茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

隅田川花火大会

2010年07月31日 | Weblog
記録ではっきりわかる最も古い花火大会は、隅田川花火大会(両国川開き)である。

日本で花火が製造されるようになったのは16世紀の鉄砲伝来以降である。
1613年に徳川家康が駿府城内で外国人の行った花火を見物したというのが、花火という語で確実に花火が使われたと分かる最も古い記録である。
1648年には幕府が隅田川以外での花火の禁止の触れを出しており、花火は当時から人気があったとされる。
当時のものは、おもちゃ花火であったと考えられる。現存する日本で最も古い花火業者は、東京(当時の江戸)の宗家花火鍵屋であり、1659年に初代弥兵衛がおもちゃ花火を売り出した。
1717年には水神祭りに合わせて献上花火を打ち上げている。
1733年、関西を中心に飢饉に見舞われ、江戸ではコレラが猛威を振るい多数の死者を出した暗い世相の中、将軍吉宗が死者の慰霊と悪霊退散を祈り両国大川(隅田川のこと)の水神祭りを催し、それに合わせて大花火を披露し、これが隅田川川開きの花火の起源になったと言われている。

今日の花火大会も大勢の人で朝から賑やかな様子だった。
両国橋落下事故(1879年)があったためか両国橋は立ち止まってはいけないらしい。
立ち止まって花火見物をしたいだろうにと思いつつ変わった意味で江戸から受けつぐエピソードかしら?
皆さんは今日の花火見に行かれましたか?



涼?熱気?盆踊り!

2010年07月30日 | Weblog
増上寺の盆踊りは今日と明日の予定です。天候が心配ですね?
もしだめなら土日になります。
すでに櫓は完成していました。活気に満ちた踊りの輪が想像できます。

盆踊りとは元々は仏教行事。
平安時代、空也上人によって始められた念仏踊りが、盂蘭盆の行事と結びつき、精霊を迎える、死者を供養するための行事という意識になっていったようです。
室町時代の初めには、太鼓などをたたいて踊るようになったといわれ 現在も、初盆の供養を目的の盆踊りも地域によっては催されています。
太鼓と「口説き」と呼ばれる唄に合わせて踊ったり、初盆の家を各戸を回って踊る所もある。
昔は旧暦の7月15日に行われていたが、盆踊りはいつも満月でした。

念仏踊り(ねんぶつ おどり)とは、踊り手と歌い手が分かれているもので、自ら念仏を唱えながらおどる踊念仏とは違う。
起源としては、菅原道真が886年から889年の4年間、讃岐の国司を勤めた時に行った「雨乞いの踊り」とされ、翌年から村人達が感謝の意味で踊ったのが今に残っているらしいです。
「念仏踊り」となったのは1207年に法然上人が宗教上の争いから讃岐に流され、この踊りを見てセリフとして「念仏」を唱えるようにさせた事によるものです。
現在でも香川県綾歌郡綾川町滝宮では8月25日に「滝宮の念仏踊」が行なわれ、全国に残る「念仏踊り」のルーツとして国の重要無形民俗文化財に指定されているそうです。
面白いですね?

ということで、熱気というより涼を呼ぶ盆踊りなのであろうか?
今日は天気がもちますように!
宜しかったらお出かけ下さい。


茶文化楽しいよ!

2010年07月29日 | Weblog
この頃講習会や勉強会に参加する機会が多く、楽しく茶文化を!と訴えています。
色んな会に参加しては「ふむふむ!」と考えたりしたりしては難しいな~と思ったりします。
面白い講習会では、知的財産の講習会や、ネットショップの講習会にも参加しました。
もっはら意味のない勉強会かも?

たまに大学の図書館に入り浸ってコピーのあらしだったりもします。
学生のころには見向きもしなかった図書館ですがなぜだかこのごろお世話になってます。
毎月の月例の資料作成には必ずといっていいほど立ち寄りしっかりコピーで紙に焼き付けます。
私の頭では覚えられないほどのコピーを毎回大量にします。
図書館は、卒業してから役に立つものなんですね?(なんちゃって!)
そんなことをしながら楽しい茶文化を訴えるのに最適なものがあると気がつきました。
この頃、昼間は季節挨拶や営業?ただの油売り?ではないですが知り合いのところに挨拶にいっています。
久々なところでは、「珍しいおひと!」と言われながら「あつくないの?着物!」
「暑いですよ~!」
そんな会話から「着物ってやっぱりいいわよね~?日本人ですものね~?」と会話が続きます。
最後は来てよかった~とみんなからエネルギーと貰っちゃいます。

