茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
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家康が江戸城へ

2009年08月31日 | Weblog
1590年(天正18年8月1日)- 徳川家康が江戸城に公式入城、江戸城が徳川氏の居城となった日です。
家康は、慶長10年(1605年)4月16日、家康は将軍職を辞するとともに朝廷に三男・秀忠への将軍宣下を行わせ、将軍職は以後「徳川氏が世襲していく」ことを天下に示しました。
彼が没したのは 元和2年4月17日(1616年5月22日)とされています。
ただ、影武者説も有力説と考えられています。

大坂夏の陣の際に家康は真田信繁に討ち取られ、混乱を避け幕府の安定作業を円滑に進めるために影武者が病死するまで家康の座を代行させていたとされる説です。一説に異母弟の樵臆恵最もしくは小笠原秀政ではないかといわれています。
大阪府堺市の南宗寺には家康の墓とされるものがあります。

色んな説が流れるのも実力者ならでは・・・。
私はこの影武者説を信じたくなるくらい南宗寺では不思議な感じを覚えました。
ただ、入城したこの日には、あまりそうぞうしていなかった最後だろうと思ったら一日一日を大切にしなきゃって思いました。
今日で8月も終わりです。
当たり前ですが、明日から9月です。
焦らず着実に!と考え改めしっかり歩んで行きたいです。

還暦・・・おめでとうございます

2009年08月30日 | Weblog
古希を調べていたら、「母が還暦です!」って言う声を生徒さんから聞きました。
おめでとうございます!
そう思ったら、還暦の語源を調べてみました。
還暦の「還」は帰るもどるという意味で、「暦」は干支を意味する。
60年で干支が一回転して生まれた干支にもどることから生まれ変わるということで「還暦」というようになったそうです。
日本における還暦の祝いでは、本人に赤色の衣服(頭巾やちゃんちゃんこなど)を贈ります。
かつては魔除けの意味で産着に赤色が使われていたため、再び生まれた時に帰るという意味でこの習慣があったようです。
赤い色はパワーと力のある色です。魔よけ色といっても納得です。
ただ、60才というとしっかりこびりついて出来上がったかたくなな性格があると魔よけといっても悪魔が去ってしまいそうですが、それ程に昔の人は60歳と言う年齢が大変な年齢だったのでしょうね?
私たちも赤色に守られ赤色に似合う60歳を目指して生きていきたいですね?
大切なお祝いです。素敵な一日にして下さい。
・・・おめでとうございます!

東京ディズニーシーで!

2009年08月29日 | Weblog
久々にディズニーシーへ行きました。
そう、お祝いはシュチュレーションもサービスも全部お任せの出来るディズニーリゾートへやってきました。
天気も味方してくれてばっちりでした。
窓からはマウンテンが見えその右上には夕日がまぶしかったです。
誕生日のサービスにケーキとバースデーソングが写真記念品まで戴けます。
結構大人でも楽しめちゃいます。
またよせばいいのにテーブルで誕生日花火をしてしまったら、焦がしちゃって・・・。でもスタッフの方の優しい対応に頭が下がりました。
従業員のサービスを学ぶならディズニーリゾートというように本当に徹底していました。お客様一人ひとりの対応が親切で心地よいです。
来てよかったなぁ!なんて思いになります。
このディズニーリゾートはサービスが基本ですから見せることが上手です。
掃除も楽しそうにしていますし綺麗です。
ただ、そこまでするのは大変だと思いました。
遊ぶを目的に行ったディズニーリゾートでしたがなんだか学ぶことが多くぐるぐる園内を歩き回って帰ってきました。
肝心のショーも乗り物の待ち時間で終ってしまい見られませんでした。
ちゃっかりの私は、「お誕生日プレゼントで特別の花火が上がるから・・・!」といってここへ連れきたのにこの期間は花火が上がらずショータイムだけでした。
そのショーも見ずしてうそつき状態で、散々でした。
けど、なぜだか心地よい感じが私の中にあってよい一日を過ごせました。
感じたこと生かせたらよいな!と思ったひとときでした。

