常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2015年09月18日 | 万葉集


万葉の歌人たちは、ことのほか萩を愛した。山に自生するヤマハギである。山上憶良が詠んだ秋の七草には、萩が一番にあげられる。ものの本によれ、万葉集には萩の花を詠んだ歌が137首にのぼるという。これは花を詠んだ歌のなかで集中一番多いとされる。

秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩が花見に (巻10・2103)

現代でいえば車を連ねて紅葉狩りに行くような感覚で萩の花を心待ちにしていた。萩は涼しい風が吹くとき咲くものと考えられていた。花の咲き始めから、盛りの萩、秋風に揺れる萩、という風に萩の観察も仔細にわたる。後世の日本人が桜の花を愛したように、万葉の歌人たちは萩を愛でて飽くことがない。



光禅寺の東側にある萩。道に沿って、萩が並んで植わっている。なかに白い萩が2本、目に飛び込んで来た。なんともいえない美しさだ。

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金木犀

2015年09月18日 | 日記


金木犀の甘い香りが漂うと、秋だなあとしみじみ思う。枝の葉の近くにびっしりと咲いているがカメラでアップにしないと、この花の仔細はわからない。だが、その香りに存在を知らされる。月の夜など、この香りになにか艶めかしい感じを覚える。

木犀や月の夜道のまくらがり 木津 柳芽

木犀の木は幹の肌がざらざらして、犀の皮に似ていることでこの名がついた。中国では桂という。以前このブログで最上町の大桂を紹介したが、日本の桂と中国の桂は別のものだ。日本の木犀が中国の桂で、花は桂花で、月の中に生えているという伝説がある。月光に照らされている木犀は、この中国の伝説を踏まえて、詩の主題によくとられる。イチョウが西洋に無いように、木犀も西洋にはないようだ。

中唐の詩人、王建の詩に桂花を詠んだものがある。題して「十五夜月を望む」

中庭地白くして樹に鴉棲み
冷露声無く桂花を湿す

この詩も、中秋の名月の夜の、家の中庭の情景を詠んだものだ。名月には、木犀の花が好一対の詩題になっている。
コメント (2)
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