白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(387) 「八代英太転落事故」について

2021-06-14 10:10:38 | 演劇資料
八代英太転落事故について

昭和48年6月3日 愛知県刈谷市市民会館で畠山みどりショウが行われていた
ゲストとして出演していた八代英太は歌のツナギで漫談やモノマネをして引っ込む予定が「それではまずぴんからトリオ、女のみちから」と言ってイントロがなり、その中で後ろに下がったとたん、なぜかあいていたセリの中に消えた 
演出だと思って客は大笑い 続いて大きな拍手、しばらくは鳴り止まなかっという 八代は5メートル下の奈落で意識を失っていた
その穴は畠山みどりが乗ってすりあがる予定の穴であった
意識不明の状態が50時間続いたが一命は取り止めた 
しかし八代は脊髄損傷により下半身不随となり車椅子生活を余儀なくされた

八代はこの年日本テレビの「お昼のワイドショー」に抜擢されてタレントの仲間入りしたばかりであったが同番組で車椅子司会者としてカムバックした
そして何とか生活の目途がたった2年後 八代は刈谷市、畠山、ショウを企画した子安興行を相手どり損害賠償請求訴訟を起こした
しかし各々が責任を擦り付けあい裁判は泥沼化して結審したのは15年後の昭和63年までに及び結局刈谷市が7000万円、畠山みどりが2500万円、子安興行500万円を支払う事に決定した

「お昼のワイドショー」を辞めた八代英太は翌1977年参議院議員選全国区に無所属で立候補して84万票を集め初当選、車椅子議員として華々しく政界デビューした

全国区が比例区となったため無所属では立候補でキス1983年福祉党を結成 名簿第一位で再当選  翌年自民党に移籍
1989年 比例区名簿第2位と優遇され三選を果たす
1995年参議院選に立候補するも次点で初めての落選
1996年 衆議院に鞍替えし東京12区より立候補 初当選
1999年 小泉内閣の郵政大臣に就任 初入閣
2000年 森内閣でも郵政大臣に再就任 衆議院選でも再選
2003年 比例東京ブロックから立候補 3選
2005年 小泉政権下郵政民営化に反対票を投じる
    自民党公認から外される 無所属で立候補、落選
2009年 鈴木宗男に誘われ「新党大地」に入党

その前年北島三郎が歌う「愛の道」リリース

八代富子 作詞 芳野薫 補作詞 八代富子は八代夫人
原譲二 作曲

あなたの肩に舞い落ちた
冷たい雪はいつとける いつとける
振りかえることなど出来ぬと知りながら
今日もゆくゆく無念坂
けわしき道されど我が道愛の道
押させて下さい車椅子

この曲がどんないきさつで出来上がっか知らない
翌年八代は鈴木宗男と共に新党大地から立候補するも落選

以後八代は選挙に当選する事はなく野に下っている






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