そういえば9月の月例貞恭庵床は珍しく冷泉為経の短冊でした。
女郎花歌った古今和歌集でした。
女郎花 秋の野風に うちなびき 心ひとつを誰によすらむ
歌の意味は、秋の野風に吹かれてあちこちになびいているオミナエシは、誰にその一つの心を寄せるのだろうか、ということ。
オミナエシが風に揺れる様子を女性の定まらない心に譬えたもの。
作者の左大臣(ひだりのおほいまうちぎみ)とは、藤原時平のこと。
871年生れ、909年没。没年三十九歳。
901年に菅原道真を大宰権帥に左遷したことで有名。
筆 伝 冷泉 為経(れいぜい ためつね)
承応3年9月21日(1654年10月31日) - 享保6年10月4日(1722年11月12日)江戸時代の公家。初名は頼広・為直、一字名は系。
承応3年(1654年)葉室頼業の次男あるいは三男として生まれ、下冷泉家の冷泉為元の養子となる。貞享5年1月、従三位に叙せられる。
極官は正二位権大納言。娘は摂津麻田藩主青木一典の正室。
裏打ちのない短冊でしたがとても素敵でした。
この作品と出会うために「秋の七草」を9月のテーマにしたようなそんな感じがするくらい不思議な出会いを感じました。
私てきには探していた秋の七草だったので、「女郎花」の題材は本当にラッキーだったのですが不思議を感じるんですよね?
ちなみにこの秋「冷泉家」を上野で開催されますが先立って短冊を使えたのも少々嬉しく思ってまして観てくださった方はその短冊に引き込まれていました。
ただ、七草探しのゲームをしていましたからね・・・?
親先生は「いいものだから掛軸にちゃんとしなさいね!」って、
「あなたにしては珍しくお笑い物路線から外れて・・・」
どうもうちの先生の茶とはかきはなれていていつもお説教です!
ふと先日考えたのですが、お説教好きなのか私の周りは鬼ばかりで、いつも誰かに怒られます!「なぜだろう?」と知人に質問したら、「それはあなたがだめだからでしょう?」って。
あっさりのセリフに言い返す言葉もなく「ふ~ん?そうなんだ~?」
聞いた私もいけなかったのですが、「ふ~ん?そこから間違っていて・・・、反省と自覚をもって・・・」とはじまり話をそらそうと考えたのですがいささか力の入った説教をされ、しばし言葉が頭の上を通り抜けていました。
都合の悪いことは頭の上を通り抜けるようにいつからかなっており途中で聞き返されると「えっと?」と詰まってしまう。これも生活の知恵なのだろうか?
何はともあれ、ぶつくさ思いながらも美術館で先立って貞恭庵で冷泉為経の短冊を掛けれたのは先見の目があるのではと思い前向きに考えることにしました。
いつになったら立派に表具され掛軸になるかはわかりませんが大事にしまっとこうと思いました。
この歌の「・・・誰によすらむ」いいこと読むよな~?
秋にはぴったりの出会いにちょっと酔っていた今日この頃の「つぶやき」でした。
次みなさまにこの短冊をお目にかける日には乙女心を主として出せたらいいですね?
楽しみにしていて下さいまし。
女郎花歌った古今和歌集でした。
女郎花 秋の野風に うちなびき 心ひとつを誰によすらむ
歌の意味は、秋の野風に吹かれてあちこちになびいているオミナエシは、誰にその一つの心を寄せるのだろうか、ということ。
オミナエシが風に揺れる様子を女性の定まらない心に譬えたもの。
作者の左大臣(ひだりのおほいまうちぎみ)とは、藤原時平のこと。
871年生れ、909年没。没年三十九歳。
901年に菅原道真を大宰権帥に左遷したことで有名。
筆 伝 冷泉 為経(れいぜい ためつね)
承応3年9月21日(1654年10月31日) - 享保6年10月4日(1722年11月12日)江戸時代の公家。初名は頼広・為直、一字名は系。
承応3年(1654年)葉室頼業の次男あるいは三男として生まれ、下冷泉家の冷泉為元の養子となる。貞享5年1月、従三位に叙せられる。
極官は正二位権大納言。娘は摂津麻田藩主青木一典の正室。
裏打ちのない短冊でしたがとても素敵でした。
この作品と出会うために「秋の七草」を9月のテーマにしたようなそんな感じがするくらい不思議な出会いを感じました。
私てきには探していた秋の七草だったので、「女郎花」の題材は本当にラッキーだったのですが不思議を感じるんですよね?
ちなみにこの秋「冷泉家」を上野で開催されますが先立って短冊を使えたのも少々嬉しく思ってまして観てくださった方はその短冊に引き込まれていました。
ただ、七草探しのゲームをしていましたからね・・・?
親先生は「いいものだから掛軸にちゃんとしなさいね!」って、
「あなたにしては珍しくお笑い物路線から外れて・・・」
どうもうちの先生の茶とはかきはなれていていつもお説教です!
ふと先日考えたのですが、お説教好きなのか私の周りは鬼ばかりで、いつも誰かに怒られます!「なぜだろう?」と知人に質問したら、「それはあなたがだめだからでしょう?」って。
あっさりのセリフに言い返す言葉もなく「ふ~ん?そうなんだ~?」
聞いた私もいけなかったのですが、「ふ~ん?そこから間違っていて・・・、反省と自覚をもって・・・」とはじまり話をそらそうと考えたのですがいささか力の入った説教をされ、しばし言葉が頭の上を通り抜けていました。
都合の悪いことは頭の上を通り抜けるようにいつからかなっており途中で聞き返されると「えっと?」と詰まってしまう。これも生活の知恵なのだろうか?
何はともあれ、ぶつくさ思いながらも美術館で先立って貞恭庵で冷泉為経の短冊を掛けれたのは先見の目があるのではと思い前向きに考えることにしました。
いつになったら立派に表具され掛軸になるかはわかりませんが大事にしまっとこうと思いました。
この歌の「・・・誰によすらむ」いいこと読むよな~?
秋にはぴったりの出会いにちょっと酔っていた今日この頃の「つぶやき」でした。
次みなさまにこの短冊をお目にかける日には乙女心を主として出せたらいいですね?
楽しみにしていて下さいまし。