古希の祝いを・・・

2009年08月28日 | Weblog
今日は父の誕生日です。
古希の為に何か考えてといわれここ二週間ぐらい頭をひねってました。
なぜかというと、ポイントは「どうしたらちゃっかりと思いでの残る誕生日になるか」です。
そう、出費に嵩まず知恵を絞り特別の感動を得るということはどうしたらよいかとせこく考えていたからです。
何もせずに景色が出来ていて特別の感じがあり思いでに残る一日にするには・・・、ようはちゃっかり!がポイントです。
考えちゃったんだ~!!
案外いい環境が近くにありました。ヒントは浦安・・・。
気になる?ならない?
そんなことで、古希について調べてみました。
自分のそうですが誕生日はやはり大事な日と思います。
毎日が慌しく過ごしていてもやっぱり誕生日は一年に一度です。年を重ねるということも一年更新と思える節目があるとやはり切り替えが、いやリセットが出来ます。
私にとって誕生日は確認の一日かも知れません。
ですから、友人や知人をはじめとしてご縁ある方々の誕生日はとても大切に思います。その方にとって素敵な一日、良い一年になって戴きたいと思いますから。
年を重ねるとよく、「誕生日なんて・・・!」とおっしゃる方がいらっしゃりますがご自身の中ではきっと大事な日であることは間違いないと思います。
もっと声に出して誕生日を大切に扱ってほしいと思います。
だって、生きているから感じられる誕生日ですものね!

お釈迦様は今でも潅仏会として誕生を祝う行事が毎年4月8日に行われますが私共では多分・・・。せめて亡くなった日にお線香ぐらいになってしまいますものね?
とにかく一年に一度の自分のお祝いの日です。大いにエンジョイしましょうよ!周りを引き込んでね!(迷惑もその日はOKです!なんちゃって!)
そんなこんなで古希は次のとおりです。

古希(こき。原文の文字は古稀。「稀」は常用漢字にはないので現在は「希」と書くことが多い)とは、70歳のこと。

唐の詩人杜甫の曲江(きょっこう)詩「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。しかし、人生七十年生きる人は、古くから稀である)に由来する。

還暦は数えの61歳(≒満60歳)であるが、古希は数えの70歳(≒満69歳)のこと。昔は70年生きる人は希であったことから、長寿の祝いとされている。お祝いの色は、喜寿祝いと同じく、紫色。

長寿の祝いには、他に、還暦(かんれき)、喜寿(きじゅ)、盤寿(ばんじゅ)、傘寿(さんじゅ)、米寿(べいじゅ)、卆寿(そつじゅ)、白寿(はくじゅ)、百寿(ひゃくじゅ)などがある。

清の乾隆帝は「古稀天子」と自ら称し印判などにも用いたほどです。

これを書きながら思ったのは会員さんの誕生日をうっかりしていたことです。
これから・・・。ごめんなさい。
今からでも許していただけるだろうか?
「7月のお誕生日おめでとうございます!かなり遅いですがお許し下さい。良い一年を!」


叡福寺・・・聖徳太子霊廟

2009年08月27日 | Weblog
夏の旅話から遠くなってしまったが、この寺もまた行きたかった目的の一つでした。
聖徳太子に会いたかったから?です。
なぜか行きたいところは夕方になってしまいます。夕方ぎりぎりに飛び込み境内を回っている間にばたばたとあちらこちらのとびらも閉められ霊廟に取り残された感じが少々・・・。
霊廟のバックに生い茂る山が夕刻を知らせているように深い緑で眠りにつくような重たさの中、夕日がお堂を見つめているように茜色の光りが指し込んでいました。
からすが「かーかー」と帰り時を急いでいるように飛び交い、聖徳太子の時代にタイムスリップをしたようなそんな穏やかなときを感じました。
静かでした。
暫くたたずんで痛かったのですが、お寺の縁起書がほしく慌てて寺務所に向かいました。
案の定閉まってました。
あたりを見渡してお堂から食事を運んでいる方を見つけ書物を戴きました。
これを戴くと何だか満足なんですよね?
で、調べました。長くなりましたが読んでください。

