茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

ちょっと警戒心ありすぎ?

2010年01月30日 | Weblog
ここのところ仲間が次々とインフルエンザに倒されています。
びっくりするごとくにあのC型にも・・・。
大変!!私もインフルエンザにかかってしまわないだろうか?と少々いやかなり不安になりました。
そう思いはじめたらなんとかったるさが倍増です。
節々が・・・喉が・・・。
考えはじめると針がいったりきたりするものです。「あ~あ駄目かも?」いや「大丈夫!勘違い」やっぱり「インフルエンザではないかも?」でも「このかったるさはアウチかも?」頭の中でグルグル都合よく答えが回っています。

ある職場で「体温計を測ってからお願いします。10分間の測定をして下さい。」と言われ気分はぶるーに。
やっぱりもう駄目だろう?そして10分後の体温も、案の定37度。
「今日は疑いがあるので打ち合わせは次回で、帰ります。さようなら・・・。」
絶対仲間にうつされた!絶対、絶対だ!あ~あ!ま~今日の仕事は仕方ない!帰りましょう!さっさと家に帰って寝るとしましょう。」

そう思った瞬間気分が晴れてきました。
段々にかったるさもぬけ、自宅に戻ったら「熱がある顔にはどう見ても見えないわね?さぼり?」「熱があったようにかったるかったのに・・・。」
夕食を済ませ体温を測ってみると全くの平熱でした。
あれ?高熱になる予測があっさりと消え去ってしまいました。
友人たちは熱と戦っているのに私は何だかまだ平気みたいです。
すっかりかったるさはいつもの怠け病で会ったようです。間接の痛みはお稽古をちょっとしっかりした為らしく筋肉痛へとかわり、喉のはれも気のせいだったらしく今ではちっともです。
「さぼりたい!いや、インフルエンザにかかりたくない!」そんな心の叫びが体温に出たらしいです。
病は気から!といいますが、あっという間に通じるものと感心しました。
警戒心が強いとよくないですね?
普段からうがいや手洗い除菌をきちんとしていればこんな警戒心で悩まされなくてもよかったのにと少々反省しました。
みなさんも警戒心より予防です。ウイルスに負けないように気をつけましょう。
「さぼりと勘違いされやすいですからね?」「あっ、サボるときには使えます。」(なんちゃって!)
でも大丈夫という安心感が一番です。


元弘から建武に改元

2010年01月29日 | Weblog
今日は元弘から建武に改元された日です。
建武(けんむ)は、日本の元号で、元弘の後を指します。この時代の天皇は南朝方後醍醐天皇、北朝方光明天皇。

建武(けんむ)の時代をみてみましょう!

元弘3年/正慶2年(1333年)、鎌倉幕府を打倒した後醍醐天皇は流刑先の隠岐から京都に復帰して、鎌倉幕府によって擁立された持明院統の光厳天皇の即位とその元号である「正慶」の無効を宣言した(光厳天皇はこれを拒んだが、後醍醐天皇側の軍事力を前になすすべがなかった)。後醍醐天皇は親政を開始して、元弘4年1月29日(1334年3月5日)、武の字が不吉だという周囲の反対を押し切り、勅を出し建武に改元した。後漢の光武帝の使った元号(建武)にちなんだものである。
その後、武家勢力の離反にあい建武の新政は二年余りで崩壊した。
後醍醐天皇は建武3年2月29日に延元に改元した。
のちに光明天皇を擁立した北朝方は、建武の元号を使い続け、建武5年8月28日に暦応に改元した。

明治大正昭和平成と近いものは頭に思い浮かべられますがこの時代はさすがにわかりずらいものばかりです。
改元の発表はどのようにされていったのだろうか?
今日は建武の時代に興味を持ちました。



