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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「トルコ人協会」は、今度は二重国籍を要求」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年04月12日 | イスラム問題
「ドイツ・トルコ人協会」(TGD)は、外国籍の両親を持つ移住民児童に対して二重国籍を認めるように要求している。
目下、外国人のドイツで生まれた児童は、一定の前提の下でドイツ人になるが、その際、最初は両親の国籍を得ている。18才の誕生日から23才の誕生日までの間に、彼らはどちらか一方の国籍を決定せねばならない。彼らが持っている旅券の一方を返却せねばならない。
「おそらく、9月の連邦議会の総選挙で、政治的多数派が代わり、われわれはこの決定の強制を廃止して二重国籍を可能にする新しいチャンスを手に入れるだろう」とTGDの議長のケナン・コラートは言う。ベルリンとブレーメンの州のイニシャチブは、2008年の選挙では、必要な多数を見出さなかった。
法的状況は、ドイツでははっきりしている。基本的に、ドイツの法律は、二重国籍を認めていない。二重国籍を認められるのは例外の場合で、たとえば、出身国が移住民にこれまでの国籍からの離脱を認めない場合である。
外国籍の両親から、ドイツで生まれた子供は、2001年1月1日以降、自動的にドイツ国籍を取得する。但し、両親のどちらかが、少なくとも8年間、犯罪を犯さないでドイツに生活していて、滞在許可を得ている場合である。
同時に、その子供は、両親の国籍も持つことができる。これは、2001年1月1日以前に生まれた子供にも、1990年まで遡って、当てはまる。満18才以後は、彼らはどちらか一方の国籍に決めなければならない。
「統合政策的には、現在の規則は無意味だ」とコラートは言う。この規則の根拠が法政策的に憲法上も確実に基礎づけられねばならない。「だが、統合政策上はそれからは、肯定的なシグナルは出ていない」とコラートは言う。
だが、ベルリンの「人口と発展のための研究所」が今年の1月に発表した研究報告によると、ドイツ在住のトルコ人移民は、統合されることを望んでいない。彼らは、住居地域で孤立し、ドイツ社会への組み込みを拒否している。その理由はたくさんある。はっきりしているのは、この状況の責任が一部彼らにあるということだ。
281万人いるトルコ人移民の多くは、ここに長年暮らし、彼らの約半数はドイツ生まれであるが、多くのトルコ人は、ドイツ社会にとけ込もうとはしていない。トルコ人は平均的に教育程度が低く、所得が平均より少なく、しばしば、失業している。彼らの32%だけが、これまでにドイツ国籍を取得したに過ぎない。(後略)
[訳者の感想]東欧からの移民は、トルコ人より多いのですが、彼らの場合は殆どドイツ社会にうまく「統合」されて、あまり問題はないようです。

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「ソマリアでは、石器時代的イスラム教に対する抵抗が強まる」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年01月21日 | イスラム問題
ベルリン発:アシャ・イブラヒム・ヅフロフの石打の刑は、公開の見せ物として演出された。自動車で、イスラム過激派の兵士は、ソマリア南部の港町キスマヨを通って、次の日にこの13才の少女を処刑すると告知した。イスラム法廷は、婚外性交の罪でこの少女を断罪していた。アシャは、三人の武装した男達に強姦されたのだ。
「アル・シャハブ」(青年)と名乗るイスラム過激派は、推定によると、ソマリア南部の80%を支配している。ソマリアの暫定政府(TFG)は、わずかに、バイドア市と首都のモガデシオしか支配していない。ソマリア軍兵士と「アフリカ連合」の軍隊と並んで、政府軍を守っていたのは良く訓練されたエチオピア軍の兵士だった。2007年の前半、キリスト教国のエチオピアからきた軍隊は、一時軍事的な成功を収めたが、その後損害を被り、イスラム過激派は、彼らのゲリラ戦法で成功を収めた。エチオピア軍は、「アル・シャバブ」の攻撃に市場や居住区やモスクの爆撃で応えたことによって、ソマリア国民の憎悪の的となった。
 軍事的失敗に、政治的失敗が加わった。確かに、2008年11月には、ジブチで停戦協定が結ばれたが、それは暫定政府と穏健な分派の間の協定だった。かって軍閥だった、アブドラ・ユスフ・アーメッド大統領は、彼の強硬な政策で、国民と国際的支援を失った。昨年12月末に彼は大統領職を辞任した。残ったのは、頭脳も軍事的防衛軍ももたない暫定政府である。暫定政府の崩壊は、もっと大きな混乱をもたらすだろう。
「危険は続いているが、ソマリアは、新しい可能性を示している」と、ロンドンにある「チャタム・ハウス研究所」のアフリカ部門の部長であるトマス・カージルは言う。「人々は紛争にうんざりしている。暫定政府がかなり多くのグループから支持され、ある安定性を保つことができれば、それはいくらか影響するだろう。」ケニアのナイロビからソマリアを観察しているラブディ・アシドは、歴史的な機会を見ている。「国会にすべてのグループに開かれた大統領を選ばせるための暫定政府が作られねばならない。」
エチオピア軍の撤退は、ソマリアの政治家達を助けるかもしれない。「アル・シャバブ」を結びつけ彼らに他のグループの支持を保証したのは、占領軍とその支持者に対する憎悪だった。「私はさまざまな勢力の新たな成立を当てにしている。アル・シャバブが共同の戦線を維持できるかどうかが分かるだろう」とカージルは言った。米国によって、アル・カイダとの接触を持ったテロ組織だと評価されているイスラム過激派は、支持されてはならない。だが、彼らは良く組織されている。軍団は、住民に受け入れられるように、地域の部族の支配地に対応している。アル・シャバブは、青年達に一月200ドルを支払うこと、診療を受けられること、死んだ場合は、埋葬を約束することで、青年達をおびき寄せている。
