茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

茶花教室へ

2009年10月21日 | Weblog
今日は茶花教室です。
お花がにこやかな貌を見せてくれると良いのですか・・・!
今日の占いだと、「美的センスがアップしそう。個性的な作品に挑戦すると吉」ということだから救われるかしら?
がんばってきます。

美的センスアップはうそでした。
とことん駄目だしでした・・・。悲しいかな我がセンス!っていう感じでした。
「野に咲く花のように・・・」っていうけど中々難しい。
今日の花は5種類。リンドウ、藤袴、吾亦紅、雪柳、尾花の5種を籠に入れます。とっても大変でした。「もっと自然に!」っていうけれどね?やっぱりいける姿の形を考えてしまいがちです。自然にが難しく感じるのはやっぱりセンスがないのかしら?
よって、今日の花たちの写真はなし!だって全然だったから・・・。
そういえば、以前月例に駄目だし5人組?の方々に茶花の駄目だしを受けたことを思いだしました。
あ~あ、茶花のセンスがほしいな~?なんて思った今日でした。


茶の湯の里で茶会その後・・・!

2009年10月18日 | Weblog
今日は茶会日和。
千葉の奥まで車を走らせました。
高速を降りて5分ぐらい、そこは竹林の中です。
拓けたところに茶の湯の里はあります。
全部で3席。かなり広い敷地ですが大勢さんがお越しになってました。
すごかった~!
庭の見える席で昼食をしてとってものんびりでした。日差しが気持ちよかったです。
いつも思うのですが茶会の席主さんて大変だろうな~?って!
道具合わせや点前やお運びや・・・。
でも楽しかったです!

のんびりしました。のんびりしすぎておまわりさんに捕まりました。携帯保持で・・・。ついていない!今日はついていない!
おまわりさんて嫌いだ~!捕まえた上に説教までしていった・・・。気分は最悪!今日はついていない!おまわりさん嫌いだ!・・・。
そうでなくったって私の周りは説教をする人が多いのにあのおまわりさんは捕まえた上に切符を作成しその上に反則金も請求してそしてお説教していった!
まぁ、だだをこねた私がいけないのだけど、今日はついていない。
大体おまわりさんの捕まえるときに文句はみな同じです。マニュアルがあるのだろうと思うくらい揃っています。「世のため人のためあなたの為です。・・・、今回見逃してしまって大事故をしてしまったらどうするのですか?私たちは後悔してしまいます!・・・」悔しいやら憎たらしいやらで「本当に後悔するのか?」なんて思ったりもするが違反違反って・・・!
実はうちの広報部長もおまわりさんです。
だからおまわりさん口調は慣れたものなのに、なぜか捕まった時だけ理解できない話し方と思う!
ちなみにうちのおまわりさんは、お茶目です!ただ、説教は長いので要注意なんですが、いい人です!でもおまわりさんなので、こんな時はみんな同じおまわりさんとなり大嫌いです!(怒られそうですが・・・!)
本当に憎たらしいくらい強く悔しい一日になってしまった!
平和な一日を過ごすはずだったのにあぁ~も~最悪!

なので今日はおとなしく自宅へ帰ることにしました。

明日はいいことありますように!そう願って早く寝ることにします。

おやすみなさい。

茶雅馬教室土曜日クラス 

2009年10月17日 | Weblog
今日はゆっくりお稽古します。
色々な行事が終わりやっとゆっくり・・・です。
今日は一日貞恭庵です。
たまにはゆっくりと茶室にこもって茶室の風と会話したいものです!

今日は時間もありそうだからお掃除も念入りにって思ったら、とげを刺してしまいました。結構痛かったです。
ついていない・・・。
気持ちを和らげようとしてくれたのか現実を見つめよ!と思ったのかひとこと「先生、怪我と病気どっちが多いですか?」「う~ん!一緒くらい?」
「そうなんですか~?」
ということは、そっか?人はどちらかなのか?なのになぜ私は一緒くらいあるのかな?なんてひそかに思いつつ、話は厄年の話へ突入!
結構面白かったです。いや、厄年の大変だった話が面白いのではなくそんな話ができたことが楽しかったんです。だって厄年の話ですから悲惨な話も・・・ね?
でも人って厄年は厄年なんだな~?なんて思ったりもしました。
行き着くとこ、「人って中々くたばれないんですよね?」っていうことだったのですが、生きている役目があって突き進む力があって証があるんだな?って。
ちょっとそう思ったら貞恭庵との出会いってなんだろう?っと考えてしまいました。
そんな話をしてのんびり、お陰でお稽古はやっぱり時間がなかったです。いつものことかな?ごめんね!
ちょっと反省しています、今日の呟きでした。



