海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「なぜ私は60年間の沈黙を破ったか」と題するギュンター・グラスとの対話。

2006年08月14日 | 人物
戦後六十一年経って、初めて作家ギュンター・グラスは、彼が戦争末期に武装SSの隊員であったと告白した。15才の少年として、彼はヒトラー青年団の一人として、Uボートの乗組員に志願し、17才で武装SSに属する「フルンツベルク」師団に勤務するよう召集された。九月に出版される予定の『タマネギの皮を剥くとき』という彼の思い出についての著作において、グラスは、ダンツィヒにおける彼の子供時代や彼がすんでのところで死にかけた兵士としての戦争の終わりの日日や捕虜時代や、戦後の混乱期を描いている。
--あなたの本には『タマネギの皮をむくとき』という表題がついています。この本はタマネギとどう関係があるのですか?
グラス:私はこの本の形式を見つけなければならず、それは非常に難しかったのです。われわれの回想やわれわれの自己イメージが欺瞞的でありうるし、実際に欺瞞的だということ自明の真理です。われわれは体験を美化し、劇的にし、逸話に纏め上げます。あらゆる文学的な回想が示す疑わしいものを私はこの形式において透けて見えるようにし、響かせようとしたのです。それゆえ、「タマネギ」なのです。タマネギの皮をむく場合、つまり書く場合には、皮を剥くたびに、文を書くたびに、何かが明らかに読み取り可能になります。そうすると、失われたものが再び生き生きしたものになるのです。
--どういう理由で、あなたは回想を書き留めることになったのですか?
グラス:それは難産だったとは言いません。ですが、私が回想を書き始めるまでは、私にはある抵抗を乗り越えることが必要でした。なぜならば、私には自伝に対する基本的な抗議があるからです。自伝には事態がかくあって他ではありえないということを読者に教え込もうとするものが多いのです。これを私はもっと開かれたものにしようと思いました。だから、この形式は私にとって大事なのです。
--あなたの本は、子供時代にまで遡っています。だが、あなたの一番古い思い出から始まるのでなくて、始まりは、あなたが12才で戦争が始まったときです。あなたはなぜこの節目を選んだのですか?
グラス:戦争は、中心点であり、主要な点です。それは私の子供時代の終わりを記し付けています。なぜならば、戦争とともに、初めて物事が外から家庭の中に働きかけるようになったからです。ポーランドの郵便局に勤めていた私の叔父は見かけなくなりました。彼はもはや私たちの家を訪問せず、私達は彼の子供達と遊ばなくなりました。それから彼は即決裁判で射殺されたと噂されました。それまで私の家に出入りしていた私の母のカシュバイ人の親戚は、突然、来ては迷惑だということになりました。戦争末期になって、大叔母さんが町へやった来て、農家かから農作物やもって来て、石油を持っていきました。それは田舎では手に入らなかったのです。こうして、物資が窮乏したために、再び家族的なまとまりが生まれました。ですが、私の両親たちは、一度は現実に同調したのです。
--あなたは、あなたの回想と物語作家としての才能のために繰り返し外からの刺激を求めています。タマネギやあなたのお好きなバルト海の琥珀はあなたの飛躍するのを助けています。あなたが材料を入手する家族の文書館はないのですか?
グラス:難民の子供なので、--私は現在80才になんなんとしていますが、相変わらず自分を難民の子と称しています--私は何も持っていません。私はこの本の中で、ボーデン湖やニュルンベルクで育った私の仲間は、相変わらず、学籍簿や子供時代のいろいろなものを持っています。私には何もないのです。全部失われました。私の母が保存していた数枚の写真がすべてです。それゆえ、私は不利な状況に置かれていたのですが、その状況は、物語を作る場合には、有利だと言うことが分かりました。
--子供時代の失われた宝の中には、あなたの最初の長編小説の原稿もあったのですね。
グラス:そうです。あれは13世紀の大空位時代を舞台にした歴史小説でした。でも私は自分の架空の人物には我慢ができませんでした。第一章の終わりに、彼らは皆死んでしまいました。だから書くことが無くなってしまった。だが、私はともかくも学んだのは、登場人物は経済的に扱わなければいけないということでした。トウラ・ポークリーフケやオスカー・マツェラート(『ブリキの太鼓』の主人公)は、最初の登場を生き延び、後の本の中に再び登場しました。
--あなたは、ニュルンベルク裁判でのバルドウーア・フォン・シーラッハの告白を聞いて、初めてドイツ人がユダヤ人の大量殺戮を犯したということを確信したと繰り返し書いています。だが、今になって、あなたは初めて自分が武装SSのメンバーだったことについて語っています。なぜ今ごろになってなのですか?
グラス:そのことが私を圧迫していたのです。60年間も沈黙してきたことが、私がこの本を書いた理由の一つです。これはいつか話されなければならなかった。
--あなたについて起こったことは、あなたはあなたが小隊にいた時に、初めて確認したのですか。それともあなたが召集令状を受け取ったときに、知ったのですか?
グラス:今でははっきりしません。というわけは、実際とうだったかが確かでないからです。召集令状の頭書で分かったのか、あるいは署名した人物の階級で分かったのか、それとも私がドレスデンに着いてから初めて気がついたのか。私にはもはや分かりません。
--当時、あなたは、武装SSであるということがどういうことを意味するかについて戦友と話したことはありませんでしたか?それはさいころのように振り回されていると感じた若い人たちの間でテーマではなかったのですか?