 特にアル・シャバブは、人々に安心感を与えている。イスラム過激派は、小さな犯罪者にも、路上に検閲所を設けて住民から最後の金を搾り取っている多くの強盗団に対しても同じように対応している。「安全に対する欲求は非常に大きい」と「国際危機グループ」のラブディ・アシドは言う。「多くの人にとっては自由よりも安全のほうが大事なのだ。」
2007年の初頭以来、戦闘で、1万6000人が死に、3万人が負傷した。100万人以上のソマリア人が避難している。モガデシオは、幽霊のでそうな町だ。穏健なムスリムだと見なされているソマリア人が、安全のために払っている代価は高い。過激派が町を占拠すると、彼らは、映画館を閉鎖し、不作法な髪型をしている男性の髪の毛を剃ってしまい、サッカー見物を禁止する。「アル・シャバブ」が村へ来ると、彼らは「宣伝パンフレット」を配り、勉強グループを組織する。直ちにイスラム法を執行するために、「移動裁判所」が控えている。この石器時代的なイスラム教は。多くのソマリア人にとっては、行き過ぎだ。「幾つかのグループは、人々を動員して、アル・シャバブと戦っている。ある組織は、アル・シャバブという異端者に聖戦を宣言し、グリエルやマレブの町を奪い返したと「ニューヨーク・タイムズ」は報道している。
しかし、カージルの意見では、西欧の政治家は、人道的援助にだけ限定すべきである。
(以下省略)
「アル・シャバブ」に金銭的な援助をしているのは誰でしょうか。ビン・ラディンでなければ、サウディ・アラビアの誰かでしょうか。
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「宗教上禁じられたテレビ・ドラマの勝利」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年08月07日 | イスラム問題
 サウディ・アラビアのイスラム法学者は、トルコのテレビドラマ『ヌル』を「悪魔的で非道徳的だ」と呼び、テレビ局に対して「神と預言者に対する攻撃」を直ちに止めるように要求した。パレスチナの都市ナブルスでは、国会議員とハマスの説教師は、「宗教と価値と伝統」に反するシリーズに対して警告した。
 両方の尊厳の担い手はあまり多くの聞く耳を得られなかった。サウディ・アラビアでは、300万人から400万人の間の人が、毎晩、ヌルとその夫であるモハンナドの生活と愛に関するテレビドラマを見ている。パレスチナのガザ地帯とヨルダン川西部地区では、放映時間には街頭の人影がまばらになる。停電で見られなくなると、人々は目覚まし時計をセットして、早朝の再放送を見逃さないようにする。
 シリアやバーレーンやモロッコでは、毎日、大家族がテレビの前に集まって、彼らの主人公達を見る。汎アラブ的な衛星放送チャンネルのMBCにとって、驚くべき大成功だ。
トルコでは、『ヌル』は、失敗作で、幾つかの挿話が放映された後、放映中止になった。 アラブ語のテレビ・シリーズは、ひどく高価だったので、われわれは外国に安価なシリーズを求めたとMBCテレビの会長ワリド・アル・イブラヒムは言う。古典的なアラビア語ではなくて、地域の方言で音声が入れられたこのテレビ・ドラマは、ドバイに本社を置くMBCの最大のビジネスになった。
 保守的な体制派の反応は理解できなくはない。『ヌル』は、湾岸諸国の社会的日常に見いだされる男性と女性の新しい役割像を提示している。夫婦が完全に平等なムスリム家族が初めて示されたのだ。
 夫のモハンナドは、妻のヌルがモード・デザイナーとして職業上一人前になるのを支持している。けんかの後では、彼は花束を渡し、贈り物や旅行で彼女を驚かす。それは、これまで西欧の映画でしか知らなかった男性の態度である。アラブ製のドラマでは、妻や女兄弟を殴る普通の男しか出てこなかった。
 「われわれの社会は、このような親密さや愛情にはなれていない。だから、この種の関係は罪だと言われた」と「バーレーン婦人同盟」の副会長であるファティマ・ラベアは言う。多くの女性の視聴者にとっては、温和で格好がいいモハンナドは、理想の男性像である。
 モハンナドの写真を妻の携帯に見つけた何人かのサウディの男達は妻と離婚した。日刊紙『サウディ・ガゼット』には、美容整形外科でモハンナドに変えてほしいという男を描いた漫画が掲載された。母親達は、生まれて来た子供に「ヌル」や「モハンナド」という名前を付けている。
 このテレビドラマでは、保守的ムスリム的社会の別のタイプのタブーが破られた。モハンナドは、結婚する前にヌルと性的交渉を持ち、それで子供が生まれている。従姉妹の一人は妊娠中絶をしたし、晩ご飯には、アルコールを飲んでいる。
 「われわれの生活では、このドラマシリーズに出てくるような物事を、われわれみんなしている」とシリアの俳優ラウラ・アブ・サアドは言う。「かなり多くの女の子は妊娠して、中絶しているわ。ただ、誰も口にしないだけよ。テーブルの下に隠してあったことをテレビで見て、みんなホットしているわ。」
 ラウラ・アブ・サアドにとって、このシリーズの成功は、「アラブ系ムスリムが、穏健なイスラム教に従って、過激派には従おうとしない」ことのしるしである。(後略)
[訳者の感想]アラブ諸国の普通の人たちが穏健なイスラム教徒だということを示すニュースのように思います。ちょっと楽観的かもしれませんが。
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「自由は掟を超えている」と題するネクラ・ケレクの論説。

2008年07月29日 | イスラム問題
2005年に私が私の著書『見知らぬ花嫁』でもって、モスレムの女達は、親が取り決めるか強制によって結婚し、ドイツに輸出されるということを指摘したとき、モスレムやトルコ人やその政治的な友人達から抗議された。私が個別的な事例を誇張しているとぬれぎぬを着せられた。トルコ系の女性政治家達は、自分たちは愛に基づいて結婚したのだと公言した。強制結婚は、自分たちの文化やイスラムとは無関係だと彼らは主張した。移民問題研究家は「イスラム教徒に対する正義」を要求し、輸入結婚は、移住条件を制限したことの反映だと主張した。
