茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

今日は臨時お教室!大祓(おおはらえ)

2009年06月30日 | Weblog
雨降ってますね~!
今日は臨時お教室!
これから行かなきゃ!
雨ですね~、おっと地下だから大丈夫か・・・。
今日の占いはかに座は最悪!
おとなしく生活します。無事に過ごせますように。
行ってきます。
この続きは夜書きます。
皆さんも気をつけてお出かけ下さい。

雨にくたばっている状態ではなかった。
今日は大事な行事の日です。忘れてました!ん?何でしょう!
実は私神道系でもあったりするのですよね~?
すっかりどっぷり仏教系のように見えますが・・・。
そう神仏合体の古い人のようです。
そんなことよりも、今日は大祓(おおはらえ)なんです。
これは、6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事。
犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という。6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいます。

内容は次の通り。
701年の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められた。
この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。衣服を毎日洗濯する習慣や水などのない時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で疫病を予防する意味があった。
夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。
これは、氏子が茅草で作られた輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って穢れを祓うものである。
『釈日本紀』(卜部兼方 鎌倉時代中期)に引用された『備後国風土記』逸文にある「蘇民将来」神話では茅の輪を腰につけて災厄から免れたとされ、茅の旺盛な生命力が神秘的な除災の力を有すると考えられてきた。
また、茅の輪の左右に設置する笹竹に願い事を書いた短冊を振下げ、七夕に河川に流すといった俗信仰は、書初めをどんどん焼きで焚くと筆が上達するといった行事と対応しているらしい。

京都では夏越祓に「水無月」という和菓子を食べる習慣がある。
水無月は白のういろう生地に小豆を乗せ、三角形に包丁された菓子である。
水無月の上部にある小豆は悪霊ばらいの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表していると云われている。

結構この菓子「水無月」は好きなんです。ただ、今日のお菓子屋さんは美しくなかったので今日はいいや~って思ってあえてやめました。
うっかりでしたというより、残念!
反省の私でした。


7月の貞恭庵

2009年06月29日 | Weblog
皇女 和宮様ゆかりの茶室貞恭庵で
お参り・・・ 抹茶と和菓子、如何でしょうか?

増上寺の境内にひっそりと佇む小さな茶室。
毎月一度「皇女和宮のゆかりの茶室」を公開しております。
小さな建物本来が持つ魅力を満喫して戴きたい!
皆様のお越しを心よりお待ち致しております。

          記

開催日; 7月26日 (日)
8月23日 (日)
時間; 10:00~16:00
場所; 増上寺 境内「貞恭庵」
会費; 1,000円(抹茶と季節の和菓子)

※ イスの用意もしております。お気楽にお入り下さい。
※ お点前はございませんが、ひと息入れにお立寄り下さい。

やっぱり雨だわね~!

2009年06月28日 | Weblog
今日は雨の特異日だそうです。
ということで、それってなに?で、調べてみました。
特異日(とくいび)とは、その前後の日と比べて偶然とは思われないほど大きな確率で、ある気象状態(天気、気温、日照時間など)が現れる日のこと
[特異日は日本だけでなく外国でも認められており、英語では「シンギュラリティSingularity)」と言う。
特異日に関する研究は、1930年代にドイツのシュマウス (A. Schmauss) によって行われた。
厄日とは異なることに注意しなければならない。
厄日は暦の上から言われるもので、特に農業上の注意を喚起するもの、例えば二百十日などがよく知られるが、特異日とは無関係である。実際、過去の統計を見ると8月末と9月中旬の台風襲来の山にはさまれ、二百十日頃の台風襲来は非常に少ない。

では、日本(主に東京)の特異日は?

1月16日 - 晴れの特異日。
3月14日 - 晴れの特異日。
3月30日 - 雨の特異日。
4月6日 - 寒の戻りの特異日。
6月1日 - 晴れの特異日。
6月28日 - 雨の特異日。東京では53%の確率で雨が降る。
8月18日 - 猛暑の特異日。
9月17日 - 台風襲来の特異日。統計上、台風が日本列島に上陸する回数が多い。
9月26日 - 台風襲来の特異日。統計上、台風が日本列島に上陸する回数が多い。
11月3日 - 晴れの特異日

と、いうことで今日も雨でした。あたりますね~?
今日は瀬田の病院までお見舞いに行ってきました。
病室から見る雨はどうも寂しく感じるらしいです。
人が訪ねてくると元気になるって!・・・。
人って強いようで弱く、弱いようで強く、天の邪鬼。人がそばにいてくれると嬉しいことにはかわりない。誰しもが沢山の人に支えられて生きているからですよね?
私はきっとどっぷりと大勢の人に寄りかかって生きているようにみられるのだろう~な~?
皆様に甘えてます、どうぞこれからも宜しくお願いします。
そんなかんなを考えていた今日のお見舞いドライブでした。
おまわりさんがおおかったです。

