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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

落葉

2020年11月19日 | 日記
この一週間、晴天が続いている。11月の中旬にしては気温が高い。散歩道で一面の落葉。寒さで戸外へ出難くなっていたが、こんな陽気だとやはり戸外の散歩は気持ちいい。ネットでは、小夏日和なる新語が登場している。芥川の俳句に

拾得は焚き寒山は掃く落葉 龍之介

というのがある。寒山拾得というのは、唐代の高僧で寒山と拾得のことである。二人は親友で、奇行が多く詩人としても有名で、禅画にしばしば登場する。拾得は経を開き、寒山は庭で落ち葉を掃く姿が描かれる。

寒山の風姿を伝える文がある。やせこけて、樺皮の冠をかぶり、破れ衣に大きな木靴を履き貧窮零落した風狂人のような姿の寒山は、拾得のいる国清寺に来て残飯を竹筒に入れて貰っていた。廊下で構わず騒いだりするので、僧たちが追い払うと大笑して去った。その絵をみると、二人は呵々大笑しておどけている姿が多い。

芥川の句は、お寺の庭の落ち葉を掃く僧の姿を見て、唐代の僧と重ねて詠んだところが面白みである。
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寒菊

2020年11月18日 | 日記
秋の日はときに幸せな気分にしてくれる。趣味の仲間とつながるSNS。そこから聞こえてくる心の声。菊の花を見ながら、さまざまなことが心を去来する。
石垣りんの詩に、人生の真実を見るような気がする。

 幻の花 石垣りん

庭に
今年の菊が咲いた。

子供のとき、
季節は目の前に
ひとつしか展開しなかった。

今は見える
去年の菊。
おととしの菊。
十年前の菊。

遠くから
まぼろしの花たちがあらわれ
ことしの花を
連れ去ろうとしているのが見える。
ああこの菊も!

そうして別れる
私もまた何かの手にひかれて。 (詩集『表札など』)

明日、蕎麦打ち。何年ぶりのことだろう。老人たちの集い「いきいきサロン」で新そばを手打ちでふるまう。この季節になると、尾花沢の蕎麦畑から、新そば粉を取り寄せ、知人を集めてそばを打つのが定年後の趣味であった。家に人が集まって、新そばを堪能した。しかし、そのイベントも次第に間遠になり、そば打ちの道具は物置の隅埋もれてしまった。地域のイベントで、拙い技術を披露できるのはありがたいことである。
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小春日和

2020年11月17日 | 日記
快晴、朝から雲ひとつない。風もなく、陽ざしがふりそそぐと、小春日和という表現がぴったりの日だ。散歩道ではヒヨドリが鳴き、山茶花の花が咲く。永井荷風の詩「小春」より

小春の空の晴れつヾき。
返りさく山吹に蝶も舞うふなり。
いつはりの春。
去りゆく秋の名残り。
やるせなき思出の痕。

きのう、業スーからおでんを買う。おでんに熱燗のシーズンでもある。つゆごと袋に入ったのを温めるだけだが、妻は大根や卵、生昆布などを加えて自家風にアレンジ。夕方から気温が下がっておでんが丁度いい。昨年は両国の3番ホームで、「おでんと熱燗ステーション」というイベントがあったが、今年はコロナで、これも中止やむなしか。そもそもおでんは、豆腐を串に刺し、味噌をつけて焼いた田楽。江戸で田楽法師が、白ハカマを着けて高足に乗って舞う姿からこんな名がついた。田楽の田に「お」をつけるのは女房言葉。こんな伝統のある食べ物が今なお好まれているところが、日本の食文化の不思議でもある。

玉の如き小春日和を授かりし 松本たかし
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枯枝に鳥のいる風景

2020年11月15日 | 読書
芸工大のキャンパスを散歩していると、葉を落とし始めた木の枝に烏が止まっていた。餌の時間が終わって、枝に止まってで一休みしているのであろうか。ふと、16世紀のオランダの画家ブリューゲルを思い出した。かの「バベルの塔」を描いた画家である。私の本棚は、いつでも取り出せる文庫本を中心にした質素なものだが、一冊だけ高価な本がある。中央公論社刊森洋子編著『ブリューゲル全作品』だ。一サラリーマンの身で、53000円もの高価な本を何故買う気になったのか、いま考えてもよくわからない。ただ、近代化が始まる前の西洋の中世に興味があった。ずっしりと重い本には、ブリューゲルの絵がカラー写真で収められている。