そうこうするうち、ここでは、毎年、何千人ものモスレムの女性や男性が、彼らの家族によって結婚するように強制されていることは、争う余地がない。女性相談所や結婚相談所が満員になるわけは、若い人たちが、休暇中に両親達の故郷で結婚させられることを恐れているからである。
イスラム教徒のコミュニティは、この問題だけでなく、名誉殺人、家庭内暴力、教育の問題で世論によって合法的などうかが疑われている。「それはイスラム教とは無関係だ」というおきまりの文句を本当だと思う者は誰もいない。「ヨーロッパ的イスラム教」の思想家であるタリク・ラマダンは、モスレムのために事態を変えようと試みている。ロッテルダムの「イスラム協会」や「モスレム兄弟団」に近い「インサン協会」と共同で、ベルリンの統合問題顧問のギュンター・ピーニッヒの支持を得て、彼は「強制結婚に反対する連帯」を促進している。
 それは、自分を意識した始めたモスレムの娘達を捉え、彼女らがもはや国営の相談所や女性問題相談所へ行かないように、イスラム教に基づいて忠告する試みである。この「イニシャチブ」は、ベルリンのクロイツベルク区で設立され、八カ国語で書かれたパンフレットを公刊した。強制結婚がモスレム社会の問題だというモスレムや「イスラム協会」の告白は、新しいし、歓迎できる。もちろん、この問題はすぐに相対化され、仏教やヒンヅー教やキリスト教の社会でも問題だと述べられる。彼らによれば、強制結婚は、イスラム教の問題ではなく、文化の問題なのだ。文化と宗教とを区別することによって、彼らは、社会的責任や批判的自己反省に対して宗教を助けようとしている。ラマダンや他の人たちは、アラーの言葉や預言者の行為には間違いはなく、人間だけが時に誤りを犯すと主張する。それによって、イスラム教はその名前で行われている犯罪から無関係にされる。
 宗教と文化が「文化的システム」を形成しており、切り離して考察することはできないという認識は、ばかげたことに、イスラム教徒たちによって否定されているのだ。なぜなら、彼らは、信仰と日常、宗教と政治の分離を否定しているからである。「強制結婚はイスラム的でない」とムハンマド自身が宣言したそうである。ムハンマド自身が、6才のアイシャと結婚したということは、強制結婚ではなく、ラマダンによれば、イスラム教を差別するのに役立つ「挿話」にすぎないと言われる。『コーラン』の中で結婚に言及している「独身者と結婚せよ」という章句は、この象徴の中には出てこない。そこでは、「おまえ達独身者よ、結婚しなさい」とは書かれていない。そうではなくて、「独身者と結婚せよ」という章句でもって、結婚は、家族と村の問題になっている。(中略)
ラマダンと彼の弟子たちは、ヨーロッパの文明社会の基本的権利と価値を解釈し直そうとしている。彼らは個人から、自己決定権を奪り、人間を社会的存在と見て、個人とは見ない。致命的な名誉概念を使って「恥社会」のシステムを推奨しているのだ。彼らのパンフレットのどこにも、彼がいったい結婚しようと望んでいるのか決定する個人の権利は認められていないのだ。「家族はイスラム社会の核心である。結婚はイスラム教では、家族を作る唯一認められた仕方である。」自分自身の性生活を生きることは、許されないのだ。
(後略)
[訳者の感想]『フランクフルター・アルゲマイネ』紙に掲載された評論であす。筆者のネクラ・ケレクは、トルコ系のドイツ人で、徹底したイスラム教の批判者です。
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「AKPはどのようにトルコ人をイスラム教に強制しているか」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事

2008年06月21日 | イスラム問題
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もし、トルコ全土がアナトリア南部の都市デニズリのようであったら、イスラム色の濃厚な与党の社会プロジェクトは、もっと進んでいるだろう。もっと敬虔なコンヤ以外のどこにも、人口に比べてより多くのモスクがある町はない。経済の大部分は、いわゆるイスラム系ホールディングから成り立っている。それは「コーラン」の利息禁止にしたがおうとしている企業である。ますます多くのコーラン学校が存在する。スカーフをかぶっている女性の割合は、地方のジャーナリストによると、ここ数年で、少なく見積もっても4倍に増えた。
ここに住んでいる人間にとって、AKPが支配する年月に、息の詰まるムスリム的な社会の基質が成立した。町を立ち去る以外にそれから逃れることはできない。「キャリアを積もうとする人は、地方政治で働くか、行政機関で働くかどちらかであり、彼の妻は、イスラム風の頭巾を着けなければならない」と弁護士のザフェル・ゲネンクは言う。労働市場を提供しているのは特に繊維産業であるが、それは特にイスラム系企業からなっている。その社長は、アンカラやイスタンブールに住んでいる古いケマル主義的なブルジョアとは全く異なる人生哲学をもっている。「仕事をほしい人は、敬虔に見えなければいけない。女性なら、頭巾をかぶっていなければいけない。そうでないと、職業につけない」とある労働組合員は言った。
「アルチンバサック」という繊維工場を訪問すると、彼の言ったことが正しかったことが分かる。頭巾は、女子行員にとっては、工場の制服の一部だ。
AKPの地方行政は人気がある。その理由は、それが3万人の人々に石炭や食料品や他の援助サービスを提供しているからだ。しかし、また、敬虔深く見せかけるうまい手がある。頭巾をかぶった妻を自分の前に押し出すのだ。そうしないと、何ももらえない。市の行政から何かを手に入れようとする人、たとえば、建築許可を手に入れようとする人は、敬虔な人たちの陣営に数えられているかどうかが重要だ。(以下省略)
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「バイエルン出身のトルコ系ドイツ人が自爆テロ」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年03月16日 | イスラム問題