茶雅馬教室土曜日クラス 

2009年06月27日 | Weblog
今日は葵の間です。
着付けからです。
宜しくお願いします。

何だか力が入ってしまうのか?どうも時間が経つのが早い!今日のお菓子休憩は・・・やっぱり・・・。(夢中になりすぎたか?反省!)
今日はちびちびの生徒さんが飛び入り参加!
にぎやかでした。
たまに月例でも小さいお子が茶室にこられます。
子供たちが大人と一緒に茶室体験をすることは貴重なことと思います。ですから大賛成なんです。
子供の眼が面白いです。本当にどんなときでも子供は遊びを考えますね。
面白いほど見たまま感じたままを表現して遊びを作り出します。
感心します。今日はそんなパワーあふれる子供たちと接して元気を奪われそうになりましたがあったらしい感覚を頂ました。
面白かったです。ちびちび有難う!
また、来てね!

坂東玉三郎 特別舞踊公演に

2009年06月26日 | Weblog
行ってきました。
綺麗だった~!綺麗だった~!綺麗だったわぁ!
本当に美しかった~です。
「雪」「藤娘」。とても楽しかったです。
「雪」は、妖艶といってよいほど白く深々とした美しさが伝わってきて女性が本来持ち合わせていよう「しなやかさ」があって、重みのある美しさが玉三郎独特の世界へ引き込まれました。
「藤娘」は華やかで明るく可愛らしくお茶目な場面に、みいってしまいました。
袖を使って酒の交わし、徳利と盃と猪口は瞬間芸には「これ徳利だ!」「これは酒盃?」「猪口で飲んでいるの?」何て思ったりして夢中になって当てるゲームをしているようでした。(手を上げて答えは○○○でしょ?って言いたい気分でしたよ。言いはしませんでしたが・・・。)
背が高い男性なのに本当に綺麗で美しい~と思ったり可愛い~と思ったり、いや~色っぽいわ!と思ったり気持ちはすっかり舞台の中、藤棚を見て宴会に参加している客の気分でした。(ちゃっかりですかね!)
立ち姿や歩き方など気持ちの入れようが伝わってきて相当な体力がないとしなやかな動きは難しいです。
自分をどう見せるかの研究をされているのだな~と勉強しました。
手のつき方ひとつでも気持ちを入れゆっくりその人のなりで出すと美しくみえますものね?
良かったです!心も身体もころ宵で帰ってきました。

坂東玉三郎 特別舞踊公演へ

2009年06月25日 | Weblog
今日はとっても楽しみにしている日なんです。
坂東玉三郎の舞踊を日経ホールに観に行くのです。
公演内容は、「雪」「藤娘」です。
美しい姿を拝見してきま~す。
興味あるのはやっぱり立ち姿や手足の動かし方、重心の置き方?
先日、山梨で亀治郎の舞踊を観に行ってきたのですがやはり美しかったです。
男性が女性の美を追求すると美しさが違うんですよね?
身のこなしがしなやかだと本当に見いってしまいます。
夜の公演ですので、帰ってきたらご報告しますね!
楽しみにしていて下さい。

岡倉天心

2009年06月24日 | Weblog
茨城の五浦にお墓がある岡倉天心を訪ね車を走らせました。
岡倉天心は、アメリカで茶を広めた人物で気になって調べてみました。

岡倉 天心(おかくら てんしん、男性、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年9月2日)は明治期に活躍した美術家、美術史家、美術評論家、美術教育者である。本名は覚三(かくぞう)。
幼名は角蔵。弟の岡倉由三郎は英語学者。横浜生まれ。
東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、日本美術院の創設者としても著名。
福井藩士だった父・岡倉勘右衛門は貿易商で、幼いころから英語に慣れていた。
東京開成所(のちの官立東京開成学校、現・東京大学)に入所し、政治学・理財学を学ぶ。英語が得意だったことから同校講師のアーネスト・フェノロサの助手となり、フェノロサの美術品収集を手伝った。
また天心は明治15年(1882年)に専修学校(現在の専修大学)の教官となり、専修学校創立時の繁栄に貢献し学生達を鼓舞した。専修学校での活躍は、文部省専門学務局内記課に勤めていたころである。
また専修学校の師弟関係で浦啓一も天心と出会い、天心の指導によりその一生に決定的な影響を受けたのである。
明治23年(1890年)から3年間、東京美術学校でおこなった講義「日本美術史」は日本(の美術史学)における日本美術史叙述の嚆矢とされる。
東京都台東区に岡倉天心記念公園(旧邸・日本美術院跡)がある。
ボストン美術館中国日本部に勤務していた岡倉天心がアメリカで『THE BOOK OF TEA』(邦題:『茶の本』)を1906年(明治39年)に出版紹介した。
この出版は欧米文化人の関心を呼び、「茶道」を英語で「tea ceremony」というのも一般的になった。(岡倉は「茶の本」に於いて、欧米人にとっての「茶道」への近似体験として、「ティーパーティでのホストの心遣い」を挙げ理解を促した。)

