狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

何故軍隊が必要だったのか

2011-09-20 14:24:04 | Weblog
先日テレビで、ニューヨークで働いている日本人が同じ事を二回
繰り返し言った。 なにやら活発化しているらしいが私は変わらず。

保護を必要とする場合、介入を必要とする場合、社会には色々ある。
ありすぎる。
一箇所で全部見るなんて出来ないんだから当然分担が必要になる。
その分担者には「保護が必要だ」と喚くだけの人を放置する事も
求められるわけで。
分担不能な分担者に対する第一の選択肢は取り上げ取り潰し。
もちろん取り潰さないというのもまた一つの判断。

単純に事務処理能力だけなら中央集権型の方が能率が高かったりする。
何故取り決めをする場所を一箇所にまとめないのかの理由は情報や
文化の距離の問題にあるわけだ。
情報距離、文化距離が近ければ実際の物理距離が遠くても取り決め
つまり社会問題に対する政治は機能する。
ところがあからさまなルール違反への対応、懲罰、治安維持行動、
鎮定などと呼ばれたりもするが、はおおむね物理距離に依存する。
警察が出動するようなケースのそれはレスポンスタイムなんかと
言われたりしていて東京の場合は3分くらいだそうな、これが
警察署が100km先にしか無ければ1時間とかになったりすると。
あからさまなルール違反に対する対応は遠ければ遠いほど困難になり
また文化距離が人と人との接触、まあ口コミだな、に依存している
ならば遠くの中央よりも近くの違反者にシンパシーを抱く人が増える
という状況も不自然ではないわけで、違反集団は肥大化しやすくも
なると。 これが軍隊が必要となる理由の一。

文化距離があるという事は行動様式が違うという事。
行動様式が違うのだから当然秩序も違ってくる。
秩序が違うのだから当然政治の在り様も違ってくる。
南の島なら親は子に泳ぎを教えろとするだろうし、凍った大地なら
最初から泳ぐなとするだろう。
ルールが違う。 ルール毎に相応の分担があるわけだがそれで全てを
まかなおうとすると処理能力が不足する。 足りる事も有るかも
しれないが、私はそれを期待しない。
よって大枠で大中央、中央集権になると。
適当な地域ごとの中央集権、つまり国家でありその担当範囲が国境。
国境をまたぐとルール上しても良い事とルール違反とが変わる。
銃犯罪や詐欺、売春、酒や麻薬なんかがその代表例か。
必然的に犯罪者が国境を越えて行き来する。
そうした彼らを取り締まる、これが国境警備。
軍隊が必要となる理由の二。

越境犯罪を意図的に放置する、あるいは推奨するような国があった
としたらどうなるか。 ナラズモノ国家。
その状態が続くようなら被害国の側が取るだろう問題解決の手段は
戦争という事になる。 より「平和的」な手段も存在するだろうが
趣旨は変わらず。

こうした状況からするとナラズモノ集団、ナラズモノ国家が存在
しなければ軍隊は必要無い、となる。
存在する場合は状況に応じて安全保障政策が練られるわけで、
そうした各種準備についてはそれぞれに、不要だろう、当面は
不要だろうが長期的には判らない、あるいは当面は必要だろう
といった認識になるわけで。
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ナラズモノ集団ってどんな感じなのか考えてみる

2011-09-20 13:28:20 | Weblog
昨日道を歩く高齢の女性二人組みを追い越した。
歩いて話しているというのと立ち話をしているというのの中間くらい
の歩行速度、多分後方3メートルくらいまで近づいたあたりで喋って
いない方の女性が気づき、大きく道を空けた。 私が音を出すとかの
特別な行動をとったわけでもなかったのだが普通に気付いた感じ。
もう一方は喋り続け。 私が二人の間を通り抜ける時も変わらず。
以前そうした行動に文化があるかどうかは見て判ると書いたがその
認識するポイントは行動を取った人に対する周囲の驚き。
行動自体に驚く場合は文化が無く、指摘された事に驚く場合は文化が
新しい事を意味し、指摘されるまで気付かなかった事に驚く、恥じる
場合は文化が定着していると。
まったく無反応、というのは逆に新鮮に感じた。
まあお喋りし出すと止まらない人とそれにうんざりしている人だった
とするとその状況に大体説明が付くような気もするが。