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バイエルン出身の一人のイスラム過激主義者が自爆テロで五人を空中に吹き飛ばした。この週末、いくつかのメディアは、3月3日にアフガンのホスト州で、二人のアメリカ兵と二人のアフガン民間人を殺した自爆テロを行ったのは、バイエルン州のフライジングに生まれたトルコ人のキュネイト・Cだったと報道した。この男は、「イスラム聖戦同盟」(IJU)のザウアーラントテロ組織と接触があった。
連邦検事局と連邦検察庁とは、この報道について言及することを望んでいない。「われわれはそれについて、まだ確実な認識がなく、まず、検証することが必要だ」と報道官は土曜日にAP通信に述べた。3月3日のテロでは、犯人は、爆弾を積んだ自動車で、米軍とアフガン政府軍が守備していた州政府の建物の門に突入した。爆発で警備塔が崩壊し、何人かの兵士が生き埋めになった。
「写真新聞」、「シュピーゲル誌」は、報道の際、治安当局とIJUの陳述を引き合いに出した。それによると、IJUは、インターネットでテロ攻撃を認め、「この作戦は、ドイツ出身の勇敢なキュネイト・Cによって遂行された。彼は彼の貴重な生命を天国と取り替えたのだ」と述べた。
ドイツ検察庁によると、2006年の冬に、IJUのドイツ支部ができたが、その目標は、ドイツでメンバーを募って、ドイツでテロ攻撃行うことだった。IJUは、テロを計画したが、それは2006年9月にザウアーラントで3人が逮捕されたために未遂に終わった。
報道によると、キュネイト・Cは、ヘッセン州のランゲン出身のアデム・Yを中心にしたザウアーラント細胞の同志で、ウルムのイスラム・グループとも接触があった。「アンスバッハ出身のイスマイル」と呼ばれたCは、2007年4月に彼の妻と子どもと一緒にドイツを出国、トルコとイランを経由して、アフガンに入国したと見られている。(以下省略)
[訳者の感想]どんな背景があったのか、知りたいと思います。最近はアフガンでも自爆テロがはやっているようです。
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「エルドアン・トルコ大統領、同化にたいする警告を強調」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2008年02月13日 | イスラム問題
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レセプ・タイイップ・エルドアン・トルコ大統領は、ドイツで厳しく批判されたトルコ人の同化に対する警告を再び強調した。「私はもう一度言う。同化は人間性に対する犯罪だと」彼はアンカラの与党「AKP」の会派を前にして述べた。この点では、自分とメルケル首相との間に違いがあるかも知れないと述べた。
エルドアンは、また、ドイツにトルコ語とドイツ語とを使う学校を設立するように要求した。「君たちは何を恐れているのか」と彼はドイツ人の批判者に向けて質問した。トルコでは、まもなく、ドイツ語を使用言語とする大学が開校される。
ドイツ在住のトルコ人たちは、ドイツ語を学び、ドイツ社会で能動的な役割を演じるべきだと、エルドアンは述べた。「自分の政府は、この統合化を強力に支持する用意があるが、統合化と同化との間にははっきりした違いがある。したがって、誰もドイツ在住のトルコ人に対してトルコ語を忘れることを望んではならない」と述べた。
先週末、ケルンで行われたエルドアンの演説は、トルコ人のヨーロッパ化の可能性に対する厳しい批判と議論を巻き起こした。「エルドアンは、ドイツの国内でトルコ民族主義を説教した。これは反ヨーロッパ的で、トルコの欧州連合加入にかんするわれわれの心配を証明するものだ」とCSUのエルヴィン・フーバー党首は述べた。バイエルン州首相のギュンター・ベックシュタインやCDUの議長であるヴォルフガング・ボスバッハもトルコ大統領を批判した。
エルドアン大統領は、日曜日にケルンでドイツ在住のトルコ人に対して統合を呼びかけたが、文化的アイデンティティを完全に放棄しないように警告した。
[訳者の感想]韓国の大統領が在日韓国人に「韓国人としてアイデンティティを失ってはならない」と言ったら同じような批判が渦巻くでしょうか?トルコ人が簡単にドイツ社会に同化しないことがドイツにとっては大きな問題なのだと思います。そもそも、エルドガンは、先日、ルドウイヒスハーフェンの火事でトルコ人住民が死んだ追悼式に出席するためにドイツへ来たようです。この火事の原因もまだ、分かっていません。ネオ・ナチの仕業だという説もあるようです。
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「イスラム主義者、哲学者を殺すぞと脅す」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年12月25日 | イスラム問題
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待ち合わせの場所は、注意深く選ばれた。人口密度の高い南フランスの町Mの公園は、冬のこの時期、人気がなかった。迫害者は、すぐに目につくだろう。秘密情報機関のシナリオの唯一の欠点は、この小柄で太った哲学者が明るいベージュ色の縞模様のジャケットをきているので目につくということだ。「心配はいりませんよ。私は警察官とは一緒に来ていませんから」と53才のこの思想家は挨拶した。
そのかわりに、彼は大きな赤い押しボタンのついたポケット・ベルを握りしめていた。「これは、一番近い警察署とつながっているんです、何か起こった場合には」とレデカーは笑った。たとえば誰かが彼を殺そうとした場合である。
聖戦士のインターネットでは、一年前に、彼の首が公示された。1980年代に、サルマン・ラシュディに起こったように。「われわれはおまえを殺すぞ」という意味だと理解された。それと並んで、彼の肖像写真と家の写真、住所、道路図が公開された。