初荒神

2010年01月28日 | Weblog
今日は初荒神です。荒神(こうじん)とは、日本の悪神の一種です。
神様にも悪神がいたとはびっくりですが調べてみるとちょっと面白いことがわかりました。
それは悪神さまが民衆にとって受け入れられるわけというか現代までの伝承する考え方です。
まずは、荒神さまを見てみましょう。

日本の古典にある伝承には、和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)を対照的に信仰した様子が記されている。 民間伝承でも、温和に福徳を保障する神と、極めて祟りやすく、これの畏敬(いけい)の誠を実現しないと危害や不幸にあうと思われた類の神があった。後者が一般的な意味での荒神である。後者は害悪をなす悪神であったので、本来これを祀るものはなかった。
荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであったようである。ちなみに各県の荒神社の数を挙げると、岡山(200社)、広島(140社)、島根(120社)、兵庫(110社)、愛媛(65社)、香川(35社)、鳥取(30社)、徳島(30社)、山口(27社)のように中国、四国等の瀬戸内海を中心とした地域が上位を占めている。他の県は全て10社以下である。県内に荒神社が一つもない県も多い。

荒神信仰には屋内に祀られるいわゆる「三宝(寶)荒神」と屋外の「地荒神」がある。

屋内の神は、火の神や竈の神の荒神信仰に、仏教、修験道の三宝荒神信仰が結びついたものである。
地荒神は、山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格もあり、集落や同族ごとに樹木や塚のようなものを荒神と呼んでいる場合もあり、また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もある。

御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、ホムスビ神、カグツチ神の火の神様系を荒神として祀っている。
神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教、道教、陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。
牛頭天王は、祇園会系の祭りにおいて祀られる神であり、中国で密教、道教、陰陽思想と習合し、日本に伝わってさらに陰陽道と関わりを深めたものである。
疫神の性格を持ち、スサノオ尊と同体になり、祇園会の系統の祭りの地方伝播を通して、鎮守神としても定着したものである。

荒神とは、守護神・護法善神とされた風習が荒魂を祀ってできたことなのですね?
現代では守護神とはよく耳にしたり言葉でも理解できますが、信仰心から生まれ守られてきた言葉なのかとも思ったりします。
荒神さまに興味をもった今日でした。


茶花教室

2010年01月27日 | Weblog
月一回の茶花教室の1月のお稽古日です。
ということで朝から今日の着物は・・・?と悩んでました。
着る物が決まらないとついついおさぼりしたくなるのですが、いつものように天から「さぼるなよ~!」が降ってくるので今日の気分の着物を考えました。
今日はお目付け役の友人も一緒なので大変なんです。
さぼると色んなところから親先生のところへ報告が入り怒られます。
「渡る世間は鬼ばかり!」ではなく「私の周りは鬼ばかり!!!」なんです。
この間、鬼の数を数えていたら周囲どこを向いても鬼ばかりとわかってがっかりしていて、テレビをつけたら秋田のなまはげを特集いました。
鬼を怖がる秋田の子供たちと一緒だ!と思ったら少々笑えました。
ただ、都合よくテレビで報道されなくてもね?って思いもしましたが・・・。
そんなことより、今日のお花はつばきと黒めやなぎでした。
勿論苦戦をしつつ終了です。
いつも私も前に腰掛けている方は新幹線で宇都宮からこられているそうです。
60歳の時に10人の仲間と一緒にお茶をはじめ頑張っているとおっっしゃっていました。一緒に始めた仲間が自分の支えであって励みになると嬉しそうにお話されていました。
「60の手習い」という言葉はこの頃よく聞きますが、年齢を重ねてはじめられた茶道なのに愉しそうにお稽古をされている様子を伺うと頑張らなきゃって思います。
目付け役の友人もそうですが、新幹線を乗ってお稽古にくることは私には出来ないだろうと思います。熱心というよりすきなんだろうな~?って・・・。
「愉しいからお稽古をするのです。」、頭が下がるセリフに心を打たれました。
今日は心地よい気持ちでした。行ってよかったです。
鬼先生に感謝です。

