茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

本日月例「一服如何でしょうか?」

2010年02月28日 | Weblog
外は雨、がっかりな天気です。
けれども貞恭庵は元気に開催いたします。
雨にも負けず風にも負けず・・・です。
宜しかったらお立ち寄り下さいませ。
お待ちしております。

今日は本当に朝はどしゃぶりでした。
テントをいじっていたら屋根の部分の水が大量に降ってきてびしょびしょになってしまいました。朝からなんてことに・・・それも懲りずに2度も浴びてしまいずぶ濡れでした。
それでも早くからお客様がお越し下さり今日は幸せでした。
案内板のお陰でここまでたどり着きましたとおっしゃって下さると本当に嬉しくなります。

午後からは天気も回復ちょっとご機嫌!
お菓子の評判もGOODでニコニコ顔です。
沢山の方々がお越しくださって感謝の気持ちでいっぱいです。
どうも有難うございました。
今月の28日です。
ちょうど花見でバッチりだと思います。テーマはこれからですので考えます。
後日ご連絡させて戴きます!
いつもながらに教室の仲間には感激しています。だって、あの寒い中「寒い寒い」とは言っていなかっのが感謝です。
次回に向けてよい案が浮かぶように頑張ります。
有難うございました。楽しかったです!

東京マラソン頑張れ応援団!

2010年02月27日 | Weblog
いよいよ明日です。
私たちも東京マラソンの小さな応援団です!
教室の仲間も参加します。きっとわくわくしているのではと思います。
参加者が無事に走りきれるように応援しております!

お茶室をあけて皆さんのひと息に活用できるようにお待ちしております。
甘いもの食べて抹茶を飲んでまた走り出す!走る観光をお腹まで満たされる観光にいい案じゃないですか?
まぁ、ありえないですが宜しかったら和宮様の茶室までお越しくださいませ。
きっと元気になります!

なんていっても、増上寺へのお参りをされるときっと良い事あると思います。
だって、黒本尊様は「勝運」にばっちりなんですよ。

今日の教室は明日に向けての準備です。頑張りましょうね!

「 三葉葵紋 」 MIHOお勧め干菓子

2010年02月26日 | Weblog
葵紋の和三盆菓子ってどんなお干菓子なんでしょうか?という問合せがありました。
美味しいのでお答えしたく写真を掲載してみました。
四国本場の和三盆にこだわって口どけが大変に軽やかで自然に口いっぱいに優雅な甘さが広がるお菓子です。
自然な甘さが後を引き立て続けに口へ運びたくなるくらい美味しさの追求をしたくなるお菓子です。
和三盆の貴重さをお口いっぱいに楽しんでいられるのでGOODです。
抹茶ととても相性がよいのですがコーヒーと共にもお勧めです!
直径2センチ高さ約1センチ弱なので一口で入ります。

そもそも和三盆とは、「竹蔗」という種類の細長いサトウキビから作られるそうです。
さぬきの温暖な気候と風土で育てられたサトウキビは花が咲かずに栄養をすべて茎に蓄えるため、独特の香りや旨味を作り出すと云われています。
和三盆の名前の由来については種々の説がありますが、その一つとして、研糟(盆)の上で三度研ぐためと云われていますが、最近では製品の白さを求めて5回以上「研ぎ」と「押し舟」を行うことが多いそうです。

こうして出来あがった和三盆は、粉砂糖に近いきめ細やかさを持ち、微量の糖蜜が残っていることから色がかかった白さとなり、甘さがくどくなく後味がいいため、和菓子の高級材料として使用されます。
また、口に含むと素早く溶け風味のよい甘さから、和三盆そのものを固めただけの菓子が存在し干菓子の代表格であって打ちものの代表でもあります。

本当に美味しいですよ!
ぜひ一度召上って戴きたい商品です。
写真の色はピンクと白ですが、仏用に緑と白もご用意できます。

先日ある会でお出ししたら、「美味しいわ!残り全部ほしい」とおっしゃっって下さった方がいらっしゃいました。職人にお願いして特別に打って戴く和三盆なのでちょっと嬉しかったです。中々のお勧めです!
ただ、打ちものですので一回に打てる量が限られていますし、時間がかかる商品でもありますがご興味をもって下さったならお声を掛けて下さいませ。