殺害予告には理由がある。彼は2006年9月にパリの新聞『フィガロ』に「イスラム主義者の脅しに対して自由世界はどのように反応すべきか」という題の記事を書いた。テキストには、「コーランは、前代未聞の暴力の書である」とか、「イエスは、愛の教師だが、モハメッドは、憎悪の教師だ」と書かれていた。
それは、脈絡を無視して引用されたわけではない。ドイツとフランスの旅券をもった中部フランスに育ったこの哲学者は、イスラム教には、「古代の暴力が内在している」と述べた。その例として、彼はメッカで毎年行われるシンボリックな悪魔の石打ちを挙げた。
自分の運命を予知していたかのように、彼は「イスラム教は冷戦時代のように、暴力と脅迫を利用している」と書いた。「彼らがフランスの病院でモスレム女性に対して女性の医者を要求し、イスラム教徒の女生徒に水泳授業をやらせないように要求する場合、この宗教はヨーロッパ人に自分たちのルールを押しつけようとしている。」
レデカーは、殺害の予告を本気だと考え、自分の家を売り、姿を消し、痕跡を残さなかった。ツールーズに持っていた、二つの中学での哲学教師の職を失った。「私が授業をすると生徒の親たちが不安になるんです。」自分自身の息子を彼は寄宿制の学校に隠した。兄のほうは、郵便箱から自分の名前を削除した。「娘は幸運にも結婚していて、新しい名字を名乗っています」と哲学者は述べた。
「最近数ヶ月、私は家から出ていません。」「初めの頃は家では眠りませんでした。家を売って以来、私を誰も知らない場所に住んでいます。」散歩したり、ビストロへ行ったり、近くの本屋へいくことは、論外である。買い物をするには、レデカーは、少なくとも30キロ離れたスーパーへ行く。「同じスーパーへは二度と行きません。習慣的な行動はできないんです」とレデカーは言った。(中略)
 彼は単にイスラム嫌いだと非難する人たちがいる。「イスラム嫌いという概念が、ホメイニのような全体主義的なアヤトラによって、彼らの反対者に対して使われるということを前提にするなら、私はそれは褒め言葉だと思います。イスラム教には、ダライ・ラマのような平和の使徒はいないのです。」
「フランスのモスレムは、彼らが共和国と民主主義の価値を自分たちの価値と結びつける場合にだけ、存在することが可能です。」(後略)
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「イラン、核計画の監視を許可」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年09月26日 | イスラム問題
イランのマームード・アフマディネジャド大統領は、自分の国の核計画を「国際原子力機関」(IAEA)に監視させると告知した。このテーマはこれで終わったとアフマディネジャド
は火曜日の夕方の国連総会の演説で述べた。イランは、「傲慢な勢力による法に反した政治的圧力を無視するだろう。」
 それゆえ、このテーマは原子力機関の通常の業務になった。アメリカ・中国・ロシア・フランス・英国・ドイツは、テヘランに年末までにイランの核計画についての情報に関する義務づけに従うように時間を与えていた。この義務に従わない場合には、さらなる制裁を加えると脅した。
演説の数時間前には、フランスのサルコジ大統領は、イランが核武装することに対して警告していた。これは、「中東地域と全世界の安定に対する受け入れがたいリスクである。」ドイツのアンゲラ・メルケル首相も、既にイランに対して核計画を巡る争いで警告に従わない場合には、より厳しい制裁を加えると警告していた。
[訳者の感想]あれほど、国連の監視団受け入れを拒否していたイランが突然態度を変えたようです。どういう理由があったのでしょうか。
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「ザワヒリ、赤いモスクの犠牲に対する復讐を訴える」と題する『ファイナンシャル・タイムズ』紙の記事。

2007年07月15日 | イスラム問題
アルカイダの第二司令官であるアイマン・アル・ザワヒリは、水曜日に送りつけられたテープで、70人以上の犠牲者を出したイスラマバードのモスクに対するパキスタン政府軍の攻撃に対する復讐を要求した。
「この犯罪は、懺悔か、復讐によって償われねばならない」とザワヒリは、インターネットに送付されたテープで述べた。「もし、あなた方が復讐しなければ、ムシャラフ大統領は、あなたがたの誰も容赦しないだろう」と彼はパキスタンのイスラム教徒と聖職者に呼びかけた。
「聖戦によってのみ、あなた方は救済される。アフガニスタンにいるムジャヘディンを呼び返さなければならない」とザワヒリはテープの中で述べた。
アルカイダのメディアである『アル・サハブ』によって制作された録画には、エジプト生まれのザワヒリが白衣と白いターバンを被った静止画像が納められていた。
これは、今週中に送りつけられた二本目のビデオ・テープである。
パキスタン治安部隊は、水曜日に、首都イスラマバードにあるラル・マジド・モスクを攻撃し、反政府聖職者と支持者70人を殺害した。
最終的な死者の数、女性や子供が何人含まれたかは、不明である。
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「イスラム嫌いの愚かさ」と題する『ニューヨーク・ポスト』紙の論説。

2007年07月04日 | イスラム問題
ロンドンとグラスゴーでの自動車爆弾テロは、すべての人、特に英国のムスリム達にイスラムの名におけるテロリズムが未だに、公共の平和と安全に対する脅威であるということを思い出させる機会を与えるべきだった。けれども、現に起こっていることは、そうなっていない。
 ゴードン・ブラウン首相は、テロ攻撃は、イスラムとは無関係だと言い続けた。だが、同時にムスリム・コミュニティの指導者を首相官邸に招いて、どうしたら、攻撃を予防できるか議論しようと述べた。もし、テロ攻撃がムスリムと無関係だったら、なぜ、仏教徒の指導者よりも、むしろムスリム指導者を招くのか?