私にとって岡倉天心は何だか好きでない人でした。
的がずれていたのか茶道というよりも、美術にとても関心のあるまた先駆け者でちょっと調べてよかったな!なんて思いました。ただ、五浦まで出かけたのに岡倉天心美術館や六角堂は休館。やっぱり気が合わないか嫌っているか入れませんでした。
まずは、墓参りから?ですかね?
次ぎ訪ねる際はちゃんと調べて行こうと、そう思いました。


ありがとう!平家琵琶からはじまって・・・。

2009年06月23日 | Weblog
実は、2年前の6月23日に「平家琵琶の語りとちゃのコラボ」を実現してから2年たちました。
そう、今日は記念日です。
早いですね~?
「平家琵琶」の新井先生とお茶の先生のお力を戴いて開催した会には100名のお客様がお越しになられました。
当日は晴天でそういえば今日みたいな天気でしたね~。
暑く澄んだ高い空、本当に青々した空でした。
汗だくになってスタッフの皆様に動いて戴いて本当に大変な一日でした。
平家琵琶の公演を午前、午後2回。そしてお茶席を2席。そして食事席、典型的なお茶会のイメージ?
違うのですよね~?今思うと食事は直会(なおらい)のことで、必要不可欠なんです。一緒に会をした、参加した方々と食事をすることは共に分かち合う正す、なんていっていいか?仏教でも精進落としがあるように必要でその意味のひとつには成仏もあると思います。神道でも直会という形であります。現在では打ち上げ会?がそれに該当すると思います。
一つ一つ会を終らせること、そして反省課題そして準備することが必要なのですね?ただ、それを含めてやり遂げること一番大切だったりします。会は時には難破船だったりします。難破船のときこそよい方法、良い海路を慎重に見つけだす糸口があるとこのごろ感じます。避けずに方向転換を・・・。
険しい路であるならある意味、それなりにみんなに見守られていることです。鯨が湾に入ってきてしまっているように。(ちょっと良い解釈?)
ただ、そこを抜け出る路を考えることが大海へ貫けるコツなのかもと・・・。
めげても仕方ないし壁は次へのチャンスというより、良い道への案内板と思います。
みんなが押してくれる助けてくれる力がないとできないことですがね?
良い勉強を、仏様の足元でさせて戴いております。
ありがとうございます。
今日はこの2年で助けて戴いた方々のお顔を気がついたら拝見してたり電話していたり、不思議です。
これからも宜しくお願いします。

ちなみに直会(なおらい)とは、神社に於ける神事の最後に、神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する行事(共飲共食儀礼)である。一般には、神事が終わった後の宴会(打ち上げ)と解されているが、本来は神事を構成する行事の一つである。

墓参りの際に墓前にお供えしたものを、あとで食するというのと同じ行為であり、神霊が召し上がったものを頂くことにより、神霊との結びつきを強くし、神霊の力を分けてもらい、その加護を期待するのである。また、神饌が食べられるものであるという証でもある。神社から餅などを頂く場合、直らうと言う場合がある。これも似た意味である。


白水阿弥陀堂

2009年06月22日 | Weblog
白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)は、福島県いわき市内郷白水町にある阿弥陀堂である。
平安時代末期の建築で、国宝に指定されている。国宝指定名称は単に「阿弥陀堂」。所有者は真言宗智山派願成寺で、正式名は願成寺阿弥陀堂である。また、その領域は白水阿弥陀堂境域(しらみずあみだどうきょういき)として国の史跡に指定されている。
白水阿弥陀堂は、平安時代末期の永暦元年(1160年)に岩城則道夫人・徳姫(藤原清衡の娘)によって建立された。徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建てて「願成寺」と名付け、その一角に阿弥陀堂を建立したのである。

御堂は、方三間の単層宝形造で屋根は柿葺(こけらぶき)。堂内の壁板には壁画が描かれていたと思われるが、現在は一部に僅にその面影が残っているのみである。内部には阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観世音菩薩像と勢至菩薩像、ならびに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像が安置されている。

また、阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれており、正面に当たる南から中ノ島を経由して御堂にいたる参拝道が設けられており、更に北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は、正に平安時代末期に盛んだった浄土式庭園の様を成している。これらの構造は、徳姫が奥州藤原氏の娘であることも手伝って、毛越寺や無量光院といった平泉の寺院の構造に影響を受けている。実際に、「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を2つに分けた物で、いわき市の「平」という地名の由来に、平泉の「平」を取った物だという説がある。