グラス:小隊では、私が本の中に書いたとおりでした。他には何もなかったのです。私は黄疸を持ち込みました。だが、それはニ、三週間続きました。(以下省略)
[訳者の感想]戦後ドイツ文学の代表者といえるギュンター・グラスが戦争末期、武装SSのメンバーだったと告白したことがドイツの知識人の間で大きな話題になっています。
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「テロの陰謀、パキスタンとアルカイダの繋がりが暴露された」

2006年08月12日 | テロリズム
12機の航空機を爆破しようとした陰謀きを調査している刑事によって24人の容疑者のうちの2人の人物の兄弟は、警察が急襲をかける直前にパキスタンで逮捕されたということが昨晩明らかになった。
アフガニスタンとの国境近くでのラシド・ラウフを逮捕したことが、引き金となって、捜査は、いわゆる細胞が攻撃準備をすることを恐れた官憲との先制作戦を始動した。
パキスタンの官憲は、昨夜、ラウフがアルカイダとつながりがあると主張した。「われわれは彼を国境地帯で逮捕し、彼の自白に基づいてわれわれは英国当局に情報を提供した。その情報が英国での他の容疑者の逮捕へと繋がった」とアフタブ・カーン・シェルパオ内相は述べた。
クルシード・カスリ外相は、ラウフが逮捕前にモニターされていたと述べた。
ラウフの叔父は、2002年4月にバーミンガムで殺され、殺人事件の追及の一部としてラウフの同市のセント・マーガレット通の住まいが捜索された。
ローフの逮捕は、最近のパキスタン当局によってなされた7人の逮捕の一部であり、その中にもう一人の英国人も含まれていると理解されている。ラウフの二人の兄弟は、木曜日、バーミンガムで逮捕された。昨夜、ラウフは、陰謀の計画者と攻撃を実行しようと準備していた英国のモスレムとの間に繋がりを作り出した。
昨日、少なくともロンドン東部のウオルサムストウで逮捕された容疑者の一人は、「タブリギ・ジャマート」によって運営されているキャンプに参加した。この組織はアメリカ人によるとアルカイダのための兵員補充基地として使用されてきた。殉教者用のビデオ・テープや他のアイテムが昨日逮捕された29人の持ち物の捜査において発見された。
明らかになったところによると、パキスタンがこの逮捕劇で決定的な役割を演じ、テロの暴露に役立った。英国の反テロ関係の官憲は、テロに参加する予定の英国人の何人かは、二ヶ月前にパキスタンを訪れ、英国に帰国した。
英国の情報当局によると、いわゆるテロの筋書きのもとの情報は、一年前に英国在住の情報提供者から得られた。情報提供者は、モスレム社会の出身だと思われている。
ローフの逮捕と情報的強者からの警告との結びつきが、木曜日の逮捕に繋がった。
24人の逮捕された容疑者の背景についての詳細は、昨日明らかになった。容疑者のうち3人はイスラム教への改宗者である。最年少は、17才で、最年長は35才である。英国銀行によって暴露された預金口座凍結の対象となった19人の名前は、中心的な容疑者である。
何人かはパキスタンを訪問したが、「陰謀は英国で作成され、英国で目標が定められ、英国で挫折した」と治安関係者は述べた。
だが、攻撃が何時行われる予定であったかは、明らかでない。いわゆる参加者はまだ航空券を購入していなかった。
反テロ刑事には、昨夜、木曜日に逮捕された22人の留置請求が認められた。後で、一人は嫌疑が晴れて釈放された。
[訳者の感想]リチャード・ノートン、サンドラ・ラヴィル、ヴィクラム・ドッドという三人の記者の共同記事です。
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「英国は、対テロ戦争の最前線」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年08月11日 | テロリズム
ロンドン発:まだ、一切が目下の状況に集中している。計画されたテロ攻撃の詳細、何千人もの旅行者が混乱の中で、いつ再開されるか分からぬ離陸を待っている英国の空港における悪夢。
 けれども目下の緊急事態の考察と並んで「英国におけるテロリズム」というテーマを巡って政治的論争が再燃する。トニー・ブレア首相は、もう長い間、批判の大合唱に直面している。批判は、「対テロ戦争」でのロンドンと米国との密接な関係には満足してない。
この戦争では、周知のように、英国は、アフガンとイラクでは軍隊を派遣して、最前線に立たされている。戦死した兵士の数は、その間に100人を越えた。
 ブレア首相に対する最近の批判は、レバノン問題に向けられている。その際、この紛争でイスラエルを寛大に扱い、主点をヒズボラと彼らの活動に置くアメリカの立場に余りに近いと批判されている。批判者は、イラク侵攻に際して米国を支持するという2003年のブレアの決断以来、英国はテロリストの網に捕らえられ、不必要に大きな脅威に曝されてきた。
 最後の数分で阻止された攻撃は、ブレア批判者にとって上昇気流となった。彼らは鋭く
テロリズムに対する戦争における積極的な役割が英国社会にとって何を意味するか、どれほどの永さ高度の脅威とともに生活できるかを問いつづけるだろう。英国に対する新たな攻撃はいつでも起こりうる。
 現実の英国の役割にも関わらず、全西欧文明が過激派イスラム主義によって敵であると刻印されたということは、これまでブレアにとって負担を軽減するものであった。そして2001年9月11日の攻撃のような攻撃は、米国も英国もどこかでテロリズムに対する軍事作戦に巻き込まれていない時点に、起こった。