 ブラウン首相は、それを、あるとおりに述べることは適切だとは思わなかったのだ。英国のムスリムは、いや、世界中のムスリムは、街頭に出てきて、テロリズムを明確な言葉で非難しなければならない。
 その代わりに、われわれは、攻撃はサルマン・ラシュディの爵位授与によって引き起こされたかもしれないと聞いている。ウッディン男爵とか言う穏健派コミュニティ指導者のように、ムスリムは、自分たちを不幸にする「外交問題」を持っていると示唆した。もっとはっきり言えば、「英国がその外交政策をアルカイダを喜ばせるように変えなければ、英国は攻撃されると予想せねばならぬ」ということを意味している。
 穏健派のコミュニティ指導者が認めるのはたかだか、「そうだが、しかし、」という立場である。「そうだ、無実の人たちを爆弾で吹き飛ばすのは、全く正しくない。だが、それならば、この同じ無実の人たちの政府の政策に対する怒りが、何人かのムスリム青年にすべての人を殺したいと思わせるかもしれないということをわれわれは理解しなければならない。」
 もっと悪いことに、ロンドンの左派市長のケン・リビングストンは、非難をテロリストから、「イスラム嫌い」にそそのかされた英国人へと移したのだ。
 こうして、リビングストン市長の道は袋小路に突き当たる。彼らがわれわれを殺すから、われわれは彼らが嫌いなのか、それとも、われわれが彼らを嫌うから、彼らはわれわれを殺そうとするのか?彼が含意しているのは、主たる非難は、英国政府とその同盟者、特にブッシュ大統領に向けられる。なぜならば、ブッシュは、テロリストを抱擁する代わりに、テロへの戦争を宣言したからである。
 しかし、人は、イギリス人の「イスラム嫌い」を非難できるか?答えは、断固として「ノー」である。
 英国と僅かな西側民主主義国は、あらゆる種類のムスリムが全く自由に彼らの信仰を実践できる地球上で唯一の場所なのだ。英国にあるムスリム礼拝所の分厚い住所録には、300のさまざまな宗派がリストアップされている。彼らの多くは、どのイスラム国家でも迫害されているのだ。
 シーア派は、カイロにモスクを建てることができない。スンニー派は、テヘランには彼ら自身のモスクを持つことはできない。エジプトやサウディ・アラビアで印刷された『コーラン』は、イランでは禁制品として、押収される。エジプトや他の多くのイスラム国家では、イランで印刷された『コーラン』の輸入を禁じている。ムスリム作家や哲学者の多数の著作は、大抵のムスリム国では禁止されている。
 英国では、すべてのモスクが許されている。ムスリムの作家や哲学者は、誰も禁じられていない。もっと重要なことは、ライバルの宗派が互いに殺し合ったりしていない。半ダースのムスリムが多数を占める国で起こっているのとは違って。
 英国のメディアが自己検閲を行う唯一の機会は、ある記事が、反イスラム的だと思われた場合である。すべての英国の編集者は、ムスリムの感情を傷つけることを恐れて、少なくとも本の書評を引っ込める。「ムスリムの感情を考慮に入れること」は、ある芸術作品を引っ込めるための理由である。
 最も過激な反西欧的でテロ支持派のイスラム聖職者でさえ、英国に来て、彼らの憎悪のメッセージを広げることを認められている。(時には、リビングストン市長の客として。)
 ハマスやヒズボラは、英国に滞在しており、「イスラム解放党」は、ロンドンに司令部を持っている。
 ハマス支持あるいはヒズボラ支持の戦士たちは、英国のテレビでは、毎晩、取り上げられている。「イラン・イスラム共和国」の最高指導者アリ・ハメネイがロンドンに開いている「個人事務所」は、ロンドンの「イラン大使館」の二倍の人員を抱えている。
 ロンドンやグラスゴーの人々を殺そうとしたテロリスト達は、バグダッドやカラチで人々を殺しているのと同じ連中だ。彼らは、何万人ものエジプト人や、恐らく十年以上、25万人のアルジェリア人を殺したのと同じ連中だ。彼らは宗教的な不満に動機づけられたのではなくて、政治的権力に対する飽くなき欲望によって動機づけられている。彼らは社会のコントロールを奪い、社会を隷従へと強制し、神の名前を使って、すべての個人に狂気のテロを押しつけようとしているのだ。
 イスラムが「平和の宗教」であるなら、本当の「イスラム嫌い」は、ロンドンやグラスゴーで自動車爆弾を仕掛けた連中である。自己検閲をし、彼らが骨折って手に入れた自由を「ムスリム共同体」を攻撃しないために抑制している哀れな英国人ではない。
[訳者の感想]筆者アミル・タヘリは、イラン生まれのジャーナリストで、かなり問題のある人物のようです。彼の論調は、明らかにアメリカのネオコンに近いと言えるでしょう。

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「イスラムの好戦性はどのようにヨーロッパに来たか」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年06月24日 | イスラム問題
また、始まるのか?インドネシアからエジプトに到るまで、イスラマバードから、テヘランに到るまで、アルマン・ラシュディに騎士の称号を与えようとする英国王室の決定について、憤激が巻き起こった。ラシュディは新たな脅迫を受けた。英国女王とラシュディのわら人形がカイロの路上で焼かれた。パキスタンのウラマの評議会は、オサマ・ビン・ラディンを貴族に昇格させる決議をした。
注目すべきことに、この決定を下した銀行家のロスチャイルド卿の指揮する英国の委員会は、この憤激に驚いたと言明した。マーガレット・ベケット外務相は、驚いたメデフアに対して、「英国とムスリムの関係」に何か良いことをしたいと望んだのだ」と述べた。「多くの人間が、この名誉授与に明らかに、打撃をうけたというのは残念だ」とこの労働党の女性政治家は述べた。ラシュディは、この栄誉を受け入れた沢山のムスリムの一人だ。「ムスリムの信仰者は、当然、われわれの共同体の一員であり、彼らはこの国で、このような栄誉を受けてきた。」反対行動を見て、ジョン・リード内務相は、モンティ・パイソンの映画『ブリアンの生涯』を思い出した。それは、イエスの十字架上の死に対して「私たちは謝らない」という楽しい歌を歌うのである。
