る、200%の力を発揮するというスタンスもあるんだろうけれど、わたしはあんまり意識的にはそうしない。
無意識に結果的にそうなることは、あり得るかも知れないけれど。

追い求め過ぎては幸せを取りこぼすことがある。
自分にはポテンシャル、可能性があるとわかれば、それでよい。
新しい次の自分が進む道は、さらにさらに上を求めるのではなく、今あるところにあると考える。
自分はまだ行ける、とわかれば、上を目指すのではなく、現状維持に努力したいエネルギーが湧いてきた。

器や枠が出来れば、あとは、中味を充実させる。
枠ばかりを大きくしても、足元をすくわれる。
選んだ道、来た道を振り返り復習して、密度を濃くし、精度を上げたい。
て、いつも大袈裟なわたし。
絶対、有頂天にはならない。

だが、実際のその瞬間は、我を忘れて夢中になっていると思われる。

忘れた頃にまた、、、鬱陶しい人

2019-12-16 | 趣味
庭の紅葉もすっかり枯れ落ち、牛の形だった枯葉は、今度は、お魚さんに!
「この世界では、牛の後は、魚になるんやで」って、孫に説明してやらにゃあいかん。
いや、やはり、純真な子供に、悪ふざけは良くない。
それに、魚にしては少々、変形で無理がある?
意味不明ばあちゃんに位置付けされるのは、やめておこう。

ちなみに、、、
ある、怒り心頭の出来ごとがあった。
2年と少し前、ダンスで組んでいた人、A。
彼のせい(もあって)膝が悪化して、当時、Aとのダンス続行を打ち切った。
そのことを、相手は特定せず、趣味SNSで書いた。
SNS会員のほとんどの皆さんはわたしのリアル実物を知らない。
知っているのは、その人物Aと、もう一人のみ。
なので、Aが物凄い勢いで噛み付いてきた。
まるで彼、Aのせいで、わたしの膝が壊れたかのように言われては心外だ、と。
公のコメント欄ではなく、外部にはわからない、閉ざされたメールで、ガンガン言ってくる。
しかも、当時のメールのやり取りをベタベタ貼り付けて。
何通にもなると、鬱陶しいことこの上ない。
自分の書いたものなんか、見たくない。
それなら、堂々と、公の場でコメントすれば良いではないか。
我々二人だけで交わしたメールを公開するわけにはいかないからだろう。

あれこれあり、この人と離れられて、別れられて、本当によかったと、つくづく思った。
1秒も長く関わりを持ちたくないので、喧嘩をこれ以上、広げる気はない。終結したい。
なので、謝ったにもかかわらず、気が収まらないようで、まだ、あれこれ言ってくる。
殴った相手が倒れていて、白旗を上げている上からまだ、どすどすと靴のまま踏んづけてくる。
この人はやはり、前に当初、思っていた通りの人だった。

時間が経って少し収まってから、そっと、SNSのお気に入りさんから削除しようと思う。
今、削除すると、火に油を注いでも困る。
嫌な相手とは喧嘩せず、気づかれないように、そっと逃げること。
関わりを一切、断つこと。しかも、そっと。それが肝心である。

Aは、他にも、そっと知らない間に、別の会員Bさんに、お気に入りさんから外されていたと、えらく怒っていたそうだ。
早かれ遅かれ、皆さん、することは同じなのだろう。

他にも度々アタマに来る人物は実社会にもたくさんいるが、とりあえずは、冷静になって考えてみる。
自分はどうか?
相手ばかりを責めていないか?
いろんな事態が進行するにあたって、お互いの非を認め合い、お互いの良い面も悪い面も両方、認め合ったりする。

このAに限って言えば、それは一切ない。
自分でも気づかず、人からも学ばず、かわいそうな人である。
一人去り、二人去り、彼に親身になって助言する人も現れず、皆んな人知れず去っていくのだろう。

