京都駅近辺で居酒屋を検索すると北不動堂町にある「きさいち」という店がいつもヒットする。一度は訪れたいと思っていた。予約の電話を掛けた。男性が出たが、店の名前が違っていた。謝って電話を切った。店の名前をよく見たら自分が「さきいち」と誤って覚えていた。気を取り直して再度、連絡する。今度は女性が出たので助かった。この店は、泊まっているホテルと京都駅を挟んで反対側にある。堀川通りから向かう。京都駅付近で初めてJR線の下を潜った。「きさいち」への途中道祖神社の横に「新撰組まぼろしの屯所」の提灯を下げたお堂があった。
不動堂明王院と言い、浄土宗西山派のお寺だという。宇多天皇のとき、東七条御所(亭子院)に弘法大師が石に不動明王を彫刻し石棺に納めて井底深くに安置した霊石不動を祀られたのを起源とし、現在も井底に封じられ誰も直々に拝したことが無いという。代わりに本堂に不動尊が安置されているが、内陣が暗くて何が安置されているのか分からなかった。新撰組が西本願寺の屯所から替わった三番目の屯所が不動堂村近辺だったという。正確な場所などは分かっていないが、この辺りではないかと考えられているという。
近くの「京湯元ハトヤ瑞鳳閣」の角に「此付近 新撰組最後の洛中屋敷跡」の石柱があり、歴史地理史学者という人の説明に「場所は宮川信吉の書翰に七條通り下ル、また永倉新八手記に七条堀川下ル」とあり、さらに「厳密な場所や規模・構造などについては信用に足る史料が少なく、不明です。価値の低い記録による復元・叙述は、極力さけなければなりません云々」とあった。価値の低い記録ってなんだろうか。史実と虚構を区別し、史料批判が出来るかどうかが肝心だと思う。堀川通りを越えたホテルの駐車場入口にもう一つ「新選組・不動堂村屯所跡」という石碑があるという。なにか本家争いみたいな感じがする。幕末、紀州の医者、羽山維碩が情報を纏めた彗星夢雑誌に「此節京都へ相登り侯人に風評承知仕候処浪士千石其手下大勢東寺近辺に屋舗相構へ」とあり、幕末の改正京町御絵図細見大成をみると、ふ動堂丁の南側に大きな畑(空地?)が南側の伏見稲荷御旅所まであるので、その間に屯所があったのだろう。
「きさいち」の店近くまできたが、店が見つからない。路地を入っていくと、小さな祠があり、それらしき店がない。傍で立ち話をしていた人に聞いたら、指をさしてこの家の反対側が入口だという。私有地みたいな路地の奥に店があった。
店を探しながら歩いている途中、キョロキョロしながら歩いていた3人組とすれ違った。後からこの3人組も店に入ってきた。今日のお勧めメニュウーの一番上にトラフグがあった。主人から量が多いから2人で大丈夫と聞かれたが、フグ刺なら大丈夫と頼んだのが大失敗だった。食べても、食べても刺身が減らない。ふぐ刺でお腹が一杯になったのは初めてだった。
ツブ貝、ウニ、生ガキを頼むのが精一杯で、フグ唐揚げが追い打ちをかける。おかげで、酒がほとんど飲めなかったのは残念だった。