白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(362)ロックミュージカル「禁断の惑星への帰還」

2019-11-05 10:20:07 | 思い出

Return to the forbbidden planet



1992年 梅田コマの新しいメイン劇場「劇場飛天」とともにその年オープンする地下劇場「シアタードラマシティ」の開場目玉企画である来日公演「禁断の惑星への帰還」の打ち合わせの為ウエストエンドにいた 僕は新しい地下劇場の文芸部のチーフが内定しており
その立場での打ち合わせの参加だ
僕にとって初めての外国だったのでヒュースロー空港に着いて出口で僕の名前を書いたパネルを持って迎えてくれた通訳さんにあった時緊張の糸が切れた

この作品はシェークスピアの「テンペスト」を基に1956年に作られたいわゆるB級SF映画「禁断の惑星」とミックスしたロックミュージカルであり 60年代70年代のロックミュージックをふんだんに使った作品で その当時始まったばかりの「ミスサイゴン」よりも客を集めていた 
テント野外劇場が始まりで1980中頃にはリバプールの劇場で そしてロンドンのキルンシアターを経てケンブリッジ劇場で上演 1989年と1900年両方でベストミュージカルとしてオリビエ賞を受賞した
僕が見たのもこの劇場だ 客席をみると60年、70年当時若者であっただろう老人たちが音楽に合わせ立ち上がって踊りまくる 
とても当時の日本では考えられない光景だった

前年の1991年 この作品はシドニーを皮切りにニューヨークのオフブロードウェイで公演、と海外進出しており 日本公演もその一貫と思われる

作・演出のボブ・カールトンはほとんど僕と年齢が変わらないと見えたが(あとで調べると1950生まれの僕より2つ下だった)3年前のこのケンブリッジ劇場でのヒット、一年前のブロードウェイ進出を経験して勢いに乗っていた 
打ち合わせは家に来てもらいたいが狭いのでと案内されたのはなんとテームズ川に浮かぶ大型ボートだった 
この打ち合わせでのボブは大演出家のオーラもなく急にシドニーやオフブロードウェイや挙句の果て東洋の小国からの打ち合わせに戸惑っているようにおどおどしていた それにしても立派なボートで 無名の舞台監督あがりの彼がたった一本のヒット作があれば このような生活をできるというショービジネスの世界を目の当たりにした

ボブ・カールトン(1950~2018)この作品のヒットの後 1997年から2014年までクイーンズ劇場の芸術監督を務めた

帰国した僕はその年の暮れ
「シアタードラマシティ」開場第一作 
野口五郎 剣幸 主演「ミスターアーサー」を開けた 

翌1993年3月12日~4月7日
シアタードラマシティ開場記念公演
来日公演「禁断の惑星への帰還」上演

使われた音楽
グロリア ワイプアウト ミスターベースマン テルスター シェイクラトル&ロール ジョニーBグッド などなど

スタッフ・キャスト全員オリジナルの外人で行われた(もちろん英語 日本語字幕入り)この公演は劇場の認知度の低さもあり 
まあまあの入りで左程評判にもならなかった 
いや入りはともかく なにより客席の盛り上がりに欠けた 
途中からオッちゃんオバちゃんの「サクラ」を入れ踊ってもらったがどうも日本人では様にならない 

この公演を見た評論家Tさんの言葉
「当時の日本、しかも大阪では早すぎたのかも知れませんね」




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1 コメント

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初めまして。 ()
2019-11-12 12:57:34
大阪在住の者ですが、寛美さんの人生双六
を思い出しまして、検索で貴ブログに辿り
つき立ち寄らせていただきました。
御了解も得ずのフォロー、御容赦下さい。
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