だって、あんな人、関わるの、嫌だから。
塩、塩、塩。
前に自分のブログで、Aのことに関して、そう書いたような気がする。
あれから2年。
忘れていたのに、また。

塩が、足りなかったようだ。

自慢タレはムカつく

2019-09-18 | 趣味
書きたいことがムクムク。

自慢タレについて。
自覚していない、天然の自慢タレがいる。
(この際、ややこしいので、自分のことは話から外す)

そういう自慢タレは、自分では自慢だと思っていないため、なんの悪意も躊躇いもなく、ペラペラ話す。
が、受け取る側にとっては明らかに自慢と取れてしまう。
昔、昔、姉が、若い頃、そういう失敗をやらかしたらしい。
社宅なんかの場合は、絶対にプライベートなことは言わないに限る。

また、事実、現実とギャップのある自虐ネタもやめたほうがいい。
かえって、臭う。

扱いにくいのは、本人は良い人で、ひけらかす気持ちは無いんだけど、気負わず話す内容が、周りからすると明らかに自慢。
しかも、ぽろっと一回、口から滑ったぐらいならよいが、何回も何回も強調されると、徐々に聞く側は不快モードに入っていく。
そりゃあよかったね!と、なる。
今と違う過去の話ならまあオッケー。
昔の美酒に酔う、気の毒な人、、、それはまあよい。
だが、現在、どう見てもexcellentな、客観的に天性の素晴らしいコンテンツを備えている人が、さらりと何度もその事実から派生した具象を語られると、うんざり、離れたくなる。

上記、わざと堅苦しく書いた。
実例に移る。

ある、スタイルが良く若い美人。
皆んなも認める美を持ち、ダンスも周知の上級者。
その人物が、最初の頃は、上級競技ペア相手のことを愚痴ってばかりで、感じ悪かったが、セパレートして、明るくなった。
まあそれはよい。
○人に、ペアになろうと誘われた、とか、○○さんに口説かれたとか、
スタイルいい、と言われた、とか、どういった美人かと具体的に説明したり、、、とか、、、
そういうことをすれっと嫌味なく言う。
○人に誘われた話は複数回、発信。
何度も言うが、嫌味なく言うわけなのだが、わたしは段々、この美人がキライになってきた。
事実を話して何が悪い?なのだろうが、周りの受け取り方も色々あるってことは、全く考えないようだ。
良くも悪くも、自分から発信して目立つことは、避けたほうが賢明だと思う。

良い人で、いくつもの天賦のものや、才能を持つの確かであり、羨ましい限り。
しかし、周りの女性たち、一同、異口同音に、彼女を褒めたたえる。
女子会のノリ?
わたしは、あほらしくて、直接、彼女に全く角度の違う質問をした。

女子会って、本音トークが炸裂するんじゃなかった?
本音が、あの絶賛なのか?
ほんとに、ほんとに、ホンネ?
彼女に負けないぐらいの気持ちを持っている女性がいたら?
(わたしは、彼女に負けないなんて、微塵も思っていない。ただ、自分から、自分のプラス事実をベラベラ言うのはどうかと)
自分とは比べものにならない、同じ土俵に立ってないから、どうってことないにしても。
女優がインタビューに答えて、面白そうなセンセーショナルな部分だけを切りとられて記事やニュースにされるならわかるが。

わたしは、あの上記の美人さん、謙虚な時代もあったのに、一気に噴き出すものを感じた。
謙虚に見えたが、単に我慢してたようだ。
日頃の謙虚はポーズで、実のところ、うまい具合に何か事が起きて自慢タイミングがやってくると、どっと自慢する。
平常は静かだが、潜在的には自慢したくて自慢したくて、ウズウズしていたと感じる。
まあ、普通、人間はそんなものだと思う。
素晴らしく出来た人など、そうそういない。

わたしが、ヒネクレているんだろう。きっと。
しっかり彼女とは距離を置いている。
自分が不快になるようなことには近寄らない。

黄昏の青春

2019-09-16 | 趣味
今日のダンパで、またまた色違いのドレスを着ている人を見かけた。
皆さん、わたしと同じで、安モン好き?
今回は、真っ赤。
やはりスケスケ部分には工夫をされていて、わたしとは微妙に違う手直しが施されていた。
スケスケではない箇所で、同じ箇所の手直しは、わたし、一昨日の女性、今日の女性、3人とも同様な処理をしていた。
考えること、感性は同じだと感じた。
今日の人は更に面白い工夫。
前と後ろを逆に着ていた。
間違えたわけでなく、ワザとだと思う。