 われわれはまた、今日、ロンドンは、--評論家のメラニー・フィリップが最近の著書で「ロンドニスタン」と呼んだように、--既に2001年よりずっと前にアルカイダ・ネットワークの共謀的準備にとって理想的な隠れ家となった。9.11の後、そして2005年7月7日のロンドンのテロ攻撃の後、治安関係者にも意識されるようになった活動にとって理想的な隠れ家となった。それ以来、集中的な監視措置のお蔭で、警察は、今、新たなテロの蛮行を未然に防いだ。
 「テロリズムに対する戦争」における英国の役割を巡る政治的議論は、鳥と卵のどちらが先かという問題に似ている。ロンドンが対テロ戦争に積極的参加したから、英国は増大するテロの脅威の下にあるのか、それとも、英国の政策が、イラク侵攻への重大な歩みをアメリカと始める以前に、テロリストたちはとっくに戦争準備をしていたのか?まだ、世論は、後の意見に傾いていて、テロリストというヤマタノオロチの中に、断固戦われなければならない脅威を見ている。
 対テロ戦争の最前線にある英国政府の役割は、トニー・ブレアにとって、にもかかわらず、大きな問題を投げかけている。テロとは戦わなければならない。だが、これを最も断固と宣伝している男にはほんのわずかの利点しか生まれない。
[訳者の感想]トーマス・キーリンガー記者の記事です。ブレアと小泉首相がどちらもアメリカに従って対テロ戦争を支持したのですから、テロリストから見ると日本も同列だろうと思います。
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「間違った武器と間違った標的」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2006年08月10日 | 国際政治
イスラエルの軍事行動の第三週までに、指導者達はヒズボラを壊滅させないまでも、崩壊させることを望んでいただろう。だが、先週、一日に最多のロケットがレバノン南部から発射されただけでなく、イスラエル兵の死傷者数もかなり増えた。
7日の間に二つの戦線で三つの陸軍を撃破することで軍事的な名声を得たこの国にとって、この一ヶ月続く紛争は、予期されたようには終わらない。ヒズボラは、これまでになく強力で断固としており、憤激している市民からの支持を訴えている。反対に、イスラエル国民は、その軍事力がヒズボラに対してわずかな効果しかないのを見て、疑いと不満を示しているように見える。
問題は、通常の戦術と武器は武装勢力には役立たないということである。敵の戦闘員が民間人である紛争では、爆弾や砲撃は与えられた瞬間に彼らがどちらの役を演じているかを区別することは殆どできない。武装勢力が民間人の間を動いている場合は、われわれは同じサークルの中を動かねばならない。
増大する疑いや不満は、イスラエル軍が新しい司令官をレバノン南部に送り込んだという声明である。ウディ・アダム陸軍少将は、主導権を握る代わりに火を消す男だと見なされる。恐らくこの理由で彼はこの紛争を速やかで受け入れ可能な結末へと導く司令官ではないと感じられている。イスラエル政府が、軍が望む戦略を追求することを軍に許さなかった後で、軍事的な問題は軍に任せるべきだということを理解したということはありうる。
 事情がどうであれ、この変化は広範囲にわたる影響を及ぼすだろう。第一に、軍事的力量を自慢している国は、より劣った敵に対する司令官の目に見える失敗によって揺さぶられるだろう。第二に、もっと重要なことは、これはヒズボラ戦闘員にとって元気を与えるだろう。彼らはこれは彼らの敵のもつ弱みのサインだと認識するだろう。
 リタニ川まで及ぶ地域に追加の3万人の兵力を動員することを含む新たな攻勢でもって、イスラエルは、その戦術を適合させるようには見えず、軍事的な力でヒズボラを圧倒しようとするだろう。これはヒズボラの術中に落ちることだ。ヒズボラがイスラエル軍をさらに厄介な地上戦に引きずり込むならば、イスラエルにとって破滅的な帰結となるだろう。武装勢力グループは、土地に固執せず、それを通って移動する。ヒズボラは、レバノンのどこででも、イスラエル軍と戦うことができる。国連が合意に達して、イスラエル軍と入れ替わるとき、イスラエル軍がまだヒズボラ戦闘員をリタニ川まで追いかけているとしたら、イスラエルは負けである。イスラエルにとって、この新たな攻勢は、時間との競争である。
[訳者の感想]レバノン紛争は、イスラエルにとってかなり具合の悪いことになる可能性があります。
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「モンゴルは、中国の優勢を恐れる」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年08月09日 | 国際政治
ウラン・バートル発:モンゴルの首都ウラン・バートルでは誰が国民経済を握っているかが分かる。セメントでできた花形模様の水路用タイル、浴室の設備、薄手の白いタオル、全部中国製である。
 モンゴルの建築経済の80%は、中国がコントロールしている。モンゴルの輸出額の半分は中国向けである。特に原料資材の半分は中国へ輸出される。輸入額の4分の1は中国から来る。資源が豊富で「石炭のサウディ・アラビア」と呼ばれるこの国の最大の投資者は、中国である。中国は債権者であり、開発援助国であり、野菜の供給国である。商人は中国にカシミアの毛、ユキヒョウの毛皮、ゴビグマの足を密輸出している。中国は南にある大きな友人である。そして潜在的な敵である。その優勢を2千7百万人のモンゴール人は恐れている。
