徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:木内昇著、『光炎の人【上下 合本版】』(角川書店単行本)

2018年12月09日 | 書評ー小説:作者カ行

『光炎の人』は2016年に上梓された木内昇の最長編小説で、明治後期から昭和初期の日本の技術躍進期に徳島の貧しい葉煙草農家の三男に生まれ、小学校も卒業していない郷司音三郎が、徳島の池田にある葉煙草工場の職工、大阪の小宮山製造所の職工、大都伸銅株式会社の技師を経て、東京の陸軍お抱えの十板火薬製造所の研究員にまで上り詰める立身出世を描きながら、音三郎を通して技術開発における指標や理念とは何か、理念なき開発がどこに行きつくかを問います。

音三郎は子供のころから頭がよく、小学校の授業に退屈していたので、学校をやめて家業を手伝うように言われた時はむしろそれを喜び、いかに工夫を凝らして家業を大きくするか考えを巡らすことに夢中になっていましたが、幼馴染の利一が山を下りて池田という街の工場に働きに行くというのに誘われ、そこで葉煙草を刻む最新式の機械を見て、その機械に夢中になり、職工として働きながら機械について学んでいきます。その刻み機が旧式になった頃、煙草が政府の独占するところとなり、煙草工場の先行きが怪しくなり出したので、出入りの商人に機械工として見込まれ、先輩の機械工と共に大阪の小宮山製造所に紹介されます。そこで電気のための銅線やソケットの製造に携わりながらますます電気に魅入られ、自腹で仕事の合間により良い製品開発をしようと実家への仕送りをやめて貯金し、材料を仕入れようとするなど、一機械工にあるまじき並々ならぬ執念を燃やしますが、結局自分が開発しようとしていたものは大手に先を越されて苦汁をなめることになります。その経験を通して製品開発にはそれ相応の環境が必要ということを学び、大阪工業界の重鎮・弓濱に目をかけられたことを利用して大都伸銅株式会社の技師に収まり、無線開発に没頭し、そこでの製品化に挫折すると、今度は学歴を詐称して弓濱の紹介で十板火薬製造所の研究員になり、無線分室長の肩書を得て、関東軍の通信兵養成のために満州に渡る、という波乱万丈の一代記なわけですが、その中で最初は純朴な機械マニア・電気マニアであった主人公がどんどん歪んで、人として大切なことを見失っていく過程が何とも苦々しいです。実家の兄たちには当たり前のように送金を要求され、礼の一つも言われずに大阪で自分だけいい思いしているとなじられたり、最初は送金の催促だけしに来ていた叔母が主人公のところに居候するようになり、なんで自分が叔母を養わなければならないのかと理不尽な思いをして、こういう人たちを切り捨てようとする心の動きには非常に共感できるのですが、結婚を前提にお付き合いしていたおタツに対する態度は「この唐変木!」と詰って足蹴にしたくなるような身勝手さですね。とにかく自分の開発したものを世に出すという功名心に憑りつかれ、結局関東軍の思惑に絡めとられてしまうのは自業自得なところもありますが、根が純朴で交渉下手である主人公はうまく立ち回り切ることができず、悪人になれないところに気の毒だと思う余地があります。小学校中退という学歴ながら、自分の興味のあることはどんどん質問して先輩から学び、また図書館に通ったりして必死に最新知識を取り入れ、試行錯誤を続けてたその努力が今一つ報われないまま終わるのはやはり同情できます。自分より学歴のある同僚にライバル心を燃やして、国のためになるような大きなことをして彼らを見返そうとすることに執着したのがやはり道を誤る原因だったのだろうと思います。過分な競争心や焦りの導く先にはろくなことがないということをこの小説は教えているようです。

大都伸銅株式会社時代の音三郎の同僚金海が、「電気は素町人(阿呆)が使っても大丈夫なように安全を確保しなければならない」という理念のもとに安全器を開発し続け、ついに製品化し、外国からも引きが来るほどの商業的成功を収めるところが非常に印象的です。この金海という人は工業高等学校を出ていることをはなにかけ、職工たちを馬鹿扱いするかなり口の悪い鼻持ちならないキャラなのですが、それでも技術者としての責任をよく理解しており、その点に関しては決して信念を曲げないという、なかなか尊敬に値する面もあります。もちろんこの金海の「御託」が音三郎にはうるさく感じられ、また彼の学歴に対する劣等感が刺激され、ライバル心を燃やす余りに変な方へ行ってしまうきっかけにもなっています。この金海がもうちょっと職工を尊重する人で、伸銅一筋の触るだけで銅の表面の状態や空気の含有量まで分かるという職工の駒田のように音三郎が尊敬できるようなキャラであったなら、音三郎の人生も違ったものになっていたのではないかと思わなくもないです。

この長編小説の素晴らしいところは、大正デモクラシーや治安維持法成立の世間の受け止め方、日露戦争や第1次世界大戦と日本の景気や貿易の流れなどが丁寧に描写されているところです。また、音三郎の技術的試行錯誤も丁寧に描かれており、物理、特に電気関係を大の苦手とする私も何やら分かったような気になれるところも魅力的ですね(笑)著者も理系は苦手で、この点には非常に苦労したとのことです。木内昇氏はかなりのチャレンジャーなんですね。

合本版には著者とのインタビューも収録されていて、それによると著者はこの作品を書くにあたって、戦争と技術について思考を巡らせており、東日本大震災と福島第一原発事故が「技術の暴走」についての考察を深めたそうです。

この作品の中では「技術の暴走」はさほどしているようには見受けられませんが、音三郎という技術者は暴走していると言えるかもしれません。そしてその彼の技術を利用して関東軍が暴走を始める図式が見えます。


書評:木内昇著、『漂砂のうたう』(集英社文庫)~直木賞受賞作

書評:木内昇著、『櫛挽道守(くしひきちもり)』(集英社文庫)中央公論文芸賞・柴田錬三郎賞・親鸞賞受賞作

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