そうなんです!着物が和文化をPRするのに本当に味方になってくれるのです。
講習会でも、着物を着ているだけで和文化のPR成功です。といわれました。
昼間お稽古して夜勉強会だったりすると着物で参加します。
汗だくで自分では汗臭くて大変でしたのにいいですね~?といわれそうかな~?と少々嬉しかったです。
そんなかんやで、この頃ずっとす~と着物で外出です。ぐるぐるぐるぐる回って回って回って・・・。
少しは暑さ対策が学べたらいいのに!と思いつつあまり美しくないくらいに汗だくだくです。
それでも着物着て挨拶にいくと「いいわね~?」なんていわれると、「やったー!」と思いつつ「暑いですよ!」とつぶやいてしまう私はまだまだ未熟です。
いつになったら涼しげに「暑いですね~?」といえるのだろうか?
暑いときに暑いような姿は「茶粋!」から外れますよね!あまのじゃく茶人は暑いときに涼しげな気分でいないと本当にばてます。
粋より気合いの問題なのかも?
でも着物に本当に助けられる毎日にはかわりありませんから、もっと素敵に着こなしたいですね?
茶文化に興味をもって戴けるように日々歩くだけだけど勉強してます。
つぶやきでした。今日も暑いかな~!

うなぎ好きです!

2010年07月28日 | Weblog
26日の土用の丑の日から四食続けてうなぎを食してしまいました。
きっかけは、お寺の板さんが「うちのうなぎは美味しいよ!食べない?」というお誘いに始まりなんと四食続けてうなぎ三昧でした。
うなぎ好きな私もさすがに満足でした。
それにしてもうなぎって美味しいですよね?
ということでうなぎについて調べてみました。

夏バテを防ぐためにウナギを食べる習慣は、日本では大変古く『万葉集』にまでその痕跡をさかのぼります。
奈良時代、大伴家持による『万葉集』の「武奈伎(むなぎ)」として見えるのが初出で、これがウナギの古称だそうです。

徳川家康の時代に江戸を開発した際、干拓によって多くの泥炭湿地が出来、そこに鰻が住み着くようになったため鰻は労働者の食べ物となり、当時は蒲焼の文字通りで、蒲の穂のようにぶつ切りにした鰻を串に刺して焼いただけという食べ方で、雑魚扱いだったようです。
鰻が現在のような形で一般に食べられるようになったのは江戸時代後期からで、特に蒲焼は江戸発祥の料理であることから、江戸の代表的食物とされていました。
蕎麦ほど徹底した美学はないものの、「鰻屋でせかすのは野暮」「蒲焼が出てくるまでは新香で酒を飲む」
したがって鰻屋は新香に気を遣うものとされたなど、江戸っ子にとっては一家言ある食べ物でした。

地方によっては、鰻食物禁忌であって理由は「うなぎ」を「虚空蔵菩薩」の使いとして、またはうなぎに災害から救われたので食べることを忌避するという伝承を持つ地域もあります。
また、ある池のほとりで村人たちが池に毒を流して魚を獲る相談をしていたところ、見慣れぬ黒衣の老僧が現れ毒流しは池の魚族を根こそぎにする漁法であるから行ってはならぬと村人たちに説いたとか。
村人たちは恐縮して僧に団子を振舞ったが、その翌日やはり毒流しをすることに。
獲れた池の魚の中に池の主らしき大鰻がおり、腹を割いたところ昨日老僧に食べさせた団子が入っていたという(柳田國男の記録による)。
何だか見かけ道理で、昔から不思議な魅力のあった食材だったのだと理解しました。

しばらくしたらまた美味しいうなぎ探しに行こうと思います。さすがに四食続けてだとね・・・?
それでもうなぎは大好きです!

うなぎ話でした。

茶雅馬教室…今日もめっちゃ晴れ気分!

2010年07月27日 | Weblog
ありますよ~!
お待ちしております。

暑い中の茶室。ぼ~としてしまいがちですが、今日は庭の水まきを楽しんでしまいました。
ホースの水を空へ向けて水をまくと雨が降ってきたのかと思わせるくらいにきれいに広がって水まきが楽しめます。
上を向きながら水をまくのには理由があります。そう、東京タワーが水まきと同時に見えるのです。
そして虹もですよ!
気持ち良いですよ~!水が太陽できらきらと輝きあって、緑の木々が水を浴びて楽しそうで元気にみえます。
本当に水まきで遊んでました。
その間、茶雅馬メンバーはお茶をはいてました。私ひとり綺麗きれいとつぶやいていたのですが1人でつぶやいていても面白くないので「綺麗だから見においでよ!」って呼ぶと、
「綺麗ですね~!」「いつまで水で遊んでいるのですか?」と怒られてしまいました。
今日は準備に1人だけだったので準備ができない!って焦ってたようです。その中で水と戯れていた私に何かして!って訴えていたのでしょうか?ご機嫌がいいような?悪いような?怒られてしまいました。とほほです。
1人で遊んでいても面白くないので諦めて水まき終了。
「怖い怖い!うちのひとです。」
でも、水を打って涼しくなるのは感じてもらえたようで「涼しいです!」と率直な感想も貰えたので少々満足でした。
天気の良い日の水まきは楽しいです。
夕方まで暑い中頑張ってお稽古に励みました?!多分。