 「われわれはわれわれのパートナーを正確に定義したい」とミイェゴンビン・エンクボルド大統領は言い、西の方角を指した。意味するところは、NATO、ヨーロッパ、ドイツである。今年一月、41才の大統領は、当時の連立政府の破綻の後、権力を握った。少なくとも外交政策では、彼は不安を心配している。北京は、13ヶ国からの部隊の軍事演習についてぶつぶつ文句を言っている。こともあろうに、中国のライバルである米国がウラン・バートル近郊の「五つの丘」地区で8月11日から25日まで「カーン・クエスト2006」と銘打つ演習を組織した。山あり湖あり川ありの景色のど真ん中で平和維持の措置と災害援助と政治的混乱との戦いが演習される予定である。中国はその背後に「反テロを口実に、米国は共同の軍事演習を利用して、モンゴルにレーダー監視装置を設置しようとしている」と疑っている。中国は、ロシア、韓国、日本と同様、オブザーバーとしてしか招待されなかった。ウラン・バートルは、中国を演習に参加させようとしたが、アメリカ国防省が反対したと陸軍のトップであるツェヴェン・トゴーは言った。
 米国は、戦略的に都合よく中国と北朝鮮の前に置かれたモンゴルに激しく言い寄った。2005年11月にウラン・バートルを訪問したブッシュ大統領は、共産主義から民主主義へのうまくいった移行をえらくほめた。イラクの戦場に送られた131人の恐れを知らぬモンゴル兵の投入に心から感謝した。モンゴル人とアメリカ人には多くの共通点がある。どちらも馬で国を征服した。ウラン・バートル政府は、このお世辞に対して、「米国は第三の友である」と答えた。
 巨鯨ロシアと中国にはさまれたモンゴルは、西方に友人を求めている。両方の大国とはモンゴルは良い経験をしていない。ソヴィエトロシアの衛星国で、モスクワは、蒙古語の使用を禁じ、数万の仏教の僧侶を暗殺し、独立への願いを促進するすべてを窒息させた。800年前にモンゴル帝国の基礎をきづいたジンギスカンの名前に言及することは禁じられた。だが、モスクワは、モンゴルが1911年と1821年に中国人を追放しうるように、モンゴルに武器を供給した。
 信頼を享受しているのは、今年6月にウラン・バートルに大使館を開いた欧州連合である。ドイツは、特に重要なパートナーだと見なされている。「ドイツから来ましたか」と首都のモンゴル人はしばしば外国人に語りかける。人口の1%はドイツ語が話せる。以前の東ドイツが低開発国に関わっていた遺産である。1989年以後、西ドイツの援助組織は、以前の遺産の上に仕事をした。ドイツの援助組織は、環境保護、法治国家の建設、土地の私有化において助言を与えた。モンゴルほど開発援助を与えられた国は他にない。
 ベルリンは、小さな遊牧民の国にとって戦略的に重要なパートナーである。韓国と中国の圧力に抗して、モンゴルはドイツがそれを通じて国連安全保障委員会の常任国を目指しているG4イニシャティブを支持している。ドイツの外交筋では、モンゴルは上海共同機構の密接なパートナーであると言われている。ロシアと中国以外にいくつかの中央アジアの国々が参加しているSCOはmモンゴルにオブザーバーの地位を与えた。
 中国の優勢に対する不安にもかかわらず、モンゴル指導部は、北京が必要だということを知っている。「中国のブームは、われわれの所得を増やしている」と政権党「統治する民衆党」の議員ゴンボジャフ・ザンダンシャタールは言う。彼の携帯電話にかかってきた二つの電話の間に、この経済学者は、「中国の資源飢餓が天然ガス、石炭、銅の価格を高騰させている。これは銅の99%を中国へ輸出している国にとって良いことだ。」だが、36才のこの男は、中国人を引き合いに出すのをあきらめない。「彼らの会社はわれわれの環境を汚染している。」大臣は既に北京はモンゴルを奪い返そうとしていると警告している。
このようなポピュリズムは、友人だけでなく自分のアイデンティティを求めている大衆受けがいい。救い主はジンギスカンであるかもしれない。空港やビールやウオトカも彼の名前を付けている。国民の英雄は、最後に歴史上最大の帝国を作り上げたのだ。中国でさえ彼には屈服しなければならなかった。
[訳者の感想]キルスティン・ヴェンク記者の書いた最近の「モンゴル事情」です。
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「通信員は警鐘を乱打する」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2006年08月08日 | 中国の政治・経済・社会
北京発:オリンピックの聖火が揺らめき、約2万人のジャーナリスト達がやってくる日を二年後に控えて、中国の役所は、外国通信員の活動を酷く妨げている。これが今日北京で公表された中国在住の外国通信員クラブ(FCCC)の声明の要旨である。北京政府の「外国メディアのコントロールは、自由な報道を許すという国際オリンピック委員会の約束と一致せず、オリンピック精神に対する侮辱である」とFCCCの会長であり、米国の週刊誌『ニュースウイーク』の通信員であるメリンダ・リュウは断言した。
 ジャーナリスト達は、自分自身について報告することを好まない。だが、中国在住の通信員達は、自分たちの置かれている状況に注意させようと決心した。「時間はどんどん経つ。」目標は、役所との対話で、開かれたメディアの雰囲気を作り出すことであり、それはオリンピック競技の一つの永続的成果となるはずである。
 FCCCは、中国がオリンピック競技の開催地獲得の運動をしている間は、メディアに対して完全な自由を保障すると約束していたことを指摘している。だが、これまで、ヨーロッパの多くの国で中国人の通信員に許された自由な調査は問題にならない。繰り返し、
ジャーナリストと中国人の助手は、彼らが環境汚染やエイズや農民の抗議について報道しようとすると、警察の監視に行き着く。彼らは話し相手の氏名やメモや写真を断念せざるを得ない。
