芥川賞受賞作『コンビニ人間』でこの作家に興味を持ち、何冊か適当に買っておいた中の最後の一冊がこの『授乳』でした。立て続けに読むにはかなり疲れる世界観が展開されるため、数か月放置してました。
この本には表題作のほか『コイビト』、『御伽の部屋』の2作が収録されています。
『授乳』は高校受験を控えた「私」のもとにやって来た家庭教師の「先生」との間の危うい関係を描く物語です。「危うい関係」と言ってもそこには恋愛的要素は一切なく、「私」の思春期的好奇心や嗜虐心が前面に出ており、「先生」が「生きてて済みません」的な自我の弱い人物で彼女の要求に諾々と応えるのと対照的です。潔癖症で少女のようなところがある母と思春期の女の子を逆上させる要素を少しだけ持つ父に向ける観察眼は鋭く、また「先生」に対して自分が優位に立てることを敏感に察知して彼を自分の「ゲーム」に引き込んで支配下に置くところなど、思春期の女の子の怖さが凄い説得力を持って浮き彫りにされるような作品です。
『コイビト』はぬいぐるみを心のよりどころとする大学生の女子が同じくぬいぐるみをコイビトとする小学生の女の子に偶然に出会い、彼女の常軌を逸した行動を観察しながら自分の行動の奇異さに気づき、嫌悪感を抱いていくストーリーです。
ぬいぐるみが好きな人はたくさんいるでしょうし、私自身も好きで結構たくさん持っていますが、ここに登場する二人はぬいぐるみ全般が好きなのではなく、たった1つのぬいぐるみに異様なほど執着し、それ以外の「外の世界」には基本的に興味を示さず、唯一無二のぬいぐるみの恋人と閉ざされた世界を形成するのが特徴的です。こういう行動は小学生としてもやはりかなり常軌を逸していると思います。自閉症スペクトラム障害の一種でしょうか。主人公はそういった自分から卒業するために彼女が長年愛し、拠り所としてきた「ホシオ」を窓から放り投げてしまいますが、それを見ていた小学生の美佐子が「そんなことしても、ぜったいに、ソレがなくちゃお姉ちゃんは生きられないんだよ」「ソレは形を変えて、必ず、お姉ちゃんの中からもう一匹生まれて来るよ。何度捨てたって、必ず、きのこみたいににょきにょき、生えてくるんだよ」と予言めいたことを言うのが、たぶんかなり的を得ていて印象的です。強迫神経症などでは、こだわる対象が一つ無くなったとしても実際に形を変えて別のこだわりが生じることがよくあるので、この特殊なぬいぐるみ依存症にも似たようなことが言えるのかなと思いました。
『御伽の部屋』は、大学2年の佐々木ゆきが貧血と熱射病で倒れたところを助けられた縁で同じ年の関口要二と親しく(?)なっていく話なんですが、やはりここでも恋愛感情は一切介在していなくて、性的な関係もゼロ。関口要二の潔癖症的に整ったマンションの一室で双方が決まった「役割」を演じ合って二人しかいない閉ざされた非日常の空間と時間を楽しむという関係のようです。しばらくはこの現実感の乏しい関係が安定的に継続しますが、ある日要二の友達ケンがマンションに遊びに来たことによって少しずつずれが生じて行きます。主人公のゆきがどんどん現実とのつながりを失い、究極のナルシズムの中に引きこもる過程が描かれているように見受けられます。
どれも共感できるようなストーリーや世界観ではないので、物珍しく興味深いとは思ってもファンにはなれないと思いました。やはりこの主人公たちの「閉ざされた」関係や世界が醸し出す閉塞感が、やや不快感を催すというか。。。何冊か読んでみて「もういいわ」という感じです。