羽田空港で時間待ち。
楽しい旅の思い出を胸に。
(昭和の修学旅行のティスト文章)
今回は北海道ガーデン街道、フラワー&ガーデンをめぐる旅。
癒されてきました。
一期一会の皆様との出会いも旅の楽しみ。
メモリー・スケッチがひとつ、増えました。

福井県にある永平寺に行った。
行く年来る年、大晦日から元旦にかけて、除夜の鐘が鳴る様子がテレビで放映されているのは、このお寺らしい。
秋の永平寺は、なんとも言えない風情があった。
770年前に道元さんによって開かれたお寺。
日常の生活そのものが修行だそうだ。
廊下に設置してあった木製の「ゴミ箱」には、「護美箱」と深みのある筆致で書かれていた。
伽藍の隅々まで、見事なまでに、丹誠込めて磨きこまれ、
凛とした木の美しさを味わった。
大広間の美しい天井を見て、ある人がこう言った。
「わあ、イタリアのドームみたい!」
そう、歓声をあげたのが、若い子ならまだしも、分別盛りの熟年シニア女性だったので、
あなた、海外旅行も結構だけど、日本人として、それ、順番が違うんじゃない?
と、わたしは、こころのなかで苦笑い。
旅自慢にも聞こえ、なんだか恥ずかしかった。
日本には、まだまだ素敵なところが、いっぱいある。
しみじみ、秋の深さを満喫した一日だった。
シルバーウィークは、長崎に行った。
長女一家と、我々じじばば。
大人4人、乳幼児2人。
ベビーカー1台 プラス、抱っこ紐。
伊丹空港へ行く車の中から、2歳児の、ゲボーっの洗礼を受けた。
なにもしゃべらなくて、おとなしいな、と思っていたら、
ゲボー、あららと慌てて、ハンカチで受けていたら、さらに、ゲボーっ、ゲボーっと、引き続き大噴射。
合計3回、2歳児のシャツ、ズボン、靴下、ハンカチ、車のシート、わたしの両手、その他、
ゲボゲボだらけ。
2歳児が朝に食べたヨーグルト、全部、ゲボーっ。
前途多難の予告編。
子連れ旅行は、予想外なことが起こること自体が、想定範囲内。
大人のメンバーは、私以外は、皆さん、体育会系。
ああ、わたし、足が痛いの、暑いの、疲れただの、お腹が空いただの、
2歳児と、ほぼ同じレベルの、あかんたれ。
長崎は、意外に暑かったのだ。
歩く、歩く、歩く、歩く・・・。
乳児は歩けないから、いつもベビーカーか、抱っこ。まあこれは、よい。
2歳児は、歩いたり、歩かなかったり、抱っこだったり、乳児の弟を押しやってベビーカーだったり、
身体のサインの発するまま。
乳幼児は、元気な皆さんに任せ、
わたしは、自分自身しか面倒見ていないのに、ぜーぜー、はーはー、暑いよ~。
体育会系は、なんでこんなに強靭な肉体&エネルギー?
ハウステンボスは、オープン当初、23年ぐらい前に、じじばば付き、3人子連れで行ったことがある。
イメージはそう変わっていないが、
一時衰退し、新たにSISが買い取り、リニューアルしたようだ。
老若男女で賑わい、活気があった。
前は、オランダだけをテーマにしてあったが、リニューアル後は、テーマをオランダに絞り込まず、
国や地域だけでなく、ジャンルを360度広げて、多彩に展開され、幅広い層が楽しめる。
待ち時間が短い、水や月をテーマにしたアトラクションや、トリックアートに行った。
広大な土地が利用された、ダリア園も、こころがなごむ。
音楽も、クラッシックから、ロックや、懐かしのオールディーズなど、じじばばも、若い人にも、気配り路線。
今は、建物にカラフルなイルミネーションを照らし出す、デジタル・ライト・アートのようなものが、人気のようだ。
川に浮かび上がる美しくデザインされたイルミネーションも、日が落ちて涼しくなってくるとともに、心地よく、幻想的な味わい。
あ~、日中は暑いけれど、夜は、いいなあ~、と、一日目の夜(ハウステンボス)も二日目の夜(長崎市内)も、
心身ともにそう感じた。
じじばばは、軍艦島に行った。
若ファミリーとは、別行動。
雨風などの天候事情で、3回に1回は上陸できないらしい。
お天気の神様に、微笑まれた。
世界文化遺産になってからは人気のようで、船は満席。
明治から昭和の、日本の基礎を築いた、産業基軸の足跡を肌で感じた。
当時の日本人は(外国労働者も入っているかも知れないが)偉かったなあ。
住まいは鉄筋コンクリートの高層集合住宅だったとしても、あんなに過酷な労働で、頑張ってきてくれたのだ。
お父さんもお母さんも、子ども達も、みんな一丸となって産業を支えていたんだと思うと、ぐっとくる。
帰りのフライトまでの時間が少しあるからと、平和公園に寄ったところで、ちょうど雨が、ぽつりぽつり。
お天気は、ぎりぎり、もった。やれやれ。
四半世紀前と照らし合わせながら、思い出深い旅行となった。
当時の義母(姑)のほうが、ずっとずっと健脚で、元気だったということが、よお~くわかった。
わたしは、へなちょこである。
が、その分、周りは元気モンが揃っているから、お任せしちゃっていいので、まあバランスが取れている。
(と、また自己チュー発想)
非日常は、日常を色鮮やかに浮き出させてくれる、大事な役割がある。
