白鷺だより(382) 松竹新喜劇「アットン婆さん」を観て
何時だったか、どの劇場だったか、はたまた何の作品か覚えていないがミヤコ蝶々先生の助手をしていた時 まだ三代目天外がまだ天笑を名乗っていた時分で先生の出の前の露払い的な役で出ていた
花道から先生と一緒に見ていたが(思い出した、中座だった)舞台を見て先生は!小声でつぶやいた
「見てミイ オヤジも大根なら息子はもっと大根やな」
それ以来 生の二代目天外の芝居を見たことがなかった僕は天外=大根と思いこんでいた
「アットン婆さん」の芝居を見てそれが吹っ飛んだ 確かに病気の後遺症で右足は不自由だ
右手も固まったママだ 辛うじて滑舌は大丈夫だ 僕も同じ症状だから解る ここまでくるのにすごいリハビリだったと思う 思うように動かない身体、それと戦いながら芝居をする
並大抵な事ではなせる業ではない
蝶々先生が南都雄二と新喜劇に入ったのは天外が病気で倒れた後だ
この「アットン婆さん」が昭和45年だから少しは良くなっていてもこの姿だ
蝶々先生が新喜劇にいた当時は倒れた直後だからもっともっとヒドい状態で舞台に上がっていたのだろうと推測される
蝶々先生はそんな天外しかまじかに見ていないのだ
それでも十吾さんや寛美と丁々発止の五分五分の芝居をする
お初とのラブシーン?ではやはり両手がつかえないと絵にはならないもののその病気のしんどさが解る僕だから「御立派」だといえる
十吾さんの「アットン」もお見事だ 身体から滲み出る優しさ、言葉から出る愛情
この年御年79
寛美も入れてこの芝居がこの三人で出来た奇跡
三郎とお初、三郎と儀平 儀平とお初 名シーンの連続た
朝ドラ「おちょやん」では天海(天外)が書いた自信作「母に捧げる記」を千之助(十吾)がむちゃくちゃ手を入れて元の姿が無いほどにした「マットン婆さん」として紹介された
実際 二人がどのようにして合作したのかは分からないがその後も二人の合作が名作を生んでいったことをかんがみると作者同士はうまく役割分担されていたのであろう
さてこの「アットン婆さん」は昭和45年5月南座で上演されたものである
茂林寺文福、館直志合作 高須文七美術
長男正一郎 花和幸助
その妻富士子 石河薫
三男三郎 藤山寛美
二女真理子 大津十詩子
女中おその 滝見すが子
女中おりん 曽我迺家鶴蝶
老女中お初 曽我迺家十吾
片桐儀平 渋谷天外
このうち現在でも生存しているのは大津十詩子こと大津嶺子さんのみである
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