 2004年以来、FCCCの内部調査によると、このような事故が72件起こっている。被害を蒙ったジャーナリストは15ヶ国に達している。そのうち10件では、警察の見ている前で、明らかに雇われた暴力行為者が報道記者や情報提供者に対して暴力を振るった。例えば、「ラジオ・フランス・インターナショナル」と「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」のレポーターは、2005年10月に、住民のデモについて報道しようとした際に、30分間以上押しまくられた。
 北京政府は、外国通信員に対する規定14条と15条を引き合いに出す。それらの条項は、ジャーナリストに当該役所への申告あるいは許可なしに調査することを禁じている。「このようなコントロールは、オリンピック競技のホスト国に期待されている規範と矛盾する」とFCCCは警告した。
 特に通信員にとって心配の種は、外国人よりもわずかな保護しか期待できない彼らの中国人助手の運命である。そういうわけで、『ニューヨーク・タイムズ』紙の助手ザオ・ヤンは、この新聞が中央軍事委員会の議長であった江沢民の引退を予告したために、殆ど二年間拘留されている。告訴理由は、「外国人に対する国家機密の漏洩」である。
 中国では、40ヶ国以上の国から200名以上のジャーナリストが派遣されている。ドイツ語メディアのために、13人のジャーナリストが報告している。
[訳者の感想]アンドレアス・ローレンツ記者の書いた記事です。
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「ヒズボラ、イスラエル北部に対してこれまでで最も激しい攻撃を行う」と題する『シュピーゲル』紙の記事

2006年08月07日 | 国際政治
テル・アビブ発:ロケット一発がキルヤト・シュモナの北にあるクファール・ギラディにいた予備兵の一群に命中した、とイスラエルのメディアは伝えている。兵士10人が死に、9人が負傷した。これは7月12日の戦闘開始以来一つの攻撃ででた犠牲者の数が最大であるこれまでに、ヒズボラの攻撃でイスラエル兵56人と民間人33人が死んだ。
ヒズボラは、8月6日、ガリラヤ湖北部に数ダースのロケット弾を撃ちこんだといわれている。あるラジオ放送によると、一発のロケット弾は、クファール・ギラディのユダヤ教会に命中した。
レバノン南部の地上戦闘では、昨夜ヒズボラ民兵12人とレバノン軍兵士1名が殺された。
戦闘機は、8月6日早朝、新たにレバノン南部と東部のベッカー渓谷の数目標を攻撃した。一晩で80機が攻撃に加わった。
イスラエルは今日、フランスが国連安全保障委員会に提出したレバノン決議に対して肯定的に反応した。イスラエルのメディアは、政府筋を引き合いにだして、草案は、イスラエルでは満足をもって受け入れられていると述べた。一日中米国との交渉で承認された草案は、イスラエルとヒズボラが戦闘を停止することを要求している。
ヒズボラは、イスラエルが完全にレバノンから撤退しない限り、決議を受諾しないと言明した。イスラエル兵は一人たりともレバノン領土に残留してはならない、とヒズボラの閣僚であるモハメッド・フネイシは述べた。
安全保障委員会は、6日晩に最初の協議で決議案を作成した。外交官は来週始めに、通過するものと予想している。だが、彼らはイスラエルとヒズボラの双方に決議受諾を説得することは非常に困難だということを認めた。
草案は、イスラエルとヒズボラとの間の「暴力行為の完全な停止」を呼びかけているが、イスラエルは、シーア派民兵の攻撃に対しては反撃で答える権利を留保している。これは、即時停戦に賛成したフランスや他の国に対する米国とイスラエルの勝利である。
草案は、イスラエルとヒズボラに長期的平和のための諸原則に基づく了解を要求している。その際、中心的な点は、政府を除くレバノンにおけるどの単位に対しても武器の輸送を禁じている。これによってヒズボラがイランとシリアからの武器供給を受け取ることを妨げている。
ヒズボラの武将解除もイスラエル北部からリタニ川河畔までの緩衝地帯の作成が予定されている。既に1978年以来レバノン南部に駐屯している国連監視団(Unifil)は、暫定的に計画された停戦の維持を監視するだろう。
メルケル・連邦首相は、決議草案は、戦闘行為の終結への重要な一歩であると歓迎した。
(以下省略)
[訳者の感想]やっと国連の停戦決議案ができたようですが、これをイスラエルとヒズボラが受け入れるかどうかが今後の問題でしょう。
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「ベルリンは、兵隊を派遣してくれというイスラエルの願いを断る」

2006年08月05日 | 国際政治
ベイルート/ベルリン発:エフド・オルメルト・イスラエル首相は、公には初めてレバノンへの国際軍のためにドイツ連邦軍が参加して欲しいという願望を述べた。「ドイツへの信頼は、印象深かった。だが、まだ全然与えられていない依頼を十分に検討した後にドイツの貢献について決定されるだろう」とドイツ外務省のゲルノート・エルラー外務次官は『ヴェルト』紙に述べた。連邦軍の直接的な軍事的課題は歴史的根拠からだけでもむしろあり得ない。「ドイツ人兵士が銃を持ってイスラエル兵士と対峙するということは想像するのが難しい」とエルラーは言った。「むしろドイツ人兵士の任務は、レバノン軍を訓練する際、あるいは警察的任務を遂行する際に専門家として投入されることにあるかもしれない。」国連の決議がうまく行けば、来週初めに承認されるかもしれないということを彼は楽観的に示した。平和部隊に対する包括的委託が明らかになる。「強力な軍事的成分が存在するだろう。そうすると、敵対行動が繰り返されないことが保証されなければならない。国境は監視され、シリアからの武器供給は防がなければならない。それは第一に警察的な任務である」とエルラーは言った。委託は、民間的任務と再建とを包括するだろう。