だから、旅は大きな意義がある。
スペイン国境に近い、フランスの南西の静かな村々を訪れた。
日本人は、我々以外には見かけなかったが、
最後の3日は、家族メンバーだけで構成された1グループと顔を合わせた。
観光地で出くわした欧米人の中で、日本や日本人に、とても好印象を持っておられる方々が多くいた。
奈良などを訪れたそうだが、「日本は素晴らしい!!」と絶賛され、当の日本人である我々が、驚いた。
黄色人種や、有色人種の顔は、観光客の中には、なかった。もちろん、現地にも。
いつも、大阪、なんばで、必ず見かける、お国柄に特徴のある、多くの観光客の人々、
もはや日常の1シーンとなりそうだが、あの言語、・・・まったく耳にしなかった。
今回、訪れた地が、あまりにも、渋すぎる選択で、観光バス対応はされていない。
ほんとうに訪れる人は少ない、希少価値のある名所だと感じた。
観光立国というのは、心意気が違う。
日本も、見習わなければ。
ヨーロッパは、豊かな国である。
豊かになってからの歴史が長い。
(かつて新興勢力アメリカに追い越されそうになって、成果主義のアメリカを目の敵にしていたが、
もはやアメリカとて、いつまでも絶頂期を維持できない)
その歴史、伝統に、重みを感じる。
中世と何ひとつ変わらない風景、町並み、家屋を見て、
維持に対するエネルギーは、静かな見かけ以上に大変だろうと想像した。
時代とともに人々のこころも変わっている。
が、変わらないものもあり、変わらないように維持する意思、気力、時間、労力、お金、・・・
派手さは全くないが、それこそ、底力だと思う。
歴史は、どこの誰の目から見たものかが、大事。
史実の解釈には、視点によって180度変わる。
我々が習ってきたのは、欧米の目から見た歴史。
強い国は、弱い国を吸収合併して(乗っ取って)成り立っていたりする。
強い国も、弱い国も、それぞれの独自の文化や良さがある。
メリット、デメリットも、お互いにある。
合併や、独立を繰り返し、独自のカラーを生み出す。
が、そのまま、歴史に置き去りにされたような村もある。
そのあたり、背景やら歴史を学ぶには、膨大すぎて、とても旅行出発日までには間に合わない。
帰ってきて、せいぜい、ああ、そういえば、学校で習ったなあ・・・
あんなこと、こんなこと、と思い出したり、答えあわせをしたり。
誰だって、時間とお金と健康と、身の回りの事情が調整できれば、自分の好きなところに行きたいことだろう。
他人の行ってきたところの、嬉しそうな記事なんぞ、読みたくもないだろう。
そういう人は、読まないでとっくに、スルーしていることだろう。
なので、書く必要もないが、一応、アタマの端っこに、念頭に、ちょこっと無意識に入っている。
多アングルの視点に設置されたカメラが、今では設置した覚えもないのに、勝手に、ぐる~っと回る。
いずれ、カメラも壊れる日も来るだろう。
静かで、豊かな村々。
わたしの脳裏、網膜、脳のスクリーンには、しっかり焼きついた。
行けども行けども、美しい輝く土地。
農地は国土の多くを占めるのに、農業に従事している人は、国民のたった0.3パーセントだとか。
どおりで、村の集まりには、kubotaのロゴが、よく目につくはずだ。
自国の農業だけで国民が食べていけたら、こんなに素晴らしいことはないのに・・・
どこの国も、たいへんだ。
時代が進むと、いろいろ、便利になり、維持も困難になり、理想も高くなり、価値観や選択肢も広がり、
アタマを悩ます要素が増えてくる。
スペインで、おもしろい人に会った。
新幹線のマドリッド駅に現れたその瞬間。
ぱっと見。印象。
だれもが、ぐぐっと言葉を失う。
強烈なイメージ。
彼は、最後の日程の現地ガイドだった。
なにしろ、なにしろ、言葉はいらない。
なにしろ、言葉を失う。
そういう第一印象って、本人にとっては、いいこと? 悪いこと?
おそらく、若い頃は、相当、異性において苦労されたことだろう。
彼の理想は、おそろしく高く、美意識は、ありえないほど高く。
女性への想いは、情熱は、想像を絶するほど熱く。
そして、彼の風貌は・・・わたしの年齢であれば、そんなことはないが、
若い女性には受け入れがたいものがあるだろう。
スペイン在住35年。中(高)年?日本人男性。
一度も日本には帰ってないというその人は、
さすがスペイン、牛かと思う、その風貌。
ついその前に、車窓から見た、田んぼに立てられている大きな牛の広告オブジェがフラッシュバックする。
でっかい黒い、どすんとした、牛。
存在感、圧倒される。
しかも、ご本人が自虐ネタで何度も、そのアタマ、顔のデカさを強調されていたが、
いやはや、ピカソの彫刻より、インパクトは大である。
最初に、見かけで、ぐぐっと強烈に人をひき付け(びびらせ)(引かせ)
話すことば、ひとつひとつが、これまた、強烈だった。
スペイン最後の〆には、なんとも、不思議な味わいを添えてくれていた。
と、時間がなくなったところで、今日はここまで。