ここで「ディストピア化思想」としたものは何かというと、新興貴族の平民ヘイトが社会制度化している現状から遡って「これがその思想だ」とするもの。
思想然として存在しているが人間側の都合により明文化されなかった、実現すべきと世に訴える人間が居なかったものを、あえて「〇〇思想」としたもの。
ひどい環境だ。 邪魔が多い。
ここで「ディストピア化思想」としたものは何かというと、新興貴族の平民ヘイトが社会制度化している現状から遡って「これがその思想だ」とするもの。
思想然として存在しているが人間側の都合により明文化されなかった、実現すべきと世に訴える人間が居なかったものを、あえて「〇〇思想」としたもの。
ひどい環境だ。 邪魔が多い。
以前の私なら。
義を説く。
反発を受ける。
戦う。
すると、義を解する少数、反発したままかろうじて人型な多数、旗を振る少数狂人と分かれる。
今の私だと。
義を説く。 解くとも。
反発を受ける。 主に狂人たちから。
戦わない。
すると逃げる多数、知性を手放す次に多い集団、狂獣とに分かれる。
狂獣は人型をしているがすでに獣、知性を手放したものたちは今は高い地位にいたりもするが、獣になる。 逃げた者たちが家畜に留まれるかは不明。 ザドキエルなら集めるよう指揮するのかな?
「虐待を趣味とする」と言っても理解できない人が多数だろう。 常々目が腐ってるんじゃないのかと思っているし、魂が腐っていると指摘したりする。
平和に生きようとする=怠け者。
搾取しないようする=やるきがない、うだつが上がらない。
殺しを避けようとする=無意味なこだわり、迷信妄想。
華美虚飾=善。
悪人の手を取り利益を得る=社会性協調性がある成功者。
お前は何をしたいのだと問われれば、社会の悪を避けて隠棲するような人たちが主流の社会を作る。 子どもたちが皆そうなり、そうではない人たちは自然と支持を失い相手にされなくなり、食料を恵んでもらう地位に収まる。
「そんな社会実現するわけがない」と言われるだろう。 だが実現する。 旧来の社会で偉そうにしていたものは皆価値を失う。
福音書におけるイエスの行動は、ユダヤ社会の虐待癖と宗教腐敗を指摘し続けたものである。
ウケモチ神話は糞便=富、接待=賂、食物神=富の集中、結末は一時的な自由化平等化と置くと不自然ななにかではなくなる。
こうした神と人の関係を社会性に生きる人間たちは理解できず、捻じ曲げたものを教えとする。
そうはならない。
ほぼ「我々は成功者だ」「我々は大勢でお前は一人だ」となる。 女でも教会でもユダヤでも日本でも。
私は人類悪を指摘する。 これにより、ザドキエルの代わりの悪が見積もられる。
「だったらザドキエルのままが良かった」とでもするか。 ユダヤの正義を破壊したのでそうしておく理由がなくなった。
悪魔が必要なのではない。 人類悪の指摘に正邪を無視して「我々が正しい」と宣わく多数が居る。 彼らからそうなる集団が出る。
Hero-warsの新CM、ひょっとしたらまた差し替わったかもだが。
今月に出てきたと思うアニメのやつだが、スウィート・ベイビーインクと似たような連中が中国人ワーカーに作らせてるものだろう。 ああいった連中が存続できていた理由は政治にある。
山本太郎の選挙CM。 ツラが清原に似て見える。 ゼレンスキーと同じ匂いがする。 金銭欲に傾いた貧乏人を釣るための餌で指導を受けてる人間。
例えば「女の嘘は善か」と置く。
天使共は「悪である」としながら自分たちの権威のための嘘は看過する。
旧神共は「昔からそうなっている」とし、善として扱う。 彼らに未来の善が見えることはない。
私はこの世界を、善側、私が善とする方へとずらそうとしている。 私個人に対して敵対するのが旧来の天使共、私の方針に対して反発、嫌がらせをしてくるのが旧神。
彼らは彼らを中心とする癒着体制を善とする情動、動物のような反応から私に敵対するが、傾向は異なる。
天使共は支配から、旧神共は後ろ向きな現状維持志向からそうなっている。
余談だが。
ザドキエルを戻そうかと思うようになった。 なんか変質したようだ。 表敬に来たってのもあるが、wikipediaのアゾフ大隊の記事を読んで。
ザドキエルを落とすと決めたのは相撲の白鵬の件だった。 wikipediaの記事にその事件は見当たらなかった。 「暴力」で検索をかけたが当たらず。 この現在進行系の隠蔽措置、犯罪行為をどちらの責とするか。 現在のそれは旧神にある。
最近目障りなCMがある。 一つが山本太郎、もう一つがHero-wars。 今年前半くらいまでだったか、テレビCMゴリ押しをストレスとしていたが環境が改善した。 一方でこれである。 この件に私と彼らの関係を当てはめると、先の宗教論争、宗教の自由に関する対立への彼らの見解であろう。 彼らは私を教育しているつもりなのだろう。
私は彼らを排除する。 彼らにある根本的根源的な悪質さが、私にある「先に見る善」を見えなくしている。
まず彼らは動物、四本脚で屋根のない場所に暮らすそれだな。 に落とされる。 敵対しないものはすぐペットになれる。 敵対するものはそこから虫に落ちる。 そこで敵対するものは掃討されるだろう。 彼らに墓はない。 ただ消える。
私はそれを「アダム・マモン」と呼ぶことにした。 ニギニギの神の名である。
・人類社会はそれで回っている
・カインとアベルにおける神アダムから
・ウケモチとツクヨミの関係でもある
・人類社会は本来そうあるべきではなかったとの意
カインとアベルの話。
これは農業と畜産の軋轢に、農業カインは神アダムに裁断を求めようとしたが畜産アベルは先回りし贈賄、先に聞いた話を善とした神アダムはカインを追い返す。 その結果の殺人事件である。
アベルがカインを恨む。 これについてはまあそういうこともあるだろうとする。 先に悪かったのお前じゃんとは思うが。
アダムがカインを嫌う。 この件につきお前の悪が一番大きいのではとする。
無関係な人間がカインに石を投げる。 私はそれに「そうあるべきではない」とする。
教会がカインに石を投げろと言う。 私は「邪悪な宗教だ」とする。
体力的にもうあまりないだろうと思わなくもない。 この件については名前を付けたので後はどうとでも。
私に対し「贈収賄と石投げは善である」「人の自由である」とした神は落ちるだろう。
「あなたは権威者のする話だけで他人を攻撃し続けるクズですか?」である。
権威と衆愚、数の暴力の関係。 これが贈賄神の中核か。