茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

貞恭庵無事に終了!

2008年04月29日 | Weblog
本日は昭和の日です。
去年から昭和の日と命名されました。
みどりの日は移動です。さびしい・・・。
皆様もきっとみどりの日で覚えていると思いますから。
そんな気持ちもあってか、今日は景光殿に感謝の気持ちを込めて花屏風をしました。沢山に飾り付けをしました。
暑い中お客様は大勢お越し下さいました。
心から御礼申し上げます。
今日のお菓子も好評でした。
来月は5月24日です。
どうぞよろしくお願いします。

増上寺貞恭庵いよいよ明日!

2008年04月28日 | Weblog
早いです。
あっという間です。
明日4月29日10:00~16:00です。
大河ドラマで人気の篤姫様ですが、そろそろ和宮様も・・・。
その方の茶室です。
また、景光殿最後の使用となります。
葵のご紋が入っている建物です。
この景光殿には私どもも沢山の思い入れをしています。
最後となると本当にさびしいものです。
山梨から移築され今ここ増上寺にありそしてお役ごめんとなり解体されます。
多くの方にお越しいただけたら嬉しいですね。
お茶一服如何でしょうか?
お点前は時間の都合でありませんがひとときをゆっくりとしていただければ、嬉しいです。
宜しかったらお出まし下さいませ。
一服1000円でご提供してます。
5月からは景光殿がありませんので、皆様にもご迷惑をお掛けしてしまうかもしれませんが、より良い環境をつくりお迎えをしたく考えております。
どうぞ最後の景光殿を見に来て下さいませ。
お越しをお待ちしております。

有栖川宮記念公園って!

2008年04月26日 | Weblog
盛岡藩南部家下屋敷でした。
この場所は寛永の頃から常陸笠間藩(のち忠臣蔵の赤穂藩)の浅野家の下屋敷でした。明暦2年(1656)陸奥盛岡藩南部家の赤坂の屋敷と相対替をしました。その後明治29年(1896)に有栖川宮の御料地となりましたが、同家が絶えたため高松宮家が引き継ぎ、昭和9年(1934)東京市に寄付され記念公園となり、一般に公開されました。
傾斜地を利用した渓流、林泉修景式大名庭園の面影を見ることができます。
六本木にあったものは上屋敷なので主を知りたくなりました。

南部藩の上屋敷は後に和宮の邸宅になっています。
つながりが面白く感じます。
有栖川宮も和宮にかかわりの深いお方ですから・・・。
つながる魅力に心躍らせています。
ご縁でつながるものはなんでしょうかね?


武田神社

2008年04月25日 | Weblog
武田神社は武田信玄公を御祭神としてお祀りしています。
信玄公は、大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城に誕生され、天正元年4月12日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えますが、21歳の時に国主となって以来30年余、緒戦に連戦連勝を重ねるのみならず、 領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛されました。
甲斐の国の守護神であるばかりではなく、やはり「勝運」のご利益が挙げられます。勝負事に限らず「人生そのものに勝つ」「自分自身に勝つ」というご利益があります。
また農業・商業・工業を振興されたことから産業・経済の神としても信仰を集めております。
武田神社は信玄公の父君信虎公が永正16年(1519年)に石和より移した躑躅ヶ崎館跡に鎮座致しております。
この館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住し、昭和13年には国の史跡として指定されました。
境内にある「三葉の松」は全国でも珍しく、黄金色(こがねいろ)になって落葉することから、身につけると「金運」のご利益があるといわれています。
武田氏は、平安時代末から戦国時代の武家です。
本姓は源氏。家系は清和源氏の一流・河内源氏の一門、源義光を始祖とする甲斐源氏の宗家です。安芸国・若狭国に分派が存在し、上総国には庶流があります。
千葉では今でもひし形紋が上総の国に多いようです。
もちろん、神社仏閣にもです。
戦国時代の武士の流れを感じる限りです。
威風堂々とした武田神社には、信玄公が愛用していた扇に北斗七星が描かれていました。やはり星には武運を祈る気持ちを託していたのでしょうか?