何はともあれ、久々に茶室でのんびり水まきをして今日は満足でした。

旧暦7月26日 二十六夜待ち

2010年07月26日 | Weblog
江戸時代の代表的な月見は3回ありました。
それは、十五夜・十三夜そして二十六夜待ちだったそうです。
ただ十三夜と二十六夜待ちの風習はなくなってしまったようですが、江戸の人たちは月見として楽しんだ行事のだったそうです。
そもそも二十六夜待ちとは、江戸時代の旧暦の1月と7月の26日の夜に、月の出るのを待って拝む行事を二十六夜待といったそうです。
この日の夜半すぎに出る月は、出る間際の光が三つに分かれ、瞬時にまた一つになるように見え、その光の中に阿弥陀・観音・勢至(せいし)の三尊の姿が見えるといわれ、これを拝むと幸運が得られるという信仰が古くからありました。
1月は寒いので7月の二十六夜待が、江戸を中心に盛んに行われました。
江戸では、月の出を拝むことのできる海岸や高台に人々が集まり、中でも高輪や品川の海岸は多くの人で賑わい、料理屋は繁盛し、路上には酒食の屋台が並び、歌舞音曲などの催しも行われました。
『江戸名所図会』にも「高輪海辺七月二十六夜待」としてその光景が描かれていますが、この行事は天保の改革以降は規制を受けてめっきり衰えたといいます

宴席の食べ物は水の物とも呼ぶもので、夏に冷水に栗・茄子・胡瓜などを食べやすい大きさに切って浮かべ、箸や指先でとって、塩などをつけて食べるものだったよです。
また、江戸時代の海産の蟹はおもにガザミ(ワタリガニ)でした。
また山梨県上野原市秋山地区に”二十六夜山”という山があり由来はこのはるか江戸の風習にならって山頂から拝み待ちをするために集まったことからだそうです。
江戸時代の風習は生活が良くなるようにという願いからの信仰が多かったのでしょうか

今日はお月見できますでしょうか?
いやいや、今日は土曜の牛の日でした。
うなぎ食べましょう!平賀源内のようです。

茶室にGO! 増上寺月例「和宮様ゆかりの茶室で、一服いかがでしょうか?」

2010年07月25日 | Weblog
無事に終了しました。
今日は暑かったですね~。
今日、気がついたのですがお寺で出して戴いている看板には、
「貞恭庵で至福の一服如何でしょうか?」だったんです。
忘れてました。
カンカン照りの最中その看板を見たとき「これは至福じゃないだろうな~?」なんて思ったら笑えました。
今日はそんな暑い中50名の方々がお越しくださいました。
有難うございました。
棟方志功の閻魔さまをかけ、地獄に行かない救われるお菓子を召し上がって戴きました。
どんなお菓子かい?って思うでしょう?いいお菓子なんです!
庭には地獄から極楽へ向かう兆しの意味を込めて「てっせん」を置きました。
茶室に入る時はあまり目にして戴けないてっせんも帰りにはてっせんを気にして下さった客人も多かったと思います。
目に留めて戴いたお客様はきっと地獄へは行かないでしょう!
私はずっとずっと目にしていましたので地獄には行かないでしょう!
そう信じていましたが、どうでしょう?

お客様は、遠い方でマレーシア、日本では北海道、鹿児島、四国、山口・・・。
一番近くて港区でした。

うちの人々は汗だくだくで頑張ってました。ばてるかな~とつぶやいていた人間が最後まで元気で、「大丈夫?」って聞いたらなんとか元気みたいです!って。
案外茶雅馬メンバーは強いのかも?
何はともあれお疲れ様でした。

来月の月例は8月22日です。も少し涼しい演出を考えてみようと思いますが掛軸は奥村土牛の予定です。
よろしくお願いします。

待合(まちあい)を景色つけました!