さて、今日、わたしが着ていった、もう一枚のドレス。
最初は恥ずかしかったが、途中からどうでもよくなり、目立たないようにするために上に着ていたボレロをかなぐり捨てた。
自分で思っているほど、ドレス効果はないと思われるが、ドレスは注目されなくても、(恥ずかしげもなく太い身体を晒しても)わたし自身が、ドレスや体型、見かけから、吹っ切れたような気がした。
弾けた、というかんじ。
爽やかな汗を流した。
恥ごと流れ落ちたんじゃないかと思う。

自意識過剰は、殻を破るところからスタートして克服しなければならない。
この年齢で、思春期外来みたいな悩みを言っている。
まあ、まだ青春だ、ってことで、勘違いして残り僅かな時間を楽しもう。

ちなみに、昨夜から頭痛、ひどく痛い肩凝りがしていたが、汗をかいて(恥もかいて)思いっきり踊ったら、すっかりひっこんだ。

スタイルの悪さを強調する安ドレス

2019-09-14 | 趣味
さて、一昨日、届いたドレス。
3枚注文し、2枚は同じ店、もう1枚は別の店だが在庫切れでキャンセル。
2枚同時に届いたが、値段がモノを言っていた。
早い話、安モン。
わたしは、なんでこう安モンが好きなのか。
いや、値段の安いお得商品かも知れない、と淡い期待が、アタマの隅っこにチカチカ、弱々しいなりに点滅していた。

が、やはり、甘かった。
安かろう、悪かろう、、、。
しかも2枚共。
わかっていながら、自己責任。
この、粗悪安モンを着る気力、勇気があるかどうか。
ハンカチだとか、下着だとかなら、外から見えないが、、、
ドレスとは言い過ぎにしても、ダンスウエア。
シンプル省エネ、スポーツタイプのウエアならまだしも。

しかし、よくまあこれだけ薄くしたなあ、という生地の薄さ。
しかも、よく伸びる。
旅先の急な雨で買い求める、ポリ袋のような薄さの雨具、雨ガッパのごとく。

ユーザーコメント(カスタマーレビュー)に、胃袋まで見えます、と書いてあったが、うまいこと表現してると感心した。

返品しようか、どうしよう、、、まあ、なんやらかんやら悩んで、ちょっと自分で手を加えてお裁縫して、手直し、ドレス改造。
返品には至らなかった。

で、、、
今日、早速、ダンパで着た。
問題なかったが、色違いを着ている人がいた。
色違いの人も苦労されている感じが読み取れる。
なぜなら、一箇所、わたしと同じ処理をしていた。
そして、スケスケ対策にはペチコートを履いておられた。
(わたしはスケスケ部分が少なくなるように、チクチク縫ってデザインを変えた)
まあ、無事、お披露目は終了したのだが(一人お披露目)。
問題はドレスではなく、殻付きピーナッツのような、わたしの体型。
このお腹で、よく恥ずかしげもなく、この薄い生地のドレスを着た、ということ。
(ドレスというよりは、ウエア)
まあ、今日1日楽しく終われば、それで良し。(次回、着るのはいつかは、定かではないが)

しかし、もう1着の、さらに薄い、胃まで見えるドレス、ついでに返品しなかったものの、あれ、着れる?
勢いで着てしまう予定。
なんでもノリが大事。
数年後には、あんなドレス、よく着ていたなあ、と恥ずかしさのあまり、夜中に目が覚めて飛び起きるかも知れない。
が、やった後悔より、やらない後悔のほうが大きいという。
特大の落花生(昔の漫才師、今いくよ、くるよ、みたいな)スタイルも、将来、振り返れば楽しい思い出になることだろう。
今日より若い日はないのだから。