三島山 東漸寺

2008年04月24日 | Weblog
大字一宮字東院にあり三島山東漸寺と称するこちらのお寺に、皇女和宮が婚儀を行う為、京都から江戸に向かわれた時(文久元年)に使われたとされる駕籠があります。
この山号は、上宿に鎮座する三島神社の別当であった為で、元は東漸寺谷にあった密教系寺院であるそうです。
本尊は波切不動明王だが秘仏の為ご開帳は禁ぜられています。
開基は東漸寺殿佛肝悟心大居士〔俗名:平広常(たいらのひろつね)〕です。
しかしなぜお駕籠がこちらにと、お思いになるでしょう ?
江戸時代、一宮町一帯は加納藩によって治めていましたが、江戸に向かう和宮一行を幕府からの使者役として迎えに行ったのが加納遠江守久徴公(加納藩14代目の殿様)でした。
加納藩はそもそも紀州の藩士です。家茂公もまた紀州藩です。
だからだと思います。
そして加納久徴公と東漸寺住職が仲が良かったからではとおっしゃっておられました。(談 現住職)
まだ幼い和宮にとって、26日間もの長旅はさぞかし寂しいものだったのでしょうが、そんな和宮に久徴公は誠心誠意尽くされたそうです。
 やがて約1ヶ月間の旅を終え、久徴公は無事に出迎えの使者役をはたし、和宮は清水御殿に入られたのでその労をねぎらわれお下げ渡しになり、廃藩置県の際にお寺へ寄進されたと言う訳です。
この皇女和宮の使われたお駕籠は一宮町指定有形文化財に指定されています。
この他にも本殿にはさまざまな文化財がありました。
天井画も素晴しかったし、欄間の彫り物も見事でした。
良いものを見せて戴き、住職にお話を伺い歴史を勉強しました。
山の中ですが楽しいひとときでした。



甲府城

2008年04月23日 | Weblog
消え行く景光殿のルーツを探してあるがうちにと思って山梨の甲府城に行ってきました。
なぜなら、景光殿は甲府からきたと言われています。
そして葵のご紋のが刻まれているものですので、ではここにいくしかないだろうと思っていきました。
跡になっていますので城はあっさりと気持ちの良いものでした。
手がかりとなるものは・・・。
もしかしたらここからの移転ではと考え想像しました。
その甲府城についてです。
甲府城(こうふじょう)は、山梨県甲府市にある中世から近世にかけての平山城跡。別名・舞鶴城(まいづるじょう)。山梨県指定史跡。
甲府城が築城された地は、甲斐武田氏の一族、一条忠頼が築いた居館があった地であり、忠頼の死後館は夫人がその菩提を弔うために開いた尼寺となった。
天正10年(1582年)に甲斐国は徳川家康の所領となり、翌天正11年に家康が平岩親吉に命じて築城を開始した。しかし、完成前に甲斐は家康から羽柴秀勝の有する所となり、さらに加藤光泰、浅野長政・幸長父子と領主が代わり浅野父子の頃に完成したとされている。
甲府城の清水曲輪は現在JR東日本中央本線甲府駅となっている。豊臣政権では徳川家康を牽制する要所、江戸時代では将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城となった。天守台はあるが天守があったかどうかは不明。浅野長政父子の時代に天守があったとする説がある。1873年の廃城時の破壊により現在は天守台、本丸・天守曲輪・稲荷曲輪・鍛冶曲輪の石垣、堀の一部のみが残っている。

歴史・沿革
安土桃山時代
1582年 - 本能寺の変の混乱時に甲斐国を支配した徳川家康が、翌年に家臣の平岩親吉に命じて築かせ城代する。築城地は武田氏の本城であった躑躅ヶ崎館の南にある一条小山となり、時宗寺院の一蓮寺は移転された。
1590年 - 徳川家康の関東移封。羽柴秀勝(豊臣秀吉の甥)が城主となる。
1591年 - 城主となった加藤光泰が築城を再開する。
1593年 - 浅野長政・幸長父子が城主となり、城が完成する。
1600年 - 関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利し、翌年平岩親吉が再び城代になる。
1603年 - 徳川義直(家康9男)が城主となる。
1607年 - 義直が清洲へ転封。城番制がしかれる。
1616年 - 徳川忠長(秀忠2男)が城主となる。
1632年 - 忠長死去。城番制がしかれる。
1661年 - 徳川綱重(家光3男)が城主となる。
1678年 - 徳川綱豊(綱重嫡男)が城主となる。
1704年 - 綱豊が将軍世嗣として江戸城に入り、徳川家宣と改名。
1705年 - 柳沢吉保が城主となる。初めて親藩以外の領地となる。
1724年 - 柳沢吉里(吉保嫡男)が大和郡山へ転封。甲斐一国が幕府領となる。
     甲府勤番の設置。
1727年 - 甲府城大火。
1734年 - 城内に盗賊が侵入。
1866年 - 勤番制を廃止し、城代を設置。
1868年 - 明治維新。板垣退助らが無血入城。
1873年 - 廃城。