2010年07月24日 | Weblog
今日は貞恭庵の準備に行ってきました。
この猛暑の中の待合なので少々考え涼しく演出をしてみました。
白いテントをちょっと美しく?!ですかね?
中途半端な美しさになったようにも感じますが、今月はこれでいってみようかと思っています。
ヨシズをすだれ風に下げてみたのです。これが結構良い?感じに出来上がったのです。
まか中途半端ですがね?
地獄に行かない菓子もいい具合に出来上がったようで、楽しみです。
掃除もちゃんとしました。
灰も程度にやってみました。(自信のなさ台詞ですが!)
後は天気が心配です。
ゲリラ雨が降らないように願って当日を迎えます。
足を運んで下さいませ。

「棟方志功・閻魔さま」 今月の掛軸。そして茶雅馬便会員のお願い

2010年07月23日 | Weblog
すっかりお伝えしていなかったと思いますが、今月の掛け軸は
「棟方志功」の閻魔さまです。
そんなかんやで棟方志功を勉強しています。
今月の茶雅馬便には書きましたが彼の言葉を紹介しています。                              

志功は「アイシテモ愛しきれない 
オドロイテモ驚ききれない 
ヨロコンデモ喜びきれない 
カナシンデモ悲しみきれない それが板画です」

といっています。彼が版画と出合ったことによって学ぶことだけでなく救われたことなど沢山あったのだと思いました。

掛け軸の閻魔さまは激しい絵です。ぜひご覧戴けたらと思っています。
楽しみにしていて下さいね。
会報茶雅馬便も頑張って書いていますのでぜひおご笑読戴けると嬉しいです。

その茶雅馬便、今月はなんと33号です。
あっという間でぞろ目です。早いですね?
ということで、お知らせです。

みなさまもよかったらぜひ茶雅馬会報会員になって戴けないでしょうか?
私の旬な気持ちを茶雅馬便としてお届けしたいです。

書くことの苦手だった私が、茶雅馬便を通して沢山のことをお伝えしたいと思ってはじめた会報でした。現在に至るまでの道のりは相当頭を悩ませながらで、試行錯誤しながらの会報書きでした。発行日に前日は過酷で、毎回寝ずの作業で何を掲載する土壇場まで考えあぐねていました。
今は文化や歳時など、なるほど事典を多くお伝えしています。時代は江戸時代がさすがに多いですかね?
和宮様が江戸の時代ですからね?ただ、天皇家でもあるので寺だけでなく、神社にもつながる風習なども多く取上げていますから、結構楽しい情報としてお読みいただけると嬉しいです。

毎月会報をお送りいたしますので、貞恭庵にお越しになられなくてもお届けいたします。
送付に少々遅れ気味がある時もありますが、その点は笑って許してですが毎月の発行日は月例の貞恭庵開催日で一応遅くなりながらもお届はしています。
月々の情報を書き込んでますので、「知っ得!だね!納得!」で楽しいと思います。
宜しかったらぜひ如何でしょうか?
ほっと一息のその時に軽く読めて笑えます。
お試しください。

暑いのにね!プロね!

2010年07月22日 | Weblog
先日この暑い日中車で渋谷付近を走っていたら工事現場に出くわしてしまいました。
車の中でも暑いと思えるここ連日ですが、工事現場の交通整理なんて辛いだろうな~?なんて思って止まれの合図で止まっていました。
ついつぃ暑さ対策はどのようにしているのかと疑問が湧いてきましたが暑さには強いのかな~?なんて思いつつ1人暑い暑いと口癖のようにつぶやいていたんです。
するとびっくり、車のGO!サインがくれた時に「お待たせしました!どうぞ~。」って微笑んで「こちらから走って行って下さい。」って言われたんです。
こんな暑い外にずっといるのになんであんなにさわやかな笑顔がだせるのか本当に疑問でした。
正直「なんで?」って思いました。
暑いのにあの笑顔をされると「ありがとうございます!」って心からお礼を言いたい気持ちになります。そして暑いのに清々しい気持ちにもなりました。
大事なことを忘れていたようで少々恥ずかしさも覚えました。
若い彼なのにプロだな!って改めて凄さを感じました。
あの笑顔に負けました。
自分の弱さも実感してしまい辛かったですが、彼のプロ意識学ばなきゃって自分に言い聞かせた次第です。
暑いのが当たり前で、つぶやいても涼しくならないのも事実、だったら少しでも自分から行動を起こさないとだらけてしまうものね?
よく知人や街中で「着物って涼しいのですか?」「暑いのですか?」って聞かれます。
涼しいのですか?って聞かれると「やった~!」って思ったりもしますが、反対だと「やっぱりね!」って反省も多々あります。
1人でも多くの人に着物を興味持ってもらえるとやっぱり嬉しいですよね?
暑いからだらけて着てしまいがちな着物ですが、こんな時だからこそシャッキット着ないとだめですよね?
外で働くあの彼のように、貞恭庵も笑顔で皆様をお迎えしたいです。
そう思った今日この頃でした。

ただ、熱中症だけにはみなさんお気を付け下さいね!