先週だったと思う、変な夢を見た。
ある人物、むこうは私を友人と認識しているっぽいが私は名前も
覚えていない、が別の人物、そちらも私を友人としているが私は
名前を覚えていない、を襲う計画を私に話す。
私はその襲われる人を探してそれを伝え、そこからその襲う人の側の、
リーダーっぽい人に理由を尋ねて個人シャトル外交のようなものを
始めるといった所。 理由はリーダーの妹が強姦されたとか自殺した
とかなんとか。

夢はそこで終わったのだがこの理由に沿ってストーリーを考えてみる。
とある集団に所属している(と看做されている)女が別の集団の男に
惚れる。 ロミオとジュリエットなら文学的だろう現実ならただ気の
多いだけのビッチ。 色々と「意に沿わぬ」状況が頻出、ビッチの
視点からすると悲劇という形に終わると。
ここでその双方の集団がどうするかか問題になる。
子供なら保護する必要があるだろうが大人のそれは自己責任。
ゴミはゴミだと双方が適当にあしらうのが妥当じゃないかと思うが
一応状況は見るべきなのだろう多分。

さてビッチが陥るだろう状況を幾つか考えてみよう。
問題が起きる現場の側をA、ビッチが所属している側をBとする。
1. フラフラしている所をA側チンピラにツマミ食いされる
2. ビッチの行動がA側ビッチの癇に障り暴力沙汰となる
3. ビッチがA側男に袖にされた事を逆恨みしB側に非道を訴える

これらとは別に
4. 特にビッチでもないのに襲われる

といった場合も有り得るわけで、これはただの犯罪被害。

ここでBがどういった対応を取るかが問題になるのだがそうした
集団というのは構成員の多くが一般社会で言うところのクズで
出来ている訳だ。 当然構成員たちはリーダーが、身内主義的に
動くことを期待すると。 場合によっては状況確認よりも先に
抗争が始まったり。

ナラズモノ集団というのは何処にでもいると。
日本だと珍走なんて呼ばれる集団に例えられる事が多かったり。
具体的にどうなっているのかは知らないが、集団心理で動いている
という点は万国共通の問題なんじゃないかなと。
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金持ちは腐敗か

2011-09-19 08:48:50 | Weblog
ようやくまともに政策を議論しだした、といった感がある。
では何時変わったのか。 何故以前は違ったのか。
一方で、相変わらず若者の未来の無い国だとも。
そうした変化は一部だけなのか。

さて金持ちとはお金を多く持っているあるいは貰っている人
の事である。
私はこれを腐敗とはしない。
組織や集団をピラミッド型とすると頂点は責任者。
では上層部、責任者のすぐ下はどのような存在か。
ここの役割の一つは配分者だろう。
非責任権力者。
人はここを見て「平等に」と言う。

金持ちとはお金を多く使う人である。
馬鹿な子供がいたら母親は財布を取り上げ「私が買い与える」
と言うだろう。 ではこの状況、母親が腐敗しているのか。
そうだと言う答え、実は常に間違いではない。
それが正答の場合もある。
つまり腐敗とは使い道なのだ。
特定個人の権力行使を指して腐敗と言うのならその発言は
妥当たり得る。 だが一般には金の多さがそう言われる。
そしてその多さの結果は無視される。
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毒野菜問題を遡ってみた

2011-09-18 09:00:58 | Weblog
実は少し期待していたんですよ。 変わるんじゃないかって。
んで昨日ネットを見たら「ジミンガー」と出てた。
クズってのは何が起きてもまず他罰なんですな。
だから何時までたっても駄目なまま。
少し賢くなったよありがとう。

