茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

土曜の丑の日

2007年07月30日 | Weblog
今日はうなぎの日。うそうそ。
土曜の丑の日です。皆さんうなぎは召し上がりましたか。
なぜ、土曜の丑の日にうなぎを食べる習慣があるかは、いくつかの諸説あります。
讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が一般的であるが、万葉集には大伴家持が、夏痩せの友人に鰻を食べるように勧めている和歌が収められています。

江戸時代、商売がうまく行かない鰻屋が平賀源内の所に相談に行ったところ、源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。
すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したという。
ただ、鰻にはビタミンB類が豊富に含まれているため、夏バテ、食欲減退防止には効果的であり、そういった面から鑑みると、当時夏の時期に鰻を食べたのは実に理に適った習慣であるともいえる。
ちなみに、土用の丑の日に食べるものは鰻でなく「う」の付くものでいいのだから、うどんでもうさぎでも、うぐいすパンでもいいらしい。
主に鰻を食べるのが主流なのは先ほどにも記述したように、ほとんど習慣に近いものになっているからである。
江戸時代からのもので、今でいうバレンタインデーやホワイトデーと一緒かと思ったらちょっとがっかりでした。
まぁ、栄養があるから救われるかしら?
今日はすでに私はうなぎを戴きました。


隅田川の花火大会

2007年07月29日 | Weblog
昨日は買い物で隅田川周辺へ車で走ってましたら、午前中からすでに席取り合戦でした。びっくりしました。暑い中倒れないのかしらと心配してしまうほどでした。

昔は毎年見てました。なぜなら祖母の自宅だ両国だからです。
屋根の上の物干し台から充分に見えたんです。
昔の花火は朱色の一色だったようです。
そもそも花火は戦争や震災でなくなった方への慰霊で始まったところが多いと聞きます。
記録ではっきりわかる最も古い花火大会は、隅田川花火大会でありますが、確か隅田川は江戸時代に伝染病が流行った理由に始まったはずです・・・。
徳川家康も花火見物に行った記録があると聞きました。

1980年ごろでも、名のある主な花火大会は10~20くらいであったそうです。
しかしその後、安価な中国産花火が大量に輸入されるようになり、1985年に鍵屋十四代天野修が電気点火システムを開発すると、少人数で比較的安全に打ち揚げができるようになったことから、花火大会の数は激増した。日本煙火協会によれば、2004年に行われる花火大会は200近くにのぼる。協会が把握していないものもあるため、実数では200を超えると考えられる。

◎○日本三大花火大会◎○

大曲花火協議会(秋田)・長岡花火大会(長野)・取手花火大会(茨城)

今年はどちらの花火見物をお考えですか?

選挙って・・・

2007年07月27日 | Weblog
はたと気がついた。明後日が選挙投票日ということが。
ある時が切っ掛けで選挙には何故か縁がある。
市長選、県会議員選、市議選と何かしら関わっていた時が6年ぐらい続いた。その度に応援にいったり、挨拶にいったり色々・・・。
敵味方、善悪本当に色々なものを見てきた。
暫く遠のいて4年、また何故か去年区議会選挙で復活。
自分の選挙地区ではなく、友人が突然出馬すると聞き血が騒いでしまった。勿論、友人は新人、初出馬、初当選!!!みんな大いに喜びを実感し、嬉しさを隠せなかった。
そして今回、私の大学時代の先輩が参議院初出馬をしました。
今回は血が騒ぐというより、お礼兼ねてご挨拶に行かなければと思っていたが、中々いけず今日になってしまいました。
実は、この方、自分が企画したコラボに参加しますとの返信FAXをした主。それも落ち込んでいる夜中に突然受信。本当に有難いFAXの当事者。ただ、当日は代理人での参加になってしまいましたが、夫人に付き添われてお越しになり、楽しかったと話して下さりました。そんな思いもあって今日選挙事務所に行ってきました。
当たり前ですが本人は出動中!会えませんでした。
ただ「折角きたのだから喉を湿しませんか?」と冷たい麦茶を戴きました。隣の方と生意気にも世間話をしてしまいました。「今回の選挙はどうですか~?どんな傾向ですか?」「そうだね~・・・」「ただ、どんないい改革を掲げていても当選しなければ意味がない」などなどと、力の入る話をし、いつの間にか自己紹介。
本当なら先に自己紹介なのだが、何故か後に。相手のおじ様は、「ここで知り合えたのも何かの縁、貴方の味方になってくれるよこの人!必ず動くよ、訪ねてみな。」といい、ある人を紹介してくださりました。
ほんのひと時、力の入った話を一緒にして居ただけなのに「これもご縁」といって下さる心の大きさに感謝感謝でした。
「人って優しいじゃない、捨てたもんじゃないじゃない」なんて思いながら、「ご縁」を大事にすることの有難さで、今日の私はすっごく救われました。
選挙は当選しなければ意味がないし、やりたいことも受けいれてもらえない。
勝ってなんぼのもの。ただ、それが正統論ならなお更回りも応援したくなる。
いつも思うが、選挙は人の繋がりつくる、暖かさを感じる、その場に居ることを有難いと思えるほど皆が仲間意識を実感する。
当事者だけでなく関係者皆が全力でぶつかっているからだと思う。
「同じ釜の飯を食べた・・・」と同じ気持ちにさせられるのはどの世界でも同じであろう。仲間っていいもんだ。「ご縁って大事にしなければ」そう感じた一日でした。おじ様、ありがとう。