エフド・オルメルト首相は、その間に、レバノンにおけるイスラエルのやり方に対するヨーロッパからの批判を厳しい言葉で拒否した。「それらは偏見と間違ったものの見方の表れである。批判者は自分のことを反省すべきだ。彼らはどこからイスラエルに説教する権利があるというのか。ヨーロッパ諸国はコソヴォを攻撃して、1万人の民間人を殺した。これらの国々は、その前に1万発のロケットなんか撃たれていないのだ。コソヴォを攻撃したのは間違いだと言っているのではない。だが、待ってくれ、民間人の数についてはわれわれに説教しないでくれ。」
[訳者の感想]空爆する場合には、民間人が巻き込まれることなんか気にしていられないというのは第二次大戦から、あるいは日中戦争の頃から常識になってしまったように思います。ヨーロッパでは、未だに民間人を巻き込むことについては批判が強いようです。
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「将軍達は、内戦を警告」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2006年08月05日 | イラク問題
イラクが内戦に突入する危険に対して、イラク派遣中央司令官のアビゼイド将軍が警告した。イラクにおける宗教的集団の間の現在の抗争は、「多分私がこれまでに見た最悪のものだ」と議会の軍事委員会で述べた。
この抗争を止めさせることに成功しないなら、「イラクが内戦に投入することはありえる。」だが、彼はイラクの治安部隊がアメリカ軍とバグダッド政府の支援の下に内戦を防ぐことができると言うことに対して楽観的であると述べた。
 ピーター・ペース連合軍参謀本部議長も、イラクにおける内戦の危険を見ている。それはありえるかもしれないが、自分はありそうだとは思わないと彼は言った。両将軍は、アメリカ軍部隊の早期の撤退は、民主的過程にとって害になるという見解を口にした。暴力行為の終結にとって大事なことは、イラクの政府が民兵を解体し、治安部隊を強化することである。
上院軍事委員会の共和党議長であるジョン・ウオーナーは、イラクで内戦になったら、議会は、できればアメリカ軍の投入をもう一度承認するべきであると述べた。サダム・フセインと彼の政権の打倒のために現在の使命が与えられた。共和民主の両党の上院議員は、内戦が始まった場合、アメリカ軍はどちらの側に立って戦うのか、アメリカ軍はこのような投入をする覚悟はあるのかと質問した。
ラムズフェルド国防長官は、軍事委員会で、このような予想は意味があるとは思えない、なぜならば、すでにそのような内戦が始まると予想しているという印象を与えるからだと反論した。イラクにおける暴力行為は「悲劇的」であり、「遺憾」であるがあ、イラク政府は存続しているし、イラク陸軍も、団結しているからである。
ラムスフェルドはアメリカ軍のイラクからの撤退が人殺しと過激派にとって勝利と同じであるということをアメリカ国民は理解していると自信たっぷりであった。同時に彼は最近のイラク情勢についての懐疑や憂慮が敵に有利になることについての憂慮を示した。「敵は、われわれがお互いに罵り合うことを望んでいる。」
 国防長官に対する重大な避難をしたのは、特に次回選挙で大統領候補に目されているヒラリー・クリントン上院議員であった。彼女はラムズフェルドがイラク政策で数多くの間違った決定を下したそれが現在の状況に導いたのだと非難した。
AP通信とのインタービューで、彼女は、国防長官の退任を要求した。ラムズフェルドは、議会やアメリカ国民のところで信憑性を失ったとクリントン上院議員は言った。彼女は以前にもラムズフェルドの退任を迫る民主党政治家の要求を支持した。いまや、イラクに対して効果的な戦略を展開し、これをアメリカ国民や世界に紹介する誰かが取って代わらなければならないと彼女は述べた。
この間、イラク北部のモスルで起こった自殺爆弾とそれに続く撃ち合いで、18人が命を落とした。警察の言うところでは、暗殺者は、自動車と共に吹き飛び、その際、警官4人が死んだ。その後武装勢力は、市内5箇所で治安部隊と交戦し、13人が死んだ。モスル市の東南70キロにあるハトラでは、自爆自動車がサッカー競技場に侵入したのち、爆発した。その際、選手と試合をしていた警官3人が死んだ。バグダッド近郊では、夜間にシーア派住民4人が射殺された。バグダッドのサドル・シティ地区では、過激シーア派の説教者であるムクタダ・サドルの支持者が数万人が金曜日にレバノンのシーア派ヒズボラを援助すせよとデモを行った。オルガナイザーによると参加者の数は、25万人に達した。
イラク中から集まったデモ参加者は、ヒズボラの旗とヒズボラの指導者ハッサン・ナスララの肖像を掲げて、「イスラエルに死を!アメリカに死を!」と叫んだ。これはイスラレルの攻撃を断罪するためのデモとしては最大のものであった。彼らはイスラエルの国旗を焼き、シュプレヒコールで「神と共にわれわれは勝利するだろう」と叫んだ。彼らの多くは長い白いシャツを着て正義の戦争に赴く覚悟があることを示した。
[訳者の感想]レバノンではシーア派「ヒズボラ」も議会に代表を送っているのにテロリストだと言われ、イラクでは、シーア派は議会の最大与党です。これだけ混乱してくると、ラムズフェルドでなくてもどうやってイラク問題を解決するのか全く検討もつきません。
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「国連軍にドイツ軍が参加することにイスラエル政府賛成」と題する『ネット新聞』の記事。

2006年08月04日 | 国際政治
エフド・オルメルト・イスラエル首相はレバノン南部に国連軍が展開する場合には、連邦国防軍が駐留することに賛成した。「ドイツが参加するなら私は嬉しいのだが」と彼は『南ドイツ新聞』に語った。目下、ドイツほどイスラエルに対して好意的に振る舞っている国はない。同首相は、自分がアンゲラ・メルケル首相と絶えず接触しており、彼女は「イスラエルの役に立つ女友達である」と言った。