阿弥陀堂はその後、後鳥羽上皇により勅願寺とされた。江戸時代には、徳川将軍家より寺領10石を与えられるなど、歴代の為政者に保護され、現在に至っている。

毎月第4水曜日(12月は第2水・木曜日)は休みなので注意が必要。橋を渡って境内に入れない。この時ばかりは池の回りを周回する道より阿弥陀堂を眺めるしかできない。

阿弥陀堂
桁行と梁間はともに3間、一重の宝形造である。屋根はとち葺である。1952年(昭和27年)3月29日、国宝(建造物)に指定された。

今日の天気にもなんとか恵まれました。



榛名神社から歩いて少々・・・。

2009年06月21日 | Weblog
榛名神社へ行ってきました。
社殿がとっても見事な彫りでほぼ全てが文化財でした。
雨が上がって切れ間から日差しがもれて社殿を射す光りをみて、着てよかったな~なんて思ったくらい気持ちのよい空気を感じました。
御神体は社殿の後ろからそびえ立っている大きな磐で、力強いものを感じました。
私にパワーを下さい!そんな気持ちでした。
気分よく少々歩きたくなり、神社の裏に関所があって一茶も読んだ場所があると案内に書かれていたので、折角だから榛名湖まで歩いて3キロ行ってみようかな~っと思って歩き出しました。
そのときは心軽やか、清清しい森林浴気分でスタートしました。だって3キロだしね・・・。

最初は、何だかいい感じじゃない?そんな気分でカメラ片手にパシャパシャ!撮影。そのうちというより歩き出して10分後には早くも後悔。
やっぱり甘かった!
整備は所ところしてあるのだけと山道で寂しい道。
雨上がりもあってすべりそうになるし、崖あり谷あり誰もいず!誰かが隠れていそうなそんな道。
きゃ~といってもだれも助けてくれないだろう~な。
早く3キロ歩かなきゃ。そう思ってからは写真はやめて片手に携帯電話、目はあっちみたりこっちみたり360度ぐるぐるみて歩いてました。
ちなみに山道を歩く予定はなかったので白いズボンでしたので、汚れないようにってそっちも気を使い大変でした。
30分ぐらいあるいたら、分かれ道に。
0.2キロで神社裏バス通り。1.7キロで峠。
暫く考えたのですがあきらめることも大切な判断!勝手にそう思ってバス通りに出ることにしました。安全パイをっていう感じ?
ところがそれからが恥をかいてしまった。本当に県道にでてしまったので、車がブ~ンブ~ン!横を走って通り過ぎていくのです。
通りすがりに車の中から、あなたはどこぞから出没したのかしら?何しているのかしらって言うような眼で見られていたように・・・。
ついには、「大丈夫?」と声を掛けれられてしまいました。
にっこりと「大丈夫です。」と答えたら「そう!」といわれ車を走らせてさっていきました。
相当変なひとに思われたのでしょうね?恥かしや~!
ただ、去って行かれてからも県道1・4キロもあって・・・。
あ~寂しげに山道を歩いていたほうがよかったのだろうかと?疑問に感じる50分の旅でした。
折角気持ちよく歩き出したのに残念な気分になってしまったのです。
榛名湖についてからは、汗を流して気分も軽やかにしましょう!と考え日帰り入浴へ。日差しも差し込む露天風呂でのんびり「いい湯だな~!」
すっかり汗と共に流れてしまいました。

あっ、今日はひとつ良いこともしました。
実は老人ホームへ知り合いの面会に行ってきたのですが少々待ち時間があって、応接間にあるピアノをひかせてもらい遊んでました。
誰もいなかった応接間でひいていたのに気がついたら7人くらいのお人が集まってきてました。
私のピアノに合わせて口ずさんだり、リズムをとったりとしてくださって嬉しそうでした。
こちらも気分上場でひいていましたが呼ばれてしまったので、ピアノを片付けしてしまったら「あら、もう終わり!」残念そうに・・・。
申し訳なくおもうのですが、何だか良いことをした気分!
つたないピアノの音に懐かしさを感じてもらったようでちょっとこちらも嬉しかったひとときでした。
音楽は「祈りです」とおっしゃった方がいますが、心が通うまた硬く閉ざされた心をひも解くそんな祈りが通じたとき「よかった!」と思います。
聞いて下さって有難う!温かな方々に出会えてホットな気分になりました。
頭にのると「あなたは何年生?6年生?」と言われ、
「はい!」と答えてにっこり!素直に嬉しかったです。

本当に有難う!おばちゃま。またあえるといいね?(^^)/~~~

明日はどんな出会いがあるかしら?