海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「ヒズボラの勝利は、中東を変えた」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2006年08月31日 | 国際政治
 レバノンの34日間続いた戦闘の煙が晴れるにつれて、倒壊したマンションや新しい墓にかかった費用を計算するのは間違いかもしれない。内閣から報道機関を経て苦々しい思いを抱いた予備役兵士にいたるまで、イスラエル全体が今議論している敗北によって一切が完全に変わった。世界中でイスラエルが勝ったと称している唯一の人物はジョージ・ブッシュである。そしてわれわれは「使命が完了した」という言葉の彼の定義をわれわれは知っている。(ブッシュ大統領が、イラク戦争の初期に早々と「使命が完了した」と空母上で宣言したが、それから3年経ってもイラク戦争は終わっていないことを指している。)
 今週、ヒズボラの指導者であるナスララー師が二人のイスラエル兵の拉致に対するイスラエルエの反応を過小評価したことに対して遺憾の意を表したという報道は誤解させるものだ。実際は、イスラエルがさもなければ、後で好きなときに侵入するだろうと確信していたので、抵抗運動が準備されたときに攻撃がはじまったことをナスララーは、神に感謝したのだ。
 もし、イラクの抵抗のもつれがブッシュの戦争がシリアに広がることを止めたとすると、ヒズボラの勝利は確かにイランへの攻撃について世界を考えさせた。だが、イスラエルとアラブ諸国の40年に及ぶ原型に起こった主要なずれは、隣人に対する恒常的なイスラエルの軍事的優越についての信念の破壊である。そして物柔らかなシモン・ペレス国防相からベンヤミン・ネタニヤフの馬鹿騒ぎを経てエフド・オルメルト首相の躓いた首相府まで、イスラエルの指導層に引き起こした傲慢の破壊である。
 無敵の神話は、二度と起こらない雑音である。先週、私はベイルートの下町ダヒアの瓦礫を通って、その中心が地震でやられたかのように見えるビント・ジュベイルのようなレバノン南部の町を見て回った。禁じられた兵器のくずが合法的な時限爆弾と同様に転がっていた。それは、国連やアムネスティ・インターナショナルによって戦争犯罪の証拠で
あると主張された。これは、イスラエルが国際世論において受けた打撃とともに、軍事的屈辱とともに蒙った副次的損害である。
 イスラエルは、ビント・ジュベイルを占領したと何度も宣言したが、実際にはイスラエルは、この町を維持したことはなかった。民家や学校や病院や道路や橋や国連監視所や発電所や潜在的にすべての給油所に何十トンもの爆弾を降らせたにもかかわらず、イスラエルは、ヒズボラ戦士が地上に出てきた場合に、彼らによって、激しい打撃を蒙った。もっとも、その間イスラエルは、世界に対して、自分たちはレバノン南部の住民を親切に招いて車に乗せ、少しの間、家を離れるに任せたと語ったのだが。
 皮肉なことに、ある人々は、最近の戦争の背後にある1世紀近い紛争の包括的な解決の可能性を垣間見させることが可能な窓を開いたと思っている。以前の状態が一掃されたからには、われわれはイスラエルにかっての南アのデ・クラーク大統領のような瞬間が生じるのを見るかもしれない。
 人種差別をしていた南アの白人種族の指導者(デ・クラーク元大統領はを指す)は、アパルトヘイトに批判的な反対勢力が無敵の少数派の地位を圧倒しそうになるまで待った。そして後では問題の解決がより好ましくなくなるという前提で権力の委譲を行ったのだ。イスラエルの軌道は、このような瞬間へと突き進んでいる。(以下省略)
[訳者の感想]筆者のジョージ・ギャロウエイは、[RESPECT,the Unity of Coalition]という社会主義と環境主義を党是とする政党の国会議員です。この政党は、イラク戦争に反対でした。
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