徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:ブレイディみかこ著、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)

2022年02月20日 | 書評ーその他

ブレイディみかこ氏の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとプルー』という本はアイルランド人の夫と息子さん一人と共にイギリスのブライトンの(元)公営住宅地に住む著者が、人種も貧富の差もごちゃまぜの近所の元底辺中学校に通い始めた息子と共に日常的に出会うイギリス社会の歪み、底辺の苦悩と逞しさについて考えていく様子をこのエッセイにまとめたものです。

この本も様々な賞を受賞しているので、すでにご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、日常的な差別を考えて対処していく上でとても示唆に富んだエッセイです。

私が本書に好感を持ったポイントは、差別とそれに基づく時にフィジカルな攻撃を扱ってはいても、差別する側を特別な悪人のように非難するといった正義を振りかざして「差別者」を人として貶める攻撃的な(あるいは報復的な)姿勢がないところです。(「それは差別(用語)だ!」とやたらめったらに突っかかる倫理警察みたいな態度は、それはそれで差別的だと思うので、不愉快なものです。)

さらに、ブレイディみかこ氏のエッセイは息子さんの豊かな感性と母子の対等な対話がすばらしいです。大人は「子どもには分からない」と決めつけてしまいがちですが、これも日常的な差別の1つですが、これを読むと子どもは子どもでたくさん考え、感じ、手探りをしながらも逞しく生きていることがよく分かります。

私自身は差別の本質は人を個として捉えずにカテゴリーとして捉え、そのカテゴリーに含まれる属性がそのカテゴリーに入れられた全ての人に備わっているという誤った決めつけにあると思っています。その原因は怠惰な思考と言えるでしょう。
要するにいちいち考えるのが面倒くさいんですね。だから大雑把にグループ分けしてポンとレッテルを貼って分かった気になるということだと思います。

確かにそのように分類してレッテルを貼るのは合理的なこともありますが、こと人間に関してはカテゴリーやタイプでは判断できない様々な個性や経歴や事情がありますので、大変でも簡単にレッテルを貼らずに目の前の「個人」を意識することが大切だと思います。
あからさまにバカにしたり侮蔑したりするのでなくても、個人を無視して自分の価値観で「こうだろう」と決めつけてしまうことはその人に対して失礼な行為ですよね。

Die Empathie エンパシー(共感)。それは可哀想などと同情する感情ではなく、自分とは違う立場や考えを持っている人の身になって考える能力です。「人の身になって考える」が独りよがりな親切の押し売りにならないようにするには、先入観や決めつけを持たず、相手の語ることによく耳を傾ける、話を聞く能力が必要です。
それが今の社会に不足しているものではないでしょうか。
政治的な議論を観察していると特に、誰も人の話を聞いておらず、クリシェのやり取り、ポジショントークしかしていない印象を強く受けます。

自由はしんどい。多様性はしんどい。
けれども、多くの人がエンパシーを持って考える努力をすれば、きっと今より生きやすい未来があると思います。

そんなふうに考えさせられる一冊でした。


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