茶雅馬教室

2010年01月26日 | Weblog
初釜と月例を早々と今月は終了してちょっとほっとしている今日この頃です。
不思議と教室のメンバーも心置きなくおさぼりしています。
なので今日のお稽古はいたってのんびりでした。
おさぼりしている仲間のひとりに2月末に行われるマラソン大会に出場されるそうで、稽古ではなく練習に励んでいる方がいます。
マラソンもお茶も足を使います。静と動でいい組み合わせなんですが少々辛い様子で暫くお休みです。
寂しい~限りですが、頑張って戴きたいと思っています。
私も学生のころ中距離選手で州大会に出場した記憶があります。走る辛さを身にもって感じやめましたが。
スタートがあってゴールがある。そして次が見える。
精神的にも肉体的にも鍛えられます。
彼女の出場が決まって頑張っている様子を拝見すると私も走りたいかも?ってむずむずしてきます。だからって走れるわけではないですがね?
あっ、よく電車乗るときとか遅刻寸前の時とか点滅信号のときとか走っています。これは走るとはいわないかも・・・ね?
体調が良くないと走れないから走ることは元気な証拠と思ってはいます。だから遅刻だ~!って思って着物で駅から目的地まで走っているのは健康なことでよいことだと思います。(いいわけ)
色んな仲間がいて茶雅馬教室楽しんでいます。
皆でみんなを応援しています。そんな教室が私たちの教室です。
マラソン大会頑張ってきてほしいと願っています。

今日ののんびり稽古は、やっぱりお茶のみで終ってしまいました。初釜の感想を聞いて納得していました。反省会のようなものです。
話し合いながらお茶を飲むことが大切です・・・。

法然上人忌日

2010年01月25日 | Weblog
「南無阿弥陀仏」
旧暦の1月25日は法然上人がお亡くなりになった日です。
宗祖忌を増上寺でも本日行われました。
法然上人は岡山の出身です。父親は押領使の漆間 時国。漆間氏は美作国の豪族で、稲飯命の後裔とされています。
法然上人の幼少時代の名は「勢至丸」。勢至菩薩のように賢い知恵を持った子供という意味でつけられ、学問と武芸に秀でていて、ことに弓を射ることにおいては格別のものがあったようです。
勢至丸がまだ幼いころに父君は亡くなられたようですが、法然上人の父もまた地元の人に、尊敬されるような人だったと言われていました。
その育った漆間時国の旧宅を、法然生誕の地として誕生寺を建立したのが出家した熊谷直実だったそうです。
熊谷直実は出家して各地を行脚する中、建久4年(1193年)美作を訪れ、建立したといわれています。
熊谷直実は平家物語でも有名な方です。埼玉県出身とは案外知られていなかったり・・・?
来年は800年の大御忌が行われますが亡くなって800年、現代まで親しまれていることが凄いと思います。勢至菩薩のようにと名をつけられたのも現代ではないと思いますがその発想に感動しました。
歴史を伝える守るって大切だけと大変なことだと思います。
稲飯命の後裔とされ神武天皇とも繋がってきます。
神武天皇といったら八咫烏で熊野神社が想像されます。
だからかな~?思ったりもしますが増上寺にはぽつんと熊野神社が祀られ祭殿があります。もしかしたら法然上人を見守っているのかも?!と思ったらちょっと鍵を解き明かした気で嬉しかったりしました。
今日は少々法然さんのことを考えてみました。

ちなみに今日は初天神でした。天神様が賑やかでした。1年で最初の天神の縁日だからでしょうね。

月例「一服如何でしょうか?」

2010年01月24日 | Weblog
皇女 和宮様ゆかりの茶室貞恭庵で
お参り・・・ 抹茶と和菓子、如何でしょうか?

