茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

いよいよ明日6/30(木)、朝茶!

2016年06月29日 | 情報

9:00より15:00まで開催いたします!

増上寺貞恭庵で一服いかがでしょうか?

きっとほっとしていただけると思います。

10:00~14:00にはお坊様がきて下さります。

宜しかったらお出かけ下さいませ。

お待ちしております!

会費1000円。


日経カルチャー主催!「香と食 日本の和の文化を楽しむ」

2016年06月27日 | 情報

無事に終了しました。

今日は日経カルチャー主催の日本香堂協力のツアーでお初コース。

朝から源氏香を体験し、そしてらん月でスペシャル献立でじっくり。

午後は、香の伝導師稲坂先生のみっちり講義( ..)φメモメモ

あっという間の一日でしたが、のんびりゆったり楽しく過ごせました。

沢山の気になる点はあれど、次回にいかせる会となった気がします(*^_^*)

みなさまのお陰です(^-^)

感謝です。

次回日経カルチャーのツアーは、7月30日の鎌倉光明寺さんの観蓮会です。

宜しかったらいかがでしょうか?


無事に終了!6月月例会「長良川鵜飼と玉堂」

2016年06月26日 | 情報

水を焼き 空を焦がして 鵜飼舟 叫び 響もし 瀬を下りゆく  玉堂

鮎のお菓子です!

今回のテーマ、「長良川鵜飼」は、約1300年前より現代に伝わる古典漁法の一つ。

岐阜市の夏の風物詩でもありますが、国指定重要無形民俗文化財です。

漆黒の闇に包まれた長良川の川面に、赤々と焚かれた篝火が幻想的に浮かび上がる中、鮎を捕らえる鵜と手綱を操る鵜匠の一体の妙技です。

「ホーウホーウ」と鵜を励ます威勢のよい鵜匠のかけ声が響き、幽玄の世界へと誘います。

誰もが魅了される光景です。

今回、川合玉堂巨匠の鵜飼の画賛に出合いました。

「玉堂といえば鵜飼、鵜飼といえば玉堂」といわれる巨匠は、生涯をかけて鵜飼を描き続け、500点以上の作品を制作されたようです。

玉堂美術館館長小澤様に祖父である巨匠の「鵜飼」への思い、またお茶目なエピソードなど巨匠魅力話を伺いました。

人数は少し少なめでしたが、おひとりおひとりとお顔を拝見でき、楽しい時間でした。

来月は、7月24日です、宜しかったらお出かけ下さい。


本日開催! 月例 増上寺「貞恭庵で、一服いかがでしょうか?」

2016年06月26日 | 情報

川合玉堂「鵜飼」を展示します。

意外?なるほど?

感想が気になります・・・。

10:00~16:00 ぜひ、お越し下さいませ。

新しい看板をつくりました。

境内に案内版、注目して下さいね?(^v^)

お待ちしております(^_^)/


つぶやき・・・6月のお菓子これも大事!!

2016年06月22日 | 情報

6月のお菓子文化で忘れていけないのはこれも!

○水無月 ・・・6月30日に食する菓子で、1年のちょうど半分折り返しにあたるこの日に、半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事「※夏越祓(なごしのはらえ)」が行われ、その際に用いられるのが、この菓子「水無月」です。

水無月は白の外郎生地に小豆をのせ三角形に包丁された素朴な菓子です。

意味は、上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表していると言われています。

旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていました。

この日になると、御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払いました。

昔は氷室から宮中に氷が献上され宮中では氷室の氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったと言います。

当時は氷室の氷を口にすると夏痩せしないと信じられ、臣下にも氷片が振舞われたようです。

庶民にとっては氷は貴重な食べ物でしたので、宮中にならい氷を模した?ようです。

暑い夏を乗り越える為に・・・。

6月の大事なものは色々ありますね?

古き良き時代?楽しみましょう(*^^)v


増上寺茶室にGO!月例会「貞恭庵で一服いかがでしょう?」6月26日

2016年06月21日 | 情報

今月の月例会「貞恭庵で一服いかがでしょう?」のテーマは

「鵜飼」に決定。

河合玉堂の鵜飼をご覧戴きながらゆっくりと楽しんで戴きたく考えています。

長良川鵜飼、

「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」 松尾芭蕉

鵜飼漁の魅力、お伝えできたらと思っています。

お菓子はもちろん・・・!

ご期待下さい!!

鵜匠と鵜。感無量・・・。

 総がらみ、クライマックスがはじまる・・・

鵜が捉えた鮎。口ばしの後が良い品の印。

お待ちしております!

 

 


朝茶でお坊様に夢中(*^_^*)~

2016年06月17日 | 情報

朝茶初日の昨日、びっくりするような一日がはじまりました。

不安定な天気、晴れるの?雨降るの?あっ降ってきたわね?・・・。

え?やんだわよ!

お坊さまが貞恭庵へきて下さる10時には道は清められたようにしっとりとしていて雨はあがってしまった・・・。

すでに客人は茶室にいらしてお坊様をお待ちかね!

理想な登場シーン、客人もこころのワクワク感がにじみ出ていて茶室が何だか明るい雰囲気でした。

拍手でもありそうな迎え方に劇場を思わせる感じ、四畳半なのにと思ったらちょっと嬉しかったです。

にこやかにお部屋に入られ、あっという間に、

お坊様のお話の世界へGO!