縁起  聖徳太子がこの地を自らの廟と決め、推古28年(620年)に墓所を造営。翌年、太子の母 、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬り、更に推古30年(622年)には太子と妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)とが同時期に亡くなり、この同じ墓に葬られ、三骨一廟とよばれている。 同年太子の没後、推古天皇が陵墓を守る為に寺を建立、その後、聖武天皇の勅願により、724年(神亀元年) 東の伽藍を(東福院)転法輪寺、西の伽藍を叡福寺とする七堂伽藍が整備された。平安時代以後、聖徳太子信仰の霊場となり、空海や親鸞 、日蓮など多くの高僧も訪れる。戦国時代末期には織田信長の焼き討ちにより全焼、その後豊臣秀頼により聖霊殿が再建され、以後次第に再建整備がすすんだ。
 叡福寺は「上の太子とよばれ、」「中の太子」は羽曳野市野々上の野中寺、「下の太子」は八尾市太子堂の勝軍寺である。「太子まいり」と呼ばれ親しまれている。

聖霊殿【国指定重要文化財】

聖霊殿は太子堂とも呼ばれ、聖徳太子の十六歳像を祀っています。縁高欄擬宝珠によって、慶長8年(1603)に豊臣秀頼が伊藤左馬頭則長を奉行として再建したことが知られています。昭和52年に国の重要文化財に指定されました。

多宝塔【国指定文化財】

聖霊殿から約50年遅れる承応元年(1652)、江戸の三谷三九郎によって再建されました。立派な木材を使用し、近世では正統派に属する端正な多宝塔として、昭和52年国の重要文化財に指定されました。

金堂【府指定文化財】

重要文化財となる聖霊殿と多宝塔の間に位置し、如意輪観音を本尊としています。小屋裏に残されていた棟札から、享保17年(1732)に再建されたことが明確で、この棟札と共に大阪府指定文化財となっています。

鐘楼【府指定文化財】
境内中央部から一段高いところにある鐘楼は、肘木絵様と木鼻が慶長8年(1603)再建の聖霊殿と良く似ており、17世紀を下らない建造と考えられます。金堂と共に、平成13年に大阪府の指定文化財になりました。

隔夜堂(石造阿弥陀如来坐像)【府指定文化財】
山門の道を隔てて向いに隔夜堂という小さなお堂があります。お堂の本尊は石造阿弥陀如来坐像で、平安時代末期の作と言われており、昭和45年に大阪府文化財に指定されています。




やっと復活気分に・・・

2009年08月26日 | Weblog
今月の月例では利休のことを思い朝顔を床に飾りたく考えていました。
予定では、朝顔が床で鮮やかに咲きにこやかに微笑んでいる姿を想像していました。
あっさりと裏切られました。
そう、朝顔は朝しか咲かないのです。・・・だから、朝顔だったんです。
切り取った瞬間から元気がなくなり、だんだんにしぼんでいき、お昼の時点では見るもむなしくしぼんでしまいました。
葉だけが何だか美しく・・・。
昔朝顔はどこにでも咲いているお花と思っていました。
だから探さなくても、求めなくても大丈夫手の届くところすぐそばに咲いていると思ってました。
大いなる間違いでした。朝顔はどこにでも咲いているもではないのです。
がっかりでした。探すのに苦労しました。やっとの思いで手に入れた朝顔は無惨にもしぼんでいきました。
こんなにお花で泣かされたのは初めてでした。
お越しになられたお客様には言い訳がたえず・・・。(とほほでした。)
片付けの際残りの朝顔を持ち帰ろうかどうしようかと考えたのですが、悔しいから持ち帰ったら次の日につぼみだった朝顔がいくつも咲き誇っていました。
まるで「どうだ!」とでもいうように・・・。
正直綺麗に咲き誇ってました。
この姿を皆様にお見せできなかったのは本当に残念でした。
「花の時」をやはり考えないといけないのだな~と思った次第です。
そして今日もまた朝顔は次の花たちが美しく咲いていました。
悔しいですが、朝顔に乾杯、完敗です。
いつかリベンジができたらいいな~?そしたら・・・。
来月は何をテーマにしようか考え中です。
失敗しないように練り上げたく思います。
そう、強く誓った暑い日でした。

知多半島の玉鉾神社の方々とひととき!