委員会が驚いたというのは訝しい。結局、ムンバイ生まれの作家サルマン・ラシュディにとっては、彼が焚書の波を引き起こした二度目である。1988年に、モハメッドの生涯についての政治的サタイアである彼の本『悪魔の詩』が出版されたとき、それはムスリム世界においてはそこらじゅうで、暴力を伴う抗議で応えられた。1989年2月には、6人のパキスタン人が、アメリカでの衝突で殺された。一月後には、イランのホメイニ大統領は、ラシュディの死を要求するファトワを下した。次に9年間に、著者は、常に隠れ家を変える生活を送った。彼の結婚は、壊れた。日本人の翻訳者(五十嵐教授)は、刺し殺された。イタリア人の翻訳者は、重傷を負った。トルコの騒動では、37人が死んだ。ノルウエー人の翻訳者も重傷を負った。ラシュディは、感じやすさを傷つけたことを謝罪したが、自分の本を引っ込めようとはしなかった。1997年に、イランのコルダード財団は、ラシュディの首に200万ポンド(4億円)の懸賞金を掛けた。2000年にラシュディは、ニューヨークに引っ越した。
英国のエセイストのケナン・マリクは、「ラシュディ事件は、英国社会とムスリムとの関係の転換点だった。あの当時、好戦的イスラム教徒は、独自の政治的な力を計画に乗せた。あの当時、英国社会は、社会紛争以上のものがやってきたということを自覚した。ここで初めて、統合そのものが疑わしくなった。」著書『ロンドニスタン』で、著者のメラニー・フィリップスは、書いた。当時、ブラッドフォードで、ムスリム協会の議長であったサイエド・アブドル・クッドスは、10万人の血の上った抗議者達を前にして、「ラシュディは、イスラムを拷問にかけた。そのために、彼はつるされるべきだ。ムスリムは、自分たちの手で彼を殺すべきだ。ホメイニ師の望をかなえるために、機会が与えられれば、私は、私と私の子供達の命を喜んで捧げるだろう。」イランからの資金で運営され、ロンドンで邪魔されずに活動できた研究所は、一緒にやろうと聴衆に要求した。焚書に対しては、英国の保守党政権は、「これは受け入れられない」と声を揃えて言った。労働党の国会議員キース・ヴァズは、ラシュディの人形の頭に槍を突き刺してラシュディ反対のデモの先頭に立った。
「この瞬間に、イギリスのイスラムができた」とメラニー・フィリップスは言う。「ラシュディ事件とボスニアの戦争とは、イギリスのイスラム教徒が政治化し、彼らの運命を暴力的行動予定に結びつけた。」
イスラム教徒であるマリクは、彼が当時ブラッドフォードで、以前は熱烈な社会主義労働党とトロツキー主義の支持者であったある友人に出会ったことを報告している。マリクは「この神に見捨てられた場所で君は何をしているのか」と尋ねた。すると、友人のハッサンは『悪魔の詩』を焼き捨てるのに参加したと答えた。「おれは、奴が余り神に見廃られないようしようとしたんだ。」「今日は、原理主義的神学の信奉者をラジカルと呼ぶのだ。以前は、モスクを支配し、人々を無知で迷信深いと思っている連中と闘うのがラジカルだった。」イスラム主義グループは、「ロンドニスタン」で邪魔されることなく、活動できた。彼らは伝統的なイスラム教徒ではなかった。(以下省略)
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「ブルカはペンギンだ。その言い方はナチだという非難」と題する『シュピーゲル』誌の記事・

2007年05月25日 | イスラム問題
ベルリン発:「ホロコーストを生き延びたラルフ・ジョルダーノは、今は右翼だ」と『ターゲス・ツアイトウング』は、書いた。第三帝国でユダヤ人として迫害された作家は、ケルン市エルフリートに建設されるモスクに対する批判で共和党の創設者であるフランツ・シェーンフーバーよりも右翼的だと新聞に書かれた。この新聞は少し前「組織化された職業ユダヤ人」について文句を言った。
 事実、ジョルダーノは、『ケルン市広報』でいくつかの事柄を混同している。特に、彼は市当局は既に決定しているが、住民の多数が反対だという理由で、モスクの建設を停止することを望んでいる。ブルカに身を包んだイスラム女性をペンギンにたとえたのは、いささか繊細さを欠いていた。作家がそれで自分自身の審美的感覚を妨げられると感じたとしても、それはイスラム教との付き合いの基準にはならない。
 ジョルダーノがモスク建設をこれまでの統合の努力を怠ったからだという論拠で反対しようとするなら、彼は間違っている。なぜならば、開かれたモスクを建設しようとする人達は、それ自身、統合に反対して行動している訳ではないからだ。うまく行った統合は、さまざまな文化と宗教とが共生することにある。ヴォルフガング・ショイブレ内務相は、最近とっくに期限が切れた次の意見を述べた。「イスラム教はドイツ社会の一部だ。」
 だが、ジョルダーノのイスラム批判と統合批判に対する怒りの反応は、既に以前から存在する図式である。極右だとか極右の人気取りだという批判は、保守的なイスラム観念や頭巾に反対する人々に対して反射的に振り上げられる棍棒である。フェミストのネクラ・ケレクやアリス・シュヴァルツァーやセイラン・フェリドン・ザイモグルーは、いつもそう批判されてきた。ほんの最近、トルコ出身の作家フェリドン・ザイモグルーは、イスラム批判者とフェミニズムと右翼ポピュリズムの間の並行関係を指摘した。
 勿論、イスラム批判者自身も厳しい言葉を見出す。ネクラ・ケレクは、モスレム団体の統合を「モスレム部族長の集まり」と呼んだ。だが、両方のグループには全く決定的な違いがある。ネクラ・ケレクとセイラン・アテスとは女性の権利のために闘っている。彼女たちは、個人的政治的な重みを求めて闘ってもいる。だが、それは全く正しいし、必要なのだ。
 新たに組織された「モスレム調整委員会」(KRM)は、ドイツ在住のイスラム教徒を代表していると言っているが、それにとっては、女性の同権は全く考慮されていない。あるいは、KRMが「イスラム会議」に対してまだ一度もドイツ的な価値秩序への箇所に関して一致しないとしたら、それはどう理解したらよいのか。そのために、人々はKRMに対して、「基本法」の地盤に立っていないと想定するかもしれない。だが、KRMは、女性が同じ権利を持ち、自由に教育されるということに対して明確な言葉を見出そうとしていない。「モスレム中央委員会」の議長であり、新たに組織された「モスレム調整委員会」の広報係であるアユーブ・アクセル・ケーラーは、子供を男女一緒の水泳授業からはずしたい両親を支持するつもりだと述べた。これでもって、「調整委員会」は、保守的モスレムの両親の要求を認めたが、女生徒の利害関心を無視したのだ。