昨日は、30名のお客様がお越しになられていましたが、皆さまお坊様とのお話に夢中でした。

今回、日本人より海外からの方が多かったですね。

印象的な野は家族旅行でこられたファミリー、ママは日本人、パパはアメリカ人そして小学生の少年。

少年は茶室に入ってずっと沈黙。お坊様のおはなしに夢中!話されているお坊様のお顔をじ~と見ていました。

どうして?緊張?(@_@;)?

実は少年のこころをがっちりと掴んでいたんでいました。

少年は笑顔でお坊様に感謝して帰られていった姿、印象的でした。

その後、暫く吉田上人は茶室にいて下さって、客人とお話しをして下さいました。

客人は、色んな話に時間を忘れて聞きいってまして、茶室いっぱいになって溢れるくらいに・・・。

先来られた方が次の方へと席を譲られても、お坊様のお話しをもっとききたいようで、軒先近くに座っては長い間留まっていました。

その時その時にこられた客人と一緒にお話しをして下さりましたので、お客様はずっといても楽しかったのでしょうね?

皆さんとっても嬉しそうでした。

魔法にかかったようなひとときを茶室で過ごされた方々、きっとよい思い出・・・。

大切なものを戴きました。

吉田上人今日はありがとうございました。

 

考える、よい一日となりました。

 


「嘉祥の祝」、以前の茶雅馬便より(^v^)

2016年06月16日 | 情報

旧暦6月16日、嘉祥という行事がありました。

起源は不明ですが、室町時代には武家や宮中で行われています。この日楊弓 (ようきゅう) で負けた者は、中国の「嘉定通宝」16枚で食物を購って、勝者に供しました。嘉と通が「勝」に通じることから、武家に尊ばれたようです

そもそも、西暦848年(承和15年・嘉祥元年)の夏、仁明天皇が御神託に基づいて、6月16日に16の数にちなんだ菓子、餅などを神前に供えて、疫病を除け健康招福を祈誓し、「嘉祥」と改元したという古例にちなみます。

「嘉祥」とは文字通り「めでたいしるし」であり、鎌倉時代には、のちの後嵯峨天皇が東宮となられる前に、6月16日に通貨16枚で御供えの菓子などを求めて献じそれを吉例とし、皇位継承の後もこのことが続けられました。
その後、室町時代の「嘉祥の日」には、朝廷で主上に「かづう」(女房言葉・かつう、かずうともいう=「嘉祥の祝」の菓子のこと)を差し上げるのが吉例であったことが『御湯殿上日記』に記載されています。
また、豊臣秀吉が「嘉祥の祝」を恒例として行っていたことを家康も受け入れ、江戸幕府においては、この日、大名、旗本など御目見得以上の諸士に大広間で菓子を賜り、これを「嘉祥頂戴」といい、菓子は白木の片木の上に青杉の葉を敷いてその上に積んであり、一人一個ずつ取らせたといわれます。
民間においても「嘉祥喰」といって十六文で菓子や餅十六個を求め食べるしきたりがあり、本来は嘉定通宝で買うことが当然とされましたが、この銭はさほど世間に多くなかったことから、米一升六合をもって菓子や餅を買い求めることも行われていました。また、この夜に十六歳の袖止め(振り袖をやめて詰め袖にする)をする「嘉祥縫」という風習があったほか、6月16日に採った梅の実でつくった梅干しを旅立ちの日に食べると災難をのがれるという言い伝えがあり、「嘉祥の梅」と言いました。このように、「嘉祥の祝」は、疫を逃れ、健康招福を願うめでたい行事として歴史の中で受け継がれ、明治時代まで盛んに行われてきました。

ちなみに、江戸時代の宮中では「月見と嘉定」と言って16歳になり月見をすることは成人式の一種とされて大切なお祝い行事だったそうです。

和宮も1860年6月16日に月見の儀が行われたそうです。

そしてこの『嘉祥の日』を現代に復活させたのが「和菓子の日」なんです


久々のつぶやき、6月16日「嘉定の祝」!

2016年06月16日 | 情報

古くから嘉定(嘉祥)の祝は、旧暦6月16日に大切な

年中行事として祝われてきた行事です。室町時代には武家や庶民にまでも広まり、時代によって変化しつつも、その日に菓子を食すことで邪気を払い16歳を祝う通過儀礼の一つとされ重要な日とされていきました。

ところで日本で最初のお菓子は何だと思われますか?

日本書紀、古事記によると、お菓子のはじまりは第十一代垂仁天皇(弥生時代)の頃、病だった天皇の命を受け南の国から田道間守(たじまもり)が不老不死の霊薬として常世の国(中国の南部からインド)から非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を10年の歳月を要して持ち帰ったという橘(たちばな)の実が、 日本での菓子の始まりと伝えられています。

当時は菓子と書いて「くだもの」と読み果物をさします。

ちなみに田道間守は菓子の神様を言われて現在でも、中嶋神社兵庫県豊岡市)に祀られ、分霊が太宰府天満宮福岡県太宰府市)、吉田神社京都市)などで菓子業者の信仰を集めているそうです。

菓子の歴史をひも解いてみませんか?


本日、朝茶!「貞恭庵で一息、お茶一服いかがでしょう?」

2016年06月16日 | 情報

本日、増上寺の貞恭庵、で、皆様が一服召し上がっていただけるように開けています。

本日は、僧侶(10:00-14:00)も茶室にいらして下さいます。

宜しかったら、いかがでしょうか、お立寄り下さい。

お坊様のお話し?

意外と楽しい?(^v^)

意外とほっとできる茶室です。

16日(木)9:00~15:00 会費1000円

お待ちしております!