何年か前に親戚の結婚式があったんですよ。
そこで咳が止まらなかった。
牧師さん(だと思う)がなんか言っている間も我慢しながら
一人だけケホケホ言ってたんですね。
原因は駅前の総合スーパーで売られていてたショップブランドの
ウーロン茶じゃないかと。 妙に刺激が強く喉が痛くなるので
その後も試しに少し飲んでみて購入停止。
ちなみにその結婚式の親戚、半年後に予定が二転三転して赤ちゃんを
見に来るかという話になった事があったのだがこの時は生理的には
原因不明の腹痛で行かなかった。

毒野菜問題を少し遡ってみた。
中国以外でも知られだしたのがだいたい2002年ごろ。
マラカイトグリーン鰻が表面化したのが2005年。
毒ペットフードが2007年の5月。
メタミドホス餃子が2008年の1月。
これが日本でテレビレベルで大々的に報道されるようになった最初で
この後マラカイトグリーン鰻報道が続くと。
ちなみに所沢ダイオキシン報道が1999年。

日本でその危険性が大々的に報道されるようになるまで情報が出だしてから
餃子までだと6年近く。
ネットで七色の河川が話題になってから3年かかっている。
その間ネットや週刊誌などでは少し出る、知る人ぞ知るという状態。

先日母と話して判ったんですが、テレビしか見ていない人たちってのは
このタイムラグを認識していないんですね。
でも6年というと乳児が小学生に育つまでの期間、妊婦さんのリスクで6年だと
少子化の今の日本だと50万人の6倍で300万人。
大量死したのがたまたまペットだった、というだけなんですね。

このタイムラグは何故あったのか。
いくつか候補を挙げてみる。
1. ビジネスチャンス
2. 国際的なプライバシー
3. 国連正義の悪用問題
4. 左翼文化と吹牛メンツの親和性
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治った

2011-09-13 14:10:31 | Weblog
痛くなり始めてから2時間くらいで治った。
脂汗で寒くなり自律神経がおかしくなったのだろう、
吐き気がする状態が1時間弱、痛いですと祈ってから約15分。
健康が良いですと祈ってからは多分5分くらい。

その間短思考をいくつか。
前回とのタイミングと併せて思うに還俗はいかんっぽい。

治る直前の思考は、左翼にも一定の正しさはあるのか、というもの。
具体的にどこの点について謝るべきなのかはまだ判っていないが、
ごめんなさい。
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結石である

2011-09-13 13:01:09 | Weblog
今月に入って二回目。
脂汗がだらだら出る中文章を書いている。
長い思考は無理な感じ。

フランスのニュースを見た。
前回の更新は逆方向だったなと。
それでも以前から国防思考が不要だったとは思っていない。
これからは不要になるのか。
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何故大学左翼は新興宗教のような思考様式となるのか

2011-09-11 14:38:22 | Weblog
火山活動などの理由で住民の退避が行われ、その後人のいなくなった
町並みをどう表現するか。 それて似たような状況に対し表現に違い
が出るとしたら、そこには何らかの形の歪みがあると見るわけだが。

さて大学左翼の新興宗教化。
大学左翼は新興宗教のようになる。 これはなぜか。
凡一流の人間なんて行くところに行けばありふれている。
それ以上に結果が伴わない以上、評価の対象にはならない。
だが彼らの自己評価は高い。
そうなった時彼らはどうなるか。
彼らの一部は、自分たちだけが真理を持っている、という状況を求める
ようになる。
「自分たちが真理」なのだから周囲は馬鹿でなければならない。
どうするとそうなるか。
都合の良い状況をもたらすものを正義にすればよい。
例えば安全保障の無視なんかがそれ。
侵攻する側が防衛する側にとって不利な理由の一つが情報の不備だ。
つまり適度に情報を隠すことが安全保障になるわけだな。
これが自分たちだけが心理つまり新興宗教のようなものを求める人たち
にとっても有利に働く。
全部無視してしまえばまともに政策を考えている人たちをごっそり
馬鹿にする事が出来る様になるわけだ。
これに対してまともな人たちが反論する事は困難なわけだ。
何故なら安全保障の要の一つが脅威となる国に与える情報の少なさで、
これを出す事はそうした情報戦の趣旨に反する。
反論されない、という甘やかされた状態。
これが左翼集団の新興宗教化を進めていくと。