散歩、散歩、散歩 IN 中央区・江東区・墨田区!

2007年07月26日 | Weblog
歩け歩けの会ようにただひたすら歩いてきました。
中央区の月島がスタート地点です。
月島、佃島、相生橋を渡って江東区へ入り深川のお不動さんへ。それから、清澄庭園に行き、柳橋を渡って墨田区へ入り森下、両国、終着点の両国駅に。ここから電車に乗って帰宅。
実は月島で食育に関しての料理教室が行われてました。これに参加することが目的でしたが、何だか歩きたくなって散歩開始。
暑いながらの歩きでしたが、とっても面白かったです。
途中、焼き豚で人気の高い肉屋さんでお肉を購入してしまったので、ひたすら肉がゆだらないかな~なんて心配しながらあちらこちらと歩き回ってました。
これも寄り道か、情報収集か、はたまたストレス解消か・・・。
歴史が案外ある道だな~と感心する程に道のあちらこちらに説明書き看板が点在してました。びっくり!
又歩きたい道ではありますが、今度は肉を買わずにゆっくり歩きたいです。(ははは)
とんだ思い付きの一日でした。

コメントを受取って思うことは? ・・・有難い その2

2007年07月25日 | Weblog
突然ですが、
「コメントを受取って思うことは?・・・有難い」
と題したわけは、何故だと思いますか? 
コメントって、ブログを書いている側にはとても有難い存在です。
カオの見えない方からのメッセージですからね。
それだけに、一つ一つのコメントはどれも私にとって「ナンバー1」です。
順位なんてありえない、つまり全てが「オンリー1」なんです。
元気を沢山もらって力となってます。
有難いコメントではあるが、毎回返事をするのもいやらしいから特集として扱ってみようと考えました。横着ですかね?!
特集その2を楽しみにしていて下さい。
少しづつですが、有難いコメント増えてきました!!!
私にとっての「オンリー1」をご紹介しま~す。
そんな思いを込めて新たな試みをはじめた次第です。
皆さん、今日も一日元気にいこう~。




コメントを受取って思うことは? ・・・有難い その1

2007年07月24日 | Weblog
ブログをはじめて数ヶ月、沢山のコメントを戴いてきました。その度に色んなことを感じ学んできましたが、コメントに対しブログで公開返信は避けてきました。
それは以前に、「このブログはブログであっても二人だけでやり取りしているようで返事の出しあい。公開交換日記みたいだね。意味がないね。」といわれたことが原因。私も「それもそうだな」と思い、それ以後自分がコメントに対して返事をするのをやめました。
私が発信した内容に対してみんなが色んな意見を言ってもらえるように努力しようと考え直しました。ただ、戴いたコメントには自分なり考え思うことは常にあって、有難いな~なんて思っておりました。
さて今回現在の自分にダブるところを感じ、そして応援してくれて有難うって切に感じたので、戴いたコメントに対してあえて話したくなって掲載しました。
コメントを下さった蕪さん、有難うそしてここで披露させて戴く事をお許し下さい。
コメントは次の通りです。
題名は「寄り道」

