茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

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光明寺 ~ 十夜法要会 ~

2009年10月15日 | Weblog
鎌倉にあるこの寺は、天照山蓮華院光明寺といい、浄土宗の大本山の一つです。
創立は鎌倉時代の寛元元年で西暦1243年といわれています。寺を開いたのは浄土宗三祖然阿良忠上人です。
宗祖は法然上人で、二祖は久留米の善導寺を開かれたお弟子の聖光上人です。
良忠上人は石見国(島根県)に生まれ、三十八歳で聖光上人の弟子となり、法然上人の教えを受け継ぎ、浄土宗の三祖に。
良忠上人は鎌倉幕府第四代の執権、北条経時公の帰依を受けてこの光明寺を開かれ、その後も北条時頼公をはじめ歴代執権の帰依をうけ、七堂伽藍を整え、関東における念仏道場の中心となり、後土御門天皇より『関東総本山』の称号を受け、国と国民の平安を祈る『勅願所』となりました。
江戸時代になると、徳川家康公は当山を関東十八檀林の筆頭におき、念仏信仰と仏教研鑽の根本道場となりました。檀林とは徳川幕府が定めた学問所です。
当寺は浄土宗の「お十夜」発祥の寺です。
お十夜法要は第九世観譽祐崇上人の時(明応四年・1495年)に始まりました。御土御門天皇の勅許をうけ、引声阿弥陀経と引声念仏による十夜法要を勤めるようになり、今も古式によって毎年十月十二日より十五日までの四日間盛大に法要を勤めています。
 光明寺の前の海、材木座和賀江島築堤の痕跡は海から鎌倉に入る湊の跡です。
急速に都市化した幕府開創当時にはおびただしい量の物資が海からここに陸揚げされたのです。材木座は建築木材の集積から出た名です。
山門に「天照山」という大額が掲げられています。この額は旧門に永享八年(1436)後花園天皇より下賜されたご宸筆です。

そのお十夜法要会に興味があって行ってきました。
鎌倉の駅から近いと思って元気よく歩いて行きました。途中空腹を感じましたが終ってしまったら大変と思い、終ってからご飯食べよう!と考え「めざせ光明寺」で向かいました。けっこう遠かったです。すっかりお腹が減ってしまいました。
たどり着いたときには法要はすでに終了間際、ただ最後には間に合ったようでした。
それにしてもタイミングがよかったように思えます。団参の席とは知らずちゃっかり空いていた席にしっかり座って最後のお経を聞き、お唱えして建物の説明を受けて終了。
あまり正座もしなかったのでしびれることもなかったですし、天気もよかったので楽しく勉強できました。
伝統衣装に身を包んだ坊様方は圧巻でした。法然上人絵伝を見ているようでした。
法要会も終わり再び空腹を思い出し、近くにあったどんぶりやさんへGO!
釜揚げしらす丼、美味しかったです~。
しらすって大好きなんですよね?食べただけでは物足りず、しらすの手土産も求めてしまいました。
ちょっと満足です。
ただ、折角鎌倉にきたのだからと思って少々町歩きをしました。
たどり着いた先は、なんと千葉家の一族の墓でした。
相馬家の祖で初代の相馬師常でした。鎌倉時代初期の武将千葉常胤の次男です。洞窟の中にお墓があるのですよ!ちょっとびっくりでした。
それにしてもお導きかしらと?!と思いお参りしました。
その後、冷泉家の墓参りをして帰りました。
鎌倉はやはり歴史を感じる町でした。
後から調べたら光明寺は相馬師常の父、千葉常胤の墓があったようです。息子に会いたかったのでしょうか?(おっ、こわこわ)
「南無阿弥陀仏」最後に間に合ってよかったです。