増上寺の境内にひっそりと佇む小さな茶室。
毎月一度「皇女和宮のゆかりの茶室」を公開しております。
小さな建物本来が持つ魅力を満喫して戴きたい!
皆様のお越しを心よりお待ち致しております。

          
         記

開催日; 2月28日(日)
    3月28日(日)
時間; 10:00~16:00
場所; 増上寺 境内「貞恭庵」
会費; 1,000円(抹茶と季節の和菓子)

※ イスの用意もしております。お気楽にお入り下さい。
※ お点前はございませんが、ひと息入れにお立寄り下さい。

新年院友交歓会

2010年01月23日 | Weblog
今日はお稽古の後、大學の新年院友交歓会に出席しました。
お稽古の片付けに時間がかかってしまって少々遅くなってしまったのですが、顔を出しにいってきました。
お会いできるかな~?と思っていた先生とお会いできなかったので残念でした。きっと授業が入っているのかも?と思ったりも・・・お忙しそうですし・・・。
交歓会でなにが愉しいってくじ引きです。
今回は、人数が多かったので当たるか不安でしたが、当たりました。
イタリアワインが当たりました。
私としては、商品券や旅行券宿泊券といった豪華商品を期待していたのにがっかりでした。
それを見ていた方が「このくじまだだからあげるよ!」
「やったー!」
くじって本当に夢があっていいですよね!
必死に豪華商品当たりますようにと願ったら、輪島塗のペンケースが当たりました。
蒔絵が見事でした。漆の塗りもすごい・・・。
商品券や旅行券とはいかなかったですが有難い限りです。
下さった方は「きっと来年はもっと良いものがあたりますよ!」っておっしゃってされてました。
「はい!」と気持ちよく返事をしました。
後から私の当たったワインをお渡しすればよかったと少々後悔もしました。
来年お礼を申し上げることにしましょう。
今年一年頑張ります。どうも有難う。気持ちよく帰りました。
うちの校内には神殿があります。帰りに忘れないようにお参りしていきました。
心地よい風がふいていたように感じます。寒さも・・・。
商品が当たったということより、くじ引きを通してとっても嬉しかったことを大事にしたいです。たかがくじ引きですがやっぱり燃えますよね!
裏切らない景品が有難く感謝しています。
今回人数が多かったのではずれの方もいらしている中当たったのはラッキーでした。
主催者も大変だと思います・・・。
愉しいひととき有難うございました。

久々に・・・!

2010年01月22日 | Weblog
今日は何の日?ではないのですが、久々にちょっと面白い歴史日だと思って・・・。
鑑真が来日した日なんです。
754年(天平勝宝5年12月20日) - 鑑真が仏舎利を携え薩摩坊津に来日。
ということで鑑真を調べました。

鑑真(がんじん、鑒真、鉴真、688年(持統天皇2年) - 763年6月25日(天平宝字7年5月6日))は、奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。
鑑真と戒律
唐の揚州江陽県の生まれ。14歳で智満について出家し、道岸、弘景について、律宗・天台宗を学ぶ。
律宗とは、仏教徒、とりわけ僧尼が遵守すべき戒律を伝え研究する宗派であるが、鑑真は四分律に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒を行ったとされている。
揚州の大明寺の住職であった742年、日本から唐に渡ってきた僧・栄叡と普照の訪問を受け、授戒のできる僧を是非とも日本へ派遣してくれるように彼らから懇願された。

仏教では、新たに僧尼となる者は、戒律を遵守することを誓う必要がある。戒律のうち自分で自分に誓うものを「戒」といい、僧尼の間で誓い合うものを「律」という。
律を誓うには、10人以上の正式の僧尼の前で儀式(これが授戒である)を行う必要がある。これら戒律は仏教の中でも最も重要な事項の一つとされているが、日本では仏教が伝来した当初は自分で自分に授戒する自誓授戒が行われるなど、授戒の重要性が長らく認識されていなかった。しかし、奈良時代に入ると、戒律の重要性が徐々に認識され始め、授戒の制度を整備する必要性が高まっていた。栄叡と普照は聖武天皇からの勅命を受けて、授戒できる資格を持つ僧10名を唐から招請するべく海を渡り、当時より戒律の僧として高名であった鑑真の協力を得ようと大明寺を訪れたのである。