私の息子は今年、新小学1年生。学校から家まではわずか子供の足でも5分位の距離です。まぁ、1年生なので下校時間もまちまちなのですが、帰って来る時間は下校時間から30分も過ぎて帰ってきます。何処で何をしてくるの???初めのうちは何処の家の親もそう心配するのが当たり前です。そして、すごーく怒りました。「誘拐されたかと思ったじゃない??」でも息子は楽しそうに「寄り道するつもりじゃ無かった」と話ますが、以外に毎日聞いているとこの「寄り道」面白いです。四葉のクローバーを見つけたりだとか、知らない虫がいたとか、秘密の抜け道を見つけたりだとか・・・。そうやっていろんなことを身に着けていくんだと今はこの素敵な「寄り道」を見守ってます。自分たちの小さい頃も意外にたくさん寄り道したと思います。大人の「寄り道」素敵じゃない??たくさん寄り道してもいつかは目的にたどり着くのだから。

このコメントを戴いて本当に元気がでました。
そう、大人も子供も一緒なんです。
寄り道といいつつも人生ではその人の生きる道です。一本なんです。
沢山の駅を自らが作ってもいいじゃない?その先にはきっと、大きな明るい未来駅が現れると思うから。
いつか振り返ったとき寄り道が電燈のように赤々に光ってみえたら、成功への路を実感できるかしら?!頑張ろう!!!
そんな夢を描いてしまいました。

江ノ島弁財天と・・・

2007年07月23日 | Weblog
江ノ島といえば、江島神社でしょうか?
宗像三女神を祀っています。それぞれ三女神(三姫)が祀られている場所は
  西方の「奥津宮」に多紀理比賣命
  中央の「中津宮」に市寸島比賣命
  北方の「辺津宮」に田寸津比賣命
そして三宮合わせて「江島大神」と総称しているのです。
江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれ、日本三大弁天の一つに数えらています(他の2つは竹生島の宝厳寺と宮島の厳島神社)。
辺津宮境内の奉安殿には八臂弁財天と妙音弁財天が安置されています。
八臂弁財天は又彩色弁財天ともいい、源頼朝は文覚上人に命じて鎌倉初期の作で、ヒノキの寄木を八つのひじの八臂弁財天像として最も優れ重要文化財。
妙音弁財天は全裸の弁財天で、琵琶を持つ姿は美しく非常に珍しい、こちらもまた鎌倉期の名作です。
開運、除災、財宝、音楽、芸能上達の守護神である故にか、平日ではあったが島に人が大勢足を運んでいた気がします。
江の島には、平成5年5月に鹿児島の高野山最福寺別院から創建された大師堂があります。ここに行きたくてこの島に渡ってきました。
薄暗い本堂には赤不動像(6m)が鎮座しています。何人かの人々がその仏様に向かいながら、のんびり寛いでいる。別に何をするわけでもなくただぼ~っと。
窓からは海が見えるのに、ただ仏様を眺めているだけの心地よさが堪らず、心が穏やかになった。
実は、私も坂に疲れてかそこで暫く居眠りをしてしまったほどである。
神仏両方に今日はお参りしました。
いいことありますようにと願いつつ旬のシラスをつまみにグイットいってしまい、帰りのバスと電車でまた居眠りでした。
暢気な日帰りのたびでした。


護衛艦 さざなみ・・・海上自衛隊!

