海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「世界気候に対する死亡援助」と題する『ツァイト・オンライン』の記事。

2009年12月20日 | 環境問題
成果は、実際は違って見える。コペンハーゲンでの交渉は、妥協ではない妥協で終わった。二酸化炭素ガスの削減に対する拘束力のある基準を決めるという目標は失敗した。
確かに、後進国に対する先進工業国の財政的技術的支援は、あるそうだ。だが、それは、具体的な取り決めではない。そうすると、国際外交に関して、気候研究者たちも冷静な評価に到達するということは不思議ではない。
「コペンハーゲン会議は、世界気候に対する死亡援助に似ている」と「ライプニッツ海洋学研究所」の気候研究者であり気象学者であるモジブ・ラティフは言う。「政治は、それ自身の基準から見ても壮大な仕方で失敗した。」彼の同僚のあるものは、同じような評価にたどり着く。「いわゆるコペンハーゲン合意では、具体的なことは何も含まれていない」と「マックス・プランク気象学研究所」所長のヨッヘン・マロツケは言う。「恐らく、いくつかの国々の全く正しい憂慮は、大きな役割を演じる。その際、われわれがそれではわれわれの気候を破滅させるということは確かだ。これは、本当の問題だ。」
失敗の原因を、気候学者たちは、国際政治において確立された阻止態度にもあると考えている。「そこで演じられたのは、気候ミカドに似ている。動くものはそれだけで、失敗だというモットーによれば、コペンハーゲンでははるかに多くのことがあった」とポツダムの「気候結果研究所」のオットマール・エーデンホーファーは言う。彼は「世界気候顧問委員会」で「気候変動の回避」という研究グループを指揮している。「現在の形での『気候会議』は、根本的に改革されなければならない。」その際、エーデンホーファーは、デンマークの交渉指導と準備とを批判している。来年、メキシコ市で開かれる世界気候会議ではもっとましな成果が招かれなければならない。
だが、多分、気候サミットの大きさも先進国の最小の譲歩に対して責任がある。ほとんど200カ国がコペンハーゲンに集まり、1万5千人が互いに議論しあった。「この規模の大きさでは、多分何も去れない」とラティフは言う。にもかかわらず、各人が自分の寄与をせねばならないという事実は国際的に何とか貫かれねばならないと彼は言う。
気候研究者のハンス・フォン・シュトルヒにとっては、結果はあまり驚くべきことではなかった。「交渉の間、その前にも、排出目標に対して幻想的な数字が扱われた」とハースアハトにあるGKSSの学者は言う。コペンハーゲンでの交渉よりも、全く別の問題のほうがずっと不安にするものである。「われわれがどうのように現在の気候危険に適応するのかという問題はあまりに僅かしか議論されなかった。」そのことを示しているのは、ビルマで、2008年に10万人以上の人間を死に追いやったサイクロン・ナルジスの取り扱いである。「このような展開は、今日まで心配されたことは無い。」(後略)
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