凡一流の大学社会は新興宗教の寄り合い所帯であると。
そのままだと秩序も糞も無いわけだが所詮は凡人、似たり寄ったりな
発想で動いているわけで一定のドグマ共通性が出てくると。
日本の場合だと中国や南北朝鮮のような国との国際親善がそれだったり
する。 んでこのドグマに反する政治家は新興宗教系の人間やシンパ
たちから叩かれる事になる。
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停電になった

2011-09-11 12:09:44 | Weblog
とりあえず書いておく。
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貧困はどこまで悪か

2011-09-08 09:28:24 | Weblog
日本の民主党新政権閣僚の何人かを軽く調べてみた。
これが民主党を、そしてさらに民主党支持集団を現しているのだとすると、
その内のそれなりの比率が劣悪種だとなる。
そしてそれ以外の人も多くが政治未経験人種であり政治無知であると。
それをそのままで良いとされると困るのは国民、という事になるわけで。
とすると民主党支持者は自分が困らない事よりもこれまで困っていなかった
隣人が困るようになる事を求めているのだ、と見る事も出来るわけで。

やっぱり朝日新聞のような悪役が居ると書きやすい。
こうした書き方は安直な気もする。
人類が全員まともなら特に書く意義も無いわけで、直近の悪役をそう書く
というのはこのブログの趣旨に合ってはいる。

さて貧困。
みんなが嫌う。
では貧困は悪なのか。
とりあえずは悪だという事になっている。
それが現在の社会の常識。

貧困とは何か。
収入が少ない事らしい。
いや冗談で書いているわけではなく。
貧困の定義はもっぱら収入の多寡で著される。
収入が少なくても食えている場合は統計上貧困だが飢餓が起きてはいない、
などと言われたり。

貧困が悪だとされる理由は何か。
とりあえずは飢餓がその理由だとされている。
が、私は違うと見ている。 貧困が劣悪者たちを奪い合いに駆り立てるから、
というのが真の理由ではないかと見ているわけだ。
では貧困が無ければ劣悪者たちの奪い合いは無いのか。
否である。
貧困が無い場合それは、より上品に行われる。
つまり貧困に駆り立てられたそれが下品で目立つから嫌われていて、上品な
奪い合いをする人たちがそれを悪だとしているのだと。

さて、貧困と飢餓は一般にはセットだと認識されている。
イコールではない。 だがこれは必ずしも間違っているわけではない。
一地域では凶作時には食料が不足し、また備蓄がされているような場合でも
量が十分とは限らない。 なんせ食料は傷み、腐り、虫が湧く。
他地域から運んでくるつまり食料を流通させるためには労働力が必要で、
労働の動員力とお金はほぼイコールだ。
凶作が度々来る事を前提にすると貧困と飢餓は近しい。
凶作が無い、食糧生産の開始時期が年中あり期間も短いのなら貧困と飢餓を
セットとして扱う理由は無いか。 それはどうだろう。
人によっては種籾まで食べてしまうらしいのでなんとも。

貧困と教育水準の低さはイコールか。
教育には教師が必要、全ての親が全ての教科をカバーできるわけではない、
でありまた判りやすく効率的に教えるためにはそれなりの量の教材も
必要になってくるわけだ。 そういう意味では貧困つまりお金の無さと
教育水準の低さはイコールに近い。
ただし、教師が馬鹿ばかりならば貧困でなくとも教育水準は低くなる。