過激なイスラム主義者であるヒズボラの社会基盤の大部分は、破壊されたとオルメルトは言う。「数日の内に、ヒズボラ民兵は、レバノン南部から消えているだろう。」イスラエル陸軍は幅10キロの緩衝地帯を築く予定だ。戦闘は、国際的介入部隊がレバノン南部に進出して初めて、停止されるだろう。
オルメルトは、イランがイスラエルの最大の脅威であると述べた。「イランが原爆を持つまで、私はここで座って待っているわけにはいかない。」イスラエルは先生攻撃の権利を留保するのかという問いにはオルメルトは直接答えなかった。「自分は政治的努力と最近の国連決議に賭けている」と述べた。
国連決議の公布は、ブッシュ大統領とメルケル連邦首相との木曜日の電話の内容でもあった、とホワイトハウスのトニー・スノウ報道官は述べた。対話のイニシャティブは、ベルリンから来た。「彼女は自分で現実の姿を作ろうと試みた。前進についてのブッシュの報告は彼女を喜ばせた」とスノウは言った。
「メルケルは、国連安保理のメンバー間の対話でも援助と支持を確保した」とスノウは言った。その際、第一に問題となったのは、米国とフランスの間に存在する意見の対立であった。また対話の際、イランとシリアの役割も問題になった、とスノウは言う。
金曜日に、中東は安保理の第一のテーマであった。米国政府は、レバノン決議が採択されることを希望している。流血を恒久的に停止するための基礎を作るのに、このような決議は、できる限り早急に必要であると国務省の報道官シーン・マッコーミックは木曜日にワシントンで述べた。「問題は非常に複雑な外交的課題である」と彼は言った。特に、重要なのは、フランスと共通な路線を見出すことである。
米国は、先に将来レバノン軍の訓練と装備を援助すると予告した。このプログラムは、すでにドナルド・ラムズフェルド国防長官とコンドリーザ・ライス国務長官によって承認されたと国務省報道官は述べた。
アメリカの援助によって、レバノンの軍隊はレバノン全域をコントロールできるようになる。レバノン国内の状況が許せば、援助は開始されるとマッコーミック報道官は述べた。戦争の終結についての見込みを新聞記者団に尋ねられると、マッコーミック報道官は、ヒズボラがレバノンの国軍よりもより大きな軍事的能力を持っている限り、それはしばらくは実現されないだろうと答えた。
[訳者の感想]イラクデも武装勢力に対して治安部隊が十分な抑止力をいまだに持ていないところから見ると、ヒズボラに対抗できる国軍を作るには相当な時間が必要だと思われます。イスラエルは、果たしてレバノンに対するアメリカの援助を黙ってみているでしょうか。
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「これはイスラエルが勝てない戦争だという懸念」と題する『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙の記事。

2006年08月02日 | 国際政治
イェルサレム発:ヒズボラのミサイルがガリラヤ湖を越えて雨のように降り注ぐので、オルメルト首相はイスラエルが戦争に負けるがけふちにいるかもしれないという懸念に直面している。
月曜の夜のテレビで、オルメルト首相は、停戦は早すぎる、イスラエルはヒズボラの長期的な軍事的脅威をなくすために戦いつづけると主張した。
外交的努力に道を開いた2週間前のレバノン紛争についての演説とは違って、この呼びかけは、新たな敵意の宣言のように聞こえた。
だが、戦闘の緩慢さとカチューシャ・ロケットを発射するヒズボラを防げないことによって、イスラエルは、外交をするまえに戦闘するという戦争の伝統的な順序をひっくり返した。
 優れたイスラエル人のアナリストであるゼーフ・シッフの毎日のコメントは、毎朝、ヒズボラの指導者であるハッサン・ナスララにも届けられているはずであるが、彼は昨日、政府がその目標に到達することに失敗し、戦闘を誤導していると非難した。
 シッフがイスラエルの日刊紙『ハーレツ』で指摘したように、1982年の第一回レバノン戦争では、イスラエルの地上軍は、48時間でレバノン南部を制圧した。今回は、三週間かかって、国境から数キロにある一握りのヒズボラの拠点を制圧しただけである。
 シッフは、戦争は遥かに長引くだろうと予言した。地上戦闘は国際平和部隊が入るための道を作るために急速に拡大されなければならない。1982年の大規模の侵入の誤りを繰り返すことを恐れて、イスラエルは、地上軍の侵入はヒズボラのロケット・ランチャーを標的にしておらず、国境付近の攻撃を防ぐことに限定されたと主張した。
 イスラエルは、ヒズボラの長距離ミサイルの能力を減らし、数人の指導者を殺し、国境でのプレゼンスを減らしたと言うけれども、空中からの戦闘は、イスラエル北部の住民に対する脅威をおわらせなかった。日曜日に、ヒズボラは、ガリラヤ湖越しに140発のロケットを撃ちこんだ。
 リタニ川までの地上戦の到達は、イスラエルをそれが2000年まで占領していた安全地帯へと連れ戻し、大規模な地上侵入はないだろうというイスラエル政府のアナウンスの反対を記し付ける。
 初めから、イスラエルは、繰り返し、戦争は、何週間かかかるだろうと主張した。戦争は昨日までにすでに一ヶ月近くかかっている。
 この作戦が不運な第一回レバノン戦争と結びつくだろうという恐れを避けようと気をつけていた。むしろ1973年のヨム・キップル戦争と比較される。それは重大な損害を蒙り、約三週間続いた。あの戦争は、行き詰まりに終わり、1967年の六日戦争での完全な敗北の後でイスラエル周辺のアラブ諸国に自信を持たせた。
