最近、ブログを書いていることを知人に話すようになった。アドレスを教え、アクセスしてみてくれるように頼んだりしている。多分、興味のない人には迷惑で、アドレスを聞いたところでそのまましていると思っている。ところが時に思わず、おやっと思うことがある。アクセスの履歴に思わぬ記事が出てくることがある。一昨年に、村山と大石田の境にある大高根山に登った記事に、沢山のアクセスがあった。登山のカテゴリに分類しているが、この山が米軍演習場であったことが、文章の主要な部分になっている。真壁仁の詩も引用させてもらっている。どんな人たちが、どんな理由でこの記事に興味を持ったのか、知るべくもない。
山峡を好みてわれは登り来ぬ雪の氷柱の美しくして 茂吉
斉藤茂吉が大石田に疎開したのは、昭和21年のことである。そこで肋膜炎という病に犯されながらも、足掛け3年の歳月を過ごした。そこで厳しい冬も体験しているが、雪のなかに自然の美しさもまた歌に詠んだ。日記によるとこの日茂吉は、住んでいた聴禽書屋から最上川の対岸にある向川寺に行き、そこから大高根山へ向かう緩い登り道を歩いた。無論、遠い大高根山に登ったわけではないが、その途中雪の積もる山々を眺め、解けかかった雪についた氷柱を見た。屋根の軒にできる白濁したような氷柱ではない。その透明で、山中の寒さの証でもある氷柱。茂吉はその美しに注目した。知らない人が大高根山の記事を読み、その風景を歌人の斎藤茂吉が見ていた、という奇しき因縁のようなものに、ブログを書く面白さを感じる。