海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「これはイスラエルが勝てない戦争だという懸念」と題する『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙の記事。

2006年08月02日 | 国際政治
イェルサレム発:ヒズボラのミサイルがガリラヤ湖を越えて雨のように降り注ぐので、オルメルト首相はイスラエルが戦争に負けるがけふちにいるかもしれないという懸念に直面している。
月曜の夜のテレビで、オルメルト首相は、停戦は早すぎる、イスラエルはヒズボラの長期的な軍事的脅威をなくすために戦いつづけると主張した。
外交的努力に道を開いた2週間前のレバノン紛争についての演説とは違って、この呼びかけは、新たな敵意の宣言のように聞こえた。
だが、戦闘の緩慢さとカチューシャ・ロケットを発射するヒズボラを防げないことによって、イスラエルは、外交をするまえに戦闘するという戦争の伝統的な順序をひっくり返した。
 優れたイスラエル人のアナリストであるゼーフ・シッフの毎日のコメントは、毎朝、ヒズボラの指導者であるハッサン・ナスララにも届けられているはずであるが、彼は昨日、政府がその目標に到達することに失敗し、戦闘を誤導していると非難した。
 シッフがイスラエルの日刊紙『ハーレツ』で指摘したように、1982年の第一回レバノン戦争では、イスラエルの地上軍は、48時間でレバノン南部を制圧した。今回は、三週間かかって、国境から数キロにある一握りのヒズボラの拠点を制圧しただけである。
 シッフは、戦争は遥かに長引くだろうと予言した。地上戦闘は国際平和部隊が入るための道を作るために急速に拡大されなければならない。1982年の大規模の侵入の誤りを繰り返すことを恐れて、イスラエルは、地上軍の侵入はヒズボラのロケット・ランチャーを標的にしておらず、国境付近の攻撃を防ぐことに限定されたと主張した。
 イスラエルは、ヒズボラの長距離ミサイルの能力を減らし、数人の指導者を殺し、国境でのプレゼンスを減らしたと言うけれども、空中からの戦闘は、イスラエル北部の住民に対する脅威をおわらせなかった。日曜日に、ヒズボラは、ガリラヤ湖越しに140発のロケットを撃ちこんだ。
 リタニ川までの地上戦の到達は、イスラエルをそれが2000年まで占領していた安全地帯へと連れ戻し、大規模な地上侵入はないだろうというイスラエル政府のアナウンスの反対を記し付ける。
 初めから、イスラエルは、繰り返し、戦争は、何週間かかかるだろうと主張した。戦争は昨日までにすでに一ヶ月近くかかっている。
 この作戦が不運な第一回レバノン戦争と結びつくだろうという恐れを避けようと気をつけていた。むしろ1973年のヨム・キップル戦争と比較される。それは重大な損害を蒙り、約三週間続いた。あの戦争は、行き詰まりに終わり、1967年の六日戦争での完全な敗北の後でイスラエル周辺のアラブ諸国に自信を持たせた。
 1973年の戦争の後、陸軍参謀総長だったダヴィド・ハルツは辞任に追い込まれた。最近、現在の参謀総長ダン・ハルツは、腹痛で病院で診察を受けているところを写真に撮られた。戦争が今終われば、このイメージは、もっと深刻でもっと包括的な弱点を意味するようになるかもしれない。
[訳者の感想]ジョナサン・パールマン記者の記事です。どうも今度のレバノン戦争はイスラエルにとっては、命取りになる戦争だと言う印象を受けました。
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