 頭巾は、勿論、宗教的に成人した女性の意識的シンボルであるかもしれない。だが、どれが本当に自由意志で被られているということが確かめられなければならない。
 セイラン・アテスが言ったことが当てはまる。「私にとって、ある女性が頭巾を被っているか、それとも、ある女性が半裸で車のボンネットに寝そべっているかは、違いはない。どちらも、女性の本質を性的対象にし、それに還元するのに役立っているのだから。」
 間違った側から拍手喝采され、他の側から右翼ポピュリストだと言われる経験を、ラルフ・ジョルダーノはした。実際、彼は、特に注意して主張したのではなかった。だが、彼に右翼過激主義者の烙印を押すことは、途方もないことであり、デマゴギー的である。
 ジョルダーノの発言を巡る興奮が示しているのは、統合論議とイスラム論議には、中立的な役者はいないということである。どの発言もイデオロギー化される。古い左翼が『ターゲス・ツァイトウング』の中で、新右翼がケルンでやったように。こんなことが起こらないためには、統合のための基準が定義されなければならない。その基準は、女性の同権と自己決定権をみとめるかどうかである。
[訳者の感想]ケルンにおけるモスク建設を巡って、ユダヤ系作家の発言を右翼が拍手喝采し、左翼が「人種主義的」と批判したようです。筆者は、フェミニズムの立場から、イスラム教徒を代表する委員会が女性の権利について口を閉じているのは、「基本法」違反だと言っているようです。結果的には、右翼的発言ということになるのでしょうか?
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「少女を石打の刑にした犯人逮捕」と題する『アル・ジャジーラ』局の記事。

2007年05月24日 | イスラム問題
 イラク当局は、石打の刑でクルド人のティーンエイジャーの少女が死んだ事件で、四名を逮捕したと報道されている。彼女の死は映像に撮らたのち、インターネットに公開された。
 イラク北部のニネヴェ州で逮捕された四人のうち、二人は、少女の直接の家族のメンバーだと土曜日の報道は伝えている。
 17才のドフア・カリル・アスワドは、4月7日に「名誉殺人」の理由で、彼女の家族のメンバーによって石打の刑を受けた。
彼女は半裸で通りに引きずり出されたが、そこには群衆が集まっており、沢山の人が彼女の死を携帯電話で映した。
 アスワドの死のフィルムは、インターネットに投稿され、そのビデオでは、群衆のなかに、制服を着た治安部隊の隊員だと思われる人物も写っている。
 当局によると、アスワドが殺された理由は、集落のメンバーが彼女がスンニー派のムスリム男性と結婚しようと駆け落ちしたためである。
 アスワドは、ヤジディ派のメンバーで、彼らは、宗派を超えた結婚を認めないという古い信念を持っている。
 「彼らは古くさい部族の儀礼にしたがって、若いヤジディ派の少女を惨殺した」とAFPニュースは、イラクのヤジディ派の首長として知られたターシン・サイード・アリの言葉を引用して伝えた。
 クルド地域政府は、後に、殺人を非難し、アスワドを殺した下手人を法廷に出すように要求した。
 「CNNテレビ」と「マレーシア・サン」新聞は、逮捕を報道し、アスワドの従兄弟を含む四人の犯人を追及しているという地域警察の声明を報道した。
「アムネスティ・インターナショナル」と人権グループは、殺人に対するクルド政府の非難を歓迎すると述べた。
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「ミッキー・マウスを使ってイスラム主義の宣伝」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年05月11日 | イスラム問題
ファルフールは、本当に可愛い子だ。彼は子供達が好きだし、子供達も彼が好きだ。大きな耳をもったネズミは、パレスチナの「アル・アクサテレビ」で、どうしたら、食事の際、衣服にシミを付けないで済むか、教育的に価値のあることを教え込んでいる。ファルフールは、とても美しいお話しもできる。遊びながら、子供達は、人生の厳しさも学ぶ。
私が幼くても、どのようにお祈りを正しくするか、大人になったとき、どうやってユダヤ人やアメリカ人や西欧人を殺すか。
かなり多くの信心深い人は、パレスチナ政府の情報相であるムスタファ・バルグティがこの放映を「新たに吟味する」ことに決めたとき、彼を検閲者だと感じるだろう。彼はイスラエルの占領に反対するこの放映をお門違いだと思っている。「われわれの省は、今後も、報道の意見の自由に賛成するが、法律を破るメディアは、処罰を覚悟すべきだ。」
外国の放送局がパレスチナのテレビ放送に注意した後で、バルグティは介入した。同時に彼はメディアの関心が不釣り合いに活発になったことを遺憾だと言った。パレスチナ情報省が流すイスラエルによる人権侵害についてのニュースなら、遥かに僅かな注目しか浴びなかっただろうと彼は言った。
ミッキーマウスを使った放送は「明日のパイオニア」という名前であって、ミッキー・マウスが「君と僕とはイスラム教の指導の下で世界の基礎とエルサレムの解放を担うのだ。そうアラーは望んでおられる」としゃべる。
このシリーズの立案者は、もともとあからさまな狂信者には属さなかった。そうでなければ、ミッキー・マウスを選ぶなんてことはあり得なかっただろう。『コーラン』は、清浄な動物と不浄な動物を区別しており、ネズミは不浄な動物に属しているのだ。だが、ミッキーにこの役を演じさせたのは、諧謔のつもりではないだろう。
[訳者の感想]子供達のミッキーマウス好きを利用して、イスラム過激主義を宣伝させたのでしょうが、ちょっと滑稽です。ディズニーにキャラクター使用料を払ったのでしょうか。
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