今月の和菓子

2010年02月25日 | Weblog
今月の月例は2月28日(日)。
東京マラソンの日です。増上寺前も朝から規制がひかれます。
そんな中で開催する「お抹茶一服如何でしょうか?」はなんとも平和なことをと思いがちですが結構マラソンが気になってしまいます。それでもマラソンの応援者の方がお参りで立寄って下さりますから忙しかったりもします。
でもきっと応援にお疲れになってしまってもこのお菓子を召上って戴いたら、多分元気になると思います。
今回の主菓子の銘は、「菜の花」。利休忌にちなんで・・・です。
普通と違うようです。特別にいつもお願いして作って戴いていますが今月は何だか面白そうなお菓子のようです。
毎月毎月テーマにあわせて特別のお菓子を作って下さり、本当に有難い限りです。
はじめた当初は半年ぐらいですかね・・・?と話してはじめたお菓子の依頼でしたが、もう既に3年も過ぎてしまいました。
毎月のことですが、日曜に朝も早くからお願いするのは心苦しく思っていたのですが、快く作って下さるご主人をみると「がんばろー!」って思います。
今では、ご主人から「今月のテーマはなんですか?どんなお菓子がご希望ですか?個数は?」と煽られる始末です。
MIHO企画オリジナルの葵紋の和三盆菓子もご主人のご協力のお陰です。
毎月開催できるのも和菓子があってからですから、本当に感謝しております。
心を込めて作られている季節の和菓子をぜひ召上って戴きたいです。
ご主人の心意気が感じるお菓子です。
私も当日お菓子との対面が楽しみなんですよ!

名家の逸品

2010年02月24日 | Weblog
名家の逸品
礼の家・宴の美

今、ホテルオークラで「もてなし・しつらえ・ふるまい」をそれぞれに組み合わせて新たに再現した宴の様子展が開催されています。
おもてなしということで、興味があって出かけてきました。
「日本の名家」の逸品とともに伝えられてこられた「もてなし・しつらえ・ふるまい」などの趣向が披露されていました。

「歴史と伝統の中に息づく文化を享受される名家の方々が、選び織りなす歎美な世界」が垣間見ることができたひとときでした。
裏千家さんのお茶席もあって楽しかったです。
名家の家紋が興味どころではありましたが、和紙などの演出で品と質をぐっと保たれていたように感じました。
和のものを使っての演出に心地よさを感じました。
宜しかったらぜひ足を運んで下さい。

○協力名家○

近衛家「格別なる和菓子のもてなし」

竹田家 「大切にしてきた逸品。花卉を添えて」

鳩山家 「我が家の宴」 お子様のお誕生会のしつらえ

細川家 20世紀初頭の洋のしつらえ お慶びの宴

前田家 「陽春の食卓」今なお大切にふるまうコーディネート

松平家 高松松平家 宝生流 能の宴

三井家 松阪三井家(伝来)「雛人形と永楽窯雛御膳」

大倉家 香道具揃え


茶雅馬教室の本日

2010年02月23日 | Weblog
お稽古お稽古!
お茶のみお茶のみ!
語り合い話しあり・・・もしかして「放しあい」の教室かも?
お待ちしてます!

親先生に「ご自分のお稽古も熱心ならよいのに!」って・・・。
複雑な心境で山姥先生が褒めてくれました。それも珍しいですが。
返事は心の中で呟きました。
「諦めて!」って。

みんなといると愉しいです。
山姥先生もそうなのかな~?
今日も元気に行きましょう!

今日もまた突然のお客さま。
さすがに客人に慣れたのか度胸が据わったのか
「お客様お越しになるそうでうよ!」
「はい!何名ですかね?!」
「直ぐお越しの様子!」
「ではお出迎えですね~?」
「そうね~!あっ、ご到着!」
「は~い!いってきます~!」

なんて軽やかな会話なのだろうか。今までだったら彼女が一番「大変、緊張する~!」と言っていた気がしますが何だか進んでお出迎えです。すご~い!