貧困は悪か、の答えには悪とは何か、という定義の問題がかかわってくる
のでややこしいが、貧困を悪とするのにはそれなりの理由があるようだ。
移動と流通の自由が無い、教師が馬鹿しかいない、などの事態は貧困が悪と
されるのと同じ状態になると出た。
社会の健全さを前提とするとしても、貧困だけが悪としても貧困にまつわる
各種不具合を何も解決出来ないかもしれないと。

では貧困状態、つまり収入がほとんど無い人が社会の大半、という状況で
貧困にまつわる各種不具合が発生しないというのは有り得るか。
おそらく、有り得る。
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農薬問題に見る左翼利権

2011-09-08 09:27:48 | Weblog
賛成派に駄目な点があるが反対派はもっと駄目、人間的におかしから
反対運動をしているといった例が、多々ある。

「農薬問題」と書いたが今回の主テーマは農薬問題問題なんだな。
1970年代日本社会の特徴の一つは公害運動である。
二次産業、製造企業に対して公害があるのなら一次産業である農業に対して
は農薬問題がある、という形でそれが浮上してきた。
勉強しない人間たちによる農協バッシング。
自民党の支持基盤だった地方農家とその業界組織である農協を叩くのは
自民党よりも支持されないという形で傍流へと追いやられていた左翼に
とって都合が良く、そしてそれ以上に気分が良かったと。
そうした動きの音頭を取ってきたのが朝日新聞。

危険な農薬もあった、運用によっては危険性が消費者や農家の周囲に及ぶ、
健康な人には無害でも体の弱い人、病人や老人、乳幼児、妊婦には有害な
場合もある、化学薬品全般の危険性に対する啓蒙活動として意義があった
などの反論もあるだろう。 そうかもしれない。 ではそうした運動の結果
として作られた常識が行き渡った後どのような動きがあったのか。
無しである。
危険認識が行き渡り、家庭用殺虫剤の方が危険なんじゃないかという話に
なってきてから「直接飲まなければわりと安全です」「世の中にはもっと
危険なものがあります」といった風に変わっていったか。
逆である。
危険性が下がってからも「農薬は危険」と言い続けた。
ダイオキシンと同様。

過去のこうした流れに対する反省の言がまったく無い一方で、ここ二十年か、
中国産毒野菜の輸入を「国際親善」称しと礼賛してきた。
こうした事実がそう言っていた連中をを嫌ってきた、新聞任せにせず自分で
調べる事をする人たち、必ずしもインテリではない、がいかにまともかを
示している。
では何故朝日新聞のような左派を名乗る報道機関はこれまで危険性の低さを
報道してこなかったのか。
私はこうした事例に左翼利権の構造を見るわけだ。

一部の人は地獄と言う。
新興宗教がよく言う事の一つである。
何故そう言うのか。
不安に駆られた人たちが従属化するからである。
左派活動家とその信者との関係はこれと同じ。
では何故朝日新聞の記者やそれと似たような立場の人たちは彼らを支援する
ような行動を選んだのか。 同一組織なら判る。 だが別組織だ。
利権を共有していたのか。 一部には当てはまるが、多くは否だろう。
その一部が宣伝収入の元である企業に対する恫喝と見せしめでありそれは
それで大問題なのだが。
シンパシーか。
複数の新興宗教団体の間にもある。
西洋社会や西洋化した社会におけるマルクス教とイスラム原理主義との
関係がこれ。 これはあると見ている。
だが多分、他にも何かがある。
新聞のような、権威主義組織の特色に関した物が。

権威主義。
「左翼の支援者」という立場が読者に対する訴求性を持っていたのか。
だとするとこれは、西洋における教会と貴族の関係だろう。
クルセイダーとその支援者と、言い換えるか。
支援者で有る事が地位ならばクルセイダーは間違っていたとは
口が裂けても言えないわけだ。
そして後には混乱が放置される。
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