海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「アラブ世界の沈黙は、過激派と呼ばれる人々に最後の言葉を委ねている」と題する記事。

2006年08月22日 | 国際政治
イラクでは人殺し達が毎日何ダースもの民間人を、スンニー派のムスリムだという理由で虐殺している。アフガンニスタンでは、自殺テロは日常茶飯事だ。ガザ地区では150万人のパレスチナ人が罠に捕まっていて、イスラエルの攻勢と直接の援助を凍結するという米国と欧州連合の決定によって妨げられている。イスラエルとレバノンとの敵意の突然のエスカレーションは、シリアとイランを地域紛争に引きずり込むかもしれない。そして、イランの核危機は未解決のままである。
 1967年以来、中東がこれほど多くの高度の危機にさらされたことはない。それらの危機は、多くの糸によって結びついていて、部分的解決をより困難にし、この地域をますます速やかに深遠に引きずり込んでいる。
 多くの西欧の観察者にとっては、被告人については疑問はない。被告人は、イスラエルを破壊し、西側陣営を不安定にすることを目指すヒズボラである。政治家やメディアの間の分析は、米国のネオコンの分析に近い。新たな世界大戦が始まったのだ。
 米国のネオコンのイデオローグであるウイリアム・クリストルは、誇らしげに「これはわれわれの戦争だ」と宣言した。その理由は、彼が西欧を不安定にしようという全面的な試みに直面して、エフド・オルメルト首相に率いられたイスラエル政府は、疑いもなく、「正しい側にある。」レバノンが爆撃されてもサンクトペテルブルグでの会合で出されたG8の声明は、「イスラエルに自衛の権利がある」ことを認めた。
 7月12日のイスラエル軍のパトロール部隊に対するヒズボラの攻撃は、死者6名、拉致された兵士2名という結果になった。これは孤立した事故ではない。イスラエルとレバノンの国境では、小競り合いはありふれたことである。5月26日にイスラエルはイスラム・ジハードの指導者を暗殺した。レバノンの武闘派は、まだ、イスラエルの監獄にいる。
 ヒズボラの急襲が非合法だったと認めても、レバノンの組織的破壊をどう考えたらよいのか?国際法のもとでは、このような作戦は戦争犯罪に数えられる。二人の兵士を救うためという目的がイスラエルの爆撃で引き起こされた死や破壊を正当化すると思う人がいるだろうか?レバノン人の命は、イスラエル人の命よりも価値がないのか?
 イスラエルの攻勢の結果はまだ不確かである。ヒズボラ(神の党)は、レバノンの最大の政党であって、12人の国会議員を出している。それはシーア派社会に深く根ざしており、2000年にレバノン南部を解放したという巨大な名声をエンジョイしている。それはミシェル・アウン将軍の率いる「自由愛国運動」や「レバノン共産党」や「シリア社会主義ナショナリスト党」と連携している。ヒスボラをイランあるいはシリアの手中にある手先だと主張することは馬鹿げている。
 ガザ地区、ヨルダン川西岸地域、東イェルサレム、ゴラン高原の占領は、殆ど40年続いている。国連安保理の多くの決議にもかかわらず、米国、ロシア、欧州連合、国連によって承認されたロードマップでは、パレスチナ国家は、パレスチナにおける状態が悪化しないならば、2005年の終わりには設立されていただろう。
 だが、2005年には進歩はなされなかった。イスラエル政府は、ヤセル・アラファトが平和の障害であると繰り返し説明した。だが、彼の死とマームード・アバスとの交替は、アリエル・シャロンに彼の一方的な政策を放棄するように強いることはできなかった。
 政治的指導者やメディアが勇気ある行為だと賞賛した、2005年のイスラエルのガザ地区からの撤退は、オスロ合意の中で残っていたものを破壊した。つまり、平和は両者の話し合いによって達成されるという原則を破壊した。ガザに居住するパレスチナ人にとって、イスラエル人の退去は、彼らの窮境を改善するものを何も残さなかった。それは彼らの立場を一層悪くした。西岸地域におけるイスラエルの定住のペースは加速された。「平和プロセス」は国際社会が使う空虚な言葉に過ぎなかった。これらの事情のもとでは、ハマスが1月の総選挙で勝つのは驚くに足りない。けれども、西欧は、選択を間違ったと言う理由でパレスチナ人を罰した。フランスの賛成を得て、欧州連合は、パレスチナ当局から直接援助を奪い、生活条件を悪くし、既に弱体化していた行政組織を邪魔した。(中略)
 このイスラエルの攻撃、発電所や官庁の爆撃、政治的指導者の逮捕、家々の破壊、民間人を人間の盾として使うことも、戦争犯罪であるとされる。ジュネーブ協定の管理人であるスイス政府は、7月4日に、「イスラエルが民間人と社会基盤を護るために国際法で必要とされている予防事項を守らなかったことは疑いない」と述べた。
 パレスチナ人とレバノン人に対する戦争は、同じ戦略の一部である。それはイスラエルの利害だけを満足させる解決を押しつけようとしている。けれども、過去40年間、イスラエルの政策は、これほど一致した西欧の支持を得てきた。ヴァティカン政庁など僅かの不同意の声しかわれわれには聞こえない。
 アラブ世界はまたもや介入することができないということを証明した。米国と同盟しているアラブ諸国は、ワシントンに圧力をかけることはできないと感じた。彼らがしたことは、ヒズボラとハマスとを非難し、暗黙の内にイスラエルの侵攻を正当化することだった。サウディ・アラビア外相のサウド・ファイサルは、非アラブ諸国に紛争に介入しないように要望した。これは明らかに米国ではなくて、イランを念頭に置いている。
 エジプトの新聞『アル・ハヤト』のコラムニストであるバドラカンは、次のように書いた。「大西洋からペルシャ湾にいたるすべてのアラブ人は、平和プロセスが死んだも同然だと言うことを知っている。だが、アラブ人達は、平和プロセスが死んだということを決して認めなかった。それは頑固さのためではなく、彼らが自分たちが沈み込んだ沼地からどうやって抜け出せるか分からないからである。そえゆえ、好むと好まざるとに関係なく、最後の言葉は、われわれが過激派とか冒険屋とか呼ぶ人々に任された。」
 ハマスは、20年間のイスラエルの占領の後、1987年に最初のインティファーダの波に乗り始めた。ヒズボラは、1982年のイスラエルのレバノン侵攻の後で、占領軍に対する戦闘を始めた。この新たなレバノンの廃墟からどんな新たな過激派が台頭するだろうか?
[訳者のあとがき]この論説の筆者であるアラン・グレシュは、『ル・モンド・ディプロマティック』誌の中東専門家です。彼の近著として、『イスラム、共和国、世界』という本が挙げられています。
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