海外のニュースより

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「乳白色の顔をしたテロリストの底知れぬ憎悪」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年07月05日 | テロリズム
この連中を顔を見たいと思う。連邦検察庁が告訴状に書いているように、、彼らが生まれ、育ったドイツにおいて、9.11規模の爆弾攻撃で何百人もの人間を殺そうとしたこの若者たちは、どんな外見を見せているか。
容疑者から犯人になり、最後に被告となった彼らの名前は、よく知られている。フリッツ・ゲロヴィッツ、ダニエル・シュナイダー、アデム・イルマズは、テロ細胞の核となるはずだった。それは、彼らが大量殺人を計画した場所にちなんで、「ザウアーラント・グループ」と名づけられた。この一団の第4の男、アッチラ・セレクは、トルコから支援を行った。彼らは狂信的な信念によって、イスラム教だと称する宗教に追いやられた。
彼らの写真は少ない。大抵は、若いときの撮影か、手配写真である。最後のスナップ写真は、2007年9月の逮捕後、つまり、一年半前に撮られたものだ。シュナイダーを除いてみなマスクをかぶっている。
水曜日以来、誰でも治安当局には「最初の自家製テロリスト」と見なされている若者たちの外見と振る舞いの写真を見ることが出来る。告訴状の朗読とともに、デュッセルドルフの上級地方裁判所の法廷で、厳しい治安保全の措置の下で、「ザウアーラント・グループ」に対する裁判が始まった。
連邦検察庁は、40ページにのぼる告訴状で、参加の程度は異なるが、いくつかの犯行について告発した。国内と国外でテロリスト集団のメンバーに参加したこと、爆発物攻撃を準備したこと、殺人の申し合わせなどである。シュナイダーは、逮捕時、警官に発砲したので、殺人未遂に対しても責任がある。
三名の検事は、「ザウアーラント・グループ」のメンバーが「イスラム教の敵としての
米国に対する底知れぬ憎悪」に満たされていたと述べた。だが、ドイツ人の犠牲も、彼らには歓迎されていた。被告はメディアに有効なテロの印を置こうとしていた。彼らの目標は、テロ攻撃の際、「出来るだけ多くの人間を殺すこと」だった。
最初の法廷手続きの際、西欧社会とすべての不信仰者に対する憎悪が一度だけ垣間見えた。アデム・イルマズが、弁護人の宣誓のために起立する拒んだときである。オットマール・ブライドリング裁判長の警告に対して、彼は「私はアラーのためにのみ起立する」と言った。連邦検事は、三日間の拘禁を請求した。
他の被告たちは、落ち着いているように見え、法廷の進行を黙って追っている。多かれ少なかれ長いヒゲを取り去って考えると、ジーンズをはき、シャツを着た若者のミルク色の肌が見えただろう。全く普通の若者に見える。フリッツ・ゲロヴィッツは、市民階層の出で、サッカーをし、できる生徒だった。後に「ノイ・ウルム経済大学」の学生となった。ダニエル・シュナイダーは、ザールラント州のノイキルヒェンの出身で、数学の良くできる高校生であり、ガールフレンドがいて、バスケット・ボールをやっていた。だが、彼らの性格は明らかに、不安定であり、両親の離婚を経験しており、あらゆる外部から影響されやすかった。治安当局が「イスラムへの三段跳び」と呼ぶものだ。新しい知人を通じて、彼らはイスラム教と接触を持ち、モスクを訪れ、その共同体が居心地が良かった。
それから、彼らは過激派や憎悪を振りまく説教師に接触した。彼らは外国語学校でアラビア語クラスに出席し、そこでジハード主義者に話し掛けられた。最後に、パキスタンのテロリストのキャンプに旅行し、テロ攻撃を計画し始めた。
これらは、まだ、検察側の主張である。これに対して、弁護団は、告訴状を「汚いでっち上げ」だと見ている。国家は、彼らの依頼人に秘密情報機関の監視行為から得られた「非合法的な認識」を通じて、テロの容疑に到った。論証の信憑性は、これから二年かかって、明らかにされる予定だ。最初の手続きでは、被告の顔だけがわかった。彼らの人柄のイメージや彼らの衝動のイメージは、不明確なままである。
[訳者の感想]ゲロヴィッツとシュナイダーは、名前から見て純粋のドイツ人ですが、アデム・イルマズはトルコ系のドイツ人だと思われます。
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