栄叡と普照の要請を聞いた鑑真は、弟子達の中に日本へ渡ってくれる者がいないか問いかけたが、日本への航海は危険極まりないとの理由で、希望者は1人も現れず、最終的に鑑真自らが日本へ行くことを決意し、それを聞いた弟子21名も随行を名乗り出た。その後、一行は日本への渡海を5回にわたり試みたが、ことごとく失敗した。

唐招提寺753年(天平勝宝5年)12月26日、鑑真は太宰府観世音寺に隣接する戒壇院で初の授戒を行い、754年(天平勝宝6年)1月には平城京に到着し聖武上皇以下の歓待を受け、孝謙天皇の勅により戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住することとなった。
4月、鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けた。これが日本の登壇授戒の嚆矢である。併せて、常設の東大寺戒壇院が建立され、その後761年(天平宝字5年)には日本の東西で登壇授戒が可能となるよう、大宰府観世音寺および下野国薬師寺に戒壇が設置され、戒律制度が急速に整備されていった。

758年(天平宝字2年)、淳仁天皇の勅により大和上に任じられ、政治にとらわれる労苦から解放するため僧綱の任が解かれ、自由に戒律を伝えられる配慮がなされた。

759年(天平宝字3年)、新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、戒壇を設置した。鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝えた。また、悲田院を作り貧民救済にも積極的に取り組んだ。
763年(天平宝字7年)唐招提寺で死去(入寂)した。76歳。

数年前にたまたま九州に行く機会があってこれまたたまたま訪ねていった寺がこの太宰府観世音寺に隣接する戒壇院でした。
鑑真が植えたとされている数珠の木があってちょっと感動したのを記憶しています。
何もない殺風景の簡素な寺でしたが、仏像がまれにない不思議な手をしていました。
心を奪われたひとときで、暫く佇んでいたら「あなたは普通の人ではありませんね?」って声を掛けられこの寺の説明をされました。
ちゃっかり私は、説明だけ聞いて怖くて逃げていきました。
そんな不思議な出会いのあったお寺でしたが、また行きたいと思っているお寺さんです。
何だか原点の気がしてなりません。
機会があったらぜひお出かけ下さい。

本部稽古で・・・

2010年01月21日 | Weblog
あ~あ、いいことありますように!
・・・!
やっぱりいいことなかった?!
本部稽古でいいことを望むほうがいけないのかとこの頃思いました。
だって稽古もしていないのに褒められるわけがない!
自慢げにいっても仕方ないがそう思う。
今日は全く行きたくなかったのですが、鬼先生の「さぼるなよ~!」って言う声が天から降ってきて着物に着替えて出かけることにしたのである。
鬼先生の天からの声が聞こえなかったら多分おさぼりしていたこと間違いなしです。
でも今日は鬼先生の教室ではないのですが中鬼先生の教室です。
今日は中鬼先生とは離れられたようで少々セーフ。
何とか授業は終了。
やったー!終わりと思ったら鬼先生が受付で構えていた・・・。
友人は鬼先生とお話があったようで私は待ち人でした。友人は「鬼先生じゃないよ!優しいよ!」っていうのですが・・・。
来週は鬼先生の教室です。負けないようにがんばろー!っと。

今日は夜打ち合わせでした。昼間の鬱憤を払うがごとくにしゃべりまくりました。
「元気がいいね~!何か良いことあった?」
「ありません!」
人って、一日のバランスがプラスマイナス0で成り立っているのだろうかと少々心の中で思いもしましたが、お稽古真面目にしようかな~?
なんて思いもしました。即座に多分しないでしょう・・・!とも思いました。
プラスマイナス0、常に持ち合わせているものだと・・・。
焦ってはね!
今日も都合よく思って一日が終わりました。