海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「イスラム嫌いの愚かさ」と題する『ニューヨーク・ポスト』紙の論説。

2007年07月04日 | イスラム問題
ロンドンとグラスゴーでの自動車爆弾テロは、すべての人、特に英国のムスリム達にイスラムの名におけるテロリズムが未だに、公共の平和と安全に対する脅威であるということを思い出させる機会を与えるべきだった。けれども、現に起こっていることは、そうなっていない。
 ゴードン・ブラウン首相は、テロ攻撃は、イスラムとは無関係だと言い続けた。だが、同時にムスリム・コミュニティの指導者を首相官邸に招いて、どうしたら、攻撃を予防できるか議論しようと述べた。もし、テロ攻撃がムスリムと無関係だったら、なぜ、仏教徒の指導者よりも、むしろムスリム指導者を招くのか?
 ブラウン首相は、それを、あるとおりに述べることは適切だとは思わなかったのだ。英国のムスリムは、いや、世界中のムスリムは、街頭に出てきて、テロリズムを明確な言葉で非難しなければならない。
 その代わりに、われわれは、攻撃はサルマン・ラシュディの爵位授与によって引き起こされたかもしれないと聞いている。ウッディン男爵とか言う穏健派コミュニティ指導者のように、ムスリムは、自分たちを不幸にする「外交問題」を持っていると示唆した。もっとはっきり言えば、「英国がその外交政策をアルカイダを喜ばせるように変えなければ、英国は攻撃されると予想せねばならぬ」ということを意味している。
 穏健派のコミュニティ指導者が認めるのはたかだか、「そうだが、しかし、」という立場である。「そうだ、無実の人たちを爆弾で吹き飛ばすのは、全く正しくない。だが、それならば、この同じ無実の人たちの政府の政策に対する怒りが、何人かのムスリム青年にすべての人を殺したいと思わせるかもしれないということをわれわれは理解しなければならない。」
 もっと悪いことに、ロンドンの左派市長のケン・リビングストンは、非難をテロリストから、「イスラム嫌い」にそそのかされた英国人へと移したのだ。
 こうして、リビングストン市長の道は袋小路に突き当たる。彼らがわれわれを殺すから、われわれは彼らが嫌いなのか、それとも、われわれが彼らを嫌うから、彼らはわれわれを殺そうとするのか?彼が含意しているのは、主たる非難は、英国政府とその同盟者、特にブッシュ大統領に向けられる。なぜならば、ブッシュは、テロリストを抱擁する代わりに、テロへの戦争を宣言したからである。
 しかし、人は、イギリス人の「イスラム嫌い」を非難できるか?答えは、断固として「ノー」である。
 英国と僅かな西側民主主義国は、あらゆる種類のムスリムが全く自由に彼らの信仰を実践できる地球上で唯一の場所なのだ。英国にあるムスリム礼拝所の分厚い住所録には、300のさまざまな宗派がリストアップされている。彼らの多くは、どのイスラム国家でも迫害されているのだ。
 シーア派は、カイロにモスクを建てることができない。スンニー派は、テヘランには彼ら自身のモスクを持つことはできない。エジプトやサウディ・アラビアで印刷された『コーラン』は、イランでは禁制品として、押収される。エジプトや他の多くのイスラム国家では、イランで印刷された『コーラン』の輸入を禁じている。ムスリム作家や哲学者の多数の著作は、大抵のムスリム国では禁止されている。
 英国では、すべてのモスクが許されている。ムスリムの作家や哲学者は、誰も禁じられていない。もっと重要なことは、ライバルの宗派が互いに殺し合ったりしていない。半ダースのムスリムが多数を占める国で起こっているのとは違って。
 英国のメディアが自己検閲を行う唯一の機会は、ある記事が、反イスラム的だと思われた場合である。すべての英国の編集者は、ムスリムの感情を傷つけることを恐れて、少なくとも本の書評を引っ込める。「ムスリムの感情を考慮に入れること」は、ある芸術作品を引っ込めるための理由である。
 最も過激な反西欧的でテロ支持派のイスラム聖職者でさえ、英国に来て、彼らの憎悪のメッセージを広げることを認められている。(時には、リビングストン市長の客として。)
 ハマスやヒズボラは、英国に滞在しており、「イスラム解放党」は、ロンドンに司令部を持っている。
 ハマス支持あるいはヒズボラ支持の戦士たちは、英国のテレビでは、毎晩、取り上げられている。「イラン・イスラム共和国」の最高指導者アリ・ハメネイがロンドンに開いている「個人事務所」は、ロンドンの「イラン大使館」の二倍の人員を抱えている。
 ロンドンやグラスゴーの人々を殺そうとしたテロリスト達は、バグダッドやカラチで人々を殺しているのと同じ連中だ。彼らは、何万人ものエジプト人や、恐らく十年以上、25万人のアルジェリア人を殺したのと同じ連中だ。彼らは宗教的な不満に動機づけられたのではなくて、政治的権力に対する飽くなき欲望によって動機づけられている。彼らは社会のコントロールを奪い、社会を隷従へと強制し、神の名前を使って、すべての個人に狂気のテロを押しつけようとしているのだ。
 イスラムが「平和の宗教」であるなら、本当の「イスラム嫌い」は、ロンドンやグラスゴーで自動車爆弾を仕掛けた連中である。自己検閲をし、彼らが骨折って手に入れた自由を「ムスリム共同体」を攻撃しないために抑制している哀れな英国人ではない。
[訳者の感想]筆者アミル・タヘリは、イラン生まれのジャーナリストで、かなり問題のある人物のようです。彼の論調は、明らかにアメリカのネオコンに近いと言えるでしょう。

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