中古物件道のもう一つの楽しみに当時のカタログ探し、及び数年後の雑誌での批評がある。数年後というのは、其の物件の使い勝手や故障頻度や専門家に因る評価ですなっ!勿論、使用しての数年後である。古本屋でカメラならカメラ雑誌、バイクならバイク雑誌の新発売時の能書き、そして数年後使用感などと探す訳だ。「おー、有ったあったっ!」と束になって買い求め、帰宅後にパラパラ捲る。大体、悪い事は書かないのが専門家のレポートだから「どれどれ」と読み耽る。「ほっー、やはりそうであったかっ!」と誉めちぎる箇所には蛍光ペンを牽くなっ!ちょっと嬉しいンだなっ!オイラの目に狂いは無かったとか、目利きも興に入ったなっ!とか、こんなに人気が出てきてこんな高値で引き合いがあるんだっ?などと暗に自身の選択に「どうだっ!」の意識を付け足す訳である。で、所有者自身の価値を高めて愛着に上塗りを施すのである。つまり、中古物件道には其のモノ自体の道要するに科目の他に資料文献探しの科目も必要なのである。
逗子は神武寺からの常連さん、総菜屋を営む料理の達人である。逗子界隈の風情を聞く。やはりJR駅だし、直ぐ隣には京浜急行の新逗子駅も有るから駅~駅間は賑やかながらも現存昭和風景も残るらしい。行くかっ!逗子ならば、駄目であっても近くには寂れた漁港や夏の終わりの海水浴場も有るし、隣街は鎌倉だからなんとでも為る。つまり、フィルムに何かしら収めされる訳である。寂れた漁港、いいですねっー!絵に為る。夏の終わりの海水浴場も絵に為る。寒々とした海岸脇の浮き袋やビーチサンダルなんかも今では誰が買うんだろう?ボツンと張られたバラソルも寂しい。コーラの自販機からはみ出た空き缶も寒々しい。枕草子・徒然草の世界である。夏祭り後の神社なんかもいい雰囲気である。錆び朽ちた漁船、海っぺりの家々の錆びたトヨなんか最高っ!しまい忘れたゴムボートや物干し竿に架かるもう来年まで使われない水中メガネもいいですねっー!失礼な話だが、わざわざそういう物件を撮りに出かける訳である。
昨夜の晩御飯も懐石料理である。すいとん、お稲荷さん、蕎麦、付け合わせに茄子とレンコンとカボチャの精進揚げ、お新香と正にお寺の修行僧の如しお懐石であった。食後の水菓子は梨だったからお経の一つも捻りたい気分であった。テレビを観ながらの晩餐だが、昨夜はTVKのジャズプロムナードだ。ラテンバンドやジャズトリオの演奏だが、ラテンバンドのキエンセラの歌い手が大変に下手。音は外すし、乗りはないし、テレビ向けのルックスでないしで笑いながら聴いた。お笑いバンド的演奏だ。とうとう隣に座る高校生の息子がテーブルを叩き始める。ラテンリズムに併せてだが、ちょっと素質が有るかも。才能までは無くても、誰しも素質は持っている。オイラのギター演奏のリズムで鍛えたいモンである。ボンゴとかカホン等の直手叩き打楽器をやってくれないかなっー!フラメンコでもラテンでもタンゴでもサンバ・ボサノバでもパンチが効いてギター演奏も楽になるんだなっー!