常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

亀井勝一郎

2017年02月09日 | 日記


大学へ入ったとき、寮に入って、5人部屋で共同生活を送った。自分の敷く蒲団の位置を決め、その蒲団の窓際に坐り机を置いた。新聞は5人で金を出し合って購読した。押入れに5人の蒲団をしまうのだが、押入れの壁に昔からの落書き残っていた。その中に亀井勝一郎の名があり、驚くと同時に、亀井がこの寮の先輩であることを知った。亀井勝一郎がこの寮に入ったのは、大正12年のことである。その著『大和古寺風物誌』の「春」と題した一節があり、当時を回顧している。

「山形は盆地である。近くで最も高い山は、樹氷で有名な蔵王であるが、それから北へ連なる雁戸山、もっと近くて低い千歳山、丘と云っていゝ盃山・・・(中略)春は三月、四月、その頃になると私はよく盃山に登った。この小山の裾を馬見ヶ崎川が流れているのだが、それを眼下にみおろし、山形の街、桜桃畑、野、田畑とひろびろと盆地を眺めつつ、柔い春風のなかで昼寝したものである。」

大正12年の同期には、阪本越郎、村山義平、小関守之助らがいた。ちなみに学寮の寮歌「嗚呼乾坤」は、阪本越郎が作詞したものである。阪本越郎は旧制山高から東大文学部に進み、卒業後はお茶の水大学で教鞭をとりながら詩を書いた。

ああ乾坤の花の色/花永劫に悩ましく/水村雨に煙るとき/健児の胸に涙あり

この寮歌は我々の世代から、後の世代まで歌い継がれた。いまでも、同級会の集まりがあると、誰からともなくこの歌の合唱になる。阪本の父は福井県の知事阪本釤之助で、永井荷風の父久一郎の弟である。つまり、阪本は永井荷風と従兄弟であった。
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