海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「なぜ私は60年間の沈黙を破ったか」と題するギュンター・グラスとの対話。

2006年08月14日 | 人物
戦後六十一年経って、初めて作家ギュンター・グラスは、彼が戦争末期に武装SSの隊員であったと告白した。15才の少年として、彼はヒトラー青年団の一人として、Uボートの乗組員に志願し、17才で武装SSに属する「フルンツベルク」師団に勤務するよう召集された。九月に出版される予定の『タマネギの皮を剥くとき』という彼の思い出についての著作において、グラスは、ダンツィヒにおける彼の子供時代や彼がすんでのところで死にかけた兵士としての戦争の終わりの日日や捕虜時代や、戦後の混乱期を描いている。
--あなたの本には『タマネギの皮をむくとき』という表題がついています。この本はタマネギとどう関係があるのですか?
グラス:私はこの本の形式を見つけなければならず、それは非常に難しかったのです。われわれの回想やわれわれの自己イメージが欺瞞的でありうるし、実際に欺瞞的だということ自明の真理です。われわれは体験を美化し、劇的にし、逸話に纏め上げます。あらゆる文学的な回想が示す疑わしいものを私はこの形式において透けて見えるようにし、響かせようとしたのです。それゆえ、「タマネギ」なのです。タマネギの皮をむく場合、つまり書く場合には、皮を剥くたびに、文を書くたびに、何かが明らかに読み取り可能になります。そうすると、失われたものが再び生き生きしたものになるのです。
--どういう理由で、あなたは回想を書き留めることになったのですか?
グラス:それは難産だったとは言いません。ですが、私が回想を書き始めるまでは、私にはある抵抗を乗り越えることが必要でした。なぜならば、私には自伝に対する基本的な抗議があるからです。自伝には事態がかくあって他ではありえないということを読者に教え込もうとするものが多いのです。これを私はもっと開かれたものにしようと思いました。だから、この形式は私にとって大事なのです。
--あなたの本は、子供時代にまで遡っています。だが、あなたの一番古い思い出から始まるのでなくて、始まりは、あなたが12才で戦争が始まったときです。あなたはなぜこの節目を選んだのですか?
グラス:戦争は、中心点であり、主要な点です。それは私の子供時代の終わりを記し付けています。なぜならば、戦争とともに、初めて物事が外から家庭の中に働きかけるようになったからです。ポーランドの郵便局に勤めていた私の叔父は見かけなくなりました。彼はもはや私たちの家を訪問せず、私達は彼の子供達と遊ばなくなりました。それから彼は即決裁判で射殺されたと噂されました。それまで私の家に出入りしていた私の母のカシュバイ人の親戚は、突然、来ては迷惑だということになりました。戦争末期になって、大叔母さんが町へやった来て、農家かから農作物やもって来て、石油を持っていきました。それは田舎では手に入らなかったのです。こうして、物資が窮乏したために、再び家族的なまとまりが生まれました。ですが、私の両親たちは、一度は現実に同調したのです。
--あなたは、あなたの回想と物語作家としての才能のために繰り返し外からの刺激を求めています。タマネギやあなたのお好きなバルト海の琥珀はあなたの飛躍するのを助けています。あなたが材料を入手する家族の文書館はないのですか?
グラス:難民の子供なので、--私は現在80才になんなんとしていますが、相変わらず自分を難民の子と称しています--私は何も持っていません。私はこの本の中で、ボーデン湖やニュルンベルクで育った私の仲間は、相変わらず、学籍簿や子供時代のいろいろなものを持っています。私には何もないのです。全部失われました。私の母が保存していた数枚の写真がすべてです。それゆえ、私は不利な状況に置かれていたのですが、その状況は、物語を作る場合には、有利だと言うことが分かりました。
--子供時代の失われた宝の中には、あなたの最初の長編小説の原稿もあったのですね。
グラス:そうです。あれは13世紀の大空位時代を舞台にした歴史小説でした。でも私は自分の架空の人物には我慢ができませんでした。第一章の終わりに、彼らは皆死んでしまいました。だから書くことが無くなってしまった。だが、私はともかくも学んだのは、登場人物は経済的に扱わなければいけないということでした。トウラ・ポークリーフケやオスカー・マツェラート(『ブリキの太鼓』の主人公)は、最初の登場を生き延び、後の本の中に再び登場しました。
--あなたは、ニュルンベルク裁判でのバルドウーア・フォン・シーラッハの告白を聞いて、初めてドイツ人がユダヤ人の大量殺戮を犯したということを確信したと繰り返し書いています。だが、今になって、あなたは初めて自分が武装SSのメンバーだったことについて語っています。なぜ今ごろになってなのですか?
グラス:そのことが私を圧迫していたのです。60年間も沈黙してきたことが、私がこの本を書いた理由の一つです。これはいつか話されなければならなかった。
--あなたについて起こったことは、あなたはあなたが小隊にいた時に、初めて確認したのですか。それともあなたが召集令状を受け取ったときに、知ったのですか?
グラス:今でははっきりしません。というわけは、実際とうだったかが確かでないからです。召集令状の頭書で分かったのか、あるいは署名した人物の階級で分かったのか、それとも私がドレスデンに着いてから初めて気がついたのか。私にはもはや分かりません。
--当時、あなたは、武装SSであるということがどういうことを意味するかについて戦友と話したことはありませんでしたか?それはさいころのように振り回されていると感じた若い人たちの間でテーマではなかったのですか?
グラス:小隊では、私が本の中に書いたとおりでした。他には何もなかったのです。私は黄疸を持ち込みました。だが、それはニ、三週間続きました。(以下省略)
[訳者の感想]戦後ドイツ文学の代表者といえるギュンター・グラスが戦争末期、武装SSのメンバーだったと告白したことがドイツの知識人の間で大きな話題になっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする