常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

季節違い

2024年06月25日 | 日記
入梅というのにまとまった雨が降らない。雲は多いのだが、パラパラとい感じの雨が通り過ぎると、一気に気温が上がる。花も梅雨時のアナベルやアジサイに交じって夏ツバキ、ムクゲなどの夏の花、木陰にコスモスも咲いている。花にとっても、この季節、咲くべきか、咲かざるべきか、大いに悩ましい季節なのだ。植物たちの間隔を狂わせてしまうほど、いろんな季節が混じりあっている。ここでは少雨に農家が悩んでいるのに、西日本や関東の一部では、梅雨末期の大雨が降っている。ひと月ほど前高騰して手の届かなかったキャベツが、一転捨て値のような状況で市場に出回っている。産地のキャベツが出回ると、価格維持のために廃棄処分すら起きかねない状態である。

今年は、近所の庭に、夏ツバキが咲いている。こんなにも好まれて植えられるのかと、いまさらのように知らされた。別名ヒメシャラともいう。仏教で名高い沙羅双樹があるが、熱帯性の植物のため日本では育たない。お寺などで、その代わりととして、夏ツバキ(ヒメシャラ)が植えられたという説もある。芥川龍之介もこの沙羅の花が好きだったと見え、詩にこの花を書き残している。

また立ちけへる水無月の
嘆きを誰にかたるべき。
沙羅のみづ枝に花咲けば、
かなしき人の目ぞ見ゆる。(芥川龍之介「相聞」より)

こんな詩を思い出しながら、夏ツバキの花を見ると、この白い花は美しい人の涙をたたえた目に見えなくもない。
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梅雨入り

2024年06月24日 | 日記
昨日、東北全体が梅雨入りし、北海道と梅雨の明けた沖縄を除くと、全国的に梅雨に入った。北海道は昔から、梅雨というものがない。近年の気象の変動で、これまでの常識が崩れてしまっているから、北海道が雨がちになるとここも梅雨入りと言っても一向にかまわないのではないか。『季節の事典』という本に梅雨の解説がある。それによると、

もっともらしい説としては、ウメの実がちょうど実るころに降る雨であるからといい、また梅雨は黴雨、すなわちかびの雨であってこの季節には雨が多く、かびが生えやすいからであるともいう。また梅雨とかいてつゆというのは、木の葉などにおりる露のことであるといい、またつゆはつひゆから変化したのもで、この季節はかびが生えたりしていろいろのものがそこなわれるからである。など、など実しやかな言説が紹介されている。

梅雨に堪ふこころ幼く身は老いて 相馬遷子

次々に花の季節が終わっていく。キンシバイがわずかに咲き残り、ビヨウ柳も一輪だけ残っていた。遠くから見ればどちらも同じような花に見えるが、蕊の長さがその区別になっている。どちらもオトギリソウ科の植物だから、似ていて当たり前だ。西洋オトギリソウの名がついている。キンシバイは中国産で金糸桃が正統な名であるらしい。
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夏至

2024年06月22日 | 日記
昨日、夏至。今日から少しずつ昼が短くなる。我が家のベランダのトマトの木が大きくなり、青い実をつけた。カトレアの茎の上に、小さな花芽がついた。一本だけ植えたナンバンの木にも、細長い初なりができた。季節が巡るのがあまりに早い。ひ孫がやがて満2歳の誕生日を迎える。麦わら帽子に、妻が刺繍のネームを入れた。手が効くうちに、ひ孫の誕生祝いにひと針ずつの記念の刺繍だ。

部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす 能村登四郎

夏至は季語になっていない。至は極まりを意味する。昼の長さ極まって、ここから短くなっていく。言葉を変えれば陽の気が極まって、陰の気が生ずる。本格的な夏はこれから来る。一番暑い大暑はひと月後の7月20日過ぎだ。金の詩人、趙秉文の詩「夏至」を読むことにする

玉堂に睡起して苦に茶を思う
別院の銅輪露芽を碾く
紅日階に転じて簾影薄し
一双の蝴蝶葵花に上る
 
詩の意味は、「翰林院でうたたねより覚め、とても茶が飲みたくなる。別棟で、銅の臼で茶をひく。外は真っ赤な太陽が中天に輝き、簾の影も消えた。つがいの蝶がゆっくりと葵の花の上を飛んでいる。」
30℃を超える日が続き、梅雨入りも目前だが、夏の暑さは身体にひびく。お茶はもう、麦茶を冷やして氷を入れる。冷凍庫には、冷たいアイスをたくさん買い込んだ。暑い夏も、あっという間に過ぎ去っていくような気がする。
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セージ

2024年06月20日 | 日記
春に買ったセージの苗が赤い花をつけた。ラベンダーは苗のときから花をつけていて、咲いていくごとに切りとってドライフラワーにしているが、初めてみるセージの花は感動ものだった。花房の下の方から先端へと咲いていく。花の名は、チェリーセージとある。シソ科の一年または多年草とある。花が咲き終わったら種を採取して来年は、種まきから始めるべきなのか。バジルはこぼれた種が、翌春、たくさんの芽を出した。ハーブの栽培は、こんな初歩から覚えなければならない。混んできた葉は摘み取って風通しをよくする。葉はてんぷらににしてビールのつまみする。

秋になったら、枝を半分ほどに切り、乾燥させて保存する。ラベンダーのドライフラワーと一緒に匂い袋に入れて洋服ダンスに下げておくとよい。切り取った枝は、挿し木にして増やすこともできる。抗酸化作用、殺菌力もあるので、冷ましたティーでうがいをしたり、口内の用いられる。
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父の日

2024年06月17日 | 日記
昨日、父の日であった。子供たちから父の日のプレゼントをもらうなど絶えてなかったことだが、銀タラの西京漬けが送られてきた。世間では、母の日はしっかりプレゼントがあって父の日は忘れがちであるようだ。野球の大谷も、将棋の藤井聡太など、天才を生んだのも母親の話題が先行している。

かっての天才棋士に谷川浩二名人の時代があった。名人の父親は、神戸のお寺「高松寺」の住職であった。谷川名人の子供時代は、無口の子だったが、男兄弟2人は、お互いに気が強く、喧嘩ばかりしているよう兄弟だったらしい。何とか喧嘩をしない方法はと考えて、覚えさせたのが将棋であった。父は将棋を知っていたわけではない。盤と駒、将棋の指し方やルールを書いた本を与えた。浩二少年は兄が帰ってくるのを待つ間、一人で駒を並べて将棋に上達していった。

浩二が小学校の入ると、街の道場に通い始める。父が浩二を自転車の荷台に乗せて、道場まで送り、迎えをした。浩二が道場のなかで将棋を指している間、父はじっと外で待っていた。そんな姿を見て話しかけた人がいる。「将棋の腕前も相当なものでしょう?」「いやあ、私、将棋を知らないんです。」「将棋を知らないで送り迎えではつまらないのでは?」父の答えは、「いいえ、子供が喜んで将棋を指しているのを見るのが好きなんです。」

この逸話を聞いて、米長9段がはっと気づいてたことがある。父親のこんな気持ちが、谷川少年を強くし、その後、この世界の最高峰である名人の位に就かせたに違いない。
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