今日は大祓いの日です。
大祓(おおはらえ)は、6月と12月の晦日(6月30日と12月31日)に行われる除災行事です。
6月の大祓を夏越の祓、12月の大祓を年越の祓ともいいます。
701年の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められていました。
この日は、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れ、災害を祓った行事でした。
ただ、衣服を毎日洗濯する習慣や水などのない時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で疫病を予防する意味も含まれていたようです。
その後、百年程盛大に行われていたようですが、江戸時代に再開され現代に至ってます。
日本神話では、茅の輪を腰につけて災厄から免れたとされ、茅の旺盛な生命力が神秘的な除災の力を有すると考えられていたそうです。
また、この夏の祓は仏教ではお盆を指すようです。
この夏越祓に京都では「水無月」という和菓子を食べる習慣がありました。
旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていました。
この日になると、御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払い氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったといいます。
又、夏痩せしないと信じられ、臣下にも氷片が振舞われたようです。しかし、庶民にとっては夏の水はとても貴重で、ましてや氷など簡単には食べられません。
そこで、宮中の貴族に習って氷を型どった菓子を作ったもの食べたのが起源です。
水無月の三角形は氷室の氷片を表し、上の小豆は悪魔払いの意味を表しています。
人々の無病息災を祈願する行事の一つですが、夏の訪れを感じる風物詩でもありました。
貞恭庵では半年の感謝と共に秋へに向けての密談会議を執り行いました。
なんちゃって!
今日は客人を招いて来季策提案と勉強感謝会の一服をさし上げて時を過ごしました。
よくなりますように!
切に願った今日でした。
大祓(おおはらえ)は、6月と12月の晦日(6月30日と12月31日)に行われる除災行事です。
6月の大祓を夏越の祓、12月の大祓を年越の祓ともいいます。
701年の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められていました。
この日は、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れ、災害を祓った行事でした。
ただ、衣服を毎日洗濯する習慣や水などのない時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で疫病を予防する意味も含まれていたようです。
その後、百年程盛大に行われていたようですが、江戸時代に再開され現代に至ってます。
日本神話では、茅の輪を腰につけて災厄から免れたとされ、茅の旺盛な生命力が神秘的な除災の力を有すると考えられていたそうです。
また、この夏の祓は仏教ではお盆を指すようです。
この夏越祓に京都では「水無月」という和菓子を食べる習慣がありました。
旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていました。
この日になると、御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払い氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったといいます。
又、夏痩せしないと信じられ、臣下にも氷片が振舞われたようです。しかし、庶民にとっては夏の水はとても貴重で、ましてや氷など簡単には食べられません。
そこで、宮中の貴族に習って氷を型どった菓子を作ったもの食べたのが起源です。
水無月の三角形は氷室の氷片を表し、上の小豆は悪魔払いの意味を表しています。
人々の無病息災を祈願する行事の一つですが、夏の訪れを感じる風物詩でもありました。
貞恭庵では半年の感謝と共に秋へに向けての密談会議を執り行いました。
なんちゃって!
今日は客人を招いて来季策提案と勉強感謝会の一服をさし上げて時を過ごしました。
よくなりますように!
切に願った今日でした。