茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

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岡倉天心・・・茨城大学五浦美術文化研究所「六角堂」

2009年10月28日 | Weblog
「茨城大学五浦美術文化研究所「六角堂」へ以前に足を運んだときは休館日でした。
念願の入館でした。

明治38年6月、天心の設計により建築されたもので、天心は好んでここにこもり、断崖の裾を洗う大平洋の波音を聞きながら、思索にふけり、あるいは和漢の書をひもときました。インドの詩人タゴール(ノーベル文学賞受賞者)は大正5年日本を訪れたとき、ここに立ち寄り亡友を偲びました。

天心は、尊敬する中国の詩人杜甫の草堂に倣して、この小堂を六角形に設計しました。棟札には天心の自筆で「観欄亭」(大波を観るあずまや)と書かれていました。当初、内部は板の間で、炉が切っており、眼前には広大な大平洋の海原が広がります。天心はアメリカから帰ると、ここで瞑想し読書したほか、雨で沖に出られない日には窓から釣り糸を垂らしたといわれています。

● 五浦海岸の渚と波音
 五浦は、五ツの浦が開けていることから、その名が付けられました。
 明治39年には岡倉天心が日本美術院の本拠をここに移し、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らと創作活動を、行いました。
 海に突き出た断崖上に見える赤い建物は天心が建てた六角堂であり、彼はここで太平洋を眺め、波の音を聞きながら、思索にふけったと言われております。
 六角堂周辺断崖に打ち寄せる波は、時にはやさしく、時にははげしく、その時々の自分の心をあらわしているように聞こえます。
 断崖に砕け散る波しぶき、小さな貝を運んでは引いていく波の音、松をわたる風の音、さまざまな自然の音のハーモニーをかもしだすこの地は平成8年度に環境庁より「残したい日本の音風景100選」として認定されました。
 又、この地は潮の干満による渚の変化が大へんうつくしいことから、「日本の渚・百選」としても認定を受けたところです。

51歳の若さで亡くなった天心ですが、晩年はインド人に恋をして六角堂で恋文をしたためていたといわれています。
病と闘いながら、突き出た六角堂で荒々しい波や穏やかな波を全面に受け、女性を思い、そして筆を執り続けたということはすごく熱い思いを感じました。
天心の自由人ではあるが時代の先端に生き大事なものを見つけて出し形つけていったことは凄いと思いました。
パワーがあった人なんでしょうね?

六角堂に立ち海を眺めて波の音を聞き考え深い思いでした。
天気もよかったので一段と海が大きく空が高く感じました。