この画家の生年も生地も、判然とはしていない。絵は残されているが、その生涯についてひとつの伝記があるのみで詳しい資料はほとんどない。1530年頃のフランドルのブリューゲル村の生まれとされている。フランドルは、フランダースという英語読みだと知っている人も多いだろうか。スペイン、オランダ、フランスに跨る地域である。ブリューゲルの絵に「鳥罠のある冬景色」というフランドル地方の冬景色を描いた絵がある。

川には氷が張り、スケートやホッケー遊びを楽しむ人々が描かれ、遠景には河口の風景が見事に描かれている。家々の屋根には雪がともり、木々の枝にも雪がついて枯れ枝には鳥が止まっている。しかし、この絵を単なる風景画として見てはいけない、と編者森洋子は解説している。左手前には氷の穴がぽっかりと開き、木立の中には鳥を取る罠が仕掛けられている。おそらくまき餌をしたのであろう、罠の近く鳥が集まり、穴の近くで遊ぶ子どもたちがいる。

罠に落ちるのはフランドルの諺で騙されるを意味する。この絵が人気の高い絵であったのは、冬の風景を楽しませてくれると同時に、穴に落ちたり騙されたりするなという人生の教訓を知ることができるからだ。このブリューゲルの画集を見て、ヨーロッパ中世の豊穣の世界を読み取るができる。

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一念峰

2020年11月14日 | 登山

高畠町の一念峰(470m)に登ってきた。慈覚大師による開山と伝えれれている。山寺を開いた円仁は貞観2年(860年)に一年間この峰に籠って修行して山寺へ帰ったため、一年(念)峰の名の由来となっている。この山のある集落は海上の名があり、かっての海底火山にできた凝灰岩が隆起してこの山ができたといわれている。集落から林道を越え、山への登山道にさしかかると、頂上付近と思われる辺りに、積み木を積んだような頂が見えてくる。YouTubeにこの山をドローン撮影した動画共有させていただいたので、この山道がどんな奇岩が重なっているか見て欲しい。
一念峰(ドローン山岳4K空撮)
動画を見ると、危険な山という感じを受けるかも知れない。だが、山の規模は小さい。車を置いたところから、奇岩のピークまでほぼ1時間で着く。そこから、岩の下につけられて登山道を、狭い屋根裏のようなところを潜り、梯子やクサリに助けれて登っていく。その難所も30分ぐらいで地獄岩の天辺に着く。そこは狭く平たい岩になっているので、下は落下しないかという不安も抱く。岩登りという技術が少しだけ要求される。
この山には数十年も前に来たが、岩にしがみついて登ったような記憶があるのみで、岩に着くまでの道の記憶はすでに失せてしまっている。その後この山が山形百名山に選ばれたり、ドローン撮影の映像がYouTubeにアップされたためであろうか県外からこの山に来る人も多いようだ。山中であった人から聞いても、関東からコロナ禍をはるばる訪れた人もいた。

山全体が起伏した岩からなっているが、その狭い隙間や窪みにあるわずかの土地に松の古木が根を下している。ここには、松くい虫の被害もなく、松の生命力の強さに驚かされる。ほんのわずかの水分で、松は数十年、数百年という年月の生き続ける。斜面の雑木に紅葉した葉がわずかに残り、強めの風がその葉を吹き散らしている。松の緑を残し、木々は葉を落として冬の眠りにつくまであと数日の時間しかない。

この岩の上に立てば、360度の景観。冠雪した飯豊山、吾妻の峰々、すこし西には雄大な朝日連峰。近くの名も知らない山々が迫ってくる。冷たい風が吹いてはいるが、これほどのたっぷりと太陽の光を浴びるの今年最後となるであろう。因みに一念峰は山形百名山の百番目、グレイドは難易度c、体力度1となっている。岩ばでやや難しいところがあるものの、高齢者の体力でも十分な山である。本日の参加者9名、内男性5名。地獄岩登頂者4名。

帰路、高畠の「ひらま」でラーメンを食べる。昼食の時間であったためか、店外に10名ほどの客が順番待ちの行列を作っている。カウンターとテーブル席での供応だが、席を間隔をあけるため入店できる人は10名内外といったところか。米沢ラーメンの特徴である縮れ麺、さっぱり系。昔ながらの味が気に入った。
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