日蓮と法華の名宝 -華ひらく京都町衆文化-

2009年10月16日 | Weblog
             ~お勧め展示会のご案内~

-華ひらく京都町衆文化-
2009年10月10日(土)~11月23日(月・祝)
京都国立博物館

文応元年(1260)、39歳の日蓮は、国家の危機を憂えて、『立正安国論』を著し、鎌倉幕府前執権の北条時頼に献じます。
日蓮は、これらが原因で後に佐渡へ流され、苦境を忍ぶことになります。
その一方で、この『立正安国論』で予言した「他国侵逼難(たこくしんぴつなん)(他国が攻めてくる災難)」が、蒙古襲来(文永・弘安の役、1274年、1281年)という現実となったことで法華信仰を確信するに至ります。
平成21年は、それから750年の節目の年に当たります。
本展はこれを記念し、『立正安国論』を軸に、鎌倉新仏教の一翼を担った日蓮の足跡をたどり、その門下の活躍、特に孫弟子にあたる日像の京都布教以降、公家文化と並ぶ町衆文化の形成に果たした日蓮諸宗の大きな役割を紹介します。
日像は三度の京都追放にもめげず、帝都布教の悲願を達成し、大覚大僧正妙実(だいかくだいそうじょうみょうじつ)という優れた後継者を得て、その基盤が確立しました。その後法華信仰は、室町時代を通じて町衆から広がり、京都は「題目の巷(ちまた)」と称されるまでになりました。
その伝統は京都十六本山を中心に受け継がれており、それを支えたのが町衆だったのです。
町衆が京都近世文化の形成に大きな役割を果たしたことは知られていますが、名だたる近世の芸術家たちが法華の信者だったことは意外と知られていません。
たとえば、狩野元信、長谷川等伯、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、彼らがみな法華信徒であったと聞くと「エッ!?」と驚く方も多いのではないでしょうか。
法華信仰の遺品はもとより、これら近世日本美術の名家の優品も展示し京都町衆文化との関わりがわかります。
日蓮宗十六本山を中心に多くの新発見に結びついた展示会です。
中には重要文化財級の作品もあり、数多くの初公開作品もあります。

日蓮が育んできた世界、そして名品との出会いを感じていただければと思います。
ぜひお出かけ下さい。



光明寺 ~ 十夜法要会 ~

2009年10月15日 | Weblog
鎌倉にあるこの寺は、天照山蓮華院光明寺といい、浄土宗の大本山の一つです。
創立は鎌倉時代の寛元元年で西暦1243年といわれています。寺を開いたのは浄土宗三祖然阿良忠上人です。
宗祖は法然上人で、二祖は久留米の善導寺を開かれたお弟子の聖光上人です。
良忠上人は石見国(島根県)に生まれ、三十八歳で聖光上人の弟子となり、法然上人の教えを受け継ぎ、浄土宗の三祖に。
良忠上人は鎌倉幕府第四代の執権、北条経時公の帰依を受けてこの光明寺を開かれ、その後も北条時頼公をはじめ歴代執権の帰依をうけ、七堂伽藍を整え、関東における念仏道場の中心となり、後土御門天皇より『関東総本山』の称号を受け、国と国民の平安を祈る『勅願所』となりました。
江戸時代になると、徳川家康公は当山を関東十八檀林の筆頭におき、念仏信仰と仏教研鑽の根本道場となりました。檀林とは徳川幕府が定めた学問所です。
当寺は浄土宗の「お十夜」発祥の寺です。
お十夜法要は第九世観譽祐崇上人の時(明応四年・1495年)に始まりました。御土御門天皇の勅許をうけ、引声阿弥陀経と引声念仏による十夜法要を勤めるようになり、今も古式によって毎年十月十二日より十五日までの四日間盛大に法要を勤めています。
 光明寺の前の海、材木座和賀江島築堤の痕跡は海から鎌倉に入る湊の跡です。
急速に都市化した幕府開創当時にはおびただしい量の物資が海からここに陸揚げされたのです。材木座は建築木材の集積から出た名です。
山門に「天照山」という大額が掲げられています。この額は旧門に永享八年(1436)後花園天皇より下賜されたご宸筆です。

