大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

武士から お茶屋に

2009-10-11 | 會津

神奈川県横須賀西浦賀に、幕末ペリー来航時の狼狽ぶりを風刺した狂歌、
「泰平のねむりをさますじやうきせん たつた四はいで夜も寝られず」の
蒸気船にかけた「上喜撰」 という当時と同じ製法で作られた煎茶の銘柄が
西浦賀町の鹿目茶舗で今も売られています

(鹿目茶舗浦賀店は2010年に閉めらて、野比駅前のお店で営業しています)

 

この鹿目茶舗は明治三年、戊辰戦争にも旧会津藩士として参加した
鹿目常吉が「宇治諸国 商處 雅松軒」の大看板を掲げ、銘茶陶磁器商と
して浦賀で帰商し開業した。古老の話として明治十四年五月、明治天皇が
観音崎砲台視察のため浦賀に御臨幸されたとき、途中の鴨居の会津屋
高橋勝七方で休憩され、このとき浦賀町宮下の十三歳になる鹿目家の
息子がせん茶を献上したという話も残っている。

(大正四年刊、浦賀案内記に掲載の鹿目商店・穴澤商店広告)


このお店を見はらす東福寺裏山の叶神社管理地に鹿目家の墓碑がある。
墓文には
「鹿目家ハ旧会津藩士也、明治三年当浦賀町エ移住ス、
旧墳墓は岩代国若松市南町真宗明栄寺在リ当時ノ戸主
鹿目常吉ハ幼名ヲ幸之助ト云ヒ字ヲ忠屋ト稱ス」とある。



この鹿目家に松平容保公の和歌が残されている。



冬の浦賀に
  来たりて 
    容保

此里は
 のどけき春乃 
  心地して 
ふゆこそさらに  
  思わさりけ利

コメント (4)
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