桜の名所でもあります。
今年はすでに終了。来年は気持ち新たに見学に行きたいですね。

妙見堂

2008年04月22日 | Weblog
開運勝利は水垢離で 能勢妙見堂
墨田区本所4-6 03-3623-2485
大阪能勢妙見山の全国唯一の別院として、安永3年5月11日の創建です。
また能勢筑前守頼直の江戸屋敷であり、妙見堂を建立して摂津ノ国妙見山より妙見尊像を分祀したものです。江
戸末期幕臣勝小吉が愛息麟太郎のちの海舟の開運勝利を水垢離をとって祈願した場所でもあります。
震災・戦災と二度の火災を免れ、妙見尊像は御内陣に奉安されています。
境内に魔よけの御守として江戸時代より能勢の黒札として有名な鴎大善神もあります。
なんとも懐かしいようなタイムスリップをしているような感覚が得られます。
今日のこの天気の良い中、如何でしょうか?
ちょっと茶屋がほしい感じですが。

貞恭庵 4月29日

2008年04月21日 | Weblog
後、一週間となってしまいました。
いつもながらに月日の流るる速さに気持ちがおいつきません。
今月の月例は29日の祝日です。
土日でお越しになれない方も祝日ならと思って決めたもののなんだかゴールデンウィークとかさなってしまいました。
というより、ゴールデンウィークが頭にありませんでした。
もし宜しかったらお散歩に増上寺へお越しくださいませんか?
景光殿も最後の使用となります。
来月には姿を消します。
最後に見てくださいませんか?
寄付きとして使用いたしてますのでゆったりとしてますよ。
今月のテーマは、草花です。
本当だったらみどりの日でしたが、去年から何だか昭和の日になってしまいました。
残念極まりないのですが建物にも花をそしてゆるやかな時を過ごして戴きたく思っております。
足を運んでくださいませ。
ちなみに昭和の日説明を少しいたします。
昭和の日は、2007年(平成19年)から日本国の国民の祝日に加えられた祝日の名称で同日の中で最も新しい国民の祝日である。国民の祝日に関する法律(祝日法)の一部改正により追加されたもので、日付は昭和天皇の誕生日でもある4月29日、同法における定義・趣旨は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」となる。ゴールデンウィークを構成する日の一つである。

天気になあ~れ!!


和宮さま 法要!

2008年04月20日 | Weblog
5月10日和宮様の法要が安国殿にて行われます。
時間は13:00 からです。
静寛院和宮景徳祭(和宮さま 十四代将軍徳川家茂公御正室)
お亡くなりなられてから今年で何年でしょうか?
時代は変われどもまた、時を越えて和宮様のことをお守りしている方々がいらっしゃります。
ずっとこれからも大事にしていくのだろうと思うと何だか生きているということが重く大切に感じました。
歴史を作るのではなく歴史を守られるのだと・・・。
なんちゃって!
皆様もお出かけ下さいませ。




貞恭庵が、・・・

2008年04月19日 | Weblog
このごろ何度か貞恭庵の見回りに増上寺まで足を運んではいるのですが、私以上に猫様の見回りがしっかりとしていました。
とても手や足や言葉で「しっしっ!」と言えないほど、しっかりと貞恭庵の門番を何匹もでしていました。
まぁ、時には雨宿りもしておりましたが日向ぼっこもしていまして好き勝手で守ってくれてました。
ちょっと複雑でしたがあそこまで猫様に守られていたら誰もよれないでしょう!
やきもちを焼きながら私の見回りを終了して帰路につきました。
これからは湿気が多いときですから、茶室が心配ですね!
大事にしていきたいです。