 1973年の戦争の後、陸軍参謀総長だったダヴィド・ハルツは辞任に追い込まれた。最近、現在の参謀総長ダン・ハルツは、腹痛で病院で診察を受けているところを写真に撮られた。戦争が今終われば、このイメージは、もっと深刻でもっと包括的な弱点を意味するようになるかもしれない。
[訳者の感想]ジョナサン・パールマン記者の記事です。どうも今度のレバノン戦争はイスラエルにとっては、命取りになる戦争だと言う印象を受けました。
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「おとぎの国の王様は、中東の現実を理解しようとはしない」と題する『ガーディアン』紙の論説

2006年08月01日 | 国際政治
イスラエルのレバノン攻撃について書かれたあらゆるおかしなことのなかで、確かに一番奇妙なことは先週土曜日にこの新聞に書かれたパディ・アッシュダウンの記事に含まれている。「この危機に対する唯一の解決が存在する。そしてそれはわれわれがイラクで見出さなければならないのと同じ解決である。つまり、より広範な中東問題の解決を目指すことであり、それを緊急に実行することである。米国にはそれができない。だが、ヨーロッパならできる。」
米国にできないだって?一体彼は何を意味しているのだろうか?一目で、彼の主張は単なる間違いであるように見える。イスラエルはパレスチナの領土の占領を維持しようとしているのだから、より広範な解決は不可能である。そこから帰結するのは、イスラエルに対する最大の潜在的影響力を持った国が平和を取引する最大の力を持った国だということだ。イスラエルの外交政策と軍事政策は米国の承認に依存している。
 イスラエルは、グローバルな開発指標の第23位を占めている。これはギリシャ、シンガポール、ポルトガル、ブルネイより上であり、アメリカの援助の世界最大の受け取り手である。米国政府は、2004年に110億ドル(1兆2650億円)の外国援助資金を支出した。そのうち、5億5500万ドルをイスラエルは受け取った。地球上で最貧の国であるブルキナ・ファソ、シエラ・レオネ、ニジェールは、6900万ドルを受け取った。もっと重要なことは、昨年、イスラエルは、22億ドルの軍事援助を受けた。
 イスラエルは、経済的にこの援助に依存していない。イスラエルの国民総生産は1,550億ドルに達し、その軍事費は、95億ドルに及んでいる。イスラエルは、それ自身の武器の多くを生産し、『ガーディアン』紙によると、その部品を英国を含む世界中の国から買っている。イスラエルは外交的にこれらの国々に依存している。米国の対外財政計画によって与えられた資金の多くは、米国で使われている。イスラエルは、その資金を使って、F-15やF-16ジェット戦闘機、アパッチ、コブラ、ブラック・ホークなどのヘリ、AGM、AIMやパトリオット・ミサイル、M-16型ライフル銃、M-204型榴弾砲、M-2型機関銃を購入している。プレストウイック・スキャンダルが暴露したように、レーザー誘導爆弾は、米国からイスラエルに送られている。
 これらの武器の多くは、パレスチナの民間人を殺すのに使われており、今日、レバノンでも使われている。米国の武器輸出コントロール法は、「その提供が米国の安全を強め、世界の平和を促進するのでなければ、米国政府によっていかなる国防武器も国防サービスも売られたり貸与されたりしてはならない」と述べている。武器は「国内的安全と合法的自衛と国際的平和と安全を維持し回復するためにのみ、友好国に売られる。」
 これらの武器を与える際に、米国政府は、あらゆる軍事行動は合法的自衛とアメリカの国益と世界平和のために行われると述べている。したがって、米国もイスラエルによる民間人の殺害に荷担している。
 1972年以来、米国は、国連安全保障委員会で、パレスチナ人の人権を擁護し、イスラエル政府の行き過ぎを非難することを求めた決議の通過を防ぐために40回も拒否権を行使した。これは同じ時期に他の常任理事国が行使したすべての拒否権発動回数よりも多い。最も最近の例は、ガザ地区におけるイスラエルの攻撃とパレスチナ人グループによるイスラエル兵の誘拐とを非難する7月13日の動議の押しつぶした例である。
 過去数日のうちに、米国は、英国に助けられて、即時停戦を導入しようとするあらゆる国際的試みをブロックし、イスラエルにレバノンに対する攻撃を継続する権利を持っているという明確な印象を与えた。(中略)
 イスラエルだけが、この危機に責任があるとして責められるべきではない。イスラエルの都市へのロケット攻撃は我慢できないテロリズムの行為である。だが、イスラエルを攻撃している人々がなぜ武器を手放さないのかを理解するために、このおとぎの国の王様(ブッシュ大統領を指す)は他の国民の国に対するイスラエルの占領と民間人の殺害、自分がやったイラクの侵入とその失敗などの帰結と向き合うように強いられなければならない。だが、彼にはそれができないのだ。その代わりに、彼の先週金曜日の答えが示唆するように、ブッシュは自由と民主主義の究極の勝利に導くために紛争をエスカレートするという世紀のお伽話を組み立てているのだ。
 そういうわけで、パディ・アッシュダウンが正しいかもしれないと私は恐れている。米国が中東でより広範な解決を追求できない理由は、米国が自分自身の御伽噺の世界に生きている男に導かれているからである。
[訳者の感想]ジョージ・モンビオットという人が書いた論説です。レバノン紛争を解決する力をアメリカは持っているのに、それを行使できないのは、「自由と民主主義を広めるためには紛争のエスカレーションも辞さない」という現実離れをしたブッシュ・ドクトリンのためだという大変明快な解説だと思います。
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