2009年08月25日 | Weblog
本日茶雅馬教室お稽古日です。
平和に思っていたのは午前中でした。
夏の課題が終了していない方々が色紙と落款作成の為に今日はなぜだか早目からスタート。
暑いこともあって初めて使用する文化室。
椅子席での練習も始めてのことです。良い機会ですので立礼席の練習をしようとテーブルや椅子をあっち、こっちと並び替え何だかようこそ我が家への部屋になってしまいました。
あっという間にお昼の時間!「お腹すいたからご飯でも・・・。」
ここまでが平和な時間でした。

一本の電話が文化室に鳴り響きました。
「知多半島の神社の方々が和宮さまゆかりのものをお持ちになって・・・。」
わけのわからなり日本語が続き電話の主も少々興奮気味。日本語もわからなくなってしまったかと思われるぐらいに私の頭を難しい言葉が通り抜けて行きました。
考えるに、「和宮様のゆかり」、「知多半島から車でお越しになられた」「・・・!」ということは、貞恭庵におあがり戴きたいと思いました。
興奮気味の電話の主に「ご無理を承知で申し上げますが、お時間に差し支えないようでしたら貞恭庵で一服差し上げたく存じます・・・。」
願いは叶い、「先方も出来ればということでお願いします。」でした。
ただ時間がないということで「急ぎお願いします!」でした。
それからが大変、嵐がいきなり来ました。
涼しげにまた平和に「文化室」にいたのが、いきなり貞恭庵の離れに荷物を持って民族大移動!
台車で、車で走って「ばたばたばたばた!」
荷物を運びいれ茶室を開け景色をつくりやっとの思いでお客様をお迎えしました。ひととき玉鉾神社の由来を伺いとても楽しい時間を戴きました。
玉鉾神社は、和宮様のお兄様の孝明天皇が勅願しできた神社と伺いました。
孝明天皇や神社のお話を伺っていたら良い風が吹いていました。
和宮様と孝明天皇が再会されていたようなそんな心地よい風が吹いていました。
嵐のようなひとときでしたが、お会いできて一服差し上げられて本当に嬉しかったです。
茶雅馬教室の仲間がいたから出来たことです。すっごく連係プレイがよく我ながら感心しました。みんなよくやるな~?なんてね!
良い機会と経験をさせて戴き嬉しく思います。
お寺の方々の皆様に有難く感謝申し上げます。
ほんの30分でしたが何だかお疲れで、また文化室に戻ってからみんなでご飯タイムにしました。
それからはとっても和やかで、冷房のきいている文化室の心地よさに久々に満喫しました。
不思議な感覚のお客様に平和な気持ちになりました。

今日も無事に終了!皆様お疲れ様でした。


増上寺貞恭庵なんとか・・・終了!

2009年08月24日 | Weblog
今月は何だかばたばたしていて時間の余裕がなくとてもがっかりでした。
描いていたことの半分も出来ずです。
折角皆さんの協力を戴いたのに・・・。
少々反省して、本日のブログはこれまでにします。
後日報告させて頂きます。

増上寺貞恭庵!「8月23日に向けて」

2009年08月20日 | Weblog
貞恭庵のお掃除に行ってきました。
今月の月例にはちょっと涼しげな景色にと思ってあるものを取り付けて美しく変身させようと試みてきました。
すっごく綺麗・・・。
できは、ばっちりです!
誰もほめてくれないから自己満足の世界で・・・。
ぜひ皆さんに見て戴きたいです。
たまたま、掃除をしていたら、庭師の方が訪ねてこられて、庭石の磨き方を教えて戴きました。とっても勉強になりました。
石の種類やこの庭を造るのにあたっての苦労も・・・。
ちょっと嬉しかったです。
貞恭庵のことをもっと教えて戴きたかったです。
毎月庭の手入れのお稽古もして頂けそうなのでちょっと庭の勉強も出来るかしら?
古田織部なりになれたら嬉かも?!なんちゃって!
庭を掃除すると結構気持ちの良いものですが、欠かせないものが「蚊取り線香」です。
香取線香あぶりのように、茶室の周りに置きなんだか茶室にいるだけで夏の風物詩の香りが染み付いてしまったようでした。
お陰で蚊には刺されなかったですが体臭まで・・・、ちょっとやりすぎたって反省しました。
まずは、綺麗になった茶室に誇らしげの満足さでした。
皆様にお会いできることを楽しみにしております。
今月限りの景色です。(予定では!)
ぜひ見に来て下さい。・・・夏の景色素敵ですよ!