そのお十夜法要会に興味があって行ってきました。
鎌倉の駅から近いと思って元気よく歩いて行きました。途中空腹を感じましたが終ってしまったら大変と思い、終ってからご飯食べよう!と考え「めざせ光明寺」で向かいました。けっこう遠かったです。すっかりお腹が減ってしまいました。
たどり着いたときには法要はすでに終了間際、ただ最後には間に合ったようでした。
それにしてもタイミングがよかったように思えます。団参の席とは知らずちゃっかり空いていた席にしっかり座って最後のお経を聞き、お唱えして建物の説明を受けて終了。
あまり正座もしなかったのでしびれることもなかったですし、天気もよかったので楽しく勉強できました。
伝統衣装に身を包んだ坊様方は圧巻でした。法然上人絵伝を見ているようでした。
法要会も終わり再び空腹を思い出し、近くにあったどんぶりやさんへGO!
釜揚げしらす丼、美味しかったです~。
しらすって大好きなんですよね?食べただけでは物足りず、しらすの手土産も求めてしまいました。
ちょっと満足です。
ただ、折角鎌倉にきたのだからと思って少々町歩きをしました。
たどり着いた先は、なんと千葉家の一族の墓でした。
相馬家の祖で初代の相馬師常でした。鎌倉時代初期の武将千葉常胤の次男です。洞窟の中にお墓があるのですよ!ちょっとびっくりでした。
それにしてもお導きかしらと?!と思いお参りしました。
その後、冷泉家の墓参りをして帰りました。
鎌倉はやはり歴史を感じる町でした。
後から調べたら光明寺は相馬師常の父、千葉常胤の墓があったようです。息子に会いたかったのでしょうか?(おっ、こわこわ)
「南無阿弥陀仏」最後に間に合ってよかったです。

陶芸教室に行ってきました ~午後の部~

2009年10月14日 | Weblog
食事と坊様のお話を伺っている間だけなのに粘土は随分と乾きました。
自分の作品がどれかしらと思うくらい好いできで?探してしまいました。ただ、名前を書き忘れただけですが・・・。
みなさんけずりってわかります?
私は初めてでした。
カンナを使って茶碗をどんどん削っていくのです。厚さを整えることと整形作業のことなんです。それで、重さを軽くします。あまり軽くすると穴ぼこがあいたり焼いているときに割れたりするそうです。
先生曰く、この削りの作業で、今までに力を入れすぎて30名に1人は穴を開け、修正がきかなくなっている方がいるそうです。
それだけはなるまい!とみんな必死でした。
結構削りって楽しいです。少々スリリングなところが・・・。
さすがに先生方は大胆にあっさりとてきぱきとがっちり削ってしまいます。
私のも「もう少し削りましょう!」って言ってバッサバッさ!ザックザック!ごしごし!
「あ~穴ぼこ開けたら作りかえてくださいね?もいいですよ!そんなに・・・。」
「私はプロです!大丈夫です!心配しないで下さい。」先生不安がる私を横目でにこっと微笑んで茶碗に目をやりつつ、一言ガツンと言いはなしました。
それもそうだけど「もっと優しく削っても・・・」って心の中で思いました。
今日の先生は3名です。陶芸家の3名です。プロです。物つくりの鬼たちです。そのせいもあって作品に対して妥協がなく無理は無理、やることはとことんと夢中で作業して下さります。
少々飽きてきた人達を横目に、夢中になってよい作品つくりの手伝いをして下さってくれました。
そのせいもあってか、「私の作品壊さないで~」と思うほど大胆でした。
プロにとっては当たり前の作業ですが、初めての人間にとってはびくびくですから結構心配しましたよね~?
きっと先生方は「うるさいな~?」って思っているのだろうな~?って思いましたが、その大胆削り作業をやめることはしなかったので、本当に夢中になって作り上げる方々なんだろうな?って感じました。
そうはいっても自分のだからちゃんと自分であとは作り上げましたよ!
しっかりと陶芸家になりつつ、頑張りました。自分の作品だから愛情たっぷりですよ!

あっという間に4時です。そろそろ帰り支度です。
作品に思いを残す人もいましたが、これで終了。
先生方と一緒にひと息つきました。作品のこれからの作業を聞き皆さん納得した上で、全員集合!記念写真。きっと記念すべき写真でしょうね?
先生方が見送って下さり、今日は本当に有難うございました。
心から御礼申し上げますそう思いました。

東京まではきっと渋滞です。早く帰らないと・・・。

皆様お疲れ様でした。
秋の課外授業も終ってしまいました。楽しみだったことは本当にあっさりと終ってしまう。寂しいものです。

次はなんでしょうね?




