海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「二つの虐殺事件の物語」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2005年07月04日 | 中国の政治・経済・社会
副題:日本に対する非難が高まるにつれて、中国は温室に逃げ込んでいる。
北京大学での最近の講義の際、学生は、中国についての否定的な絵を描いていると言う理由で鄭重に私を非難した。
「あなたはなぜ天安門事件と文化大革命について書き続けるのですか。過去は、過去です。中国は変わりました。話題を変えるべき時です」と一人の質問者は言った。
彼は正しい。この世界の最も人口の多い国民は、毛沢東の暗い時代と1989年の人民解放軍による民間人の虐殺以来、多くの仕方で変貌した。しかし、同じことは、第二次大戦後の日本についても言えるのだ。だが、学生達の多くは、半世紀以上前に隣人が犯した虐殺行為のこととなると、歴史の価値について非常に異なる見解を持っている。
「日本は、なぜ過去を直視することができないのか」と、もう一人の学生は、1937年の南京大虐殺や従軍慰安婦を日本軍が利用したことについて質問する。
勿論、このようなダブルスタンダードは、中国に限られた話ではない。北京の中国人がすべて、日本政府は彼ら自身の政府以上に不愉快な過去のエピソードと取り組むより大きな責任を持っているということを認めているわけではない。
けれども、過去6ヶ月間の出来事は、中国における教育とメディアのシステムが条件反射的なナショナリズムを募らせ、批判的な自己反省を窒息させつつあり、それがスポーツにおいても思想においても世界の指導者になりたいというこの国の願いにとってはさい先の悪い仕方で行われている。
4月と5月に、1989年の天安門広場の抗議以来のどの時期よりもより多くの中国人の抗議者が街頭に繰り出した。けれども彼らは民主主義のために行進するのではなくて、日本に抗議して集まったのだ。デモの目に見えるきっかけは、日本政府が日本の過去における暗い時期を隠す新しい歴史教科書を承認したことであった。
右翼の「歴史教科書を見直す会」によって作られた新しい教科書がなぜ怒りを引き起こしたかを理解するのは難しくない。それは日本軍の従軍慰安婦の利用や731部隊の囚人や疑わしくない村落に対して生物学兵器を使用したことについて何も言及していないのである。
この教科書は、南京では何十万人もの民間人が虐殺されたという東京戦犯裁判の判決に疑いを投げかけている。「1937年に多くの人々が殺された」という主張は、今日なお、議論されているとそこには書かれている。
この教科書は、大多数の日本の学校によって採用されなかった。このような教科書を採択することは、中国や韓国に対する侮辱であると考えられた。
日本政府の繰り返された謝罪は、小泉純一郎首相の毎年の靖国神社参拝によって、帳消しになった。なぜなら、この神社は、日本のアジア侵略を西欧の植民地主義に対する英雄的な戦争であったと賛美し、戦争犯罪という悪行を軽視し、天皇は神であることを否定していないと主張する博物館を持っているからである。
だが、少なくとも日本ではこのような問題について公の議論がなされている。朝日新聞のような主流の新聞は、小泉首相の靖国参拝を鋭く批判している。共産党の機関誌『赤旗』は、過去を直視することができないという批判を公刊する法的自由を持っている。
夏になると、終戦記念に、元兵士や右翼の暴力団が神社に祭られている戦死者に敬意を表している最中に、平和主義的団体は、神社の外で抗議することができる。
日本のメディアには非公式の制限がある。多くの新聞は、天皇に関する否定的な報道を自己検閲している。
ナショナリストの団体は、脅迫による彼ら自身の統制の仕方を試みている。それは時に左翼のジャーナリストや南京虐殺や731部隊についての中国に好意的な映画に対する殺人を伴う攻撃となる。
しかし、これは、中国における歴史の議論への政府の組織的な阻止に比べれば大したことでない。中国では、学校の教科書は、大躍進時代の大飢饉について無視するかあっさり片づけ、また、1945年に日本を負かしたのは、アメリカの原子爆弾であるよりは、むしろ毛沢東であったと主張している。大抵の教科書は、1979年の中国のベトナム攻撃が失敗であったことについては何も述べていない。
メディアや、大学での高いレベルでは、台湾との争いや、チベット侵入(解放)や、文化大革命の混乱などの歴史の議論を引き起こす様相についていくらかの議論がある。しかし、日本に見いだされるような意見の多様な範囲は見いだせない。日本では、何人かの学者やジャーナリストは、十分に勇気があるので、天皇についての異端的な真理、例えば、天皇は古代朝鮮の家系の子孫であるというようなことを言ったり、書いたりする。
二つの虐殺の物語は、示唆に富んでいる。日本では、68年前の南京虐殺の殺人の程度は、無数の文書やシンポジウムや書籍のテーマであった。中国では、16年前の天安門での虐殺の議論は、全くタブーである。中国の国営の通信社である『新華社通信』の英語版を検索すると、先月には、南京虐殺に関する記事は30件見いだされが、天安門に関するたった1件には、それは「事故」であると述べられている。
勿論、二つの虐殺には重要な違いがある。南京の犯罪は、国際的陪審によって判決が下った。(もっともかっての敵国から構成された陪審は、東京裁判の間、法廷であったのだが。)これに対して、天安門事件の正不正は、何らか意味のある法的な仕方では評価されたことがない。日本は、有罪であると分かったが、右翼の少数派は、今や、訴えを国内の意見あるいは世界の意見という法廷に提出しようとしている。中国の共産党は、天安門事件が裁判される理由はないと思っている。
ある者は、南京虐殺が外国勢力による暴行であったのに対して、天安門事件は、国内問題であったからと言う理由で、これは正当化できる立場であると主張するだろう。しかし、道徳や歴史的真理によれば、これは本当に問題だろうか。どちらの場合も、兵士が市民を虐殺したのだ。どれほど多くの人が殺されたか、命令を下した責任ある人々によってだけでなく、なぜ議論されるべきかも問題である。
元気づけられることに、北京の学生達は、どんな事柄でも議論できるほど自由だった。彼らが「過度に否定的な」外国通信員に対して批判的であるのと同じ程度に「過度に肯定的な」国内のメディアに対しても批判的であった。日本人の大多数が小泉首相の靖国参拝を支持していると主張するのが間違いであるのと同じ程度に、中国人が天安門事件や文化大革命を無視したがっていると仮定するのは間違いだろう。
25年前と比べれば、中国はよりオープンになったが、二つの国の間にはまだ知識のギャップがある。東京の学生は、(その点では、ロンドンの学生も)彼らの国の歴史の無傷にされたバージョンを教えられているが、少なくとも彼らは自国のメディアでそれとは異なる歴史を読むことができる。だが、中国での検閲の程度がひどいので、北京の学生のある者は、自分たちは海外の報道に頼らなければならないと情けなさそうに認めた。
「私は以前には天安門の虐殺については一度も聞いたことがなかった」と一人の学生は言った。「最初は、信じたくなかった。しかし、インターネットで見つかるあらゆる資料をチェックした結果、今は私はそれが本当だと思う。われわれの国で起こっていることについて、われわれが外国人から学ばねばならないというのは恥だ。」
[訳者の感想]『ガーディアン』紙の通信員であるジョナサン・ワッツの書いた記事です。中国で人々の「知る自由」が増大すると政府批判が高まることを政府も中国共産党も恐れているように思われます。インターネットを通じて歴史的事実について知れば、中国人の考え方や行動の仕方に変化が起こるだろうと思います。
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