そういえば彼女は、お昼に客人のはずだった友人と仲良く一緒に茶室の掃除させていた気がする~!でもいいわけもしていた。
「私が掃除して下さいってお願いしたわけではないですからね?」「ふ~ん?(笑)」友人も楽しそうに「いや~新鮮です。楽しいね!気持ちよいです!」
これもどうかと思う会話ですが何だか笑えます。「でかしたぞ!」っていう感じでしょうか?その後お昼を食べてお茶のみタイムに・・・。
そこで発覚。茶漉しを忘れていたために、抹茶がだまだまになって大変でした。
そんなことを忘れて次の客人をお迎えしてしまったものですから言い訳が大変でした。
こんなところで忘れ物がばれてしまうだなんて思っても・・・。

偶然にも客人は彼女の職場のお知合い。それもまたすご~い!
その上にお正客さまは私と共通する知り合いがいてびっくり!でした。
ご縁に感謝!
またお茶飲みにいらして下さい、その時にはだまだまはないように致します。
ちょっと反省の私でした。

増上寺月例「一服如何でしょうか?」

2010年02月22日 | Weblog
今月の月例が迫ってきました。
今月は、2月28日(日曜日)です。
旧暦の2月28日は利休が亡くなった日です。
この日に当たるのも何かの・・・?
ですので、ちなんで何かをできないかと思ってました。
知恩院にも茶室は多くあります、魅力的な茶室ばかりです。
月例として毎月開けていらっしゃるそうです。
いいですね~!
貞恭庵でもがんばろう!
貞恭庵からの発信、私らしくらしく「時を心地よく」をテーマに頑張ります。
ということで、掛軸が前田青邨の梅です。気持ちよい床になると思います。

ひと息入れに如何でしょうか?
お待ちしております!

泉涌寺

2010年02月21日 | Weblog
和宮さまゆかりを訪ねた旅をしていてやはり外せないのはこちらの御陵だと思いました。
兄上様やお父上様多くの皇室の方々が眠っている月輪陵です。
どうしても行きたく、いやご挨拶をしたく夕刻になってしまったのですが立寄ることにしました。月輪陵は泉涌寺の奥に位置していました。
空気の違いに少々佇んでしました。
そもそもこちらは・・・、
 泉涌寺霊明殿の東に鎮まる陵墓は月輪陵(つきのわみさぎ)と呼ばれています。
四条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓が営まれ、ここに鎮まるかたがの御葬儀は泉山長老が御導師をお勤め申しあげ、御陵もすべて仏式の御石塔でお祀りされています。
また月輪陵の背後の山腹には、南に孝明天皇の後月輪東山陵、北に英照皇太后の後月輪東北陵が築かれています。

泉涌寺とは、月輪山の麓にたたずむ皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっています。
天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けられたことに由来し、後に仙遊寺と改名され建保6年(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍の完成をみました。
その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めこの泉は今も枯れることなく涌き続けているそうです。
後鳥羽・順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、泰時も月輪大師について受戒するなど、公家・武家両面から深く帰依されました。
大師入滅後も皇室の当寺に対する御帰依は篤く、仁治3年(1242)正月、四条天皇崩御の際は、当山で御葬儀が営まれ、山稜が当寺に造営され、南北朝~安土桃山時代の諸天皇の、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の御葬儀は当山で執り行われ、山稜が境内に設けられて「月輪陵(つきのわのみさぎ)」と名づけられました。
こうして皇室の御香華院として、長く篤い信仰を集めることとなり泉涌寺が「御寺(みてら)」と呼ばれる所以ということです。

一種別天地の雰囲気をかもしだし実に美事な聖域に感じます。
ご挨拶ができてほっとした気分でした。

粟田神社

2010年02月20日 | Weblog
現在の蹴上付近に位置する粟田神社。
粟田焼発祥のちでもあります。
和宮様の母君の橋本家では粟田焼を使用されていたといわれています。
その粟田焼現在では数少ない陶芸氏が守り続けています。
粟田の郷を守り続けている粟田神社の歴史はつぎのとおりです。