陶芸教室に行ってきました ~念願の~

2009年10月13日 | Weblog
午後はご本尊とのご対面から始まりです。
「うちの阿弥陀如来様はとても素敵なお顔をされています。ぜひお会いしていただきたいです」と言いつつ、午後まで会わせてくれなかったご本尊とやっとのご対面。
やっと会えた~!そんな気分でした。
ご住職からご本尊やお寺の由緒そして徳川家との関わりなど説明をお伺いしました。真面目に聞き入っていた私どもでしたのでほとんど大學の講義のようでした。
多分1時間・・・。長かった~!一瞬、マグロになってしまった!ほどでした。
楽しかったですが、お昼を食したせいもあって坊様のお話が心地よい子守唄に聞こえ始め気がついたら「それではですね・・・!」って話が終ってました。
改装された本殿ではありますが、400年前左甚五郎と仲間によって施された堀や彩色が現代も面影がのこり、その当時はさぞや華やかで重厚のある見事であったように感じます。
他にも仏像が多く並び、どことなく落ち着く安らぎを感じる場所に思えました。
当時は多くの坊様の学びやだったそうですが、残っているひとつひとつを拝見してもその当時は大勢の人々が集った力のあったお寺だったのだろうと思いました。
木々に囲まれたあちらこちらからパワーを戴いた気がしました。

このお寺は千姫とのゆかりのお寺です。
坊様は千姫に大変興味を持っていて追求していたようです。多分調べているうちに坊様は千姫に思いをよせて行ったのではないでしょうか?とっても楽しそうにお話されていました。
400年経ってご住職に思われる千姫様って素敵ですよね?
ただ、それだけ思っているのに、千姫さまとは未だにご対面したことがないようで千姫さまは冷たい方か、シャイな方かと少々ふくらせて楽しんでしまった・・・。
坊様の淡々とした口調の中でユニークな話をされつかみどころのない面白さを感じものつくりの面白さを追求する人なんだな?とちょっと思ったりもしました。
不思議な坊さまでした。

さぁ、粘土も乾きこれから削りの作業です。
良い形になりますように!先はながそうです。

陶芸教室に行ってきました ~午前の部~

2009年10月12日 | Weblog
窯がある茨城のお寺まで、朝もはよから行ってきました。
集合場所に着く前にお弁当と友人をピックアップしなきゃいけないので、今日はいつもより機敏に動かなきゃ!って思っていたら目覚まし時計より先に起きてしまった。
目覚まし時計が鳴る時間まで布団からでないようにもぐりこんでじっと我慢50分。だったらおきていればいいのにって思うかもしれたいけど、そこだけは睡眠時間がもったいなくってもぐっていなきゃという気分でした。
目覚ましと共に起き上がり徐に準備をして車を走らせお弁当や友人をピックアップしてお寺へ到着7時45分。
珍しい程に早く着いたので友人は早すぎる文句も言えず「本堂にお参りしたい!」とこれまた珍しいことで、揃って朝のお参りをしました。
誰もいなかったこともあって久々にゆっくりと会話が出来た気がします。
ご本尊もずっと座ってみんなの願い事を聞くってたいへんだろうな~?そんな気持ちを察してしまったり・・・?どうしたらそんなに背筋を伸ばしていられるのでしょうか?とも思ったり、勿論いつも有難うございます!と感謝の気持ちを申し上げたり色々の話をしました。
清清しかったです。
みんなを待ってバスに乗り組みいざ出発!
それぞれの思いをのせて茨木のお寺までGO。
そこは歴史のある町でもあって木々が多く気分まで陶芸家にさせてくれる町並みでした。
到着時刻9時45分。
何故か本堂にお参りはせずにいきなり陶芸教室開始。
ご住職がみんなの分「おはようございます、はじめまして宜しくお願いします!参り」をしてくれたというのです。
理由は、今日一日の肯定が大変なために早めに始めないと終らないとのことでした。お昼休みに粘土を乾かしている間にお参りしに行くから待ってて下さいとご住職が先にご本尊とお話していたようで・・・、ちゃっかり住職です。

陶芸教室では各々が真剣そのもの。
26名の心は陶芸家でした。
今回茶雅馬教室の仲間とその家族と友人でした。
初めての顔合わせの方のいるのに、同じものを打ち込むということですぐに仲間意識が芽生え、打ち解けているように思えました。
手も口も進みあっという間にお昼ご飯です。
そう、あっという間の2時間。早いですね~?
やっとひと息のこのときを待っていました。
お寺から差し入れもあって気分は遠足です。遠足気分でお昼時間!楽しかったですよ!
お昼の食事は「いただきます」のご挨拶から始まります。
長い長い文句に本当にご飯を戴くのだな~?そう思うくらいの重々しいご挨拶!
そして「いただきます!」
この時間を待ってました。至福の時間です。

それにしても26名は長い長いテーブルでした。ちょっとびっくりでした。
私の中の26名は少ない人数でしたが実際みてみると大勢ですね。
よく集まって下さった!そんな気持ちもあって皆さんに心から有難く感じた瞬間でした。私にとってもやっとひと息の瞬間でした。

さぁ、午後からは後半戦頑張らないとね?