2007年07月22日 | Weblog
海の日に山口県下関市に、「護衛艦さざなみ」が停泊していました。
勿論、市民に乗艦してもらう為に2日間限り、港にいました。
全長151m。全幅17.4m。乗員数170名速力約55km/h。そして9.7tのヘリコプターを乗せています。護衛艦だけに、武器の多種搭載しています。
びっくりしたのは、艦内では組織が編成されており艦長を筆頭に大きく分類して7つの科で、艦内の指揮統率を図っているとのこと。
砲雷科、航海科、船務科、機関科、飛行科、補給・衛生科です。
機械システムの自動化等で、省人化省力化が図られているとともに、長期の洋上での任務遂行を余儀なくされる乗員の移住環境にも配慮されている艦だそうです。
当日は、100名の船員が随所で市民に説明をしていました。
普段見学することが出来ない艦船だけ大勢の方々が乗船しており、色んな質問を投げかけていました。私も色んな部分に興味を持ちましたが、一番気になったことはやはり「海軍のカレー」だと思います。
答えて戴きました。
毎週金曜日の昼食に登場するのは、カレーライス、ソーセージ2本出るそうです。
「やっぱり海軍のカレー、今でも存続していたのだ」と嬉しくなった一幕でした。
海の日に良い体験をさせて戴きました。艦船の次の目的地は、とりあえず太平洋だそうです。・・・行く先は秘密だそうです。

この「さざなみ」の基地は広島県の呉。
造船所は三菱重工業長崎造船所だそうです。護衛艦さざなみの凄さに乾杯!

湯西川温泉・平家隠れ里そして女将

2007年07月21日 | Weblog
先日訪ねた旅館の女将に帰り際、「貴方に渡したわよね?私の本!」そんな問いかけに、素直に「えっ、いいえ。」と答え、女将は「では今もって来るわ。読んで!私の半生紀」と軽く話すので「はい。ありがとうございます。」と私もあっさりと返答してしまった。そのときは、あまりに壮絶な本であるとは検討も及ばなかった。
何故なら、私の周りには年配者が多いせいか、歴史を残す手段として、手記や生い立ちを綴った本を出版する方々が多い。
今回も人生の先輩からのメッセージと受け止めていた為に、何の戸惑いもなくあっさりとお礼を言ってしまった。
自宅に帰り戴いた本がどうも気になり、湯西川温泉からの4時間の運転には少々疲れは感じていたが「かずら橋を渡って」と書かれた女将の本を読み始めた。その日のうちに、261ページ「女将の半生」を最後まで読み続けてしまいました。
一言で「半生」だが、一言ではやはり半生は語れない。読みきるのがとても辛かった。何度も本を置いた。しかし受け止めようと思い、読み続けた。
本当に沢山の試練が山のように、レールに引かれてベルトコンベアーのごとく運ばれてくる。それは凄まじいものでした。
人の半生に、こんなにも試練が停滞しているものなのだろうかと思ってしまうほど、越えなければならない難問が台風のごとくに否応なしに押し寄せた。
女将はそれらを一つ一つ立ち向かい、解決と導いている。本当に強い。そして凄い。
私は、恥ずかしかった。あの時、「はい、有難うございます読ませて戴ききますとあっさり答えたことが・・・。」
人の人生は、皆違うもの。生まれたからには、生きる課題と生き抜く目的があると思います。その生き方に生き様に人間性が見えると思いますが、一点に向かって生きることの美しさを私は学びました。
生きる上で一点だけを見続けることは本当に大変なことだと思います。
信念を持ち、生きている証をたてることは真の自分と向き合うこと、逃げないことなのかもしれないと自問自答しています。
いつか輝く石になれるよう一つ一つ乗り越えていこうとスタートラインに発つ決意を固めました。


平家の里にいって

2007年07月20日 | Weblog
平家の里は本当に奥深い里です。それだけに心優し里です。
緑が飛び込み、川のせせらぎがゆっくりと流れ本当に時がのんびりと過ぎていきます。本家伴久旅館、露天風呂は川に手が届くぐらのところに位置し、全国にも数えるぐらいにしかない「かずら橋」をもつ珍しいこの宿はやはり伝統をもち、粋を持つ心休まる避暑地です。
「源平の和睦」も行った場所と聞きました。
800年前、この地にたどりついたのは40名現在は・・・。もっと詳しく里のこと平家のことを勉強したくなりました。正しい歴史に体で感じるには打ってつけ。
自然に身を任せ貴方もいかがですか。夏もいいですが、冬がおすすめらしいです。