平安時代 清和天皇貞観十八(876)年春に神祇官並びに陰陽寮より「この年隣境に兵災ありて、秋には疫病多いに民を悩ます」と天皇に奏上されました。そこで直ちに勅が発せられ、全国の諸神に御供えをして国家と民の安全を祈願されました。その際、従五位上出羽守藤原興世は勅使として感神院祇園社(今の八坂神社)に七日七晩丹精を込めて祈願されました。その満願の夜、興世の枕元に一人の老翁が立ち、「汝すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたる。我を祀れば、必ず国家と民は安全なり。」と告げられました。興世が「このように云われる神は、如何なる神ですか?」と尋ねられると、老翁は「我は大己貴神なり。祇園の東北に清き処あり。其の地は昔、牛頭天王(ゴズテンノウ=スサノオノミコト)に縁ある地である。其処に我を祀れ。」と言われて消えられました。興世は夢とは思わず神意なりと朝廷に奏上し、勅命により直ちに此の地に社を建てて御神霊をお祀りしました。
 また一説には、孝昭天皇の分かれである粟田氏が此の地を治めていた時に氏神として当社を創建したとも云われています。
 旧社名は、感神院新宮(カンジンインシングウ)、粟田天王宮と称されていましたが、明治になり粟田神社と改称されました。

 当社の石段下の道は旧東海道・東山道であり、この辺りは京の七口(京都の七つの出入口)の一つである粟田口であり、京都を行き来する旅人は旅の安全を祈り感謝し、このお社に参拝されました。何時しか当社は旅立ち守護の神として崇敬を集めています。

高台にあり気持ちのよい見晴らしでした。心地よい風に懐かしい気持ちになりました。
よかったですよ!

宝鏡寺

2010年02月19日 | Weblog
平成22年春の人形展
「幕末・宮廷の雅(みやび)」

現在春の特別拝観を行っています。
ここ宝鏡寺は和宮様ゆかりの寺院です。運よく拝観会期中に訪ねることができて嬉かったです。
宝鏡寺のことは、次のとおりです。
宝鏡寺は、西山(せいざん)と号し、百々御所(どどのごしょ)という御所号をもっている臨済宗単立の尼門跡寺院です。
 本尊は聖観世音菩薩で、伊勢の二見浦で漁網にかかったものと伝えられ、膝の上に小さな円鏡を持っている大変珍しいお姿をしております。
 開山は景愛寺(けいあいじ)第六世であった光厳天皇皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼であり、応安年間(一三六八~七五)に御所に祀られていたこの聖観世音菩薩像を景愛寺の支院であった建福尼寺に奉納安置して、名前を改め開山したのが始まりです。
また寛永二一(一六四四)年、後水尾天皇々女久厳理昌禅尼(くごんりしょうぜんに)が入寺されてより、紫衣を勅許され、皇室とのゆかりが再び強まり、以後歴代皇女が住持を勤める慣わしとなりました。
和宮さまは、母方の祖父である橋本実久卿がお亡くなりになった際には、宝鏡寺に住まわれていたこともあって、こちらには数々のゆかりのお品があり楽しかったです。

ボランティアの方々や資料からちょっと熱心にメモって新たな発見ができました。
この庭で遊ばれていたのかと思ったら少々感無量でした。可愛らしいお庭でした。
宜しかったらぜひ足を運んで下さい。


◎主な展示品
有職雛(狩衣・袿袴姿 第二十四世三麼地院宮御所持 江戸時代後期) 
四季花鳥図絵巻 (円山応立筆 皇女和宮御遺愛品 江戸時代後期)
葵御紋付天目台(皇女和宮御遺愛品 江戸時代後期)
打掛(皇女和宮御遺品 江戸時代後期)
黒塗鳳凰牡丹文蒔絵文箱(皇女和宮御遺愛品 江戸時代後期)