白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(36)「おもいで酒」の思い出

2016-04-09 10:21:42 | うた物語


無理して飲んじゃ いけないと
肩をやさしく 抱き寄せた
あの人どうして いるかしら
噂をきけば あいたくて
おもいで酒に 酔うばかり

 その頃巡業公演の娘役といえば きまって西崎みどりか小林幸子だった。
この二人の共通点は子供のころにヒット曲があり(ねんねん船頭、うそつき鷗)
子役として多少は芝居の経験があることだった。
使う方とすれば芝居は出来るし多少なりに名前が売れているというメリットがあり 
本人たちも新曲のキャンペーンに各地のレコード店、ラジオ局 有線放送などで廻れるメリットがあった。
酷い時には深夜までその土地の飲み屋やスナック回りをさせられていた。

小林幸子はその頃 第一プロダクション(ぴんからと同じ)に所属していて
(「平凡パンチ」にセミヌードの写真が出たのもこのあたり)
11歳で出した「うそつき鷗」のヒット以来一向に目が出ない状態であがいていた。
20代も後半に入って いつまでも娘役をやっていく年でもなかった。

昭和54年
丁度「おもいで酒」が徐々に火が付き始め
B面曲であったこの曲がA面として売り出すキャンペーンを始めた頃に藤田まことの巡業に参加した。

幸いこの曲が爆発的に売れて200万枚の大ヒット
その年の紅白に出場、レコード大賞最優秀歌唱賞など数々受賞 
続いて出した「とまり木」もヒットした。

そして昭和57年夢にまでみたコマ劇場への登場となるのだが 
公演は痛快町娘捕物帖「女は度胸でございます」
10月15日~28日までが新宿コマ、10月31日~11月14日までを梅田コマとなった。
高田浩吉、佐山俊二、目黒祐樹ら看板クラスはそのままで他の役は各劇場が用意することとなり
稽古時間があまりないという状態だったので 梅コマ公演は脇役陣は本人が良く知っている人がいいだろうと
僕の判断でその時の巡業のメンバーを起用した。

ところがそれが裏目に出た。
そのうちの一人(仮にT)顔合わせに幸子が登場したとたん 
感極まったのだろう「さっちゃん おめでとう!」とチラシらしきものを振って叫んだ。

顔合わせは騒然となり怒ったプロダクション側との話し合いでそのTを降ろすことで決着した。
しかし彼は巡業中は一番幸子を可愛がっていた男であった。
彼の打算もあっただろうが心からその出世を喜んでいた。 

彼が振ったチラシはボクも記憶がある10億円札の裏に「おもいで酒」の歌詞が印刷されたキャンペーン用のチラシであった。
幸子本人の名誉のために言っておくがTを降板させた件は何も知らない。


もう一人の娘役 西崎みどりも必殺の主題歌「旅愁」が大ヒットした。



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